本日は諸般の事情でブログのアップが遅れ、すみません。
お待たせしました、ではまいります。
花の雲 鐘は上野か 浅草か
芭蕉晩年の句、といってもまだ42歳にすぎなかったが
とにもかくにも名句だと思う。
「奥の細道」へ旅立つ2年前、1687年に詠まれた句である
ソメイヨシノが東京の空に花の舞いを踊ってから早や一月半、
そう、花の雲とは咲き誇る桜花のことだ。
俳匠は満開の雲の下にあって弟子たちに囲まれ、
宴の真っ最中であったろう。
芭蕉が聞いた鐘の音は
上野の寛永寺、あるいは浅草の弁天山だったハズ。
どちらの鐘か判断しかねたとなると、
花の宴はいったいいづこで催されたのか?
高層ビルなど皆無の江戸中期、
鐘の音はかなり遠方まで鳴り響いたとはいえ、
両所の中間点、あるいは同距離にあって
三角形の一点を成す場所と推測するのが妥当だ。
さすれば芭蕉が住まった深川の芭蕉庵あたりになろうか。
場面を現代に戻そう。
♪ さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
お参りしましょよ
観音様です おっ母さん
ここが ここが 浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね ♪
(作詞:野村俊夫)
”お祭りみないに賑やかね”と島倉のお千代姐さんが歌った、
浅草のランドマーク浅草寺に向かって
雷門(正称は風雷門)をくぐり抜け、
仲見世を真っすぐに本堂を目指す。
途中、小舟町(こぶなちょう)の大文字をしたためた、
大提灯が提がる宝蔵門の手前を右に折れると、
小さな公園があり、小高い一画に梵鐘を見ることができる。
ここが弁天山だ。
公園の向こうに裏口を構えるのが
下町の江戸前鮨ファンを魅了してやまない、
その名も「弁天山美家古寿司総本店」である。
はるか以前は参詣のあとで訪れるに
好都合の勝手口からオジャマしたものだが
いつの頃からか(おそらく建て替えと同時期)、
入店は馬道にに面した玄関のみとなった。
都内にあまたある鮨店のなかでJ.C.がもっとも愛好する店がここ。
今までいくたび訪れたことだろう。
=つづく=
お待たせしました、ではまいります。
花の雲 鐘は上野か 浅草か
芭蕉晩年の句、といってもまだ42歳にすぎなかったが
とにもかくにも名句だと思う。
「奥の細道」へ旅立つ2年前、1687年に詠まれた句である
ソメイヨシノが東京の空に花の舞いを踊ってから早や一月半、
そう、花の雲とは咲き誇る桜花のことだ。
俳匠は満開の雲の下にあって弟子たちに囲まれ、
宴の真っ最中であったろう。
芭蕉が聞いた鐘の音は
上野の寛永寺、あるいは浅草の弁天山だったハズ。
どちらの鐘か判断しかねたとなると、
花の宴はいったいいづこで催されたのか?
高層ビルなど皆無の江戸中期、
鐘の音はかなり遠方まで鳴り響いたとはいえ、
両所の中間点、あるいは同距離にあって
三角形の一点を成す場所と推測するのが妥当だ。
さすれば芭蕉が住まった深川の芭蕉庵あたりになろうか。
場面を現代に戻そう。
♪ さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
お参りしましょよ
観音様です おっ母さん
ここが ここが 浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね ♪
(作詞:野村俊夫)
”お祭りみないに賑やかね”と島倉のお千代姐さんが歌った、
浅草のランドマーク浅草寺に向かって
雷門(正称は風雷門)をくぐり抜け、
仲見世を真っすぐに本堂を目指す。
途中、小舟町(こぶなちょう)の大文字をしたためた、
大提灯が提がる宝蔵門の手前を右に折れると、
小さな公園があり、小高い一画に梵鐘を見ることができる。
ここが弁天山だ。
公園の向こうに裏口を構えるのが
下町の江戸前鮨ファンを魅了してやまない、
その名も「弁天山美家古寿司総本店」である。
はるか以前は参詣のあとで訪れるに
好都合の勝手口からオジャマしたものだが
いつの頃からか(おそらく建て替えと同時期)、
入店は馬道にに面した玄関のみとなった。
都内にあまたある鮨店のなかでJ.C.がもっとも愛好する店がここ。
今までいくたび訪れたことだろう。
=つづく=