2011年8月3日水曜日

第110話 濹東綺廛(ぼくとうきてん)

 わたくしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。
 おぼろ気な記憶をたどれば、明治三十年頃でもあろう。
 神田錦町にあった貸席錦輝館で、
 サンフランシスコ市街の光景を写したものを見たことがあった。
 活動写真という言葉のできたのも恐らくはその時分からであろう。
          ~  ~  ~ 
 花の散るが如く、葉の落(おつ)るが如く、
 わたくしには親しかった彼の人々は
 一人一人相ついで逝ってしまった。
 わたくしもまた彼の人々と同じように、
 その後を追うべき時の既に甚しくおそくない事を知っている。
 晴れわたった今日の天気に、
 わたくしはかの人々の墓を掃(はら)いに行こう。
 落葉はわたくしの庭と同じように、
 かの人々の墓をも埋(うず)めつくしているのであろう。
                           (岩波文庫)

二・二六事件が勃発した昭和11年。
その秋口にほんのひと月余りで書き上げられ、
翌12年春には朝日新聞夕刊に連載された小説、
「濹東綺譚」の初めと終わりを抜粋してみた。
作者は言わずと知れた永井荷風。
作中のわたくし(主人公)は自身をモデルにしている。
タイトルは濹東に関わった、とある物語といった意味だろうか。

小説の舞台は私娼街・玉の井。
東武伊勢崎線・東向島の改札を右に出たらすぐ北上、
ほどなくぶつかるいろは通りなるレトロな商店街に沿い、
その右手に紅燈街が拡がっていた。

改札を同じく右に出たら、今度は反対側に南下、
右手に現れるガードをくぐり抜け、
荷風も訪れた向島百花園に向かって真っ直ぐ進むと、
園の手前にあるのが鮨店「うを徳」である。  
「うを徳」と聞けば荷風と交流のあった、
泉鏡花の「婦系図」に出てくる魚屋が思い浮かぶ。

この店は飲み友にして牌友の金融マン、
フタちゃん行きつけの店で彼に連れられ初訪問。
「濹東綺譚」に出てきそうな佇まいの店先を
何度も通っているが今まで縁がなかった。

スーパードライで突き出しの絹かつぎ。
お次は牡丹鱧のじゅんさい添えだ。
韓国産ではなく国産の鱧にこだわるという。
賀茂鶴の冷酒に切り替えて
神津島の汐っ子(かんぱちの幼魚)。
そして津軽は深浦のめじ(本まぐろの幼魚)である。
こうして幼魚ばっかり食ってると、
幼児虐待に手を貸しているような罪悪感にさいなまれるが
余計なことを考えるほうがおかしい、旨いのものは美味いのだ。

にぎりに移行し、あおりいかと特大サイズのとり貝。
片身のデカい真あじは2カンに切り分け、
即席の酢〆をお願いし、うち1カンはおぼろをカマせてもらった。
締めは何日も掛けて煮詰めたどんこ椎茸の海苔巻き。
これが「うを徳」の名代といえよう。

京都で和食を修めた親方は鮨職人より料理人の風情。
店内に流れる空気も他店とは一味違うものがある。
「濹東綺譚」ならぬ「濹東綺廛」と呼ぶにふさわしい廛(みせ)だ。
アシの便がよいとはいえぬが半蔵門線が延び、それも改善した。
遠征に値する一軒につき、一訪をおすすめしたい。

「うを徳」
 東京都墨田区東向島4-24-26
 03-3613-1793