2016年9月6日火曜日

第1441話 鯨にギヴアップ (その1)

  ♪   南国土佐を後にして
     都へ来てから 幾歳(いくとせ)ぞ
     思い出します 故郷の友が
     門出に歌った よさこい節を
     土佐の高知の 播磨屋橋で
     坊さんかんざし 買うをみた

     国の父さん 室戸の沖で
     釣ったと 言う便り
     わたしも負けずに 励んだ後で
     歌うよ土佐の よさこい節を
     言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ
     潮吹く魚が 泳ぎよる
     よさこい よさこい        ♪

            (作詞:武政英策)

「南国土佐をあとにして」、ペギー葉山の伸びやかな歌声が
列島を席巻したのは1959年5月。
ときの皇太子殿下(現・天皇)と正田美智子さんのご成婚、
そのひと月後。
長嶋茂雄の天覧試合におけるサヨナラ・ホームラン、
そのひと月前のことであった。

同年夏に小林旭&浅丘ルリ子主演で
同名の日活映画も封切られ、
歌手のペギー葉山自身も本人役で出演していた。
歌はときの爆発的なTVブームに乗って大ヒットしていたから
耳に馴染んでいたものの、
映画の予告編で初めてペギーの顔を見たのだった。
可愛かったヨ。

当時、小学校低学年だったJ.C.は裕次郎ファン。
旭主演の映画にはあまり接しなかったから
「南国土佐を後にして」を観ることができたのは15年ほど前、
中野にあった中野武蔵野ホール(2004年に閉館)だった。

作詞の武政英策は作曲も兼ねている。
彼は近代日本音楽の父ともいえる山田耕筰の弟子。
ご存じ山田耕筰は明治・大正・昭和の長きに渡り、
活躍し続けた作曲家にして指揮者である。

武政は出身地の大阪で戦災に見舞われ、
妻の実家の高知県・南国市に疎開した際、
地元の「よさこい節」に出会ったのだった。
「南国土佐を後にして」の原曲、
「よさこい節」は元々、中国大陸に出兵して行った、
地元の陸軍朝倉歩兵236連隊(通称:鯨部隊)内で
兵隊たちが愛唱していた楽曲らしい。

ペギーが歌う4年前、
やはり流行歌歌手の鈴木三重子が吹き込んでいるが
民謡調の歌い回しが災いしたせいか、
まったくの鳴かず飛ばずで終わる。
ところがその翌年、三重子は大ヒットに恵まれた。
それが出しゃばりお米(よね)が出て来る「愛ちゃんはお嫁に」だ。

そういえばわれらがアイドル、卓球の愛ちゃんもお嫁にいくんだネ。
相手は太郎じゃないけどネ。

=つづく=