2016年2月29日月曜日

第1305話 パキスタンの思い出 (その6)

It was a long time ago.
たまたまパキスタンはカラチのホテルで出逢ったスッチー、
いや、こんな呼び方は当時なかったんじゃないかな・・・。
とにかくプールサイドに恋の花は咲かなかったが
ハナシの花が咲いた。

先方の言うところによれば、
東南アジアだろうが西アジアだろうが
とにかく気を使うのは健康管理。
それもコレラとかマラリアとか大それたものではなく、
食中毒に気をつけるのだそうだ。

たとえ食中毒までいかなくとも
腹をこわすと業務の遂行に多大な支障をきたす。
よってバンコクでもシンガポールでもボンベイでも
生食のサラダは避けているとのこと。
加えて水はもとより氷が要注意。
JALのクルーは地上に舞い降りたらアイスは口にしないそうだ。

当方は昨日からの顛末を泡を飛ばして語り聞かせる。
彼女、ひとしきり笑い転げたあと、
「ちょっと部屋に戻りますけど、
 いいもの差し上げますから、待っててくださいネ」―
言い残してモンローウォークの巻である。

   ♪  つま先立てて海へ モンロー・ウォークして行く
    いかした娘は誰 ジャマイカあたりのステップで
    目で追う男たちを 無視して腰をひねり
    ブロンズ色の肌 光受けなまめく    ♪
            (作詞:来生えつこ)

南佳孝が自ら作曲して歌った「モンロー・ウォーク」は
1979年のリリースだ。
翌年には「セクシー・ユー」とタイトルを変えて
郷ひろみがカバーしている。
もっとも曲名変更に対して作詞者の来生えつこネエさんは
怒り心頭に達していたとか・・・、さもありなん。
  
とにもかくにもうら若きスッチーのなまめかしいうしろ姿を
息を殺して見送っていたのでした。
・・・というのは脚色しすぎ、というより嘘に近い。
JALのCAがそんなマネをするハズがないでしょうに。

それにしても気づかなかったなァ。
制服脱いで水着姿じゃ想像もつかない。
ヘアにしたって・・・あっ、ごめん、ゴメン!
そっちのヘアじゃなくって、ヘアスタイルのほうネ。
JALおなじみのシニヨンだったらピンとくるのに
全然イメージが違うんだもんねェ。

=つづく=

2016年2月26日金曜日

第1304話 パキスタンの思い出 (その5)

部屋に戻り、ベッドの上で魚になってみたものの、
どうにも手持無沙汰、やることが何もない。
シンガポールを出るときに携帯するつもりで用意した、
推理小説が見当たらないのは
バッグに入れ忘れたんだろうな・・・。

TVをつけてもチンプンカンプン。
これじゃ時間はつぶせない。
意を決して舞い戻ったのはリバーサイドならぬ、
プールサイドであった。

おや? 先刻とは打って変わって人影が数倍増しときた。
再びデッキチェアに落ち着き、水面に目をやると、
日本人らしき男女が数名、水と戯れているじゃないの。
よくよく観察すれば、中年男が1人に
若い女性が6~7人である。
妙だネ、いったいどんなグループなんだろう?

チラチラと盗み見していてハタと思い当たった。
これは女子大のゼミの先生と教え子たちに相違ない。
おおかた古代遺跡のモヘンジョ=ダロにでも行くのだろうヨ。
カラチは遺跡の玄関口だからネ。

思えば当時はまだ平和だった。
現在は治安が悪く、遺跡近くでの宿泊は不可能に近いとのこと。
飛行機利用の日帰り旅行しか手立てがないのでは
まさしく、”行った!観た!帰った!” そんな状態らしい。

しばらくすると、水から揚がった一人の女子大生が
隣りのチェアに腰を下ろした。
なかなかの器量よしにして
若かりしJ.C.の胸にさざなみが立ったじゃないの。
だが待てヨ、大学生にしちゃ、ちとトウが立ってるな。
どう見ても二十代半ばといったところだ。

海外に出るとそこは同胞のよしみ、
ましてやパリ・ロンドン・ニューヨークのように
日本人があふれ返っている大都市ではない。
パキスタンを訪れる邦人など数に限りがあろう。
どちらからともなく言葉が交わされ始めた。

聞いてたまげて、びっくりポン!
何のこたあない、彼女はJALのCAだった。
そうか、そうであったのか!
どうしてそこに気がつかなかったんだろう。
でもJALがカラチに乗り入れているとは知らなかったもんネ。

とても利発な女性でおしゃべりが楽しい。
あちらにしてもシンガポール在住の日本男子が
トルコに向かう道すがらカラチに独りで
ストップオーバーしている姿はかなりもの珍しかったに違いない。
ハタから見れば仲むつまじく、
新婚旅行の若夫婦さながらに映ったことでありましょう。

=つづく=

2016年2月25日木曜日

第1303話 パキスタンの思い出 (その4)

カラチのインターコンチネンタル・ホテル。
プールサイドでくつろぎながらウエイターを手招きした。
おもむろに冷たいビールをお願いすると、
穏やかな笑顔が返ってくる。
笑顔ではあるけれど、首が小きざみに振られていた。

「リカーは19時からなんです」
予期せぬ言葉にこちらは言葉を失った。
もう完全にふてくされ気味である。

 ♪   やって来ました 倦怠期
   不貞くされ女房は 家出して
   スイジ センタク ゴハンタキ
   新婚当時を 思い出す ソラ ♪
      (作詞:なかにし礼)

「ドリフのズンドコ節」のリリースは1969年秋。
彼ら3枚目のシングルは150万枚を売る大ヒットとなった。

それはそれとしてビールにありつくまであと7時間もある。
しゃんめェ!
ビールの代わりにプールに飛び込んだ。

 ♪   ベッドの中で魚になったあと
   川に浮かんだプールでひと泳ぎ
   どうせ二人は途中でやめるから
   夜の長さを何度も味わえる 

   ホテルはリバーサイド
   川沿いリバーサイド
   食事もリバーサイド 
   Oh,Oh,Oh, リバーサイド  ♪

       (作詞:井上陽水)

