初めてなかにし礼の詞にふれたのは1964年。
和田弘とマヒナスターズ&田代美代子の「涙と雨にぬれて」。
TBSテレビ「ロッテ 歌のアルバム」だった。
1960年代生まれの方なら覚えておられるだろう。
「1週間のご無沙汰でした、玉置宏でございます」
作詞だけでなく、作曲もなかにし自身。
下田のホテルのバーで石原裕次郎の知遇を得た彼が
石原プロに持ち込んだ楽曲である。
想像するに裕次郎が渡哲也あたりに
「こういう青年のものなんだがワタリ、
ひとつ面倒見てやってくれないか?」
そんな感じだったと思う。
自信を持って売り込んだだけに会心の出来映え。
J.C.はうたともとよく歌うものの、
ロス・インディオスのカバーもあって
こちらは男女のパートが分かれていないため、
歌いづらいから断念している。
以後、多くの作品に接してきたが
強いインパクトを受けたのは1970年。
由紀さおりの「手紙」だった。
大学に入った年の夏、高校時代の同級生たちと
伊豆七島の三宅島でキャンプをしていた。
日曜日の朝、ラジオから流れてきたのは
ニッポン放送「不二家
歌謡ベストテン」。
滑舌のよいロイ・ジェームスの声が黒砂利の浜辺に響いた。
「今週の第○位、由紀さおり、『手紙』!」
台東区・下谷生まれとはいえ、
日本人以上に日本語が達者な外国人のロイ。
トルコ人は外国語をあやつるのが得意なのだ。
‘70年代半ば、日比谷の免税店に勤め始めた頃。
トルコ大使館の一等書記官、アルテンバイ夫妻が来店し
この奥さんがスゴいのなんの。
当時、流行っていた「およげ!たいやきくん」の感想を
しばししゃべくったのち、
「だけんど、わたしはチータ(水前寺清子)が
一番好きなんだけんどもヨ」
こう、のたまうじゃないか―。
いや、舌を巻きやしたネ。
=つづく=