前話の続きです。
「共犯者」の舞台は博多。
清張ほどの筆力があれば
どうにでもなると思うんだが
長いこと棲み慣れた場所から
なかなか離れられないらしい。
北九州を舞台にした作品は多く、
枚挙にいとまがない。
のちに歌手・ペギー葉山の旦那となった、
根上淳がシブい二枚目。
和製アラン・ドロンと云えなくもないが
根っからのあの暗さは
演技ではなく地でいっており、
芸域を狭めているように思われる。
根上の共犯者、高松英郎を久々に見た。
NET(現・テレビ朝日)のドラマ、
「乗っていたのは二十七人」(1965)が
懐かしく思い出される。
西伊豆の断崖絶壁からバスが転落する、
冒頭のシーンが目に灼きついている。
物語の鍵を握る船越英二には
得も言われぬ味がある。
不安と懐疑と凡庸がごちゃ混ぜになった、
彼の表情は新横綱・大の里じゃないけど
まさしく唯一無二。
それがもたらす芸の奥行きは
息子の英一郎がまだまだ及ぶものではない。
「黒い画集 第二話 寒流」。
銀行と料亭が舞台だから
描かれるのは ”金” と ”色” 。
池部良・新珠三千代・平田昭彦が
それぞれに適役でストーリーの展開も
観客を厭きさせない。
ただし、後味の悪さにかけては天下一品。
久方ぶりに苦い思いをさせられた。
監督の鈴木英夫は
さほどの作品を残してもいないのに
俳優いびりには定評、もとい、
悪評があったという。
シゴきにシゴいた末、
役者が涙を流しても赦さないと
いうからほとんどビョーキ。
食えない性格が映画の結末にも
影響しているとしか思えない。
本シリーズも先月末で終了し、
6月の特集は
うたと映画
忘れられない映画の中の「うた」たち
山内賢&和泉雅子の「二人の銀座」と
加山雄三の「エレキの若大将」だけは
観たかったが日程が合わず断念。
よって16本すべてをパス。
予想外の開放感を味わえそうだ。
最後にサブタイトル、
「松本清張の功績」にふれておく。
使い古された文言ながら
彼の最大の功績は本格派から社会派へ、
推理小説を脱皮させたこと。
誰も出来なかった、
あるいは気づかなかった、
一大改革を成し遂げたことなのだ。
清張自身の言葉を紹介しよう。
「探偵小説を『お化屋敷』の掛け小屋から
リアリズムの外に出したかった」
掛け小屋の代表的な主(あるじ)が
横溝正史であることは云うまでもありません。