2016年7月20日水曜日

第1407話 心から好きだよ ピーナッツ (その5)

まだ庶民の茶の間にテレビジョンが普及する以前、
昭和30年代には娯楽が少なく、
ラジオを聴くか映画館に出掛けるしかなかった。
あとは大人の競輪・競馬とパチンコ、
子どもの草野球くらいのものである。
それでも子どもには鬼ごっこ・かくれんぼ・缶蹴りなんてのもあった。
しっかし、今のガキんちょは外で遊ばないねェ。

映画は製作が間に合わないので
いわゆるプログラム・ピクチャーが乱造され、
ちまたは駄作・愚作・凡作であふれ返っていた。
したがって観る目を養うには洋画に頼ることになる。
音楽界にも同様の兆候が見られ、
その結果、欧米のポップスが大挙して日本に上陸してきた。

ラーメン・カレーライス・スパッゲッティの食生活のみならず、
ミュージックの世界でもポップス・ジャズ・シャンソン・カンツォーネ、
それこそなんでんかんでん聴き漁った日本人。
そんな時代の申し子がザ・ピーナッツである。

同時代、演歌のツイン・デュオにこまどり姉妹がいた。
彼女たちは日本人が慣れ親しんだ”和”の世界にいたものの、
比較的短命に終わっている。
もっともここ数年はときどきTV等に現れるから超長命といえるかも?
ただし、こまどり姉妹ならぬ、
クマドリ姉妹なんて揶揄されちゃったりしてるけど―。

その点、ピーナッツの引き際はいさぎよい。
数年前から心の準備をしていたらしいが
いよいよ1975年に引退を決めてしまった。
もっともその数ヶ月後、姉のエミさんは
ジュリーこと、沢田研二と華燭の典に臨んでシアワセいっぱい。

12 年後に離婚したとはいえ、子宝にも恵まれた姉に比べ、
妹のほうは神秘のヴェイルに包まれたまま。
引退後はファッションデザイナーに転じたというが
姉ともども公の場には姿を見せていない。
私生活を知る由もないが、ずっと独身を貫いたらしい。
今頃はきっと、姉妹仲良く天国でハモッていることだろうヨ。
歓ぶべし。

このたび、おかげと言ってはなんだけれど、
哀しみの中に一つだけうれしいことがあった。
ピーナッツ・ナンバー、マイ・ベストテンにランクインした、
「モスコーの夜は更けて」について調べているうち、
アル・カイオラ楽団の「モスクワの夜は更けて」に行き着いた。

今は昔の1972年夏、ちまたに吉田拓郎の「旅の宿」と
小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が流れるなか、
京都へ一人旅をしたことがあった。
新京極のレコードショップで
たまたま聴いたのがアル・カイオラのこの曲。
深く心にしみて帰京後、あちこちのレコード店を廻り、
ずいぶん探したがついに見つからなかった。

この曲はソビエト連邦時代の1955年に発表されたロシアの歌曲で
原題を「モスクワ郊外の夕べ」という知る人ぞ知る名曲。
今、アル・カイオラを44年ぶりに聴きながらこの稿を書いている。
肝心のピーナッツ版はもう30年も聴いていない。
嘆くべし。

=おしまい=