TVドラマ「ニューヨーク恋物語」の主題歌にもなった、
「リバーサイドホテル」のシングルは1982年の発売ながら
ドラマのほうは6年後、1988年の放映。
ニューヨークの街並みにも
ニヒルな役柄の田村正和にもピッタンコで
まさにシンクロナイズド・スイミングでありました。

さて、陽水はプールでひと泳ぎだが
J.C.はプールでふて泳ぎ。
たかだか1杯のビールにどんだけ待たされるんかい!
トンデモない国に来ちまったぜ、ったく。

まだまだ陽は高い位置にある。
これじゃ日焼けで真っ黒になっちまう、
いったん部屋に戻ることにした。

=つづく=

2016年2月24日水曜日

第1302話 パキスタンの思い出 (その3)

灼熱のカラチ。
チェックインしたホテルのバーテンダーの言うことにゃ、
数年前からパキスタンは厳格な禁酒国になったんだと―。
詳しく綴れば相当長くなるからハショるけれど、
クーデターによって国の指導者・ブットー大統領から
政権を奪取したニューリーダー、
ハク首相がイスラム法の強化を目指したことに起因する。

サウジアラビアのファイサル国王に
経済的支援を託した以上、西施の顰みに倣うが如く、
パキスタンはサウジ同様、
絶対的禁酒国の道を歩み始めたのだった。

「じゃあ、この国に酒は一滴もないの?」―
こう訊きたくなるよネ。
「まずムリです」―ニベもない。

仕方なくコカコーラか7-up でも飲んだんだろうか、
まったく記憶がないが場の空気は一気にシラけたネ。
気まずい雰囲気の中、口を開いたのはバーテンダーだった。

「例外があります」
「エッ、何でソレを早く言わないのっ!」
「でもボクたちには不可能なんで―」
「どういうこと?」
「カラチの高級ホテルに泊まれば、お酒を飲めるんです」
「よく判らんが、どのホテル?」

彼が挙げたのは
シェラトン、ヒルトン、インターコンチネンタルと
たぶんホリデーイン。
ふ~む、そんな抜け道があったのか。

取りあえずその夜はがまんした。
夜になって街に出たけど、
ライスの美味しいカレーにミネラルウォーターでしのぐ。

翌朝。
ブレックファーストもそこそこに引っ越す。
部屋を取ったのはインターコンチネンタルだが
予期せぬ余計な出費にフトコロが傷む。
こんなことなら真っ直ぐトルコに行っちゃえばよかったぞなもし。

荷物を部屋に投げ出して
降りて行ったのはスイミングプールである。
ジリジリと照りつける太陽の下、
デッキチェアに身を横たえた。

東京都内のホテルのプールとは正反対、
集まる人の絶対数が少なく快適だ。
人混みはストレスの元凶だもんねェ。
ところが・・・
ところがであった。

=つづく=

2016年2月23日火曜日

第1301話 パキスタンの思い出 (その2)

もう40年も前のハナシのつづき。
ヒースロー空港を経ったPIAの旅客機は
シリアの首都・ダマスカスを経由して
パキスタン最大の都市・カラチに無事到着。
ここでトランジットし、東京行きの飛行機に乗り換えるのだ。

免税店でものぞいて時間をつぶそうと思っていたら
バスに乗り込むように指示された。
素直に従っていると、
バスは空港をあとにして市中に出て行くじゃないの。
記憶が確かならばイミグレーションを通っていないゾ。

何だか奇妙な感じになったが
思いがけない市内観光もまたよし、
ラッキーな気分にならないこともない。

到着したのは空港からそう遠くないホテルであった。
時刻はちょうど昼めしどき、
乗客揃ってロビー脇のレストランにうながされ、
カレーのランチが始まりましたとサ。
うれしかったなァ、もう!

月日はめぐり、その9年後。
再びパキスタンの地を踏むこととなった。
当時は東南アジアのシンガポールに赴任中の身。
季節は六月半ばじゃなかったかな・・・
2週間の休暇をもらってトルコ旅行を試みたのだ。

シンガポール―イスタンブール間のチケットも
PIAが一番安かった。
カラチ経由なものだから
行きがけの駄賃よろしくカラチに2泊することにした。

空港から予約済みのホテルに直行。
いや、暑い、熱い。
部屋に入って旅装を解くヒマもあらばこそ、
バーに再び直行の巻である。

バーテンダーのオニイさんにビールを所望する。
コールド・ビアと念を押すことも忘れない。
ところがニイさん応えて
「ありません」
「ハァ、ビールだヨ、冷たいビール!」
「ないんです」

話を聞いてビックラこいたわ。
ほとんどチェアから転げ落ちそうだったわ。
わが耳を疑うとともに
わが両眼は天を、もとい、天井を仰いだのであった。
デッカいファンが殊更ゆっくり回っていましたとサ。

=つづく=

2016年2月22日月曜日

第1300回 パキスタンの思い出 (その1)

先日、朝日新聞のコラム「特派員メモ」に目がとまった。
サブタイトルに
 ◆イスラマバード 国営航空 正常化を
とあった。
前半分だけ抜粋してみましょう。

国営のパキスタン国際航空(PIA)のプロペラ機で
地方都市に降り立った時のことだ。
30人ほどの乗客と預けた荷物を待っていると、
地上職員がやってきて言った。
「荷物の格納庫は空っぽでした」。
信じがたいが、乗客の荷物を積まずに飛んだという。

こんなこともあった。
出発ロビーで搭乗を待っていると、
PIAのパイロットや乗務員、地上職員が駐機場から、
わらわらと引き揚げ始めた。
突然のストで出発は4時間遅れた。
別の日には、出発地も到着地も快晴なのに
「悪天候でキャンセル」だったこともある。

