なおも小さん師匠のつづき。
うなぎ屋の少ない上野・湯島界隈だが
「小福」の前の昌平橋通りを南に下ると、
ほどないところに名店「神田川本店」が控えている。
こちらを贔屓(ひいき)にしたのは
黒門町の名人と謳われた八代目桂文楽。
言わずと知れた五代目柳家小さんの師匠である。
師匠思いの小さんは陰になり日向になって晩年の文楽を支えた。
文楽が退いたのち、
圓生をはさんで落語協会会長に就任した小さんは
文楽の自宅があった場所の真向かいに協会本部を移す。
うなぎ好きの小さんが「神田川」を訪れたのは
一度や二度ではあるまいが
師匠のホームグラウンドを自分の庭とするには
遠慮があって敷居も高かった。
大店(おおだな)の老舗「神田川」に比べて
はるかに知名度の低い「小福」のほうが
自分の分に相応しいと考えたことだろう。
常に清廉潔白を志した五代目柳家小さん、
こんなに人の好い噺家はほかにいない。
お天道様はちゃあんと見ていて
人間国宝の栄誉をお与えなすったんだネ、きっと。
そうだヨ、そうに違いない。
長文のおつき合いに感謝します。
さて、今回訪れたのは柳家小さんならぬ、
古今亭志ん生(これまた五代目)が棲まった、
道灌山下に暖簾を掲げる「稲毛屋」である。
うなぎ屋の少ない上野・湯島界隈だが
「小福」の前の昌平橋通りを南に下ると、
ほどないところに名店「神田川本店」が控えている。
こちらを贔屓(ひいき)にしたのは
黒門町の名人と謳われた八代目桂文楽。
言わずと知れた五代目柳家小さんの師匠である。
師匠思いの小さんは陰になり日向になって晩年の文楽を支えた。
文楽が退いたのち、
圓生をはさんで落語協会会長に就任した小さんは
文楽の自宅があった場所の真向かいに協会本部を移す。
うなぎ好きの小さんが「神田川」を訪れたのは
一度や二度ではあるまいが
師匠のホームグラウンドを自分の庭とするには
遠慮があって敷居も高かった。
大店(おおだな)の老舗「神田川」に比べて
はるかに知名度の低い「小福」のほうが
自分の分に相応しいと考えたことだろう。
常に清廉潔白を志した五代目柳家小さん、
こんなに人の好い噺家はほかにいない。
お天道様はちゃあんと見ていて
人間国宝の栄誉をお与えなすったんだネ、きっと。
そうだヨ、そうに違いない。
「小福」
東京都文京区湯島3-36-5
03-3831-7683
でありました。長文のおつき合いに感謝します。
さて、今回訪れたのは柳家小さんならぬ、
古今亭志ん生(これまた五代目)が棲まった、
道灌山下に暖簾を掲げる「稲毛屋」である。
何年ぶりになるだろう。
チェックしてみたら9年ぶりだった。
チェックしてみたら9年ぶりだった。
その後、何度か店の前を通りすがったが
ほとんど毎度、「本日は予約で満席となっております」―
かような札が掛けられている。
エリアでは相当な人気店であることに疑いの余地はない。
よって此度は半月前に予約を入れておいた。
利用時に注文しても「売り切れました」―
利用時に注文しても「売り切れました」―
空振りに終わる稀少部位もちゃんとリザーブしておく。
稀少部位とはヒレやレバのことだ。
当夜の相方は滞米時代の旧友・T田サン。
こちらもほぼ10年ぶりの再会であった。
=つづく=
=つづく=