盟友・S水クンがストックホルムから
一時帰国してきた。
彼は旧友にして級友でもある。
同様のN田クンを加え、
3匹のオッサンは新橋駅前SL広場に集結。
新橋はオッサンズ・タウンですからネ。
S水とは9年ぶり、N田とは3週ぶり。
海外組と国内組では自ずと差が出る。
殊にここ2年はたとえ望郷の念つのろうとも
思いのままにならなかったからなァ。
実はS水のスウェーデン永住の種を蒔いたのはJ.C.。
1971年、ソ連船に乗って横浜港を離れたとき、
大桟橋で見送ってくれた彼は
(よお~し、次は俺の番だ!)
心に決めたのだった。
その2年後の春、S水は欧州に旅立つ。
秋には再び日本を出るJ.C.と
11月1日正午、パリ・凱旋門の下で
再会を約してー。
すでにヨーロッパ周遊を経験したJ.C.。
此度はアフリカを一めぐりしたのち、
ケニア・ナイロビから空路ロンドンへ。
再会前夜の10月31日。
パリに向かい、
夜行列車に乗り込んだビクトリア駅。
途中、ドーバーでフェリーに乗り換え。
列車はそのまま船腹に、
乗客はラウンジに移動する。
ドーバー駅のプラットフォームを
イミグレーションへ歩く背後から
「オカザワ~、オカザワ~!」の叫び声。
振り向けば、S水が走って来るじゃないかー。
こんな偶然もあるんだネ。
てっきりヤツはストックホルムから
来るもんだと判断していた。
相手は相手でこちらは
モロッコ、スペイン経由と決めつけていた。
それが英国内でバッタリなんてー。
さあ、フランスへ入国する前に二人は考えた。
互いにしばらくロンドンで暮らす腹積もり。
それならあえてパリに行かずともー。
当方は数日前にヒースローで
6カ月のビザを取得している。
相方も相応の滞在許可を得ていた。
でも思案の末に出国しました。
意見の一致をみたのは
(半年前に約束した、その日、
その時刻、その場所に二人で立とうぜ)
このことであった。
まさかこの判断が災いの元になろうとは
夢にも思わずに―。
=つづく=