2016年12月20日火曜日

第1518話 予期せぬ合コン (その3)

ハナシを郷ひろみに戻しましょう。
1516話に戻ると、PCを立ち上げて
やっちまっただヨ・・・であった。
そう、ご想像の通り、
Wブッキングの不始末をやらかしていた。

はて、どっちを優先するかの?
とにかく片方をリスケしなければならない。
順序からすると、美女軍団に権利が生ずる。
そう思いTクンにめールを送るため、
携帯電話を手にしたのだった。

いや、ちょっと待て!
ひらめいたのは両者の合体案である。
こう見えても少々多忙な身、
殊に土曜日は貴重なのだ。

合体は自然に合コンに通ずる。
男女ともにけっこう歓ぶんじゃなかろうか?
さすれば一石二鳥の効果も生まれる。
さっそく両者に打診すると、二つ返事でOKときた。

TクンとAクンは埼玉県・大宮方面の在だが
Tは新潟県・長岡市に単身赴任している。
せっかくの休みだから遅くならないうちに
家族の元へ返さなけりゃならない。
よって会場は帰宅に便利な、
北区の赤羽・王子あたりがよろしかろう。

結局、男女6人冬物語の舞台となったのは
王子のランドマーク的大衆酒場、「山田屋」だった。
かつて知人の坂崎重盛翁が
体育館で飲んでるみたいな酒場と称した店である。

Tチャンと連れだって定時に現れると、
初対面のハズのTクン、
Hチャン&Wチャンがすでに始めておった。
一応、J.C.の名前で予約は入れてあったが
彼らに予約のことは伝えていない。
やはり呑ん兵衛同士は相通ずるものがあるんだネ。
ほどなくAクンも到着し、6人全員が揃ったわけだ。
ちなみに独身者はHとWとJ.C.の3名である。

生ビールのメガジョッキから
清酒・八重壽(やえす)の上燗に移行し、
しこたま飲んだJ.C.、久しぶりに酩酊の巻。
つまみにしたって、芹のおひたし、まぐろブツ、
ハムカツあたりまでは覚えているものの、
あと数品はまったく記憶に無い。

よって予期せぬ合コンの場で
どんな会話が交わされたのか
みな忘却の彼方なのである。
一つだけハッキリしているのは
”禁じられた恋”は生まれなかったことであります。

=おしまい=

「山田屋」
 東京都北区王子1-19-6
 03-3911-2652

2016年12月19日月曜日

第1517話 予期せぬ合コン (その2)

  ♪  禁じられても 逢いたいの
     見えない糸に ひかれるの
     恋はいのちと同じ ただ一つのもの
     だれも二人の愛を こわせないのよ
     あなたに逢いに 夜を越えて
     駆けてゆきたい 私なのよ  ♪
          (作詞:山上路夫)

森山良子の「禁じられた恋」は1969年3月のリリース。
高校三年生を目前に控えたJ.C.は
そろそろ大学受験に備えて勉強でも始めるかな・・・
そんな心境でありました。

「禁じられた恋」でイメチェンを図った良子サン、
試みが成功してヒットにつながり、
この年初めての紅白出場をはたす。
歌ったのはもちろん当該曲である。

おいおい、何だって
いきなり郷ひろみから森山良子へぶっ飛ぶの?
ってか?
言われてみると、おっしゃる通りだけど、
まっ、先をお読みくだされ。

振り返れば、今年は不倫に始まり、
不倫に終わってゆく感強し。
ゲス男とベッキーで明け、
テレアナ同士で暮れた、ってか?

そもそも不倫なんてものは
世の中にあふれ返っていて珍しくも何ともないが
しょっちゅうテレビに顔を出している有名人は
もうちょっと気をつけなきゃネ。

自覚が足りないってゆ~かァ、
まったく無防備なんだよなァ。
自分たちの恋が「禁じられた恋」であることを
まず認識してからコトにのぞまねば―。

昔の男女は道に外れた恋に落ちた場合、
それをひた隠しに隠した。
いわゆる秘められた恋っていうヤツですな。
秘めるとよけいに燃え上がるんだが
何とかコントロールして隠し通す。

そのがまんができないんだねェ、
昨今の若者は―。
今年を象徴する漢字一文字は
”金”じゃなくって”倫”じゃないの?

=つづく=

2016年12月16日金曜日

第1516話 予期せぬ合コン (その1)

11月半ばのとある土曜の夜のことだった。
その夜は一月以上も前からすでに予定を入れていた。
年に数回、不定期に集う、
妙齢の美女たちとの飲み会であった。
例によって店選びはJ.C.のつとめ、
漠然と文京区・春日のロシア料理にするつもりだった。

当夜の二週間ほど前、
会社勤めの頃の部下、Tクンから連絡あり。
これまた部下のAクンを交えて
一献、酌み交わしましょうとのお誘いである。
三者のスケジュールを突き合わせ、
やはりある土曜の夜に決定した次第だ。

