2021年1月18日月曜日

第2570話 かきフライのエレガンス (その1)

三ノ輪の「再来軒」をあとにして

山谷&吉原をパトロールしたものの、

人通りがほとんどないんでやんの。

ソープランドの客引きクンと目が合ったリして

バツの悪い思いもした。

 

その後、仲見世に廻ったが平日午後の人出としては

普段の4分の1といったところ、やはり少ない。

ホッピー通りも閑散としていた。

 

数日後、1都3県に緊急事態宣言が出されたあとの土曜日。

今度は銀座のパトロールに赴いた。

南から北へ縦断するので南限の銀座ナインがスタート地点。

2号館地下の飲食店街に潜った。

人気(ひとけ)はあまりないが営業中の店は少なくない。

 

ああ~っ! 「銀座九丁目」が閉業しちまってる。

昭和26年、汐留川沿いの屋台で始まったおでん屋が

12月25日をもって69年の歴史に幕を下ろしちまった。

川を埋め立てた土地に銀座ナインがあるのだが

また一つ古き良き街の灯が消えた。

 

たっぷり1時間かけて3丁目に到達。

昼食は「煉瓦亭」と決めていた。

13時半に入店。

 

ここで2004年発行の自著、

「J.C.オカザワの銀座を食べる(銀座の名店二百選)」から

当店の寸評を紹介したい。

 

=かきフライは 世紀の大発明=

 

銀座でイチバン有名な洋食屋さん。

伝説の店だけに語り尽くされているが、ここでおさらい。

 

創業は明治28年。

2年後に二代目を引き継いだ木田元次郎により、

ポークカツレツが世に出たのが、そのまた2年後の明治32年。

しかしこの元サン、これだけでは終らない。

 

なんたって世紀の大発明はこの翌年のかきフライ。

これはノーベル物理、もとい、ノーベル料理賞ものだ。

フライは誰も思いつかなかった。

古代ローマの時代から、かきは食べられていたのにだ。

いや、実際に油で揚げてみたかもしれない。

でも熱い油にあの水分量じゃ、火傷の一つも負ったろう。

 

オマケにかきを揚げたら油の劣化はすさまじい。

ワリの合わない料理に誰しもサジを投げたに違いない。

ルビコン川を渡ったシーザーも言っているではないか。

「サジは投げられた!」― お許しを。

 

さて、この元サン、

その後も日露戦争で料理人を兵隊にとられると、

付合わせを手間のかかる温野菜から

繊切りキャベツに替えちゃった。

経営の効率化たるや、学ぶべきところ多いにあり。

 

ということであります。

以下、次話で―。

 

=つづく=