♪ 俺らはドラマー やくざなドラマー
俺らがおこれば 嵐を呼ぶぜ
喧嘩代りに ドラムを叩きゃ
恋のうさも ぶっとぶぜ
この野郎、かかって来い!
最初はジャブだ...ホラ右パンチ...
おっと左アッパー...
畜生、やりやがったな、倍にして返すぜ
フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ
えゝい面倒だい この辺でノックアウトだい!
(作詞:井上梅次)
1958年のマイ・ベスト曲、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」。
紫色はセリフ部分だ。
同名映画の主題歌で映画は銀座の夜景から始まる。
晴海通りに面したビルの屋上にあった、
森永製菓の地球儀みたいな広告塔。
J.C.にとってはこれが銀座のシンボルだった。
服部時計店の時計塔じゃなくてネ。
時計なんかよりキャラメルのほうがガキには魅力的だもの。
映画で強く印象に残るのは今も五反田5丁目にある石段だ。
「助川ダンス教室」の脇にあって
JR五反田駅に近い場所で線路に面しているから
山手線の車窓から眺めることができる。
石段を上った先に裕次郎たち家族3人が暮らす、
古ぼけた安アパートがあった。
母親(小夜福子)と口論した裕次郎が家を飛び出してくる。
弟(青山恭二)と
その恋人でアパートの管理人の娘(芦川いづみ)が
止めるのを振り切り、裕次郎は階段を降りて立ち去る。
彼の魅力があふれまくる名シーンだったな。
五反田の町を訪れたとき、時間の余裕があれば、
必ずこの石段にやって来て昔を偲ぶことにしている。
いつの日からか心のうちで”裕次郎ステップ”と名付けた。
いや、小学一年生の生意気盛りが
この1本で完全にノックアウトされやしたネ。
ところで今や海外でも人気のカラオケ。
誕生したのは1971年のことだが
世間に普及し始めたのは1977年。
この頃、有楽町の免税店に勤めていた。
八月だったかな?
社内旅行で箱根に出掛けた。
宿近くのスナックで生まれて初めてカラオケを歌った。
選んだ曲が「嵐を呼ぶ男」。
ちょいとテレくさかったが、ちゃんとセリフもこなしたっけ・・・。
=つづく=
俺らがおこれば 嵐を呼ぶぜ
喧嘩代りに ドラムを叩きゃ
恋のうさも ぶっとぶぜ
この野郎、かかって来い!
最初はジャブだ...ホラ右パンチ...
おっと左アッパー...
畜生、やりやがったな、倍にして返すぜ
フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ
えゝい面倒だい この辺でノックアウトだい!
(作詞:井上梅次)
1958年のマイ・ベスト曲、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」。
紫色はセリフ部分だ。
同名映画の主題歌で映画は銀座の夜景から始まる。
晴海通りに面したビルの屋上にあった、
森永製菓の地球儀みたいな広告塔。
J.C.にとってはこれが銀座のシンボルだった。
服部時計店の時計塔じゃなくてネ。
時計なんかよりキャラメルのほうがガキには魅力的だもの。
映画で強く印象に残るのは今も五反田5丁目にある石段だ。
「助川ダンス教室」の脇にあって
JR五反田駅に近い場所で線路に面しているから
山手線の車窓から眺めることができる。
石段を上った先に裕次郎たち家族3人が暮らす、
古ぼけた安アパートがあった。
母親(小夜福子)と口論した裕次郎が家を飛び出してくる。
弟(青山恭二)と
その恋人でアパートの管理人の娘(芦川いづみ)が
止めるのを振り切り、裕次郎は階段を降りて立ち去る。
彼の魅力があふれまくる名シーンだったな。
五反田の町を訪れたとき、時間の余裕があれば、
必ずこの石段にやって来て昔を偲ぶことにしている。
いつの日からか心のうちで”裕次郎ステップ”と名付けた。
いや、小学一年生の生意気盛りが
この1本で完全にノックアウトされやしたネ。
ところで今や海外でも人気のカラオケ。
誕生したのは1971年のことだが
世間に普及し始めたのは1977年。
この頃、有楽町の免税店に勤めていた。
八月だったかな?
社内旅行で箱根に出掛けた。
宿近くのスナックで生まれて初めてカラオケを歌った。
選んだ曲が「嵐を呼ぶ男」。
ちょいとテレくさかったが、ちゃんとセリフもこなしたっけ・・・。
=つづく=