2011年3月31日木曜日

第21話 この冬最後の牡蠣フライ

高校同期のO切クンに連れられていった神保町の「多幸八」。
これを「たこはち」と読む。
彼曰く、「ここのもつ焼きのタレが好きなんだよな」―である。
初めて訪れたのは7年前の夏のこと。
此度、悲劇のあった「九段会館」屋上の「ビアパーク」で
同期会を催したあと、飲み足りないので流れた。
彼は飲み始めるとハシゴをせずに済まぬ性分。
まっ、当方も負けず劣らずですけれど・・・。

以来、何回か利用している。
佳店に恵まれぬ九段・水道橋あたりで
うろうろしている際、神保町まで足を延ばして
ふらり立ち寄るには恰好のスポットなのだ。

ガラス戸を引いて敷居をまたぐと同時に
煙草の煙りの洗礼をを浴びた。
ここの店主はかなりのヘビースモーカー、
おまけに常連客らしき喫煙者のオバさんが
カウンターで独り酒である。
二人が競い合って火を点けるものだから
店内は夜霧にむせぶ港町さながらだ。

しかるにかつてスモーカーだったわが身、
自他ともに発煙させる紫煙渦巻く中で
さんざっぱら飲んできたから
このくらいのことでヘコタレはしない。
しないが、とてもノンスモーカーにすすめられる店ではない。

とまれ、さっそく定番のもつ焼きを注文する。
串は小ぶりながら5本で300円ポッキリ。
驚くなかれ、鶯谷「ささのや」の立ち食いより安い。
あちらは1本70円ですからネ。
さらにうれしいのは5本の部位が異なることだ。
当夜はタン・ハツ・レバ・ガツ・ナンコツの陣容であった。

これを頼むと必ずタレ焼きで出てくるが
はて、塩焼きも選べるのだろうか。
お願いすれば、対応してくれそうではある。
O切クンが推奨するだけあって
ここのタレは実に旨い、むか~しの味がする。
小学生の頃、父親にくっついて行って食べた、
浅草は「菊水」のそれによく似たタレなのである。
当面、塩でリクエストすることはあるまい。

もつを焼くのは女将サンの担当。
親父サンはもっぱら刺身を受け持つ。
ずっと親父に煙草を吸わせとくわけにもいかず、
何かもう1品と壁の品書きを見上げた。

春の彼岸を過ぎれば河豚はお終い、
牡蠣の終焉もすぐそこまで来ている。
食べられるのも今のうち、
それでは牡蠣フライとまいりましょう。
シーズン中、週に3度は食べる牡蠣である。
各種ミネラルが豊富で
とりわけ亜鉛は味覚の維持に必要不可欠、
普段から摂取を心がけているから渡りに舟だ。

大粒なのが4カン付けで登場した。
何もつけずにパクリとやると、なかなかの美味。
おそらく牡蠣フライはこれがこの冬最後となろう。
有終の美を飾ることができ、満足、まんぞく。

「多幸八」
 東京都千代田区神田神保町2-20-9
 03-3263-1568

2011年3月30日水曜日

第20話 色紙は大物揃い にせどろ千夜一夜 Vol.1

たった1枚の千円札で
べろべろになるほど飲める店がせんべろ酒場。
それでは1枚足した2千円で
どろどろに泥酔できる店を何と呼ぼう。
これは勝手ににせどろ酒場と名付けてみた。
当ブログにおけるシリーズ物の「にせどろ千夜一夜」。
その第1巻をお送りしたい。

東武伊勢崎線・北千住の1つ先に小菅という駅がある。
日本最大の刑事被告人収容施設、東京拘置所の所在地がここ。
3千人の収容が可能で死刑執行のための刑場も備えている。
入所したこともないし、面会に出向いたこともない。
何を好き好んでと思われるだろうが周囲を何度か散歩した。
駅の高架下にスーパーがあるほか、
拘置所に隣接して団地風のマンションが建っていた。
あとは飲食店がほんの数軒あるだけの町である。

小菅の1つ先が五反野駅。
都心から見て南の五反田に対する北の五反野である。
一駅離れるだけで拘置所の持つ、重苦しい雰囲気はない。
「せんべろ千夜一夜」で採りあげる店を物色するため、
毎週2回は都内の郊外区へも足を延ばしている。
埋もれた佳店の発掘にいそしんでいるのだ。

五反野駅のそばで遭遇したのが「駿河屋」。
店主が静岡出身と推察されるが定かではない。
店構えが相当にくたびれているが、こういうのはむしろ好き。
ただし、外観のスナップは貼付しない。
読者にドン引きされると、営業妨害になりかねないですから。

