ときは1958年4月5日。
読売ジャイアンツVS国鉄スワローズ@後楽園球場。
カンのいい読者はもうお判りですネ?
そうです、3番サード長嶋茂雄がエース金田正一に
4打席連続空振り三振を喫した日ざんす。
ミスターのショッキングなプロデビューだった。
翌日も長嶋はリリーフでマウンドに上がった金田に
三振を喫しているから実際は5打席連続三振、
こんな珍記録はもう永遠に破られることはないだろう。
だがそんな記録よりも
当時のピッチャーの酷使には唖然としてしまう。
当人の金田は別格だったが
杉浦・稲尾・藤田・尾崎、
彼らはみなこき使われて投手生命をむしばまれた。
鶴岡・三原・水原、この三爺がA級戦犯、
おのれの名声のために若い命を奪った罪は限りなく深い。
1958年4月3日。
長嶋VS金田の2日前のこと。
ベースボールとはまったく関係ないけれど、
NHKのTVドラマ「事件記者」が始まった。
数年後には視聴率40%を超えたオバケ番組である。
脚本は新聞記者上がりの作家・島田一男だ。
たまたま小説「事件記者」の文庫本を
手に入れる機会に恵まれ、
懐かしさのつれづれに急ぎページをめくる。
ハタと手が止まったのはかくなる文章であった。
”アポニー” を出た荒木は新橋駅のほうに行きかけたが
突然立ち止まると、通りかかったタクシーを止めた。
「東小松川・・・。江戸川の向こう・・・」
運転手は、返事もせずに車を走らせた。
運ちゃんの御機嫌を気にしちゃ、
東京でタクシーには乗れない・・・。
(アポニーは記者連中が溜まる喫茶室、
荒木は新聞記者)
そうだった、そうだった、思い出した。
あの頃の・・・昭和30~40年代の、
タクシー運転手の態度はヒドかったな。
今じゃ考えられないがほとんどやくざ同然で
どっちが客だか知れたものではなかった。
あれは高校卒業の数ヶ月前だったろうか、
クラスメートと池袋から本郷までタクッたとき、
目的地に近づいたので道順を指示したものの返事はナシ。
再度、声を大きくしたら
返ってきた言葉に度肝を抜かれましたネ。
「うるせェな、眠れねェじゃねェか!」
オイ、オイ、寝てたのかよ、お前?
=つづく=
読売ジャイアンツVS国鉄スワローズ@後楽園球場。
カンのいい読者はもうお判りですネ?
そうです、3番サード長嶋茂雄がエース金田正一に
4打席連続空振り三振を喫した日ざんす。
ミスターのショッキングなプロデビューだった。
翌日も長嶋はリリーフでマウンドに上がった金田に
三振を喫しているから実際は5打席連続三振、
こんな珍記録はもう永遠に破られることはないだろう。
だがそんな記録よりも
当時のピッチャーの酷使には唖然としてしまう。
当人の金田は別格だったが
杉浦・稲尾・藤田・尾崎、
彼らはみなこき使われて投手生命をむしばまれた。
鶴岡・三原・水原、この三爺がA級戦犯、
おのれの名声のために若い命を奪った罪は限りなく深い。
1958年4月3日。
長嶋VS金田の2日前のこと。
ベースボールとはまったく関係ないけれど、
NHKのTVドラマ「事件記者」が始まった。
数年後には視聴率40%を超えたオバケ番組である。
脚本は新聞記者上がりの作家・島田一男だ。
たまたま小説「事件記者」の文庫本を
手に入れる機会に恵まれ、
懐かしさのつれづれに急ぎページをめくる。
ハタと手が止まったのはかくなる文章であった。
”アポニー” を出た荒木は新橋駅のほうに行きかけたが
突然立ち止まると、通りかかったタクシーを止めた。
「東小松川・・・。江戸川の向こう・・・」
運転手は、返事もせずに車を走らせた。
運ちゃんの御機嫌を気にしちゃ、
東京でタクシーには乗れない・・・。
(アポニーは記者連中が溜まる喫茶室、
荒木は新聞記者)
そうだった、そうだった、思い出した。
あの頃の・・・昭和30~40年代の、
タクシー運転手の態度はヒドかったな。
今じゃ考えられないがほとんどやくざ同然で
どっちが客だか知れたものではなかった。
あれは高校卒業の数ヶ月前だったろうか、
クラスメートと池袋から本郷までタクッたとき、
目的地に近づいたので道順を指示したものの返事はナシ。
再度、声を大きくしたら
返ってきた言葉に度肝を抜かれましたネ。
「うるせェな、眠れねェじゃねェか!」
オイ、オイ、寝てたのかよ、お前?
=つづく=