せっかく出張ったのにスゴスゴ引き返すのは
シャクだから直帰はやめといた。
ポチなんぞに進路を決められてたまるもんか―。
ヒッチコックよろしく、北北西に進路を取り、
麹町大通り(新宿通り)を横断したとき。
ちょいと待てヨ、さっきの「天真」は初訪と書いたが
おぼろげな記憶がぼんやりと浮かび上がった。
帰宅後チェックしたらば16年前の同じ12月に訪れていた。
お好みで揚げてもらってんじゃんよぉ。
こういうチョンボはめったにしないのに
おのれのボケぶりにガックリと肩を落とす。
それはそれとして、かつてポチ御用達のTV局があった、
日テレ通りの善国寺坂を上って行った。
(ハハ、バラしちゃってんじゃん)
市谷見附で右折して靖国通りを歩くこと10分。
靖国神社にやって来た。
ねえ おっ母さん
戦争でなくなった兄さん
ここに眠っているのよ
♪ やさしかった 兄さんが
田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが 九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも ♪
ねえ お兄ちゃん
お兄ちゃんが登って遊んだ
庭の柿の木もそのままよ
見せてあげたいわ
(作詞:野村俊夫)
島倉千代子が歌った「東京だョおっ母さん」は
昭和32年(1957年)3月のリリース。
夢破れた父親に引き連れられて
わがファミリーはちょうどこの頃、
東京に落ち延びて来た。
都落ちの逆ヴァージョンは東京で何とか
もうひと花咲かせようとする亡父の賭けだった。
「東京だョおっ母さん」は前年11月に発表された、
美空ひばりの「波止場だよ、お父つぁん」に心惹かれた、
千代子自身が作曲者の船村徹におねだりして生まれた。
その結果、おっ母さんは
お父つぁんをしのぐ大ヒット。
戦後、強くなったのは女と靴下ですからネ。
=つづく=