いやはやトンデモない国営航空があったものだ。

今は昔の1975年、2年ほど滞在したロンドンから帰国する際に
お世話になったのがPIAだった。
選んだ理由? 
一番安かったからであります。
エコノミー・クラスなら、どのキャリアに乗っても
そんなに違いはないッスからネ。

ロンドンからのフライトで最初の機内食はその日のディナー。
面白くも何ともないプレートが目の前に運ばれた。
ところが隣りの乗客、おそらくパキスタン人だったと思うが
彼の食事はドライカレーみたいな料理であった。
白いライスにキーマカレーが乗ってるタイプではなく、
カレーピラフみたいなヤツだ。
のちに判ったことだが、あれはマトン・ビリヤニに違いない。

食いしん坊のJ.C.、お仕着せのつまらんメシより
断然、ビリヤニが食べたくなったものの、
差し替えを要求する勇気が湧いてこなかった。
周囲を見渡すとパキスタン系の乗客はすべて現地食、
そうでない欧州系・東南アジア系はみなお仕着せなのである。

カレーかァ、しばらく食べてないなァ、
隣りをチラチラのぞくと、
オッサン、また旨そうに食うんだよネ。
こちらはただただ指をくわえるほかに手立てがない。
ところがおよそ10時間後、
待望のカレーにありつくことができたのでありました。

=つづく=

2016年2月19日金曜日

第1299話 サメとカスベの一騎打ち (その6)

ちょいとばかり多いかな? と思いつつも、
大根おろしとほぼ同量の釜揚げしらすを添えて
上から純米酢と生醤油を垂らす。
ついでに最近爆買いしたフレッシュ・ライムの果汁を少々。
実にビールのつまみとして申し分がない。

スペイン産本まぐろの中落ちは
生醤油&日本酒、同割りの下地に漬け込み、ヅケにしておく。
醤油はキッコーマンのしぼりたて丸大豆”生”。
酒は京都・伏見の月桂冠である。
青森の長芋をすりおろして上等の山かけが出来上がった。
わさびはもちろん伊豆の本わさび。
これを同じ月桂冠の常温でやる。
まずかろうハズもなし。

清酒の盃を重ね、いよいよサメとカスベの一騎打ち。
一騎打ちとはいえ、同じ鍋で煮付けたから呉越同舟状態だ。
うわっ、実に旨いじゃないのっ!
ほどよく脂ののったサメは横隔膜のクニュクニュがすんばらしい。
コラーゲンたっぷりのカスベは軟骨のコリコリがたんまらない。
もの心ついてからというもの、
サカナの煮付けはナメタやメイタなどカレイ類を第一としてきた。
カレイにサメとカスベを加え、これぞ煮付けのマイ御三家といたそう。

安価なチリ産シャルドネに切り替え、
グラスをキッチンに持ち込んでブール・ノワゼットの作成にかかる。
通常のレシピには無塩バター&塩なんぞと記されているが
ハナから有塩バターを使えばそれで済むことだ。
これもまた呉越同舟でササッとソテーしたら
同じチリの白ワインと白ワインヴィネガーを振りかけ、しばし蒸し焼き。
あらかじめ電子レンジで温めた皿に盛り付ける。

フライパンに残ったハシバミ色のソースに
ケイパー・パセリ・レモン果汁を解き放ち、材料をよくなじませ、
サカナたちにたっぷりとかけ回して食卓へ。
脇にはバゲット&バターも忘れない。
ナイフ&フォークでいただいて・・・う~ん、旨いぞなもし。

この5日後。
冷蔵庫から取りいだしたる物品は例のみそっかすであった。
ビールを飲みながらオーヴンでこんがりと焼く。
焼き上がったら月桂冠の上燗と一緒に食卓へ運ぶ。
小麦色の肌にところどころ焦げ目がついてヤケに美味しそう。

酒をクピクピ、肴をハフハフ。
その美味に身体がよじれて身もだえしてしまった。
こうなると高級粕漬店で
サワラだのギンダラだのを買うのがバカバカしくなってくる。

さて、気になる一騎打ちの結果だが
煮付けは引き分け、焦がしバターはカスベ、
みそっかすはサメの勝利でありました。

=おしまい=

2016年2月18日木曜日

第1298話 サメとカスベの一騎打ち (その5)

モハメド・アリやら琴奨菊やら
脇道にそれるととどまるところを知らない。
深く考えもせず、勝手に指が文字をたたき出す。
困ったものよのぉ・・・。

上野松坂屋で買い求めたサメとカスベであった。
調理する道は三つ。
まず煮付けは無条件決定。
何たって一番簡単だし、酒にも飯にもピタリと寄り添う。
第二は焦がしバターだ。
本来はカスベ向きのソースだが
これをサメにも応用したい。

白身魚のブール・ノワゼットはフランス西部、
ブルターニュ地方の郷土料理が発祥。
厳密にはサカナをブイヨンで茹でなければならない。
ところがせっかちなJ.C.はそんな悠長なことはしていられない。
ソテーしたところに白ワインとワインヴィネガーを振りかけ、
フタをしてしばらく蒸し煮にすることで手を抜く。

そして第三の方法は以前何度かカスベで試した味噌粕漬。
味噌漬でも粕漬でもない味噌粕漬である。
語呂合わせから”カスベのみそっかす”と命名した。
サカナの味噌漬によく使われる西京味噌では少々甘すぎる。
酒粕使用の粕漬はちと酒っ気が強すぎる。
よって両者を合わせ、いいとこ取りを画策したわけだ。

真田幸村ゆかりの信州・上田の信州味噌と
灘の清酒・月桂冠の酒粕をよく練り合わせる。
そのままでは上手く混ざらないので
日本酒とみりんを適量加えてやる。
市販されている一切れよりも
小さめに切り分けたサメ&カスベを漬け込んだ。
もちろん水気はていねいに拭い去ってネ。

