2014年4月23日水曜日

第822話 書棚にみとめた一冊の本 (その2)

「昭和の流行歌 物語」(塩澤実信)の引用を続けましょう。

 北京大学の社会思想教授から、米国大使となった胡適は
 日中戦争が始まる前に
 「日本切腹 中国介錯論」を唱えていたというのである。  

 彼は1930年代の世界情勢を分析して
 中国はアメリカとソ連の力を借りなければ、
 アジアの強国日本には勝てないと見ていた。
 しかし、アメリカは海軍を増強中、
 ソビエトは第二次五ヵ年計画に奔走中で
 中国への援助は望むべくもなかった。 

 日本軍閥は、中国のこの弱点を知っていて
 米ソの軍備がととのわないうちに
 中国へ戦争をしかけるだろうと見ていた。 
 事実、事変を糊塗して戦争を始めるや、
 日本軍は破竹の勢いで中国大陸に戦野を拡大していった。

 胡適はこの現実を前にして
 「アメリカとソビエトを介入させるためには、
  まず中国が日本の戦争を正面から引き受け、
  二、三年は負けつづけることだ」
 と考えたのである。
 彼は次の通りに述べている。
 
 「中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。(中略)
  我々はどのような困難な状況下におかれても
  一切顧みないで苦戦を堅持していれば、
  二、三年以内に次の結果が期待できるであろう」

 その期待とは、この数年後に
 日本の米英蘭国への参戦によって、現実となった。 
 胡適は次の通りに述べている。 

 「満州に駐在した日本軍が西方や南方に移動しなければならなくなり、
  ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。
  世界中の人々が中国に同情する。
  英米および香港、フィリピンが切迫した脅威を感じ、
  極東における居留民と利益を守ろうと、
  英米は軍艦を派遣せざるをえなくなる。
  太平洋の海戦がそれによって迫ってくる」 

 胡適は、見事なまでに
 世界情勢の推移を読みきっていたと見て間違いない。  
 その結論は水ぎわだっていた。 

 「以上のような状況に到ってから
  はじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。
  したがって我々は、三、四年の間は
  他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。
  日本の武士は切腹を自殺の方法とするが
  その実行には介錯人が必要である。
  今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。
  上記の戦略は『日本切腹中国介錯』という、
  この八文字にまとめられる」 

 背筋が寒くなるような胡適の予言を知らばこそ、
 日本は国を挙げて”暴支膺懲”にのり出したのだった。

日本の軍人の愚かしさをあざわらうかのような胡適の慧眼。
一歩踏み出したその瞬間に
悲痛な結末は約束されたも同然だったのだ。
嘆くべし。