もう、その歌声を識る人とてめっきり数を減らした三橋美智也。
1955年には出世作、「おんな船頭唄」をはじめ、
「あゝ新撰組」、「あの娘が泣いてる波止場」と
立て続けにヒットを飛ばす。
翌年の「リンゴ村から」、「哀愁列車」に上手く継いで
人気歌手の座を不動のものとした。
代表曲の「古城」はまだしばらくあとの登場となる。
生前の立川談志は言っている。
もしも三橋が私生活を律し、余計なビジネスに手を染めず、
ひたすら歌の道に邁進していれば、
美空ひばりに匹敵する国民的大歌手になったであろうと―。
さもありなん。
脇道からメインストリートに戻る。
鎌倉のP子からのメールで思い出したんだった。
「大和屋」にイパネマ、もとい、行かねば―。
でもって、ことの経緯を差出人に説明し、
こまごめしたこた抜きにして駒込まで遠征願った次第である。
何のこたあない、鎌倉のかき揚げを馳走になる前に
駒込のかき揚げを振る舞うことになったわけだ。
萩本の欽チャンじゃないけど、何でこうなるのっ?
相方はJR京浜東北線で来襲に及ぶとのこと。
遠路はるばるやって来るのだ、
乗り換えの煩わしさを省いてやるため、
駒込でなく、田端で待ち合わせた。
田端駅北口を出たら都内では珍しい、
鎌倉にも似た切通しを突き抜けて動坂下を目指す。
坂下の手前を右折してほどなく、
しばらくぶりのタヌキと再会を果たした。
♪ 逢えなくなって 初めて知った
海より深い 恋心
こんなにあなたを 愛してるなんて
あぁあぁ鴎にも わかりはしない ♪
(作詞:佐伯孝夫)
松尾和子の「再会」を聴いたのは小学校三年生のとき。
東京五輪の4年前、ローマ五輪の年だった。
この1960年には橋幸夫が「潮来笠」でデビューして
花村菊江の「潮来花嫁さん」と相まり、
ちょいとした潮来ブームが起こったのだった。
ほかにも「月の法善寺横町」、「僕はないちっち」、
「雨に咲く花」、「アカシヤの雨がやむとき」など、
心に残る名曲の数々が生まれている。
=つづく=
1955年には出世作、「おんな船頭唄」をはじめ、
「あゝ新撰組」、「あの娘が泣いてる波止場」と
立て続けにヒットを飛ばす。
翌年の「リンゴ村から」、「哀愁列車」に上手く継いで
人気歌手の座を不動のものとした。
代表曲の「古城」はまだしばらくあとの登場となる。
生前の立川談志は言っている。
もしも三橋が私生活を律し、余計なビジネスに手を染めず、
ひたすら歌の道に邁進していれば、
美空ひばりに匹敵する国民的大歌手になったであろうと―。
さもありなん。
脇道からメインストリートに戻る。
鎌倉のP子からのメールで思い出したんだった。
「大和屋」にイパネマ、もとい、行かねば―。
でもって、ことの経緯を差出人に説明し、
こまごめしたこた抜きにして駒込まで遠征願った次第である。
何のこたあない、鎌倉のかき揚げを馳走になる前に
駒込のかき揚げを振る舞うことになったわけだ。
萩本の欽チャンじゃないけど、何でこうなるのっ?
相方はJR京浜東北線で来襲に及ぶとのこと。
遠路はるばるやって来るのだ、
乗り換えの煩わしさを省いてやるため、
駒込でなく、田端で待ち合わせた。
田端駅北口を出たら都内では珍しい、
鎌倉にも似た切通しを突き抜けて動坂下を目指す。
坂下の手前を右折してほどなく、
しばらくぶりのタヌキと再会を果たした。
♪ 逢えなくなって 初めて知った
海より深い 恋心
こんなにあなたを 愛してるなんて
あぁあぁ鴎にも わかりはしない ♪
(作詞:佐伯孝夫)
松尾和子の「再会」を聴いたのは小学校三年生のとき。
東京五輪の4年前、ローマ五輪の年だった。
この1960年には橋幸夫が「潮来笠」でデビューして
花村菊江の「潮来花嫁さん」と相まり、
ちょいとした潮来ブームが起こったのだった。
ほかにも「月の法善寺横町」、「僕はないちっち」、
「雨に咲く花」、「アカシヤの雨がやむとき」など、
心に残る名曲の数々が生まれている。
=つづく=