買い物当日の夜。
ビールの缶をプッシュウと開けてグラスに注ぎ、さっそくイッキ。
われこの瞬間のために今日一日を生き抜けり。
そう言い切れるほどに”生きる歓び”が満身を駆け抜ける。
明日もまたシアワセが待ち受けているのであろう。
そんな気分になってくる。
 ♪ 明日という字は 明るい日と書くのね~ ♪

卓上にはしらすおろしが一鉢。
ここでJ.C.、巷の食堂・居酒屋に対して苦言を呈したい。
釜揚げしらすと大根おろしはどちらも大好き。
品書きに載っていれば30%を超える確率で注文する。
三度に一度は頼んでいることになる。
これは全盛期の王・長嶋の打率に匹敵するくらいだ。

ところが外食時のしらすおろしは
肝心のしらすがホンのチョッピリしかなく、
ケチくさいことはなはだしい。
お通夜のご焼香じゃあるまいし、
もちょっと気前よくバラまいてくれないもんかネ。

=つづく=

2016年2月17日水曜日

第1297話 サメとカスベの一騎打ち (その4)

自宅への帰り道。
西空に落ちてゆく夕陽を見ながら
サメとカスベの調理法を思案する。

はて、どしたらよカスベ、
もとい、よカンベ。
あいや、失礼!
第一感は煮付けであろう。
醤油と砂糖と清酒で甘辛く煮るヤツだ。

第二感はブール・ノワゼット(焦がしバター)かな?
これはマイ・フェイヴァリットである。
ノワゼットは仏語でセイヨウハシバミ、いわゆるヘーゼルナッツ。
バターを適度に焦がすことによってハシバミ色に仕上げるものだ。
ドングリに似たヘーゼルナッツの表皮に由来している。

フランス料理のブール・ノワゼットに使用されるサカナは
一も二もなく何たってエイである。
舌平目(ソール)も悪くはないけれど、
ノワゼットに不可欠のケイパーが
あっさりとした舌平目には強すぎる。

エイは仏語で raie () 、英語なら ray (レイ)  となる。
したがって尾の先に毒張りを持ち、
敵を刺す仲間は sting ray
マンタ(オニイトマキエイ)manta ray である。
われれれの世代、マンタと聞くと第一感は
三波春夫の「おまんた囃子」までさかのぼってしまうが
マンタは英語だったんだねェ。
いや、ビックリ。
 
sting から連想されるのは一般的には
ユニバーサル・ピクチャーズによる映画、
P・ニューマン&R・レッドフォードの「スティング」だろうが
あちらはハメる、ぼったくるといった意味合い。
J.C.は往年の名ボクサー、
そう、全盛期のモハメド・アリを思い起こす。

Fly like a butterfly, sting like a bee.
(蝶のように舞い、蜂のように刺す)
最重量ウエイトとは思えない軽やかなフットワークに
世界中のボクシング・ファンが魅了されたのだった。
 
と、ここまで綴って
チラリとTVの画面を見たら
外国人記者たちの前に琴奨菊が登場。
制限時間いっぱいの際のルーティン、
あの胸反りの名称が決定した。
外人女性記者の希望は菊バウアーでなく、
琴バウアーでありましたとサ。

=つづく=

2016年2月16日火曜日

第1296話 サメとカスベの一騎打ち (その3)

JR御徒町駅前から上野広小路に移動する。
移動といってもたかだか徒歩1分の距離である。
やって来たのは上野松坂屋の地下1階、いわゆるデパ地下だ。
フロアの北側の端にある鮮魚コーナーは
1年ほど前まで正反対の南端にあった。
以前のほうが広く、品揃えも豊富だったような気がするが
そのぶん青果コーナーの充実を感じる。

ここで遭遇したのサブタイトルにあるサメとカスベであった。
やっと出てきやがったか! ってか?
いや、お待たせしました。
満を持しての登場です。
まぐろ中落ちとしらす干し、
それにすりおろした長芋と大根だけでは
ハナシの種になりやせんからネ。

サメとカスベ、ともに軟骨魚類。
サメはともかく、カスベは初耳という方も少なくないでしょう。
カスベはエイ(鱏)のことであります。
ちなみにスキンダイバーに憧憬されるマンタは
オニイトマキエイのみを指す名称です。

松坂屋で見つけたサメにはアブラツノザメと表記があった。
アブラツノザメのサイズは1~2メートルでちょうど人間と同程度。
サメとしてはもっとも小さい部類ではなかろうか。
普段、デパ地下で見掛ける、
モウカザメ(ネズミザメ)は2~3メートルほどあるから
パックの中の切り身を見てもその小型性が一目瞭然だった。

ふ~む、珍しいサメだなァ。
値段もずいぶん安いねェ。
何と100グラム=100円なのだ。
とにかく試してみなくちゃハナシが前に進まない。
300グラムほどのパックをバスケットに放り込んだ。

お次は隣りのカスベだ。
エイにもガンギエイ、アカエイ、メガネカスベなど、
さまざまな種類があるが
通常はカスベの表記があるだけで
消費者に詳細が伝わることはない。
目の前に並んでいるのはおそらくメガネカスベだと思われた。

サメはめったに買わないがカスベはちょくちょく購入する。
こちらは100グラム300円近い。
そんな高級魚ではないはずなのに
なぜか割高感のある値付けであった。
それでもみずみずしい身肉をながめていると、
買いたくなる、食べたくなる。
ハイ、イン・マイ・バスケット!

