2016年1月5日火曜日

第1266話 牡蠣よ 愛しの 牡蠣よ (その4)

さらにさらにつづきであります。

このときの清張の悔しさはいかばかりだったろう。
臓腑が沸騰する思いであったに相違ない。
辛酸なめつくしの半生をじっと耐え忍び、
やっと花開かせた当代一の流行作家が
自分より16歳も年少の人生に
何の苦労もなかった文壇の貴公子に
文学性を否定され、さんざん愚弄された挙句、
文学界から放逐されるが如くの仕打ちを受けたのである。

三島のサディスティックなまでの残虐性がここにある。
清張が復讐の鬼と化すのも判らぬことではない。
清張は三島の割腹による自決の理由を「才能の枯渇」、
冷淡きわまりない言の葉で片付けた。
死者に唾棄することも厭わぬ憎しみの深さに暗澹とする。

食べものの味がよく判らなくとも
三島はファッション性を重視しながら
おしゃれなレストランに出入りした。
一方の清張の食跡はかいもく見当がつかない。

銀座にあった「コック・ドール」で
犯人に食事をさせたのも「点と線」だった。
あとは「風の視線」で柴又の川魚割烹「川甚」に触れる程度だ。
もっとも著作をすべて読み返したわけではないから
ほかにもあるかもしれない。

清張は作家として大成する前、
美食とはほど遠い食生活を送っていたと推察される。
女性についても同じことがいえよう。
三島とは打って変わって
青春時代にモテたことなどただの一度もなかったに違いない。
恋愛における不遇も三島に対して敵愾心を燃やす要因となった。

松本清張は食べものに深い関心を寄せることがなかった。
しかし女は違う。
前半生の空白を埋めるかのように美しい女性に惹かれ続けた。
何人かの美女をモノにもしている。
思うにその愛欲は女色に溺れて
肉欲にふけるという風ではなかったろう。
閨中のことは想像するしかないが
しとやかでつましい人をやさしく慈しんだのではないだろうか。
そうするほかに
若き日々の無聊を慰める手立てはなかったのだ、おそらく

長々とおつき合いくださり、ありがとうございます。
明日は今冬の「レバンテ」にご案内いたしましょう。

=つづく=