春は名のみの3月半ば、そう、震災の翌日だった。
店内には石油ストーブが赤々と燃えていた。
テーブルに着くやいなや、店内を見渡してしまう。

三和土の床に赤いビニール椅子

品書きとともに壁には数枚の色紙が貼られている。
北島三郎・里見浩太朗・天童よしみ・高見盛と、
なかなかの大物揃いである。
懐かしのWけんじと毒蝮三太夫もあった。

ビール大瓶 550円  日本酒1合瓶 350円
チューハイ・お湯割り 250円  
レモンハイ・お茶割り 300円

冷奴・目玉焼き 150円  湯豆腐・野菜炒め 400円
肉しょうが焼き・とんかつ 450円  まぐろぶつ 550円
焼きそば 350円  ラーメン 380円  かつ丼 650円

ビールと燗酒を飲り、つまみは野菜炒め。

薄手のとんかつに使えそうな豚肉入り

これが下世話な味でけっこうイケちゃうのだ。
中華メニューと定食類も豊富だが締めにはラーメンを。
昔の味はけっこうながら麺があまりにもヤワヤワ。
老夫婦お二人の切盛りにつき、これは仕方がない。
自分たちの歯が立たないモンを客には出せません。

味にはあまり期待をせずに
懐かしの昭和を体験することが何よりも肝要。
若者の姿はついぞ見掛けぬものの、
孤独なオジさんたちがポツリポツリと飲みに現れる。

「駿河屋」
 東京都足立区西綾瀬2-23-20
 03-3849-5379

2011年3月29日火曜日

第19話 シューズを脱いで食べる鮨

赤坂・・・ といっても最寄り駅は溜池山王だが
その地に評判のよい鮨屋があるという。
で、行ってみる気になった。
ウワサを耳にはさんでからずいぶん日が経って
やっとこサ、重い腰を上げた次第である。
ずっと逡巡していたのには理由がある。
この店、靴を脱いでつけ台に着くらしい。
これが引っ掛かった。

靴を脱ぐ鮨屋はほとんど記憶にない。
すぐに思い浮かぶのは
浅草ビューホテル脇の「すし游」くらいのものである。
お座敷天ぷらはよくあるけれど、
お座敷鮨ってのは何だかダサい気がしないでもない。

でも行った。
店の名は「寿し処 寿々」。
「すしどころ すず」と読む。
靴を脱ぐのは覚悟のうえでも、つけ台に座るときが厄介。
椅子の代わりに座布団を引き、
隣りに気を使いながら両足を滑り込ませるのだが
身体の固い御仁、それも平均体重を大幅に上回る御仁は
うしろにゴロンとひっくり返らぬように要注意。
先斗町の御茶屋ならまだしも、
鮨屋でこのスタイルはけっして粋とは言えない。

さっそくアサヒの生を小さなグラスで2杯。
身体の冷える冬場はともかく、
熱い夏にこのサイズでは飲んだ気がしないはずだ。
ビールのあとは鹿児島の芋焼酎・富乃宝山。
ロックで4~5杯は傾けたろうか。
この手の店では量が少ないからグラスがすぐ空になる。
いかん、いかん、なんだかイチャモンばかりつけている。

つまみは

北海道産の大ぶりな白魚 
皮はぎ刺し w/肝醤油
かつお刺し w/にんにく醤油

3点すべてが二重丸であった。
ダメ元でかつおには生にんにくのスライスを
お願いしてみたがやはりダメ。
「にんにくがお好きなんですね」―そうつぶやいた親方が
にんにく醤油を添えてくれたのには深く感謝。

にぎりに移行して

平目・*キス昆布〆・小肌・生とり貝・
〆さば・煮はまぐり・焼き穴子・煮穴子・
*赤身づけ・*玉子

以上10カンのうち、*ジルシが特筆モノである。
肉厚で弾力に長けたキスがよい。
キメこまやかなテクスチャーを持つ赤身がよい。
「文明堂」も真っ青のカステラ状玉子がよい。

玉子は出汁巻きではなく、
すり身入りのカステラタイプに如くはない。
これで甘口の日本酒を上燗で飲ったら最高だ。
3時のおやつは「文明堂」だが
7時のつまみはお鮨屋だろう。

会計は2人で2万と6千円也。
CPはきわめて高いものがある。
いろいろ苦言を呈したけれど、、
また靴を脱ぎに行きたい気分であります。

「寿し処 寿々」
 東京都港区赤坂2-9-4
 03-3586-1010

2011年3月28日月曜日

第18話 秀子の愛したウズラ料理 (その2)


