三ノ輪の「再来軒」をあとにして
山谷&吉原をパトロールしたものの、
人通りがほとんどないんでやんの。
ソープランドの客引きクンと目が合ったリして
バツの悪い思いもした。
その後、仲見世に廻ったが平日午後の人出としては
普段の4分の1といったところ、やはり少ない。
ホッピー通りも閑散としていた。
数日後、1都3県に緊急事態宣言が出されたあとの土曜日。
今度は銀座のパトロールに赴いた。
南から北へ縦断するので南限の銀座ナインがスタート地点。
2号館地下の飲食店街に潜った。
人気(ひとけ)はあまりないが営業中の店は少なくない。
ああ~っ! 「銀座九丁目」が閉業しちまってる。
昭和26年、汐留川沿いの屋台で始まったおでん屋が
12月25日をもって69年の歴史に幕を下ろしちまった。
川を埋め立てた土地に銀座ナインがあるのだが
また一つ古き良き街の灯が消えた。
たっぷり1時間かけて3丁目に到達。
昼食は「煉瓦亭」と決めていた。
13時半に入店。
ここで2004年発行の自著、
「J.C.オカザワの銀座を食べる(銀座の名店二百選)」から
当店の寸評を紹介したい。
=かきフライは 世紀の大発明=
銀座でイチバン有名な洋食屋さん。
伝説の店だけに語り尽くされているが、ここでおさらい。
創業は明治28年。
2年後に二代目を引き継いだ木田元次郎により、
ポークカツレツが世に出たのが、そのまた2年後の明治32年。
しかしこの元サン、これだけでは終らない。
なんたって世紀の大発明はこの翌年のかきフライ。
これはノーベル物理、もとい、ノーベル料理賞ものだ。
フライは誰も思いつかなかった。
古代ローマの時代から、かきは食べられていたのにだ。
いや、実際に油で揚げてみたかもしれない。
でも熱い油にあの水分量じゃ、火傷の一つも負ったろう。
オマケにかきを揚げたら油の劣化はすさまじい。
ワリの合わない料理に誰しもサジを投げたに違いない。
ルビコン川を渡ったシーザーも言っているではないか。
「サジは投げられた!」― お許しを。
さて、この元サン、
その後も日露戦争で料理人を兵隊にとられると、
付合わせを手間のかかる温野菜から
繊切りキャベツに替えちゃった。
経営の効率化たるや、学ぶべきところ多いにあり。
ということであります。
以下、次話で―。
=つづく=