上野仲町通りの「池の端藪蕎麦」が閉業して
通りに唯一残された、
古き良き店はおでんの「多古久」のみとなった。
最寄りはメトロ千代田線の文京区・湯島ながら
地番は台東区・上野2丁目である。
久方ぶりに出掛けた。
リニューアルのあとが垣間見られるものの、
設えは昔のままである。
1904年創業。
119年前の此の年2月、日露戦争勃発。
かくも長き歴史を今も刻み続けているのだ。
ここで自著「古き良き東京を食べる」の当該欄を
ダイジェストで紹介してみたい。
■蝦蛄爪に往時がよみがえる
明治37年創業。
東大前の「呑喜」に遅れること17年、
東京で二番目に古いおでん屋になる。
記憶が確かならば、当時この店は20時過ぎに店を開け、
23時頃には暖簾をしまっていたように思う。
入り口近くに女将さんが陣取って
客はおそるおそる女将の顔色をうかがいながら、
入店の許可をもらうのだった。
何せ、虫の居所が悪いと空席があっても
入れてくれないのだから、
客はまるで箱根の関所か、
J.F.K空港の入国管理を通過するような、
心細い気持ちになったものだ。
20年ぶりにおジャマしたのは2001年11月。
すでに店主の姿なく、
大鍋を取り仕切るのは忘れ得ぬ大女将。
昔の面影が残っていても
心なしか角が取れたように感じた。
まずは褒紋正宗の燗と小肌酢。
甘酸っぱい小肌は好きだが、わさびがニセモノ。
先代は蝦蛄爪にも本わさを添えてくれたけれど・・。
おでんの白滝・つみれ・ふき・牡蠣は
みな花マルで言うことなし。
一夜「呑喜」のあとに、おでんのはしごを試みた。
すでにキンシ正宗のせいで酔いが回っている。
それでもなお、褒紋正宗のぬる燗と〆さばが上々。
ここで蝦蛄爪がスッと出されたのだった。
一瞬にして往時がよみがえる。
月日は百代の過客にして
行き交う年もまた旅人なり。
以下、次話であります。
=つづく=