銀座の夜に身をまかせたせいで二日酔い気味。
シャワーを浴びての第一感は、ラーメン食いてェ。
この日は理髪日。
不動前に近いラーメン店を思い浮かべる。
おっとぉ、ありました、ありました。
「祐天寺
来々軒」がありました。
日本で最初の支那そば屋は浅草六区にあった「来々軒」。
閉業して久しいが20年近く前に訪れた。
そこで修業を積んだ料理人(一説には料理長)が
昭和8年に暖簾分けで開いたのがここだ。
支那そば→中華そば→ラーメン
と、呼び名は変遷しつつも、源泉はここにある。
メトロ日比谷線の終点、中目黒からひと駅歩いた。
祐天寺はかつてGFの棲んだ町だからなじみがある。
彼女の引っ越し先が不動前で
何か因縁を感じる本日のスケジュールなり。
昭和のデパートのお好み食堂を
二回りほど縮めたような店内。
客入りは6~7割といったところだ。
二日酔いには何たって向かい酒ならぬ、向かい麦酒。
好みの中瓶を所望した。
注文はもちろんラーメンだが菜單には老麺の表記。
日本最古のラーメンはまさしく日本最長老。
ふさわしい文字を当てたものよのぉ。
白コショウと一緒に運ばれた老麺はシンプルなたたずまい。
1枚だけのチャーシューは肩ロース。
やや厚めに切られ、赤い縁取りがあった。
ほかにはたっぷりのシナチクときざみねぎだ。
細打ちのストレート麺は
舌ざわり、噛み心地、ノド越し、すべて良し。
鶏出汁主体のスープは魚介をまったく使用していない。
しまいにゃ食卓の作法よろしきJ.C.が
どんぶりを抱えて飲み干す始末。
飲み過ぎた翌日は汁物が欲しくなる。
そこを差し引いてもシアワセいっぱいの1杯であった。
祐天寺の塀際をすり抜けて目黒不動を目指す。
名刹から名刹に移動を試みている。
懐かしい油面地蔵通りに差し掛かった。
かつてたびたびこの商店街に出没した理由はただ一つ。
日本そばの「巴仙(ともせん)」である。
この名店も廃業して久しいが袖看板がそのまま残っていた。
まだ営業を続けている店舗が「本日休業」ってな店先。
人気はないものの、整理整頓が行き届いていた。
目黒通りを大鳥神社に向かい、
手前にある奇妙なミュージアム、
寄生虫館の角で右折し、目黒不動に到達しました。
「祐天寺
来々軒」
東京都目黒区祐天寺2-3-13
03-3713-8811