2022年10月20日木曜日

第3128話 メンチボールをご存じ? (その1)

読者の方々はメンチボールをご存じだろうか?
聞いたことがあるような、ないような・・・。
たぶんそんな感じでありましょう。

最近、耳にしないので念のため、ネットで調べてみた。
あった、あった、レシピがありました。
挽き肉・玉ねぎ・パン粉をまんまるに丸め、
片栗粉をはたき、パン粉を付けて揚げたもの。
言わば丸いメンチカツだった。

ありそうな料理だが食べたことはない。
J.C.が記憶するのはまったくの別物。
ミートボールの一種で中華の肉団子に似ていた。
幼少期を過ごした長野市・横澤町の精肉店では
ごく普通に売られていたのだ。

このメンチボール。
漱石の「吾輩は猫である」に
メンチボーとして登場する。
当時の西洋料理店のメニューに載っており。
明治時代はこう呼ばれていたようだ。
実際の料理は店によってバラつきがあり、
肉団子だったり、ハンバーグだったり。

忘れもしない1958年3月。
御茶ノ水、代々木上原、中板橋と、
バラバラに暮らしていた家族4人が
ようやく一つ屋根の下で
枕を並べて眠ることができるようになった。

引っ越し先は大田区・大森。
最寄り駅は学校裏(現・平和島)だ。
その引っ越し当日、母親に連れられて
夕飯の買い物に寄った精肉店でのやりとり。

「メンチボールはございませんの?」と母親。
「メンチボール? そりゃあ奥さん、
 メンチカツのことだネ」と肉屋のオヤジ。
「いいえ、違うんですのヨ」
母親が買いたかったのは漱石のメンチボーだった。
ここまで覚えてるが、そのあと何を買ったのか
その晩何を食べたのか、記憶がない。

なぜ、時期だけ覚えているのかというと、
これには確固たる理由がある。
実はJ.C.、小学校入学直前の身体検査を
文京区立根津小学校で受けた。

ところが入学したのは大田区立大森第五小学校。
4月上旬の可能性は捨て切れなくとも
おおかた3月だったであろうと推測されるのだ。

何があったのか、子どもの知るところではないが
根津も大森も父親の学友ゆかりの土地。
困窮する一家にオジさんたちが
救いの手を差し伸べてくれたに違いないのだ。

=つづく=

2022年10月19日水曜日

第2127話 ソープ街でリラックス

本日はソープ街・吉原に出没。
いえ、泡にまみれるんじゃなくて泡を飲むために。
おっと、ビールは泡ナシ派でありました。

見返り柳を見返りもせず、
メインストリートの仲之町通りを往く。
ソープランドの数がずいぶん減った気がする。

京町通りへ左折してしばらく、
花園通りにぶつかる手前をまた左、
信楽焼のたぬきに迎えられ、
日本そば屋「梅月」の引き戸を引いた。
十数年ぶりである。

さっそくドライの中瓶を発注すると
めかぶとろろ(お通しは200円)がサーヴされた。
当店の天ぷら単品がうれしく択んだのは
キス(250円)・インゲン・玉ねぎ(各100円)
それぞれに丁寧な揚げ上がり。
粗塩・生醤油・天つゆを駆使して楽しむ。
ヨソのそば屋にぜひ見倣ってほしいアイデアだ。

前回も独り昼酒だったが
たまたま隣りに着卓したのが
明らかに夜勤明けのソープ嬢。
常連らしく店のオバちゃんに
「天ざるぅ~!」ー元気に発声した。

ひとしきりすると同僚らしきコが現れ、
「アンタ、何食べてんの?」
「天ざるだヨ」
「オバさん、アタシも天ざるぅ~!」ー
負けず劣らずの元気ジルシだ。

よほど声を掛けようと思ったが
親しくなった挙句、
「今度、指名してネ」
なんてことになったら出費がかさむ。
まっ、もともと風俗には興味がないしネ。

今日は彼女たちの姿なく、
パラパラやって来るのはオトコばかり。
ビールをもう1本もらい、そろそろ締めよう。
二つに切られた玉ねぎ天の片割れを残してあるので
シンプルなかけそばにする。
以前はそば屋に来ると、もり系一辺倒だったが
ここ数年はかけ系にも食指を動かすようになった。

かけなら普通、薬味の葱だけだが
ピンクの縁取りのかまぼこ1枚、
その上に大きめの柚子皮が1片。
こんなところに店の品格がにじみ出る。
そして白い部分のみのさらし葱が
他店の倍はある。