銀座コリドー街のミシュラン一つ星、
「ル・シズィエム・サンス」でのディナーは魚料理に進んだ。
食材はいつの間にやら
高級魚の仲間入りをはたしてしまったキンキである。
フランス料理店でキンキはお初にお目にかかる。
英米人と違い、仏人は珍魚を好んで食するが
彼の地でキンキを見たことはない。
ラスカス(鬼カサゴ)やロッテ(鮟鱇)は何度も食べたのに。

皮目も美しいキンキのポワレ

一夜干しと煮付けには定評があるが
ポワレもまたけっこうであった。

いよいよ当夜の主役たちが登場。
S木シェフ、渾身のジビエ3連発は
ウズラ・山しぎ・猪の揃い踏みだ。
それぞれ2人前ずつお願いし、6人で分け合った。

合わせた赤ワインはクロ・ド・ヴージョ ポール・ミセ ’96年
ポマール・キュヴェ・シロ・ショードロン J・C・ボワゼ ’88年
バローロ・グラン・ブッシア アルド・コンテルノ ’96年
そうそうたる顔ぶれで、とりわけバローロが楽しみ。

目の前に運ばれた皿を順に紹介していこう。

猪バラ肉の赤ワイン煮パルマンティエ風

じゃが芋のパルマンティエ風同様に
オーヴンで蒸し焼きにされている。
けして悪くはないのだが煮込みにすると
素材の特質が茫洋となってもの足りなさが残る。

続いてはお待ちかね、
われらが秀子がこよなく愛した料理だ。

フォワグラを詰めたウズラのロースト

これこそウズラのイデコ・タカミネ風である。
冷製のテリーヌにせよ、温製のソテーにしろ、
フォワグラを単体で頼むことはないけれど、
これは別格、あれば避けては通れない。
ブラックトランペット茸が名脇役を務めている。

3皿のうち、もっともジビエらしいのはこれであろう。

ジビエの王者、山しぎのロースト

山しぎは仏語でベカスという。
1995年、ジャン=クロード・ヴリナ氏(この人もJ.C.)が
まだ健在だった「タイユヴァン」で子鳩のベカス風を味わい、
なぜか日本のすき焼きにも似た美味に
舌が鼓をポンと鳴らしたことがあった。

美味しさは甲乙つけがたくとも鳩と山しぎは別物。
野生の物は個体差が激しく、
殊に野うさぎや山しぎには顕著に表れる。
数年前に青山の「ローブリュー」で食べたベカスは
上野動物園のサル山とまったく同じ匂いがしたものだ。
当夜のベカスは大当たりで一同満面の笑みとなった。
僥倖というべし。

気分がよいから普段は食べないデセールを完食する。

ルバーブが主役のデセール

レモン&ルバーブのガトーと苺&ルバーブのソルベ。
あいや、ちょいと待て、完食したのではなく、
半分は誰か甘党にゆずり渡したのかもしれない。
恥ずかしながら、いささか記憶が曖昧だ。
ああ、われ今宵もまた酩酊せしかな。

「ル・シズィエム・サンス」
  東京都中央区銀座6-2-10
  03-3575-2767

2011年3月25日金曜日

第17話 秀子の愛したウズラ料理 (その1)

1955年3月26日。
西銀座の「レストラン・シド」では女優・高峰秀子と
脚本家・松山善三の結婚披露宴がとり行われていた。
「シド」は伝説のフランス料理店である。

余談だが当世では西銀座の呼称が死語となって
めったに使われることがなくなった。
1957年に地下鉄丸の内線・西銀座駅が開業している。
このことから辺り一帯が西銀座と呼ばれていたことが判る。
フランク永井の「西銀座駅前」は開業翌年のヒット曲だ。
東京オリンピックの年、
1964年に日比谷線が通り、駅名が両線とも銀座となる。
皮肉なもので丸の内線・西銀座駅の消滅と同時に
日比谷線・東銀座駅が誕生しているのだ。

秀子サンの披露宴に話を戻そう。
宴のメインディッシュは花嫁のお気に入り、
フォワグラを詰めたウズラのローストであった。
半世紀を経た現在でも人気の高い料理である。
仔羊肉のパイ包み焼きをマリア・カラス風と称するが
誰かあの料理をウズラのイデコ・タカミネ風と
名づけてくれないものだろうか。
仏語でHは無音につき、ヒデコではなくイデコになる。

誰も名づけないから自分でやるしかない。
とある2月の夕べ。
ウズラのイデコ・タカミネ風と出会う機会に恵まれた。
店は西銀座のフランス料理店、
「ル・シズィエム・サンス」である。
その昔、「レストラン・シド」があった場所にほど近い。
食いしん坊集団、「SKYAMKO」の定例会であった。