300グラムに250グラム、計550グラムの軟骨魚類。
こいつは一晩じゃ食い切れやせんぜ。

=つづく=

2016年2月15日月曜日

第1295話 サメとカスベの一騎打ち (その2)

台東区・御徒町の「吉池」に独りなり。
何はともあれ、その夕べ、
スペイン産本まぐろの中落ちと青森産長芋を確保した。
イスパーニャの海の幸、みちのくの山の幸、
今、東京の地にて会いまみえんとしているわけだ。
当夜のウチ飲みの肴がまず一品決まった。
好物のまぐろ山かけである。

生鮮食品は1階に集中している「吉池」ながら
地下1階にもいろんなモノが並んでいる。
エスカレーターに導かれて地階に下りてゆく。
およそ30分を要し、フロアのすみずみを徘徊した。

結果、興味を惹かれたのは4品。
静岡のしらす干し、ロシアのたら子、北海道のすじ子、
東京郊外、いや神奈川県だったかもしれない、
豚肉の東京X、その小間切れであった。
東京Xを名乗るからにはやっぱり東京産だろう。

思案の挙句、購入したのはしらすだけである。
キメ細やかな、という表現はあたらないが
手にしたのは一尾一尾がとても小さく、
一目見ただけでこれは上物と確信したモノだ。
しかもソイツがたまたまバーゲンセールで
これは買わなきゃ、損、ソン、孫社長!
相変わらずオイラはバカだわ。

買い求めたしらず干しは
大根おろしと合わせることとなる。
炊き立てのごはん、
あるいはちょいと冷ました酢めしに
こんもりと盛り付けるという手もあるが
それでは晩酌のジャマだ。

とにかくまぐろ山かけに
しらすおろしが加わることになった。
歓ばしきかな。
こうなると今宵の晩酌は
早目にビールを切り上げ、日本酒に移行、
そう思い描いてほくそ笑んだことであった。

でもネ、でもですヨ、
この二鉢じゃいささか寂しい。
よってよほど東京Xで生姜焼きをと考えたものの、
なんかそんな気分じゃなかったんだよねェ。
本日はミートのお世話にならず、
フィッシュで統一してみよう・・・
そう心に決めたのでした。

=つづく=

2016年2月12日金曜日

第1294話 サメとカスベの一騎打ち (その1)

JR御徒町駅前にあるサカナのデパート「吉池」へは
月に数回出向いている。
珍しい魚介類に出会えるからだ。
昨年の十二月にもここで調達したボラの白子を紹介した。

去年だったか一昨年だったか、
「吉池」の本店ビルが建て替えられて
利用者としては売り場が広くなり、サカナたちの品揃えが
よりいっそう多彩になるだろうと期待したが
あにはからんや、逆に少なくなってしまった。

春日通りに面した1階のメインスペースをユニクロに明け渡し、
鮮魚売り場はその奥まった位置に押しやられ、
加工品や精肉は地下にもぐった。
期待外れもいいとろである。

それでも都内有数の鮮魚店につき、
今夜はウチで包丁を握ろうと決めたら
マスト・ゴー・オカチマチとなる。
すぐそばに松坂屋上野店があるのも強みだ。
行けば必ずデパ地下のほうにも目を配るようにしている。

1週間前。
独り御徒町に赴いた。
デパートにはこれといった収穫はなく「吉池」に移動する。
まぐろのサクが並ぶケースでは
本まぐろ・南まぐろ・ばちまぐろが揃い踏みである。

中にスペイン産本まぐろの中落ちが
比較的求めやすい値段で売られていた。
天然・養殖の明記がなく、どちらだか判断しかねる。
想像するに大西洋なら天然、地中海なら養殖だろうか?

ここ数年、地中海産の本まぐろを
ひんぱんに見掛けるようになった。
そのほとんどがトルコ、マルタ、チュニジアの産である。
ジャスミン革命発祥の地で
まぐろの養殖が行われていたのは意外だった。
同じ地中海でもイタリアとギリシャはまず見ない。

そこへスペイン産の登場ときた。
上記3ヵ国のまぐろはすべて食して
意想外の美味に舌鼓を打ってきた。
これは試さずばなるまい。
いつ買うか?
今でしょ。

中落ちだからこのまま食べるよりヅケにして長芋と合わせ、
山かけにしよう、そう頭の中で考えていた。
よって長芋を買い忘れてはならんゾ。

=つづく=

2016年2月11日木曜日

第1293話 十年ぶりの中華そば (その5)

今日はアップし忘れたまま出かけてしまい、
先ほど帰宅して気づいた次第であります。
失礼をいたしました。

さて、谷中の「一力」である。
「一力」というと今は昔、元禄の時代、
大石内蔵助ゆかりの茶屋、
祇園「一力亭」(現在も営業中)が脳裏をかすめるが
こちらはラーメンと餃子だけの店舗である。

スポーツ誌を開いたものの、
ろくすっぽ目を通さぬうちにラーメンが出来上がった。
見覚えがあるようなないような、不思議な光景がそこにある。
麺は少なめ、スープは多め、
なんかどんぶりの中で麺が泳いでいる感じ。
表面には細かい油の粒が浮いている。

レンゲは付いてこないから
どんぶりをしっかりと両手で持ってスープを一口、二口。
当然、数滴の油粒が口内に流れ込む。
それがちっともシツッコくない。
むしろアッサリとしている。

飲み下してハッキリ思い出す。
そうだった、この味であった。
こみ上げる懐かしさにしばし身をまかせる。
ややちぢれほぼ真っ直ぐのしなやかな麺も
回顧する歓びに拍車をかける。

5分とかけずに読了ならぬ食了をはたす。
ちょうどそのとき、背後にガラス戸が開く気配あり。
中高年の女性の声で
「あら、お父さん具合悪いの?」
女将さん応えて
「いえ、今奥だけど出てるわヨ」
察するに店主はときどき体調を崩すらしい。
前述したように老け込み方が相当だったからねェ。
この店もあと何年営業を続けることができるのか
知れたものではない。

声しか聞こえなかったが
常連客らしき女性はこれから病院へ行く旨残し、
何も食べずに立ち去った。
こちらも500円玉と100円玉を一つづつ手渡しながら
「ごちそうさま!」

その夜、PCを開き、エクセルの訪問店リストに
本日の「一力」を記録していてビックリ。
何と前回の訪問は丸十年前の一月。
栃東が幕内最高優勝を果たす数日前であった。
そして今回の訪問は琴奨菊優勝の数日後。
「一力」と「一力」のあいだに二人の優勝が
ピタリと収まってしまう。
こんなことってあるんだネ。