はたして・・・中太のそばは上々。
つゆも好きなタイプで文句なし。
昼下がりのソープ街で心身ともにリラックス。
吉原の観音さまは拝まずに
浅草寺の観音裏を散策し、家路に着きました。

「梅月」
 東京都台東区千束4-27-12
 03-3872-7588

2022年10月18日火曜日

第2126話 目黒に居ながらサン・セバスティアン

青学をあとにして宮益坂を下り、
渋谷東口のバスタに来た。
大井町行きがヘアサロンのある、
かむろ坂下に停まってくれるのだ。

例によって隣りのスーパーに立ち寄ると
見たことのない真っ赤なロング缶あり。
黒ラベルのエクストラ・ドライだった。
髪を切ってもらいながら試飲に及ぶ。
いや、ホントにドライ、スーパードライ以上だネ。

今宵は目黒駅前の権之助坂で飲むつもり。
飲食店が軒を連ねているから、
気に染まるところが必ず見つかるハズだ。

「ぴんちょ」の前を通りすがる。
このスペイン・バルは4年前の今頃、
のみとも・Fチャンと一度利用した。
店名の「ぴんちょ」は
タパスの串刺し、ピンチョスから。

M子のおもかげを抱き寄せつつ、
スペインつながりで入店。
開店直後の17時過ぎとあって先客はナシ。
オープンキッチン・カウンターに落ち着いた、

ビールは生も瓶も苦手な銘柄のみ。
回避してスペインのカヴァ、マレステを。
当店はスペインの美食の都、ビスケー湾を臨む、
サン・セバスティアンのバルを模している。

1971年春。
J.C.は都のちょい手前、イルンの町に立ち寄った。
ただ、当時はサン・セバの知識が無く訪れず。
いや、あったとしても
8dollars a day の旅人に美食は高根の花。
いにしえの元カノ・M子に遭遇する二日前のことだ。

タパスは最初にウニとうふ、豆腐は使われていない。
冷たいウニのムースをコンソメ・ジュレが覆い、
その上に生ウニがチョコン、実に美味しい。
白に切り替え、ピエモンテのガヴィを。
コルテーゼは大好きなセパージュで
シャルドネ以上かもしれない。

ボケロネス(イワシの酢漬け)を追加した。
本場のカタクチイワシと異なる真イワシが残念だが
鮮度、〆具合ともに良し。
イワシをかたどった青いガラス皿にも惹かれた。

帰りしな、女性スタッフに訊ねた。
「ボケロネスのお皿は日本製?」
「ハイ、そうなんです、かっぱ橋で買いました。
 可愛いですよネ」
「うん、可愛いな、キミほどじゃないけど」
「エッ、マァ、そんな・・・」

帰宅後、ニュースを観ようとTVをつけた。
すると、いきなり平野レミさんが現れた。
TV朝日の「家事ヤロウ」という番組で
ほとんど彼女のワンマン・ショー。
さっきの今に驚きはしたけれど。
これは単なる偶然と思える自分がいました。

前話で1971年7月とあったのは
1972年7月の誤りでした。
さもないときっかり50年前になりませんものネ。
失礼しました。

「ぴんちょ」
 東京都目黒区目黒1-6-13
 050-5593-5412

2022年10月17日月曜日

第2125話 半世紀ぶりのキャンパス

かにチャーハンを宿して
ふくらんだお腹を抱え、南青山をぶ~らぶら。
ふと思い立ち、近所の青山学院大学に向かう。

キャンパスに足を踏み入れるのは二度目だ。
前回は1972年7月、きっかり50年前のこと。
実は学生時代のGF・M子が
当院の学生で二つ年上だった。

彼女との出逢いはその前年の春。
スペインの首都・マドリッドのアトーチャ駅だ。
トレド行きの列車内で
たまたま向かい合わせに座った。
旅は道連れ、トレドの街を一緒に歩いたのが始まり。

訊けば、青学からサラマンカ大に留学中とのこと。
驚いたのは同じ長野県人で篠ノ井の出身。
高校が長野西高と来たもんだ。
J.C.の生家は西高前の坂を下り切ったところ。
善光寺の裏横にあたる。

