♪ 汽笛一声新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる
月を旅路の友として ♪
長い、なが~い、鉄道唱歌のイの一番は
日本人なら誰でも知っている。
したがって愛宕山は誰にでも知られている。
愛宕の山をあとにして神谷町・虎ノ門界隈をグールグル。
それにしても虎ノ門ヒルズってのはバカでかいネ。
見上げているとイヤになってくる。
環状2号線の一部、東京五輪開催の暁には
晴海の選手村と都心を結ぶストリート、
新虎(しんとら)通りを新橋に向かった。
ちなみに幅40メートルのこの通りは
東京でもっとも広い道路であろうヨ。
TVにおける街頭インタビューの聖地、
新橋駅前SL広場にやって来た。
昼は銀座4丁目のWAKO前が定番だが
夜はなぜか此処ばっかり。
それも応えるのはたまにOLがいても
ほとんどの場合、酔っ払いばっかり。
酔態ぶりの実況がTV局の馬鹿の一つ覚えとなっている。
虎ノ門の33森ビルに勤務していた時分は
しょっちゅう新橋で飲んだ。
飲み会の面子に英人が加われば、舞台は六本木一辺倒。
六本木では高給取りの彼らがおごってくれたが
ぺいぺいのヤング・ジャパニーズは決まって
新橋の安酒場でワリカン飲みであった。
その際にちょくちょく利用したのが
広場にそびえるニュー新橋ビルの地下。
駅の反対側の新橋駅前ビルに対抗というか
相対して名付けられたのだろう。
竣工は1971年2月
そのとき歴史が動いた、じゃなかった、
そのときJ.C.は翌月に控えた欧州旅行の資金作りに
邁進しており、アルバイトも最後の追い込み、
第4コーナーを回ったところだった。
あれから半世紀。
当人も当ビルも互いに歳を取った、いや、年輪を重ねた。
ハイティーンが今じゃとっくに還暦超え。
新生児、ニュー新橋ビルもマッチ・オールダー。
これもまた、よかろうもん。
=つづく=