2014年5月30日金曜日

第849話 あゝ上野癖(へき) (その2)

映画”男はつらいよシリーズ”の「寅次郎 春の夢」に登場した、
上野は不忍池に浮かぶ弁財天。
その前に架かる天龍橋の脇には
かつて真っ白な羽毛を持つアヒルが数羽暮らしていた。

それが今はこの鳥たちに取って代わられている。
羽を休める3羽のカルガモ
エッ? 小さくて判らない?
なら、これでどうでしょう?
皇居前は三井物産本社ビルの池で
一躍全国区となったカルガモは
マガモやオナガガモのように渡りをしない留鳥。
都内を流れる神田川で見られるのもほとんど彼らだ。

さて、その上野。
ここでわが半生を振り返る。
半生といってもすでに2/3を超えてしまったけどネ。

自分は東京のどの街で遊んできたのだろう?
考え方によっては、どの街が自分を育ててくれたのだろう?
ということでもある。

小学生の頃はもっぱら家と学校の往復だった。
往時は大田区・大森海岸に居たので
出掛けるといっても平和島か、せいぜい大森・山王界隈。
遠出したくとも先立つものがなくてはどうしようもない。

高学年になって江東区・深川に転居。
深川不動堂の縁日が楽しみだった。
都電に乗って浅草へ行くようにもなった。

中学時代は板橋区・弥生町。
ホームグラウンドが池袋に移る。
成増に引っ越した高校時代は
根城・池袋は変わらぬものの、銀座にひんぱんに出没した。

そして大学入学以降は銀座がわが青春の街となる。
日比谷の映画街でロードショウを観て、
「銀座ライオン七丁目店」かイタリアンの「サン・レモ」で食事して
それから日比谷公園というのが典型的なデート・コース。
銀座にはラブホがないから健全な逢引きでありました。

社会人になってもとにかく銀座。
職場だってあまり銀座から離れたところは選ばなかった。
遊びに行きにくいからネ。
そんなことだから、ロクな職につけなかったわけだ。

心の街・浅草をヒイキにするようになったのは1978年から。
ちょうど隅田川の花火が復活した年で
初めて「弁天山美家古寿司」を訪れたのもこの年だった。

=つづく=