そして西高は母親の母校、M子は後輩なのだ。
J.C.自身も付属幼稚園に通ったから
そのまた後輩と言えなくもない。

翌年、彼女と再会したのが青学の学食。
お茶を飲み、近くで晩めしを食べたはずだが
店の記憶が抜け落ちている。
たぶん、骨董通りだったような・・・。

あれから50年。
正門を入ってすぐ左手の学食に行ってみると
ブックストアになっており、食堂はその地下。
ずいぶん変わってしまい、懐かしくも何ともない。

せっかくだから世に知られた礼拝堂(チャペル)へ。
ほうら、ペギー葉山が歌い始める。

♪   つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日
  夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
  なつかしい友の顔が 一人一人浮かぶ
  思いカバンをかかえて かよったあの道
  秋の日の図書館の ノートとインクのにおい
  枯葉の散る窓辺 学生時代   ♪
    (作詞:平岡精二)

平岡は青学の出身者。
’64年発表の「学生時代」の舞台は当大学である。

広い堂内に先客は白い服をまとった女性一人。
遠くて暗くてよく見えないが学生ではないようだ。
礼拝もせず、トイレだけ借りてきた。
この罰当たりがっ!

学生たちがあふれる広場でチャペルを振り返る。
歌詞にあった、”つた” の ”つ” の字もない。
"つた"なんかちっともからんでないじゃんよぉ。
チャペルにからんだのはJ.C.でした。
この罰当たりめ!

2022年10月14日金曜日

第2124話 誠&レミ夫妻の御用達

この日は理髪日、その前にランチ。
目指したのは表参道にほど近い、
南青山は骨董通りの「ふーみん」。
中華風家庭料理の店は
和田誠・平野レミ夫妻が愛した店だった。

実はJ.C.、10年あまり前、
友人の紹介でご夫妻にお会いしたことがある。
お二人と友人が懇意にしていた、
島田歌穂さんが出演したジャズクラブだったと思う。

そのとき、レミさんに
自著をお贈りする約束をし、実行したら
こちらが恐縮するくらいに丁重な礼状をいただいた。
やはりキッチンを取り仕切る方は何事にも
キチンとしてるなァ、感銘を受けたことでした。

ご夫妻の推奨もあってか、
「ふーみん」はエリアの超人気店。
行く機会に恵まれず、未訪のままだったが
ようやく今年の初め、出向いてみたら長蛇の列。
怖気づいて断念、それ以来の挑戦なのだ。

ところがギッチョン、本日も25人待ち。
だが、ここであきらめたら永遠に来れない。
13時01分の到着で、席に案内されたのは25分後。
しかも名代の豚肉と梅干煮は売切れと来たもんだ。

日替わりは牛肉すき焼き・温玉乗せ定食。
あとは焼豚と葱の辛味麺。
ともに気に染まず、結局は薬局、
アラカルトのかにチャーハンに落ち着いたんだガニ。

ザーサイの鉢がサーヴされ、
黒ラベル中瓶を飲むことホンの5分。
こんもり山のチャーハンが平皿でド~ン!
ジーザス! 他店の1.5倍は軽くある。

たっぷりのズワイガニに焼豚、青小葱、玉子。
美味しいので頑張ったが4分の1を残した。
エラいのは清湯の代わりのワタリガニ味噌椀。
かにチャーハンに限らず、
すべてのご飯ものに付くとのことだ。

客の男女比は3:7。
物議を醸した森元首相じゃないが
男より長っ尻の女性が多いわりに回転は速い。
杏仁豆腐みたいに余計なモノを出さないからかな。

会計時、店主に訊ねた。
「豚肉と梅干し煮は1時過ぎたらもうダメ?」
「毎日10キロ仕込んでますが早いと12時半です。
 争奪戦みたいになっちゃいまして」
ダメだこりゃ。
いつになったら食べられるものやら・・・。
レミさんも罪な人よのぉ。

「ふーみん」
 東京都港区南青山5-7-17
 03-3498-4466 。 

2022年10月13日木曜日

第3123話 靖国神社の玉子丼 (その2)

靖国神社境内の「八千代食堂」。
英霊には申し訳ないが、いつものように
ドライの中瓶を飲みながら待つこと10分。
整った膳にはキラキラ輝く玉子丼に
箸休め程度のつぼ漬けたくあんと
小さなわかめ味噌椀が寄り添っていた。