地下のVIPルームに6人が集い、
晩餐はアミューズの、のれそれのフリットで始まった。
のれそれは穴子の稚魚のこと。

アミューズにとどまらぬ存在感

そう、この店に来たら最期、体重の増加を避けられない。
ついついパンにも手が出てしまう。

3種のパンには有塩・無塩の2種のバター

皿数が多いうえに個々のボリュームもあって
過食は必至と相成るのである。

コースは快調に進んでいった。

ウニのクリームとトコブシのジュレ

ジュレの上にはキャヴィア・鮑・海胆のトッピング。

リードヴォーを添えた緑色野菜のポタージュ

香草の下にはフカヒレや若鶏胸肉が潜んでいた。

上記までがアントレを形成する集団とみてよかろう。
お次は魚料理の出番である。

=つづく=

2011年3月24日木曜日

第16話 韓国映画を2本観た (その2)

「戦火の中へ」を観た翌々週、
同じく井筒監督絶賛の「悪魔を見た」を観た。
大震災の数日後のことで前日にも出掛けたのだが
計画停電のせいか休館のため、出直した。

有楽町も銀座も心なしか暗く沈んでいた。
街に無言のレクイエムが流れているかのようだ。
平日12時半の上映に訪れた客はたったの13人。
震災以来、人が集まるのはスーパーとコンビニだけ、
それが哀しい。

予告編のあとに本編が始まった。
ほどなくバイオレンス・シーンの火ぶたが切って落とされる。
”静”から”動”へ画面を瞬時に切り替え、
音声のボリュームも最大限に上げて
観客の心臓を直撃する手法に新鮮味はないが
観ている者は確実に驚かされる。

それにしてもいきなり若い女性の頭を
金づちや水道管?のようなもんで
ボコボコぶったたく”悪魔”の残虐さは観ていて不快だ。
もうちょっとやり様があるだろに。
サイコ・キラーの所業といえばそれまでだけど、
そのワリには惨殺する際の精神的な高揚感や
恍惚感がちっとも伝わってこず、
動機付けが浅薄にすぎて必然性も欠落している。

気になるのは片腕を骨折したうえに
アキレス腱を損傷した”悪魔”が暴れること、強いこと、
普通はこんなんあり得んでしょう。
何かというとすぐにナイフで
全編に流れる血は半端な量じゃない。
不朽の名作、「羊たちの沈黙」を連想させもするが
完成度ではずいぶん見劣りがする。
トータルで評価すれば、いいデキながら
井筒のオッチャン、いくらなんでもほめすぎや。

とは言え、この映画のおかげで
韓国人と日本人の彼我の差をとことん思い知らされた。
サッカーの日韓戦を観るたびに思うのだが
彼らのガッツと粘りには、ただ、ただ目を見張るばかり。
以前、Qさんコラムの「食べる歓び」でも指摘した通り、
これには徴兵制の有無が多分に影響していよう。

加えて食いモンの違いも見落とせない。
キムチ・プルコギ・チゲ・ビビンパ、
常日頃からああいうモンを積極的に摂取していると
流血に絶えうる精神と肉体が育成されるらしい。
同じ豆腐を食べるにしてもスンドゥブチゲと湯豆腐じゃ、
精のつき方がまったく違う。
こりゃあ、ハナから勝負にならんわ。

2011年3月23日水曜日

第15話 韓国映画を2本観た (その1)

今日は映画ネタでいってみます。
それもめったに観ない韓国映画で。

TVと映画は異なれども、
とにかくただの一度も韓流ドラマを観たことのない身、
それがどういう風の吹き回しかというと、
動機はすべて井筒のオッチャンなのでした。
井筒和幸監督による「週刊現代」の連載コラム、
「今週の映画監督」で、彼が絶賛していた作品を
2本立て続けに観に行ったのでありました。

機会を与えてくれたというか、
キッカケを作ってくれたというか、
ここはひとまず監督に感謝の意を表したい。

過去において観た韓国映画はホンの数本。
「オールド・ボーイ」、「シルミド」、
「私の頭の中の消しゴム」、
パッと思い出せるのはこの3本のみだ。
苦手な理由は俳優の名前がゴッチャになって覚えきれず、
区別がつかないところにもある。

