2014年6月23日月曜日

第865話 町屋の「ときわ食堂」 (その1)

東京都内に住む方か通勤する方なら誰しも
「ときわ食堂」をご存じだろう。
入店したことはなくとも街角に暖簾を掲げている姿を
一度や二度は見掛けているはずだ。

おそらく23区内に30軒以上存在するのではなかろうか。
殊に下町エリアや城東方面において
密集度が高いように思われる。

お婆ちゃんの原宿こと、
巣鴨の高岩寺(とげぬき地蔵)前の目抜き通りには2軒もあり、
それぞれ母と息子が経営している。
基本的に「ときわ食堂」は独立採算制。
というより、暖簾分けでも子分け、孫分け、
兄弟分けなど入り乱れており、
系図やルーツを追跡してもあまり意味をなさない。
巣鴨のケースは親子だから、資本は一緒かもしれない。

何かの本か雑誌で読んだことには
この食堂の発祥の地は墨田区・本所であるらしい。
それも明治40年代というから、大変な歴史を刻んできている。
赤穂四十七士に討たれた吉良上野介の屋敷があったのは本所松阪町。
本所はいささか広うござんすが
まあ、その界隈に開業したわけだ。

食堂の名を冠していても「ときわ」は単なる食事処ではない。
店によっては「ときわ酒場」のほうがシックリくる。
その最たるところが町屋の「ときわ食堂」だ。
ここは早朝から昼過ぎまでと、夕方から22時までの二部制。
驚いたことに朝めしどきも昼めしどきも、
めしより酒の客が圧倒的多数をしめている。

鎌倉在住ののみとも・P子が久々にやって来た。
午前中にシゴトが終る旨のレンラクが入ったので
「それじゃあ、ランチでも食うかい?」と伺いをたてると、
「食事より昼酒がいいわ!」ときたもんだ。
まったく若いみそらで何を考えてんだか―。

てなこって、待ち合わせたのは正午の町屋駅前。
チンチン電車の踏切脇である。
町屋は西日暮里と北千住の間。
ターミナル駅でもないのに都電・荒川線、
地下鉄・千代田線、私鉄の京成線と3本の電車が走っている。
にもかかわらず、場末感漂う不思議な町だ。

駅から歩いて3分ほど、
到着すると、すでに店内はほぼ満席である。
とまれ、小上がりの一卓に落ち着いた。
さっそく再会を祝して乾杯。
ビールはスーパードライの大瓶。
互いに好きな銘柄につき、ニッコリであった。

=つづく=