2011年9月23日金曜日

第147話 乙女はママになっていた (その1)

今年の3月に当ブログを綴り始めてから
思いも掛けないメールがたびたび舞い込むようになった。
何かの拍子にたまたま目にして懐かしさに誘われ、
一筆したためたというケースがほとんどである。

中には日本語の”ニ”の字も解さない元同僚、
パレスティナ系米国人のN.Abbed なんてのもいた。
何度か食事をともにしたことのある細君と別れたあと、
流れ流れてサンフランシスコに行き着いたという。
実の娘とたまに会うのが唯一の楽しみだが
もう1度ニューヨークに帰りたいと、淋しそうだった。
「J.C., I'm getting old, I always miss that good days」
孤独感漂う文字に胸が詰まる。

マンハッタンの高級鮨店「S田」のマネージャーだった、
H田M子も出身地の大阪から便りをくれた。
彼女とは6年前に銀座で会ったのが最後だ。
7月に上京して来た折、初めてだという浅草に案内した。
修学旅行の少女の如く、まぶしそうに雷門を見上げ、
吾妻橋からはスカイツリーの写真を撮っていた。
そしてここからは大人のオンナ、
「23 BANCHI CAFE」の生ビールに喉を鳴らしていたっけ・・・。

ニュージャージーの「ヤオハン」で
アルバイトをしていた留学生・S瀬N実もそんな一人。
カラッとした性格が気に染まり、よく食べ歩きのお供をさせた。
あそこまで歳が離れちゃいないが
ミュージカル「マイフェア・レディ」における、
イライザとヒギンズ教授のような関係。
マンハッタンのイタリア料理屋を何軒回ったことだろう。
いや、イタめしに限らず、フレンチ、アメリカン、スカンジナヴィアン、
中華、鮨、居酒屋、何でもござれであった。

そのN実と16年ぶりで再会したのは先月。
場所はやはり浅草でN実もエンコは初めてとのこと。
M子女史とは雷門で待ち合わせたが
此度は〇ンコビルの足下で落ち合った。
目当てはもちろん、くだんの生ビールだ。

再会を祝し、笑顔で乾杯。
目鼻立ちは昔のままである。
(ふむ、ふむ、なかなかの熟女になったものよのう・・・)

問わず語りに耳を傾けると、岡山市出身の彼女は
15年前に帰国して今は千葉県にいるという。
フィリピンのマニラまで出向いて見合いをし、すぐに結婚。
その後離婚して2人目の夫との間に男の子が1人ある。

「オマエもいろいろあったんだネ」
「でも2人の旦那が同姓だったからいろいろ便利だった」
「何だよ、ソレ!」
16年を経てもテンネンのノー天気は変わることがない。
三つ子の魂、何とやらである。

訊けばただ今37歳、・・・ってことは当時21歳。
その間、女の一生のコアそのもので紆余曲折はさもありなん。
松尾芭蕉の言葉を借りれば、
”月日は百代の過客にして 行きかう年もまた旅人なり”
年月が旅人であったら、人はいったい何であろう?
旅人の肩に掛かった振分け荷物であろうか。

=つづく=