十年経ったらもう店はあるまいと思い、
この二日後、またラーメンを味わいに出かけたのでした。
十年ぶりのあとは二日ぶりでござんした。


=おしまい=

「一力」
 東京都台東区谷中7-18-13
 03-3821-2344

2016年2月10日水曜日

第1292話 十年ぶりの中華そば (その4)

昨日のつづきである。
伊勢正三が書いてイルカが歌った「雨の物語」。
”僕”と外出するわけでもないのに
何だって”彼女”は化粧なんかおっ始めたんだろう?
窓の外には雨が降ってるというのにサ。

GFから返って来た言葉は

「彼女は外出っていうより出勤なのヨ」
「出勤? なあんだ、OLの朝の化粧か―」
「・・・・・・」
「ん? んなわけないわな」
「・・・・・・」
「あっ、そうか! 水商売なんだネ」
「ピンポン!」

だって。

そうだったのか。
真相を知った途端、
俄然、歌詞に深みが加わり、味わいが出てきた。
それにしてもこういう舞台になると、
オンナは深読みするもんだなァ。
オトコにゃ、いえ、自分ですけどネ、まったくあきまへんわ。

脱線もほどほどにして元の線路に戻らねば―。
谷中の「一力」であった。
暖簾を見て胸が弾んだのだった。

ガラリ、ガラスの引き戸を引いて身体をすべり込ませると、
カウンターの端に店のオバちゃんが腰掛けている。
おもむろに腰を浮かせて
「いらっしゃあい!」

カウンターの中にはオジさん、
いや、オジさんではなく、オジイさんだネ、
村山元首相みたいに長い眉毛が真っ白だ。
ずいぶん見ないあいだに変貌しちゃって昔の面影はない。

ここしばらくラーメン(600円)と餃子(500円)だけの提供らしい。
”中華料理”と銘打った暖簾は出ていても
これから先ずっとメニューが増えることはあるまい。
ビールが飲みたいけれど、とても注文できる空気じゃないし、
おそらく置いていないだろう。

4席ほどのカウンターに小卓が2つ、ほかに客はいない。
ラーメンだけをお願いして
目の前にあったスポーツ新聞を開いた。

=つづく=

2016年2月9日火曜日

第1291話 十年ぶりの中華そば (その3)

一度は袖にされた「一力」の白地に赤い暖簾を見て胸が弾んだ。

 ♪  誰もが物語 その1ページには
  胸はずませて 入ってゆく
  ぼくの部屋のドアに 書かれていたはずさ
  「とても悲しい物語」だと
  窓の外は雨 あの日と同じ
  肩を濡らした君が
  ドアのむこうに 立っていたのは  ♪
         (作詞:伊勢正三)

イルカが歌った「雨の物語」がリリースされたのは1977年。
作詞・作曲は元かぐや姫のメンバー、伊勢正三である。
イルカの持ち歌では世紀の名曲として評判の高い、
あの「なごり雪」より好きだ。
上記はその2番。

またもや脱線転覆するのを承知のうえで
1番を紹介してみたい。

 ♪   化粧する君の その背中がとても
   小さく見えて しかたないから
   僕はまだ君を 愛しているんだろう
   そんなことふと 思いながら
   窓の外は雨 雨が降ってる
   物語の終りに
   こんな雨の日 似合いすぎてる  ♪

もう20年も以前。
当時のGFがちょくちょく口ずさむので
いつの間にか完ぺきに覚えてしまった「雨の物語」。

ある日ふと思った。
何も一緒に出かける前に
相手の化粧するうしろ姿を見守ってなくとも
よさそうなもんじゃないか?
オトコとしてちょいと女々しいんじゃないの?

その疑問を率直にぶつけてみたら
言葉より先に人を哀れむような視線が返ってきたぜ。
おもむろに口を開いた彼女の言うことにゃ

「アナタって見えないヒトねェ。
 二人は一緒に出かけたりしないの」
「じぇじぇ(当時この言葉は世に出てなかったが成行きで)、
 違うんかい? まさか化粧してからベッドインじゃないだろ?」
「バ~カ! バカにつけるクスリはないわネ」
「じゃあ、いったい何なんだ?」

=つづく=

2016年2月8日月曜日

第1290話 十年ぶりの中華そば (その2)

金曜日の当ブログでは
アップしたつもりのスナップ写真を貼付し忘れ、失礼しました。
あらためてご覧ください。
「一力」本体よりも隣接する初音小路が
いい雰囲気でございましょ?

それはそうと、やれタイガースだ、
これ琴奨菊だと、いったい何事やねん?
そうお思いの読者も少なくないことと推察します。
まあ、先をお読みくだされ。

一酌後、舞い戻ってみたら「一力」はもう閉店していた。
あっちゃあ! マイッたぞなもし。
でも当夜は空振ったものの、
そんなことであきらめるJ.C.ではあらしまへんのや。

およそ1週間後、
神楽坂を起点に水道橋、本郷、白山を経て
動坂下から道灌山下を抜け、
よみせ通りの商店街を歩き流すJ.C.の姿を見ることができた。
昔ながらの店舗が次から次へと消えて
カフェだのバーだのに変身してゆく。

それでも昭和の40年代にはほぼ見えなくなった
洋服の仕立て屋さんが1軒残っている。
ご主人がミシンを踏む姿が通りから見えたりもする。
自家製のうどんや焼きそばの”玉”を製造・販売する店もある。
むかしはどこの商店街にも1軒はあったものだがねェ。
カラオケの歌い放題やカラオケ教室みたいなのもけっこう目につく。
谷中の人々には歌好きが多いらしい。

よみせ通りのちょうど中ほどに位置するT字路を東に折れれば、
そこが谷中ぎんざである。
たかだか100mのチョー短い”ぎんざ”である。
精肉店が2軒あり、どちらも牛肉や豚肉の取り扱いより、
メンチカツの製造・販売に注力していて
週末ともなれば行列が形成されもする。
以前はもっと安かったような気がするが
現在は2それぞれ200円と230円だったかな?
大幅に値上げされたのではなかろうか。

