平日の昼過ぎに浅草へ。
仲見世の人出はビフォー・コロナの半数以下。
新仲見世など、シャッター街とまではいかぬが
扉を閉ざす店が何軒もあり、
中には長年の歴史にピリオドを打ったところも―。
悲しむべし。
ホッピー・ストリートは客足がだいぶ戻った様子ながら
昼過ぎに営業しているのは6割程度だ。
浅草を離れて南へ歩く。
田原町・鳥越・蔵前を経て柳橋にやって来た。
ニューヨークから帰国後、10年余り暮らした町である。
江戸の昔に栄華を誇った花街が廃れて半世紀が過ぎた。
たびたびお世話になった「梅寿司」、洋食「大吉」は健在。
うなぎ「よし田」も存続しているが
天ぷら「江戸平」は袖看板が取り払われ、閉業した気配。
後日、確認のための電話がつながり、
ご主人が出られて
「もう、7、8年前に商売はやめました」とのこと。
「よし田」、「江戸平」は柳橋の芸者置屋を舞台にした、
成田巳喜男の名作「流れる」(1956)で
その姿を見ることができる。
天ぷらが閉じた今、うなぎはいつまで続くことやら・・・。
柳橋と浅草橋の町を分断する江戸通りを西に渡る。
こちら側は10年の間に様変わり。
肉バルだの、肉酒場だの、何とかミートだの、
肉を全面に押し出す大型酒場が乱立していた。
加えてもつ焼き・焼きとんを商う店も増えている。
浅草橋の焼きとんは「ぶたいちろう」と
「西口やきとん」が東西の横綱格。
両店に挑戦状をたたきつけたのだから
かなりの強心臓といえよう。
15時を回ったばかりなのに左手がうずき出す。
というのは嘘で実際は右手のほうだ。
折り紙つきの左党に分類されるJ.C.だが
ビールでも日本酒でもワインでも
グラス、酒盃の類いはすべて右手で持つ。
以前よりずっと賑やかになった駅界隈も
さすがにこの時間に開いてる店舗は限られる。
ここは通し営業のそば屋酒といこうか―。
この町で飲むのは去年の春以来。
桜の季節に桜肉とシャレこんだ。
あの店はわりと早めに暖簾を出すハズ。
ひょっとしたらと期待を胸に
馬刺し名代の「むつみ屋」へ向かった。
=つづく=