その日の帰宅後、
PCを立ち上げたついでに予定表を開くと、
ややっ、やっちまっただヨ。

  ♪      愛してはいけない
     二番目が嫌なら
     綱渡りみたいな
     許されぬ関係

     みつめ合う瞳に
     情熱の炎は
     メラメラと燃え上がり
     モラルじゃ消せやしない

     不倫したい 君とならば
     ”愛してる” そのことに嘘はない
     今夜君と いたいのさ
     すべてを忘れて2人

     裏切りたい 君とならば
     ”愛してる” そのことに嘘はない
     今夜君と いたいのさ
     罪だとわかっていても・・・

          (作詞:秋元康)

郷ひろみの「Wブッキング―LA CHICA DE CUBA」は
1990年5月のリリース。
サブタイトルにあるようにラテンナンバーのカバーである。
しばらくヒットに恵まれなかった郷クンだが
この曲で息を吹き返し、晴れて紅白に復帰している。

そういえばこの年、ニューヨーク在住中のJ.C.は
たまたまセントラルパーク内のレストラン、
「Tavern on the Green」に設けられた特設ステージで
彼のライヴを観る機会があった。
当該曲もしっかり歌われたのでありました。

=つづく=

2016年12月15日木曜日

第1515話 サヨナラをする前に (その5)

22時を回っても若い女性でいっぱいの「FOUGAU」。
彼女たちにとって夜はまだまだ浅いということか―。
ほとんどが女子会の態をようして
気兼ねなく飲んで食べて、おしゃべりに勤 !しんでいる。
明日の仕事なんてクソ食らえ!
とまでは思わずとも I don't care !ではありますな。

さて、われわれ。
みなそれぞれ集結する前に軽食を取ってきた身、
重いモノは受けつけないのでパス。
しかしながら気になる料理はいくつもあった。

例えば、イカと水ダコのソテー・焦がしエシャロットソース。
食材よりもソースに惹かれる。
エシャレットではなく、本物のエシャロット。
よく居酒屋で見掛けるのはエシャレット、
いわゆるラッキョウである。
ラッキョウじゃ売れないし、おしゃれでもないから
業界が勝手に命名した由。
したがってフランスにもベルギーにも
エシャレットは存在しない。

ガリシア豚のロースト・パスティスソース。
パスティスはペルノーやリカールなど、
アニスの香り豊かなリキュールである。
そう言えば、前述した「WIMPY」の同僚・プラシドは
北スペインのガリシアはコルーニャの出身だったな。

カウアイ島海老とモッツァレッラのラヴィオリ、
国産牛ホホ肉のビール煮込み、
USビーフ・ハラミ肉のグリル(200g)、
なかなかに印象的な料理が並んでいる。

<京都 中勢以さんの厳選熟成肉を使って>
そう銘打ったコーナーが設けられ、
二、三紹介すると、
但馬牛100%のメンチカツ
熟成肉の煮込みハンバーグ
熟成豚のカイエット
フム、ふむ、興味深いものがある。

ちなみにカイエットというのは
フォワグラ、ピエ・ド・コション(豚足)、
エピナール(ほうれん草)と一緒に煮込んだ、
フランスの郷土料理であり、家庭料理である。
もともとは牛の第四胃(ギアラ)のことだが
一般的にはハンバーグを指すことが多い。

ユニークな料理の数々にスペインの赤ワイン、
マルケス・デ・リスカルのグラスを傾けながら
近々ウラを返さねば・・・そう思ったことである。

年明けに気の合ったのみともと再訪しよう。
その際にあらためて紹介したい。
このシリーズは本道より脇道ばかり走ってしまって
ごめんネ、ごめんネ。

=おしまい=

「FOUGAU」
 東京都文京区春日1-15-9
 03-3830-0525

2016年12月14日水曜日

第1514話 サヨナラをする前に (その4)

引き続き脇道を往きます。

振り返ればロンドンの「WIMPY」は楽しい職場だった。
ウェイター、コーヒーボーイ、シェフ、ディッシュウォッシャー、
みな他国から来た若者や中高年でまことに国際色が豊か。
スペイン人はプラシドにホセ、イタリア人のニコル、
トルコからはアリ、バングラディッシュのセディックもいた。
今でも顔と名前が一致して目に浮かぶ。

殊に印象的だったのは
ポルトガル領マデイラ諸島から来たマルチン小父さん。
何たってこの人、駅前広場にたむろしているドバト、
その中の幼いのばかり狙って捕まえちゃうのである。
哀れ小鳩はライスと一緒に炊き込まれ、
小父さんの週末の豪華なランチに変身する悲劇。
われわれ日本人スタッフは
ピジョン・キラー・マルチンと呼んで怖れておったネ。

もう一人、マデイラに近い、
スペイン領カナリア諸島出身のミゲル。
彼とは気が合って仲良くしていた。
ミゲル・ロドリゲス・ゴンザレスなんて
たいそう立派なフルネームの持ち主だった。

当時、「WIMPY」では
スタッフが適当に持ち寄ったカセットテープをBGMとして
終日、店内に流していた。
J.C.が持ち込んだカセットの中に
ビリーバンバンの「さよならをするために」が収録されており、
この曲にくだんのミゲルが痛く感動したのである。