CP悪く、味もイマイチのメンチを道端で頬張るカップルや
オバタリアン(死語か?)のグループを尻目に
夕焼けだんだんを上る。
時刻は13時を過ぎていた。

ダメならダメで仕方がないや、
そう思いつつ、一つ目の角から右手をのぞき見ると、
おう、暖簾が出ているではないの。
歓び勇んでというのではないけど、
とにかく胸は弾んでいたのだ。

=つづく=

2016年2月5日金曜日

第1289話 十年ぶりの中華そば (その1)

 ♪   Ones upon a time
   はるかな夢
   もう誰も ここにいない
   ひき潮の 海のように

   十年ロマンスと
   いわれた愛は
   今もきらめいて いるだろうか

   月の光 あびながら
   肌を見せた
   あの誓いの夜の
   ヴィーナスに 似た人は今 ♪

       (作詞:阿久悠)

1971年1月、
「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」@日本武道館をもって
解散したザ・タイガース。
丸10年後の’81年1月、
有楽町・日劇の取り壊しに伴う、
「さよなら日劇  ウエスタン・カーニバル」@日劇において
ザ・スパイダースやザ・カーナビーツなどとともに再結成を果たす。

同年11月にリリースされたのが上記の「十年ロマンス」。
作詞者の阿久悠は10年ぶりのグループ復活を
十分に意識して詞を書いている。
ちなみに作曲は珍しくも沢田研二自身だ。

ときは移り、2006年1月、
大関・栃東が幕内最高優勝に輝いた。
ご存じのように丸10年間の空白を埋めて
2016年1月、琴奨菊が賜杯を抱いた。

台東区・谷中は夕焼けだんだんのすぐそばに
「一力」という名の中華料理屋がある。
店舗は初音小路の入口脇
年が明けて半月ほど経ったある夕暮れ、
上野公園から谷中霊園を抜けて「一力」に到着した。
本日提供できるものはラーメン&餃子のみと
店先に表示してあった。

いきなりラーメンでもあるまい。
どこか近所で一杯飲ってから
締めにラーメをいただこう、そう思ってヨソに廻る。

JR日暮里駅東口の「いづみや」でおよそ1時間。
晩酌を済ませ、「一力」に舞い戻ったが
すでに閉店したあと、万事休すの巻であった。
まだ19時前、ずいぶん早い店仕舞いになすすべがない。

=つづく= 

2016年2月4日木曜日

第1288話 餃子をぎょうさん食べました (その4)

「亀戸ぎょうざ 大島店」で軽い昼食というか、昼酌を済ませた。
いやはや、実に軽い。
何たってビール大瓶1本に餃子1皿だけである。
これじゃサブタイトルにあるがごとく、
”餃子をぎょうさん食べた”ことにはならない。
ビールはビールとして、餃子は子どものおやつ程度だ。
と言うことはあとがあるんですわ。
いや、追加注文に及んだわけではないけどネ。

総額800円を支払って予定通り、ショッピングに赴いた。
セーターとカーディガンを購入するつもりが
ジャケット、パンツ、ベルト、シューズまで買っちまったヨ。
この事態はけっしてセールス・レディにオッツケられたのではない。
自主的、自発的に買い求めたのだ。

購買品の中で厄介なモノが一つ。
さて、それは何でしょう?
そう、賢明な読者はすでにお気づきですネ。
パンツですヨ、パンツ。
パンツ、ズボン、スラックスと呼び名は変われど、
コイツばかりは直しがあるんで後日ピックアップに戻らねば―。

1週間後、再び大島に現れたJ.C.、
パンツの前にまたまたビールと餃子の巻であった。
われながら何やってんだかなァ。
しかも此度は夕闇迫る灯ともし頃であった。
1本と1皿では到底済まない。
ミニマム2本に2皿であろうヨ。

時が流れるままの質素な晩酌。
何だか心身ともにリラックスして
もうスラックスなんかどうでもよくなった気分だ。
とは言ってもこのままヨソへ回っては
何のために大島へ来たのか判らない。
ちゃんとなすべきことはなしてきた。

その夜はそのあと、日本橋人形町の居酒屋で独酌。
酒盃を重ねながら思った。
ここ2回の「亀戸ぎょうざ」訪問では
ビールと餃子しか飲食してないじゃないか。
あとは数年前のチャーハンだけだ。
こりゃアカンわ。

よって、そのまた4日後、
のみとも・M鷹サンを誘って再訪の巻であった。
しかしながらこの際もやはりビールと餃子。
ほかには辛うじてレバニラ炒めを味わったにすぎない。
未だラーメンもタンメンも焼きそばも、その味を知らない。
何のこたあない、
餃子をぎょうさん食べただけのハナシであります。

=おしまい=

「亀戸ぎょうざ 大島店」
 東京都江東区大島4-8-9
 03-5628-0871

2016年2月3日水曜日

第1287話  餃子をぎょうさん食べました(その3)

江東区・亀戸ではその名を知られた「亀戸ぎょうざ」、
その大島店にやって来た。
カウンターの左端に陣を取り、お運びのオバちゃんに
ビールの大瓶(550円)をお願いした。
 
卓上のメニュースタンドを手に取ると、
真っ先に目に飛び込んでくるのは
 
ぎょうざ(1皿5ヶ)・・・250円
 
この赤字であった。
本店だと黙っていても2皿がコンパルゾリー。
いわゆるオッツケである。
そりゃそうだろう、
ほかに食べるものは何にもないんだから文句は言えない。
 
比較的小ぶりの餃子につき、2皿10ヶは苦もなくいただける。
いただけるが入店したら強制的に2皿となると、
何となくプレッシャーを感ずるのも事実だ。
殊に餃子よりもビールのほうに軸足を置くものにとっては
1皿で済ませられれば自ずと心に余裕が生まれる。
余裕が生まれることによって
ビールも餃子も格段に美味しくなってくる。
大事なんだな、これが。
 
