上野広小路と湯島を結ぶ風俗ストリート。
その裏道にあるとんかつ店「M」を訪ねたところ、
定休日に当たったようでシャッターが下りていた。
「本日定休日」の貼り紙がないが
まさかコロナのせいで閉業ではなかろうな。
住まいの近くの中国料理店「T」が先週末、
32年の歴史に幕を閉じたばかり、やはり気になる。
それではと上野松坂屋裏の高級とんかつ「P」を目指した。
最近、昼からぜいたくが過ぎるかなァ・・・
反省しながら中央通りを横断、上中(うえちゅん)通りに入る。
差し掛かったのは「登亭
上野広小路店」。
天保八年(1937)創業の川魚問屋を前身とするうなぎ屋だ。
同年、大阪では大塩平八郎の乱が勃発し、
数年後には大利根河原で
平手造酒が憤死する「天保水滸伝」の時代に
「登亭」の屋号は考えにくいが
“登”はうなぎ登りに由来するものと思われる。
気になって調べてみたら川魚問屋は千住市場にあった「中市」。
うなぎ店「登亭」は昭和27年〈1952〉開業だ。
発祥の地は日本橋室町で、うな丼1杯が100円だったという。
実はJ.C.、此処を10年後の昭和37年に家族4人で訪れている。
このときもうな丼は100円に据え置かれており、
久々のうなぎに家族揃って歌合戦。
じゃなかった、四つの舌鼓をポンポン打っちゃいましたネ。
カウンターの内側に水槽が据え付けられていて
錦鯉がゆうゆうと泳いでいたっけ。
街には「いつでも夢を」「可愛いベイビー」
「ふりむかないで」が流れていた。
庶民にとって貧しくともシアワセな時代であった。
それはそれとして広小路店店頭のポスターに
“徹底した骨抜き鰻”とあった。
確かにサカナの骨はうっとうしいやネ。
あれは40年前、浅草の「やっ古」でうな重を食べた際、
GFのノドに小骨が刺さっちまった。
医者に直行ってほどではなくとも、その後のデートは台無し。
うなぎで精つけてラブホに直行どころじゃなくなったんだ。
鯛の骨に比べりゃ可愛いもんだが、うなぎも油断はならない。
数量限定、昼のサービスうな丼があって
とんかつ「P」より安上がり、渡りに舟と飛び込んだ。
いや、飛び込むのは川や海、
舟だけに乗り込んだのでありました。
=つづく=