昨年末、独り年忘れで飲んだ、
北区・十条にまた現れた。
スケールのデカい再開発真っ只中の西口に出て
アーケードの十条銀座を抜ける。
ここから続くのは露天の富士見銀座だ。
都内のあちこちで廃れ果てた商店街を見るたびに
さびしい思いをしているが十条はスゴいや。
行き交う買い物客の数が半端じゃない。
これでも最盛期は過ぎたというがネ。
富士見銀座の中ほどに得も言われぬ佇まい。
昭和32年創業の中華そば店「玉屋」である。
この年、長野市で事業をしくじり、
再起をかけた父親が一念発起。
花の都の東京でもう一旗挙げようと
一家4人が上京したのだった。
長野駅を出た鈍行列車を赤羽で乗換え、
池袋を経て中板橋に到達した。
きっと、この十条を通過したハズだ。
記憶はうっすらながら感慨深いものを覚える。
「玉屋」の噂は聞いていたが初訪問。
引き戸を引いて驚いた。
店内はもっとずっと昭和チック。
単なる“町中華”なんて呼べない空気が漂う。
とってつけたようなレトロ感なんかじゃなく
本物の昭和が息をひそめている。
母と娘、二人の切盛りは母が厨房、娘は接客。
四人掛けが4卓の小体な造り。
目がよく行き届いて有名店・人気店にありがちな
高飛車な客あしらいなど微塵も見られない。
手渡された品書きに目を通したものの、
注文はハナから決まっている。
名代の仙人ラーメンと半チャーハンのセットだが
食べ切れないおそれがあるため、麺半分でお願い。
半チャン・半ラーってことだネ。
ビールはドライと黒ラベルの中瓶でドライを―。
サービスのお通しは刻みねぎをあしらったシナチク。
TVの上に熊手・だるま・肖像画の3点セットが―。
描かれているのは88歳で亡くなった先代店主。
その風貌から付けられた仇名が仙人。
その名をラーメンにかぶせ、
仙人ラーメンが生まれることになる。
中瓶が空く前にハーフ&ハーフが着卓。
仙人ラーメンの華やかな彩りに
昭和の面影はなかった。
なぜだろう?
=つづく=