2019年5月3日金曜日

第2124話 さまざまなこと思い出す洋食屋 (その1)

武蔵小山の26号線通りを南下し、
平塚橋で中原街道を横断。
足を向けたのは戸越銀座である。
日本全国に300余りも存在するという、
〇〇銀座の第1号がここなのだ。

関東大震災で壊滅的な打撃を受けた本家・銀座のレンガ街。
ガレキの山と化した崩壊レンガをリヤカーでこの地に運び、
商店街の道路に敷き詰めたという。
周囲に坂が多い土地柄の谷底に位置する戸越の商店街。
当時はアスファルト舗装が進んでおらず、
水はけの悪さから、雨が降るとぬかるむのが常。
問題の解決に水はけのよいレンガが活用された。
よって戸越銀座の名称の由来には
ガレキとした、もとい、レッキとした根拠があるわけだ。

1300mに及ぶ戸越銀座をのんびりと一往復。
よほど「焼鳥エビス」で一憩、いや、一飲に及ぼうと思ったが
このあとに狙いを定めた店が重めの洋食であること。
数年前の利用で焼き鳥の水準に満足できなかったこと。
以上2点に背中を引き戻されてスルーした。

丹念に見て回ると相当の時間を要するショッピング・ストリート。
吹く風は冷たさを増し、西陽は大きく傾いている。
東急池上線・戸越銀座駅のホームの裏から脇道に入った。
目指すは荏原一丁目の「キッチン TAIYO」。
昭和の味を提供する洋食店との情報を得て
数週前からマークしていたのだ。

店舗は中原街道に面してあった。
目の前をクルマが束になって走り抜けるロケーションは
営業上、大きなハンディキャップだろうと心配になる。
店内は手前にダイニング、
奥がオープンキッチン・カウンターのレイアウトだ。

ダイニングの窓際のテーブルなど、
カップル利用に打ってつけながら
移す視線の先を引っ切り無しにクルマでは
おちおち食事などしていられない。
少なくとも愛のコクリ、恋のクドキには適していない。

フロア担当の女性に案内され、
カウンターのほぼ中央に座した。
厨房には年配の男性が二人。
このコンビネーションから即座に思い出したのは
墨田区・本所吾妻橋の「レストラン吾妻」。

シェフとセカンドの立ち位置のみならず、
呼吸の合った連携プレーが「吾妻」同様である。
客入りは6割方ながら二人は忙しそう。
オムライスやポークソテーを
手際よく仕上げてゆく様子は見ていて飽きない。
”食”の職人技は食べ手の目を釘付けにするんだネ。

=つづく=