いきなり玉子丼に箸をつける。
うむ、む、む、む、む・・・
うまぁ~い! 相当にうまい。
This is お世辞抜きでありまする。

トロトロにとじられた玉子は白身の透明感を残し、
追いがつおならぬ、追い白身の功績だろう。
玉ねぎの切り方、火の通し方、
ごはんの炊き上がり、いずれも申し分ナシ。

甘みは砂糖と味醂のW甘味。
とても好い塩梅だ。
どんぶりモノのつゆだくは好まぬが
玉子丼、親子丼の場合は致し方ナシ。
そこを差し引いてもうまい。

生涯ベストの玉子丼であった。
もっとも3回ほどしか食べてないけどネ。
とにかくトメさんの玉子丼は超オススメ。
大空に花と散る前にこのドンブリを食べて
飛び立った若鷲に思いを馳せれば
ありがたみが加味され、余計にうまい。

会計は1750円也。
桜の名所、千鳥ヶ淵に出て
右手に国葬が執り行われた武道館を見ながら
九段坂公園を下りてゆく。

明治以前、坂には九段の段差が設けられており、
これがそのまま名称となった九段坂。
明治以降は段差が取り払われ、
坂となったが、あまりに急勾配で
荷車がたやすく登れるものではなかった。

坂下にはそれを手助けして
いくばくかの報酬を得る、
”立ちん坊”が待機していたという。
勾配がゆるやかになったのは震災後のことである。

菜の花の名所、牛ヶ淵に下りたとき、
いきなり異臭に襲われた。
この辺はいちょう並木で落下した銀杏が
歩行者に踏みつぶされていた。
図らずもここで一句。

銀杏の狼藉(ろうぜき)踏みし九段坂

それにしてもおっ母さんと千代子の母娘は
九段下までどうやって来たのだろう。
JRの飯田橋からはかなり歩くし、
市ヶ谷からでは逆方向で九段坂を上れない。
東京駅から都電だろうネ。

♪   あれが あれが 九段坂
  逢ったら泣くでしょ にいさんも ♪

「靖国八千代食堂」
 東京都千代田区九段北2-1-4
 03-6256-8225

2022年10月12日水曜日

第3122話 靖国神社の玉子丼 (その1)

都営新宿線を市ヶ谷で降りた。
靖国通りのゆるやかな坂を上ってゆく。
一礼はしたが参拝はせず、拝殿に背を向けた。
このとき、心に流れ来るのは島倉千代子の歌声だ。

♪   やさしかった 兄さんが
  田舎の話を 聞きたいと
  桜の下で さぞかし待つだろ
  おっ母さん
  あれが あれが 九段坂
  逢ったら泣くでしょ 兄さんも ♪
   (作詞:野村俊夫)

「東京だョおっ母さん」は1957年3月のリリース。
夢破れて故郷を追われたJ.C.一家4人が
東京に出て来た頃である。
亡父は母子3人に
「東京だョ皆の衆」とは言わなかったがネ。

’55年のデビュー曲、
「この世の花」に次ぐ大ヒットとなったが
不可解なことに紅白で歌われたことは一度もない。
35回も出場しているのにだ。

NHKの作為がひしひしと伝わってくる。
おそらく二重橋(皇居)、九段坂(靖国神社)が
歌詞にあるので皇室と戦没者に配慮したためだろう。

それはそれとして
この日ののランチは靖国神社境内の「八千代食堂」。
当店は玉子丼&会津そばをウリとしている。
両者を組み合わせたセットもあるけど
そんなには食べられない、よって玉子丼をー。

日頃、かつ丼はよく食べる。
もっともアタマだけをつまみとするケースが多い。
親子丼はめったに注文しない。
玉子丼ときたひにゃ、
生涯3度目くらいじゃなかろうかー。

これには理由があった。
「八千代食堂」の玉子丼にはルーツがあり、
特攻の母 鳥濱トメの 親子丼
がソレ。

鹿児島県・知覧特攻基地の軍指定食堂でもあった、
「富田食堂」を開いたトメさん。
特攻隊員に母と慕われた彼女の味が
今に引き継がれているのだ。
トメさんの曾孫にあたる方が手造りする、
割り下を週2回取り寄せる由。
店のHPにはこうあった。

私ども靖國八千代食堂は
「かつて戦塵に散った英霊の想いや、
 国に殉じた方々、また彼らを送り出し、
 支えた人々の愛を伝える場所」
がコンセプトの食堂です。

聞いたからには食べたくなるのも人情。
自分は謹んでありがたく、いただきます。

=つづく=