その点、フランス映画はいいですな。
アラン・ドロンにジャン=ポール・ベルモンド、
一目、一耳でピシッと記憶装置にインプットされる。
そんなJ.C.ではあるが、
女性歌手のケイ・ウンスクとキム・ヨンジャは
はっきり識別できている。
男性のチョー・ヨンピルだって
ちゃんと名前と顔が一致しているのだ。
なあ~んだ、けっこう判ってるじゃん。
でも結局は薬局、認識もそこまで。
役者サンとなると、もうあきまへんのや。

で、行ってみました有楽町へ。
まずは朝鮮戦争開戦時にまつわる「戦火の中へ」である。
史実に基づくストーリーは確かに迫力じゅうぶん、
てェした作品に仕上がってはいた。
ただ、登場人物の造形がきわめて類型的にして
ラストも現実感に乏しく、戦争活劇に成り下がっていた。
かつては一世を風靡した東映の仁侠映画さながらで
ヒーローに全然弾が当たらないというのも何だかなァ。
好みを言わせてもらえれば、
金日成暗殺のために仕立てられた特殊部隊を描く、
「シルミド」のほうが好きだし、凄みや深みをより感じた。

それでも井筒のオッチャンが指摘する通り、
今の日本映画が逆立ちしたってマネのできない、
壮大な戦争スペクタクルは一見の価値あり。
国家を挙げて映画作りをサポートするお国柄には
日本政府も学ぶところ多かりし、である。

=つづく=

2011年3月22日火曜日

第14話 決勝戦の夜 (その2)

伊勢佐木町の酒場「長八」に来ている。
ポテトサラダでビールを飲みながら
数枚のメニューを吟味していて目にしたのがこれだ。

 =今月のサービスコース=
           御一人様 2800円
  御料理
   一、小鉢
   一、刺身
   一、湯豆腐
   一、いかフライと串かつ

  御飲み物は二時間迄
  八海山・久保田千寿・生酒を除き
  何でも飲み放題です

ふ~む、呑ん兵衛にはたまらん趣向じゃないか。
日本酒党は舌なめずりをするだろう。
飲むだけで元が取れちゃいそうでもある。
しかるに今宵はアジアカップの決勝戦が控えているので
酒量は極力抑えなければならない。
肝心の試合中にうたた寝でもしたひにゃ、エラいこっちゃ。
〆さばでビールをもう1本飲んで宿に引き上げた。

ホテルの自販機で買った缶チューハイをやりながらTV観戦。
昼間のうちに仕入れておいた「三貴屋製パン」の
野菜サンドとメンチドッグはハーフタイムに食べた。
試合の結果は周知の通り、李忠成のボレーで決着だ。
振り返れば、ずいぶん昔のことのように思える。
震災に襲われる前の平和な日々は帰らざる日々、
時間を巻き戻せるものなら、そうしたい。

勝利の一夜が明けてスッキリと目覚めた。
朝の散歩がてらに再びよこはまばし商店街へ出向く。
中華街から離れていても中華の惣菜屋があった。
売り子の顔と商品のイメージがピッタリ

豚足でも買おうと思ったが荷物になるのでやめた。

昼めしは横浜名物というか、
神奈川県の誇るB級ご当地グルメ、生馬麺にした。
生き馬の麺と書いてサンマーメンと読む。
たまたま見つけた「大沢屋」という店のたたずまいに
ここなら大丈夫という確信を得たからだ。

これが正統派の生馬麺

口当たりのやさしいスープは化学調味料控えめ。
シコシコでノビにくい細打ち麺も歯ざわりよし。

横浜のラーメンというと、
”家系”ばかりが大手を振って歩いているが
あんなケモノ臭いギトギト麺よりも、
生馬麺のスッキリ感こそがこの地の王道なのだ。


「三貴屋製パン」
 神奈川県横浜市南区中村町3-200-2
 045-251-9602

「長八」
 神奈川県横浜市中区吉田町2-2
 045-252-7216

「大沢屋」
 神奈川県横浜市中区若葉町3-57
 045-251-4257

2011年3月21日月曜日

第13話 決勝戦の夜 (その1)

横浜は伊勢佐木町の「龍鳳」にて春節の会食を終えた。
あとは日暮れまで界隈を散策し、
暗くなったら身の落ち着き先を探すまでのことだ。

よこはまばしの商店街を突っ切って
時の流れから取り残された一郭に足を踏み入れる。

横浜にも「三丁目の夕日」があった

こんな光景は東京の下町でもトンと見られなくなった。
写真左側の「池田屋」は、しがない(失礼!)町の惣菜屋、
主力商品は天ぷらである。
昭和30年代は町内のあちらこちらに
揚げ立ての天ぷらを商う店が見られたものだ。

古びたこのストリートの名は八幡通り商栄会。
往時は夕方ともなれば、夕餉の支度に追われる主婦が
道の両側にあふれたことだろう。
それが今は哀しいかな、通りすがる人影もまばらだ。