本店と違い、そこそこメニューの幅を拡げてくれている大島店。
メニュースタンドにあるがままを紹介しよう。
 
醤油ラーメン・・・450円
塩ラーメン・・・450円
味噌ラーメン・・・550円
タンメン・・・550円
モヤシそば・・・550円
チャーシューメン・・・650円
ソース焼きそば・・・600円
かた焼きそば・・・650円
野菜炒め・・・550円
レバニラ炒め・・・550円
ニクニラ炒め・・・550円
チャーハン・・・550円
 
けして品揃えが豊富とは言えない。
麺類以外は飯類としてチャーハン、
あとは炒めものが3種だけ。
この手の店にありがちな焼売や麻婆豆腐の影すらない。
それでも餃子一本やりの本店に比べればナンボかマシだ。
 
サービスの突き出しのモヤシ(これが旨い!)で
ビールを楽しんでいると、
1皿だけお願いした餃子が焼き上がった。
それぞれ分離していて食べやすい
薄い皮になめらかな餡、
ハッキリ言って本店よりすばらしい。
 
=つづく=

2016年2月2日火曜日

第1286話 餃子をぎょうさん食べました (その2)

都営バスをJR亀戸駅前で下車し、
明治通りを南へ歩く。

 ♪  小ぬか雨降る 御堂筋
  こころ変わりな 夜の雨
  あなた・・・ あなたは何処よ
  あなたをたずねて 南へ歩く  ♪
       (作詞:林春生)

欧陽菲菲(オウヤン・フイフイ)の日本でのデビュー曲、
「雨の御堂筋」は1971年のリリース。
作曲はあのベンチャーズだ。
作詞の故・林春生サンとは一度、
ゴルフ・コンペで一緒にラウンドしたことがある。
彼が亡くなるホンのちょっと前だった。

菲菲は恋人をたずねて大阪の御堂筋を南へ歩いたが
J.C.は餃子をたずねて東京の明治通りを南へ歩いている。
歩いているうちにノドの渇きを覚えたのだった。
喫茶店かコーヒーショップに飛び込んで
レモンスカッシュやアイスコーヒーで収まるものなら収めたい。

ところがことはそう簡単ではない。
ここは焼き立ての焼き餃子とよく冷えたビールであろうヨ。
となれば、買い物は後回しになるのが必至だ。
テヘッ、”昼食”というより”昼酌”だネ、こりゃ。

亀戸から明治通りを下り、
西大島で新大橋通りとぶつかる交差点を左折して
大島駅方面に進むこと3分、酒場「ゑびす」の袖看板が見えてきた。
その隣り、いや、あいだに1軒はさんでたかな?
とにかくその辺りに「亀戸ぎょうざ 大島店」がある。
およそ3年半ぶりの再訪であった。

前回は隣りの大衆酒場「ゑびす」で飲んだあとに立ち寄った。
餃子とチャーハンでビールを飲み直した。
今回は昼めしだがラーメン・餃子とはならない。
前述した通りにビール・餃子である。

ちなみに「亀戸ぎょうざ」本店のフードメニューは焼き餃子のみ。
ラーメンもなければチャーハンもない。
飲みものだって老酒(ラオチュウ)や
白乾(パイカル)などの中国酒だけだ。
いや、なぜか、デンキブランがあったなァ。
浅草でもないのにサ。

ところがここ大島店は麺類・飯類に加え、
ニラレバなどの一品料理も提供してくれる。
客としてはずっと使い勝手がよいことになる。
錦糸町店や両国店にもいえることで
亀戸本店だけが、かたくななのだ。

=つづく=

2016年2月1日月曜日

第1285話 餃子をぎょうさん食べました (その1)

新年早々、SMAP騒動やら琴奨菊の優勝やら
スポーツ紙はネタに不自由しなかった。
それでも買わなかった無精者が
昨日だけはコンビニに走りましたたネ。
いや、走りはしなかったけど、早足で歩いた日曜の朝でした。

後半2分、2点目を決められて
その後もいいようにボールを回され、シュートを打たれ、
温厚な性格のJ.C.もモロギレてプッツン。
よっぽどTVのスイッチもプッツンしようと思ったものの、
いやあ、プッツンしなくてホントによかったヨ。
あんな試合はそうそうないもん。

さて、あれは一カ月以上も前のこと。
朝刊にはさまれた広告チラシを何気なく手に取ると、
ある紳士服メーカーの1枚に目がとまった。
紳士服といってもスーツではなく、
カジュアルなジャケット、セーター、カーディガンの類いだ。

カラーはネイヴィーブルー系の濃紺が中心。
好みの色につき、つい誘われてしまったのだ。
ふむ、ふむ、店舗はどこにあるのかな・・・
ややっ、江東区・西大島じゃないの。
セーター1枚買うのにそんなとこまで行ってられんわ。
いえ、自宅からちと遠いという意味につき、
ベツに他意はないので近隣にお住いの方、お許しを―。

待てよ、西大島か・・・。
どこかへ出向くとなると必ずそのエリアの旨い店を
思い浮かべるのが習性となっているわが身。
当日も例外ではなかった。

沈思黙考すること数十秒。
よし、決めた、行ったろうじゃないか!
この時点では出発時間を決めてないから
昼めしか晩酌か定かではない。
よって脳裏に描いた店舗は2軒。
昼過ぎなら「亀戸ぎょうざ 大島店」、
夕刻の場合は大衆酒場「ゑびす」である。

結局、外出したのは正午を回ってからだ。
買い物と昼食、どっちを先に済ませるかが課題となった。
亀戸行きのバスに乗り、車中で考える。
考えたが結論が出ない。

JR総武線・亀戸駅から都営地下鉄新宿線・西大島駅までは
徒歩10分ちょっとである。
今度は歩きながら考えた。
歩いているうちにノドが渇きを訴え始めたじゃないの。
イブクロが飢えを主張する前にいつもノドが先行する。
困ったものよのぉ!。

=つづく=