2014年6月6日金曜日

第854話 金がなくても金町は・・・ (その4)

金町から歩いて柴又に到着。
柴又街道と帝釈天参道の交差点には
うなぎの「たなかや」が健在、
変わらぬ庶民的なたたずまいを見せていた。

今は昔、この店を一回だけ訪れたことがある。
おそらく1980年の初夏だったと思う。
金融界に身を投じた直後のことで
当時のGFがこの町の女性だった。

「寅さん好きでしょ? 地元を案内するから川を渡って来て!」―
てなわけで週末の一日、葛飾柴又に遊んだのだった。
その頃J.C.が棲んでいたのは江戸川対岸の松戸市。
言わば二人の仲は近距離恋愛だったのだ。

請われて赴いたその日は
どうせなら矢切の渡し舟で来ようとも思ったが、
松戸側の乗り場は駅からずいぶん離れており、
相当な物好き以外、そんな無茶はしない。

ちあきなおみと細川たかしの歌声が
日本全国津々浦々に響きまくった「矢切の渡し」。
その効果もあり、帝釈天を訪れた観光客の中には
つかのま船上の人となった向きも多かろう。

でも、ほとんどの人は柴又で乗った舟が矢切に着いたら
そのまま同じ舟に乗って引き返す。
これといった特徴のない渡しはハナシの種に一度乗ればイナッフ。
ただし、十年以上利用していないから
今では事情が変わり、何かサプライズがあるやも・・・
んなワケないか。
ちなみに矢切は”やぎり”ではなく、”やきり”と訓ずるのが正しい。
知ってか知らずか星野哲郎先生は”やぎり”で詞を書いている。

34年前は「たなかや」でうなぎを食べなかった。
天丼と天ぷら定食を分け合った記憶がある。
うなぎは高くて手が届かなかった気もするが
たぶん相方がうなぎを避けたせいだ。

なぜなら柴又デートの数ヶ月前、
浅草デートでこれまた今も営業中、「やっこ」の鰻重を食べた彼女、
小骨をノドに刺して四苦八苦(七転八倒まではいかない)。
おかげで当夜は食後のラブホどころじゃなくなった。
国破れて山河あり、小骨刺さって難があり。

さて、今回の柴又歩き。
参道はもとより、駅前や江戸川土手をぶらりぶらり。
当初はどこぞで生ビールを飲むつもりだったのに気が変わった。
何となれば、柴又に心惹かれる酒場や居酒屋がないからだ。
しいていえば、「川千家」か・・・。
鯉のあらい、あるいは鯉こくを肴に燗酒だろうが
所詮、独り飲みには向かない店である。

そこで向かったのが、京成沿線随一の酒飲みたちの聖地。
そう、あの町であった。

=つづく=