ここでいきなり歴史を感じさせるパン屋に出食わした。

出会ってうれしい「三貴屋製パン」

散歩の途中でこんなのにブチ当たってご覧なさいヨ、
真っ当な神経の持ち主ならノスタルジーに溺れること必至。
迷わず入店したことは言うまでもない。
しかもこの日の深夜にはアジアカップの決勝戦が控えている。
どこぞで飲んで帰宿しても腹が空くに決まってる。
備えあれば憂いなし、野菜サンドとメンチドッグを購入した。

そこから坂を上って山手づたいに外人墓地に至り、
元町からチャイナタウンを抜けてホテルにチェックイン。
シャワーを浴び、ベッドに横たわるヒマもあらばこそ、
再び伊勢佐木町方面に舞い戻った。

好きな野毛の町にシケ込む腹積もりも
その途中で「長八」なる居酒屋に気を惹かれた。
暖簾越しに店内を伺うと、
漂う雰囲気、客の出足、ともに悪くない。

こちらは少々迷うながらも結局は入店。
ビールとポテトサラダをお願いし、
あらためて現状の把握に努める。

ズラリ並んだ一升瓶

どうりで日本酒を飲んでる客が多いワケだ。
推し量るに一升瓶から飲んだ分だけ払うシステムらしい。

数枚の品書きが卓上に配備されている。
こういうものはすべて目を通さないと気が済まぬタチである。
おおっ! こんなのアリか? 驚きのリストを見つけた。

=つづく=

2011年3月18日金曜日

第12話 春節の午餐

かれこれ1月半も前のこと。
今は亡き個性的艶歌歌手・青江美奈の

♪ ドゥドゥビ ドゥビドゥビ ドゥビドゥバー ♪

そう、「伊勢佐木町ブルース」で
全国に一躍その名を知られた町に出向いた。
時は春節、いわゆるチャイニーズの旧正月である。
知人のT利夫妻に誘われて春節の午餐会に参加したのだ。

伊勢佐木町のメインストリートに面した建物の2階に
中国料理店「龍鳳」はあった。
2卓のラウンド付きテーブルに分かれて
着席したのはおよそ20名。
T利氏のお墨付きとあって参加者の期待は果てしなく大きい。

この時期にはまだ早かったが
何でも当店はどこぞに自前の竹林を保有しており、
そこで採れる新竹の子の料理が自慢だという。
中国料理屋で新竹の子にはお目にかかった記憶がないが
想像するに相応の美味ではなかろうか。

すぐに紹興酒に移行するものの、一同まずはビールで乾杯。
ほどなく運ばれた前菜は世にありがちな盛合せではなく、
すべて別盛りで登場した。

 くらげ  赤貝  香腸  鶏肝

といった面々だ。
天下の珍味というほどではなくとも水準はクリアしている。
店内の照明が暗く、写真はものにならなかったが
赤貝だけは何とか写ってくれた。

小粒な赤貝は瀬戸内産のサルボウ貝であろう

以後のいただきものは下記の通り。

 油淋鶏  冬瓜湯  ふきのとうの包み揚げ
 海老と金針菜の炒め  大根の貝柱射込み
 あいなめ酒蒸し  大根餅  干し海老炊込み飯
 豆乳プリン

ふきのとうと大根&貝柱が印象に残った。
他店では見掛けぬ独創性を評価したい。
いずれにせよ、春節にふさわしい和やかな午餐であった。

ほろ酔い気分でお開き。
この日の深夜はオーストラリア相手にアジアカップの決勝戦。
土曜ということもあって横浜に宿をとってある。
夜は夜で飲みに出るとして、それまで時間はあり余っている。
酔いざましに2~3時間の散歩を決め込んで
近所のよこはまばし商店街へと足を向けた。 

「龍鳳」
 神奈川県横浜市中区長者町7-112 伊勢佐木センタービル2F
 045-261-0308

2011年3月17日木曜日

第11話 米とサカナと放射能 (その2)

東京発の世界的株安の一環で
15日のニューヨーク・ダウは大幅に下げた。
16日の東京市場の上昇を見て
持ち直すかもしれないが、やはりそいつは望み薄。
海外の株安の原因が地震そのものよりも
福島第一原発が発する放射能にあるからだ。
この問題において欧米人は日本人よりずっと神経質だ。

大震災発生後、ほどなくして
欧米の友人から幾多のお見舞いメールが届いた。
彼らが一様に敬意を表するのは
災害時ににおける日本人の沈着さと自制心。
そして復興に向けるひたむきな姿勢だ。
欧米人には日本人の持つ、ある種のストイシズムが
武士道精神に重なって映るらしい。

