2023年2月22日水曜日

第3216話 令和の風はすきま風 (その1)

一人やさぐれて、もとい、たそがれて
不忍池のほとりを歩いて帰った、その翌日。
犯人は犯行現場に戻るというが
何も悪いことをしていないJ.C.もまた戻った。

この日は3年ぶりの「井泉本店」。
創業は昭和5年(1930)である。
こちらは前夜の「多古久」とはまったくの真逆だ。

地番が文京区・湯島3丁目なのに最寄り駅は
台東区のメトロ銀座線・上野広小路と
都営大江戸線・上野御徒町なのだ。
この辺りの区割りはなかなかややこしい。
前話に倣い、当店も自著から抜粋したい。

■昭和の風が吹き抜ける
とんかつ発祥の地・上野には
相当数のとんかつ店がひしめいている。
雰囲気的にもっとも好きな店がここ。
古き良き時代の濃密な空気が流れている。
とりわけ気に入りは2階の座敷。
昭和30年代までこの部屋に
芸者衆が舞い踊っていたという。
さもありなん。
小津安二郎の愛した「蓬莱屋」より、
小津映画らしいシーンを見ることができる。
川島雄三がメガホンを取った、
「喜劇・とんかつ一代」のモデルが
この店だと信じて疑わない。
セット以外にここで撮影したフシのある、
カットが少なくないからだ。
森繁・のり平・フランキーの芸達者に
女優陣も淡島千景・団玲子・池内淳子が絡み、
楽しい映画に仕上がっていた。
一夜、2階に男4人が集まり、飲み会を開いた。
特ロースカツ(1600円)は柔らかいわりに
豚肉のコク味がいま一つ。
蟹肉入りのオムレツ(800円)が
トロリと上出来で当夜のベスト。
上かつ丼(1350円)のアタマをつまみにすると、
玉ねぎではなく長ねぎの使用が珍しい。
ユニークなのは鳥の唐揚げ(850円)。
きざんだねぎを鳥肉の周りに
まとわりつかせて揚げてあった。
部屋を吹き抜ける初夏の風が涼やか。
小津ファンも川島ファンも
昭和5年創業のこの店を訪れて損はない。

J.C.が深くなじんだのは
この本店ではなく、ほかにあった。

=つづく=