2020年5月4日月曜日

第2385話 思い出すのは1971年 (その1)

素直に自粛しようが、禁を破って外出しようが
そんなことなどお構いなしに
髪は伸びるヨ、スクスクと―。
緑のたぬチャンが難色を示したものの、
都内の理髪店&美容室は営業続行がかなった。

実は自民党の隠れた票田が床屋のオッチャン連盟。
はるか昔より商店街を牛耳ってるのは
八百屋でも魚屋でも肉屋でもなく
ましてやパチンコ屋であるハズもなく
理髪店なんだとサ、ホントかいな?
なるほど、だからこそ町とともに生きる、
”ダイナム” さんも律儀に通ったりするワケだ。

待てば海路の日和あり。
たぬチャンが譲歩してくれたおかげで
どうにか J.C.も自慢のヘアの断髪、
もとい、散髪断行がかなった。
ただし、”ダイナム” さんみたいに理髪店ではなく
掛かりつけの美容室でネ。

その前に昼めしを食っとこう。
腹が減っては理髪が出来ぬ。
今回はメトロの代わりにJR山手線で目黒に着いた。
駅前から下る権之助坂の北側は
ラーメン店のオンパレードだ。

此度の騒動で最も耐久力がある飲食業はラーメン店。
彼らは強い、すさまじく強い。
短くなったとはいえ、人気店は今も行列を成している。
Covid-19 何するものゾ! なんだよねェ。

日夜、密やかに23区をパトロールする、
J.C.が言うんだから、まず間違いはない。
おっと、”密やかに” は3密の真逆だからネ。
隠密は3密に非ず、だかんネ。

てなことを思いめぐらしながら坂を降りてゆく。
自粛など、どこ吹く風のラーメン屋。
揃いも揃って平気の平左、門戸をおっぴろげていた。
プラプラ歩いてりゃ、適当なとこに当たるだろうヨ、
てな調子で能天気に歩いていたが
いつの間にか目黒川を渡ってしまう。
でも、J.C.は知っていた。
ちょいと先に「支那そば 勝丸」があることを―。

あれは1994年夏。
ニューヨークから一時帰国した際、
同年春にオープンしたばかりの
新横浜ラーメン博物館(通称・ラー博)を訪れた。

=つづく=