ところがどっこい、こと原発事故となるとハナシが違う。
身に降る火の粉にもはや悠長なことは言ってられない。
各国政府は日本にいる自国民を何が何でも救わねばならぬ。
出国管理官ではないから正確な数字をつかめないが
日本脱出は深く静かに進んでいるようだ。

世界に冠たるエレクトロニクス大国日本の
技術力とノウハウをもってしても
制御不能に陥っている福島原発を目の当たりにして
明日はわが身の諸外国首脳が硬直するのはよく判る。
ドイツのメルケル首相の会見など如実にそれを示している。
日本でさえああいう状態ならウチはいったいどうなるの?
不安は果てしなく拡がるのだ。

メディアの一部がチェルノブイリの再来とあおるなか、
専門家の見方はおおかたそれに否定的。
知識に乏しいわれわれ素人は
素直にセンセイ方を信じるほかに手立てがない。
信ずる者が救われる保証はどこにもないのだけれど・・・。

それはさておき(さておけませんがネ)、
とまれ、昨日書いた通りに米はあっさり米屋で買えた。
次に回った魚屋でも米屋同様に在庫はじゅうぶん。
刺身だけでも真鯛・縞あじ・本まぐろ・
赤貝・真だこ・蛍いかの揃い踏みだ。
ここには常に酢〆があるのもうれしく、
昨夜は小あじ・小いわし・さばが居た。
縞あじ・小いわし・さばを少しずつ購入する。

オツリをくれながら店のオヤジがボヤいた。
「お客さんがみんなスーパーに流れちゃって、
こんなにサカナがあるのに普段よりヒマですヨ」
米にしろ、サカナにせよ、それ一本の専門店にゃ、
まだまだブツが残っているもんなんですネ。

世のオバタリアンよ、もうやめましょうや、
愚かな買占めなんて。

2011年3月16日水曜日

第10話 米とサカナと放射能 (その1)

ただ今、3月15日22時37分です。
6分前に静岡県東部で震度6強の地震が発生しました。
幸い津波の心配はありませんが軽度な余震を感じます。
三陸沖、長野北部に続き、
東日本に群発地震が来襲しているのでしょうか。

本日より「生きる歓び」を再開したいと思います。
とは言え、いまだ大震災のくびきから
逃れられるものではありません。
それは致し方のないことでしょう。
前途に苦難が待ち受けている避難民の方々には
申し訳ないと思いつつも前に向かって
足を一歩、踏み出すことに致します。

では、始めます。

今週のスケジュールがポッカリと空いている。
3夜を占めていた食事会・飲み会はすべてキャンセル、
あるいはリスケとなったためである。
さもあろう、いや、さもなければいけない。

でもって、今夜も明朝も自炊を決め込んだ。
となると、食材の調達にはしらなければならない。
まず米櫃が空っぽであることに気づいた。
(お櫃なんてないけど、言葉のアヤざんす)
もちろん、直近2食の酒肴・惣菜は必買アイテムである。

近所のスーパー(ここであの地震に遭遇した)へ
出掛けたのはどんより曇った夕暮れどき。
行ってみて呆気にとられた。
何せ、米がない、パンがない、麺がない。
ヘレン・ケラーの三重苦じゃないが、三重無である。
日本人は炭水化物が好きなんですねェ。
惜しくも米を買いそびれた客など、
イライラがつのって、もう喧嘩腰ですモン。

スーパーは都内を走る幹線道路に面している。
ふと、1本裏の通りに精米店があることを思い出した。
思い出したけれど、ただの一度も訪れていないから
こんな日に営業しているのか、
たとえ開けていてもはたして小売りをしてくれるのか、
まったくもって I really don't know.
とにもかくにも行ってみた。

するってえと、開けてビックリ玉手箱でござった。
あるわ、あるわ、多彩な精米が選び放題、買い放題。
コシヒカリはブランドの新潟産と隣県の栃木産。
原発事故が世界を震撼させた福島産ひとめぼれもあった。
選んだのは此度もっとも被害の大きかった宮城産ササニシキ。
1キロだろうが5キロだろうがキロ400円也を3キロ買った。
ささやかな協力(なってませんが)をしたかったし、
100%ササニシキなんて、ここしばらく口にしていない。