よくせがまれて、かけようとしたが
CDと違ってテープの頭出しは面倒至極、
店が忙しい時間帯はずいぶん苦労した。
そんなことも今はなつかしい思い出、
わが青春の一コマである。

脇道走行はたいがいにして
そろそろメイン・ストリートに戻ろう。
テーマは「サヨナラをする前に」であった。

地下鉄の春日、あるいは後楽園から
至近の「FOUGAU」にいる。
選んだ小皿は
パテ・ド・カンパーニュ、小海老とマッシュルームのアヒージョ、
ニース風サラダ、それにフレンチフライドポテト。

パテが出色の出来映えで
これが1皿500円とはにわかに信じがたいほどだ。
ポストシアターのちょい飲みに打ってつけながら
メインディッシュも充実している。
あらためてメニューに目を通す。

=つづく=

2016年12月13日火曜日

第1511話 サヨナラをする前に (その3)

いつものクセで脇道にそれている。
「サヨナラをする前に」から
いつの間にか、
「さよならをするために」へ車線変更している。
読者のあきれ顔が目に浮かばぬでもないが
それかかった脇、しばしおつき合いのほどを―。

俳優・鶴田浩二の、もとい、石坂浩二の作詞による、
「さよならをするために」は思い出深い曲である。
リリースされた1972年は日々、
もっぱらアルバイトに明け暮れていた。
過激派の学生に大学が占拠(ロックアウト)され、
授業がないのをこれ幸い、
海外渡航のための資金稼ぎに専念していたのだ。

念願かなって翌’73年8月には
エジプト→スーダン→エチオピア→
ケニア→ウガンダ→タンザニア
とめぐって
ケニアの首都ナイロビからロンドンに飛んだのだった。

大英帝国に到着はしたものの、
ホンの数週間で有り金が底をつき、
必要に迫られてバイト探しを始める。
当時、スウェーデンなど、
北欧諸国は外国人に門戸を開いており、
学生に限り、それも夏季に限って働くことができた。

ところが東アフリカや西インド諸島からの移民・難民が
少なくないイギリスでは
そう簡単に労働許可証を得ることができない。
学生といえども無許可で就業するのは不法であった。

まっ、日本人の若者が官憲にとっ捕まって
強制送還されたハナシは聞かなかったから
まずダイジョウブだろうとタカをくくって働くつもりでいた。

ロンドンの街をあちこちと職探しに歩きだして
二日目だったかな?
WLAT(ウエス・トロンドン・エアターミナル)、
東京なら箱崎のTCATみたいなもんだが
そのサブウェイ最寄り駅、グロウスター・ロードにある、
「WIMPY」(ハンバーガー・レストラン)で働くことになった。

ハンバーガーといっても今の世のマックやモスとは違い、
一応、ナイフ&フォークがセットされるレストランのはしくれ、
デッカいガラス張りの一画に日本語で
”アルバイト募集”のポスターが貼られていたのには驚いた。
日本料理店ならいざ知らず、
日本語の広告に意表を衝かれつつも、
九死に一生を得た感があったのだ。

=つづく=

2016年12月12日月曜日

第1510話 サヨナラをする前に (その2)

  ♪    過ぎた日の 微笑みを
     みんな 君にあげる
     ゆうべ 枯れてた花が
     今は 咲いているよ

     過ぎた日の 悲しみも
     みんな 君にあげる
     あの日 知らない人が
     今は そばに眠る

     温かな 昼下がり
     通りすぎる 雨に
     濡れることを 夢に見るよ
     風に吹かれて
     胸に残る 思い出と
     さよならを するために  ♪

       (作詞:石坂浩二)

ビリーバンバンの「さよならをするために」は
1972年2月のリリース。
春先からじわじわとヒットし始め、
街に流れ出だしたから何となく耳にしていたが
曲をはっきりと自覚しつつ聴いたのは8月だった。

今でもその日曜の朝はよく覚えている。
千葉県・市川市の田んぼの中の一軒家は
GFの住まいであった。

ラジオはニッポン放送の「不二家歌謡ベストテン」で紹介され、
確か、その週の1位だったと記憶している。
司会は東京下町生まれのトルコ人、ロイ・ジェームス。
俳優業から転身した外タレのハシリ的存在だった。
それにしても
お菓子屋が歌謡番組のスポンサーだったんだねェ。

「不二家歌謡ベストテン」は
毎週欠かさず聴いてたわけではないが
そのときそのとき、その場その場で
機会に恵まれること多く、耳になじんだ番組ではあった。

ちょうどその2年前の1970年8月。
やはり同番組で流れたのが名曲「手紙」。
高校時代の友人たちと
伊豆諸島の三宅島へキャンプに行ったときのこと。
「今週の第一位、由紀さおりの『手紙』!」―
ロイの声が三宅島特有の黒い砂浜に響いたものだった。

’70年の「手紙」、’72年の「さよならをするために」、
その真ん中の’71年の同じ8月に
同名映画の主題歌として世に出たのが
井上陽水夫人、石川セリが歌う、
「八月の濡れた砂」であった。

あゝ、帰り来ぬ’70年代の夏よ!

=つづく=