ジャーマン・カップルと語らう思い出横丁。
「もう1杯飲む?」と訊ねたら
「そろそろ行かなきゃ」の応答。
すでにずいぶん滞空していたらしい。
手を振りながら
「アウフ・ビーダーセン!(さよなら)」
生をお替りして孤軍奮闘のアチラ系女性に
「どこから来たの?」
「福建省です」
話せば日本語はなかなか、
物腰も柔らかいコだった。
横丁でもう1軒いっとこう。
同じ通りの数軒先、「タロー」に入った。
先客が独り静かに飲んでいる。
ビールも黒ラベルの生オンリー。
似たような店だな。
驚いたことにお通しがまた中華の春雨サラダ。
さっきとまったく一緒だ。
「あれェ、今行った『ひなどり』と同じじゃん」ー
つぶやくと
「ハハ、経営者が一緒だからネ」ー
常連らしき先客の一言。
「エッ、そうなんですか?」
何てこったい!
当店も若い女性のワンオペでフロム福建省アゲイン。
そして同様に焼き鳥・焼きとんの二段構え。
さっきは鳥だったから今度は豚レバーをタレで2本。
兄妹ののおかげか、ドイツが懐かしくなり、
ぼんやりと思い出していた。
初めて訪れた1971年。
翌年のミュンヘン五輪に向け、
街はいたるところで建設ラッシュ。
外国人労働者があふれていた。
そのほとんどがトルコ人。
あの五輪は彼らの支えなしでは成り立たなかった。
西ドイツW杯は2年後の’74年。
ベッケンバウワー中心の西ドイツに
クライフ率いるオランダが挑む決勝戦は
ロンドンのパブで観た。
互いにPKの1点づつ。
結局、2ー1でホームの西ドイツが優勝。
また欧州大陸を周りたくなった。
西ドイツのデュッセルドルフと
スウェーデンのストックホルムに
親しい友人がいたこともあり、
W杯直後に出かけた。
ポルトガル・スペイン・フランスをめぐり、
ルクセンブルクからケルンに入る。
デュッセル・リューベックと北上し、
デンマーク・ノルウェーを経て
ストックに3ヶ月滞在、ロンドンに戻った。
楽しかったねェ。
もう一度行きたいなァ。
思い出に浸りきる思い出横丁なのでした。
「ひなどり4号店」
東京都新宿区西新宿1-2-7
03-3342-4072
「タロー」
東京都新宿区西新宿1-2-72
03-3348-3321