2013年7月4日木曜日

第613話 すだれが透けたせいろそば (その1)

巣鴨駅前に以前から気になっていた日本そば屋あり。
JR山手線の内側、白山通り(中山道)に面している。
大塚ほどではなくとも巣鴨はときどき飲みに来る街。
ただし、線路の外側の高岩寺(とげぬき地蔵)や
庚申塚辺りに出没するのが常で
そのそば屋の界隈に来ることはまずない。

目抜き通りから1本入ったそば屋の裏手はフーゾク街だ。
J.C.にとってフーゾクは猫に小判、豚に真珠、蛇にピアス、
コオロギにバイオリン、ペンギンに燕尾服、
パンダにパンティーストッキング、
いい加減でやめるが、とにかくそんなもの。
アッシには関わりのねェ世界にござんす。

くだんの「武蔵野本店」は寂れかかってはいるものの、
一応、アーケードのある商店街に風情をたたえて建っている。
見るからに歴史を感じさせるが高級感とは無縁、
ごくフツーの町場のそば屋である。
これなら入店をちゅうちょする客など皆無であろう。

実は今回が初めてではないような気がするのだ。
ここでハナシは42年前に飛ぶ。
1971年の3月半ば、
数日後には横浜の大桟橋から出港する身であった。

父親の発案で家族四人、どこか近場に出掛けることになった。
曰く、ソ連の客船が津軽海峡に沈むかもしれん。
ソ連のジェット機はシベリア大陸に墜ちるかもしれん。
欧州にたどり着いて一安心もつかの間、
復路のルートが同じだから横浜に帰港するまでは
何が起こるか知れたものではない。

よって今生の別れに家族が出向いたのは駒込の六義園。
五代将軍・綱吉に赤穂浪士の切腹を進言したといわれる、
お側用人・柳沢吉保が自らの下屋敷に造営させた名園だ。
奇しくも四十七士討ち入りの年に完成とのこと。
大して広くもない中を2時間ほど遊んだ記憶がある。

そののち徒歩で向かったのが一軒の日本そば屋。
駒込か巣鴨の駅前、それだけは確かなのに
どちらか特定できないところが悩ましい。
取り壊されていたら仕方ないけれど、
もし残存してるとしたら「武蔵野」以外には考えられない。
確率80%でここだと思う。

てなこって敷居をまたいだのは梅雨入り間もない日曜の昼下がり。
さいわいにして好天に恵まれた。
巣鴨駅の改札口は地蔵通りに向かう人々で芋を洗うが如し。
東京に繁華街は数あれど、この日、この時間に
訪問者の平均年齢がもっとも高いのは間違いなくここであろうヨ。
洗われる芋たち(失礼ッ!)を尻目に改札を左に出たJ.C.であった。

=つづく=