2024年11月1日金曜日

第3658話 5軒の「小倉庵」を制覇 (その2)

5軒目の「小倉庵」は豊島区・要町にあった。
これだけ「小倉庵」をめぐりめぐると
否が応でも村田英雄が歌い出す。
此度ばかりは浪花の小姑に
気なんか遣っておられへん。

♪ 小倉生まれで 玄海育ち
  口も荒いが 気も荒い
  無法一代 涙を捨てて
  度胸千両で 生きる身の
  男一代 無法松   ♪
  (作詞:吉野夫二郎)

「無法松の一生」は1958年のリリース。
浪曲の演目を古賀政男が歌謡曲化したものだ。
当時は泣かず飛ばずだったが
「王将」の大ヒットに連鎖して日の目を見た。

以来、誰もが歌いたがる名曲として
多くの実力派歌手がカバーしている。
美空ひばり・都はるみ・ちあきなおみ・
坂本冬美・島津亜矢・五木ひろし・
氷川きよしなどなどの中で
J.C.が一番好きなのは島倉千代子。
男は村田本人、女は千代子でキマリである。

博多より好きな小倉の街は
実に様々なモノを産み出した。
死語ならぬ死髪(しが)となった、
パンチパーマがそうだし、
競輪の発祥地でもある。
競輪は1948年に小倉競輪場で初開催された。

それはそれとして要町「小倉庵」。
オバちゃん3人、女ばかりの切盛りだ。
当店は同じキリンでも一番搾り。
中瓶を2本飲んだ。
つまみの板わさは蒲鉾の質に感心しなかった。
締めのもりは、そば・つゆともにまずまず。

これで都内の「小倉庵」は5軒全店を制覇。
ほかには何処かにあるのかな?
調べてみたら北海道の函館にあった。
さすがにダテは遠すぎる。

あきらめるしかないなと思っていたら
アチラはそば屋ではなく鯛焼き屋。
小倉は小倉でも餡子の小倉だったんだ。
鯛焼き屋の本店は世田谷区・経堂。
あとは同区・赤堤に支店がある。

都内屈指の素敵なプロムナード、
要町通りを北西に歩き、粟島神社に詣でた。
そこから裏道を南下し、
西武池袋線・椎名町駅界隈を徘徊し、
池袋西口に戻りましたとサ。

「小倉庵」
 東京都豊島区要町1-16-11
 03-3957-4345