大森北1丁目の飲み屋街を抜け、
京浜急行・平和島の高架下。
かつての駅名は学校裏で、わが家の最寄りだった。
第一京浜の1本東を並行して走る美原通りを北上。
なじみ深い商店街にあった美原映画が
ラジオ以外に楽しみのない家族には最大の歓びだった。
錦之助、千代之介、裕次郎、圭一郎、
みんな此処で観た。
鶴田浩二、若山富三郎、高倉健の任侠映画に
心酔するのはずっとあとのこと。
平和島入口手前の路地を右折。
通った大森第五小の通用門に続く道筋だ。
此処にわが家があった。
2階建ての2階2部屋の間借りだけどネ。
界隈はみな建て替わってしまい、
当時のおもかげなど跡形もない。
この状態は十数年前に確認したものの、
あらためて思う、昭和は遠くなりにけり。
磐井神社にやって来た。
小学3年くらいだったかな?
あれは節分か何かで
クラス仲間からお金がまかれるとの情報が入り、
一同、気合いを入れて乗り込んだ。
落ちて来るおひねりを夢中で拾い集め、
3つか4つゲットしたが中身はみんな5円玉。
それでも子どもにとって得難き大金でした。
直射日光のせいでバテてきた。
大森海岸から京浜急行に乗る。
泉岳寺で都営浅草線に乗り換え、三田下車。
目の前のJR田町駅に隣接するビルの1階、
立ち飲み「やまとや」に入店。
5年ぶりである。
あのときは白金の名刹にて満開の桜を愛でたあと、
泉岳寺に立ち寄り、四十七士の代表者、
大石内蔵助の墓前で手を合わせ、
田町まで歩いたのだった。
瓶ビールはなく、生もキリンラガーのみ。
取り合えず、気の進まぬ中ジョッキ。
土曜の15時過ぎで先客が3人。
駅前の好立地ながら
とても上野・浅草のようにはいかない。
生姜焼き定食のあとだから
何も食べたくない。
らっきょ(200円)でお茶を濁すかな?
メニューを手にして馬刺し(600円)を発見。
しかも本日のおすすめボードの真っ先に
”熊本鮮馬刺し”の一筆。
馬刺し好きは看過能わず、
よせばいいのに注文に及ぶのだった。
これが馬違(まちが)いの始まりなり。
=つづく=