ササニシキは明朝あらためて炊き上げるとして
お次は晩酌のつまみである。
あらかじめ電話を入れ、営業を確認してある鮮魚店だ。

と、ここまで書いてNHKがニューヨークのダウ平均速報。
300ドルも下げてるじゃないか。
まっ、このハナシはまたアシタ。

=つづく=

2011年3月15日火曜日

残念でなりません

大地震発生から4日が経過しようとしています。
被災地ではいまだに救いの手が届かぬ方々が多数おられ、
報道にふれるたびに心が痛みます。

地震そのもののみならず、
二次災害の福島第一原発における燃料棒溶融も
世界中の耳目を集めています。
どうしてもチェルノブイリの悪夢を
人々の記憶が呼び起こしてしまうのです。

首都圏では計画停電に伴う鉄道の一部運休により、
正常な通勤・通学の足が奪われていますが
被災者の苦痛に比すれば、些少な不都合でありましょう。
今は一丸となって国民一人ひとりが
たとえささやかであろうとも
被災地のためにできることを成してゆくほかはありません。

それにしても数日前に
此度の前ぶれともいうべき前震に襲われながら
そし2004年末には
スマトラ沖地震の大津波を目撃していながら
その教訓を少しも生かせなった、無念です、残念です。

1960年に発生したチリ地震による津波でも
岩手県・大船渡市、宮城県・南三陸町(当時は志津川町)が
合わせて100名近い死者を出しています。
この世に神や仏が存在するとしたら
なぜにこのようなむごい仕打ちが繰り返されるのか?
天の所業に対しては、神も仏も無力なのか!
悲しみのあとから怒りがこみ上げてきます。

戦争を知らないわれわれの世代にとって
これほど多くの同胞をいちどきに
それも一瞬にして失ったことは初めての体験です。
一日も早く、一時もすみやかに
生存者の救出・保護が完遂されることを祈っています。

2011年3月11日14時46分。
あの瞬間の恐怖はこの目が見、この肌が感じ、
やがて深く悲しく、脳裏に刻み込まれました。
生きている限り、忘れられるものではありません。

あらためて犠牲者の方々に哀悼の意を捧げます。

2011年3月14日月曜日

ご冥福をお祈りいたします

未曾有の大惨事が東北地方を襲ってしまいました。
3日を経ようとする今も
寒さの中で余震に耐えながら
救助を待ち続ける被災者の方々のご辛苦は
いかばかりかと想像するにあまりあります。
本日は拙筆を控えさせていただき、
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

2011年3月11日金曜日

第9話 的矢の牡蠣に最敬礼!

牡蠣の季節も残りあとわずか。
季節が過ぎれば、半年近くのお別れだ。
自分の好きな食べものを思い浮かべると、
牡蠣は間違いなく3本の指に数えられる。

 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
                 (正岡子規)

 牡蠣食えば 喉が鳴るなり わが身かな
                 (J.C.オカザワ)

なのであります、いや、お粗末。

先の土・日は2日間連続の散歩日和。
昨夏の猛暑がウソみたいなこの冬には
貴重な天の恵みであった。
武蔵野のはずれに遊んだのは土曜日。
翌日曜は谷根千をひとめぐりして駒込から白山を周回。
途中で沈丁花の香りを幾度もかいだ。
多少の寒気がぶり返してこようとも、もう春なのだ。
木々が芽吹き花開き、山菜が出回るようになると、
やがて牡蠣が別れを告げる時が来る。

白山の坂を下り、小石川に差し掛かって
「クイーンズ伊勢丹」の前に出た。
散歩の途中、スーパーマーケットに出くわすと、
店内を徘徊することが多い。
鮮魚・精肉・青果の三鮮売り場を見て回るのだ。

この日も迷わず入店。
そして思いも掛けぬうれしい出会いがあった。
まずはご覧あれ。

5粒入りで798円也

道東・三陸・瀬戸内と、牡蠣の名産地は数あれど、
J.C.がこよなく愛するのは三重県・的矢の産である。
牡蠣においては濃厚クリーミーよりも淡麗フレッシュが好み。
ここであったが百年目、小躍りして買い求める。
この出会いにより、本日の夕食は自宅に決定。
ほどよく肉割れした肌が輝くバチまぐろの赤身も買った。

せっかくの生食用牡蠣だから生でいただく。
と言っても、このまま生で食するのは愚の骨頂。
ふたたびご覧あれ。

汚れやあぶくが見えるでしょう?

これをザルにあけ、まんべんなく振り塩を施す。
すばやく強く小刻みにザルを横振りすると
灰色に濁ったアクが次から次と出るわ出るわ、
あまりの光景に初めての人は言葉を失うだろう。

あえてそのアクをお目に掛けることは慎むが
みたびご覧あれ。

塩振り後に水洗いして水気を切った牡蠣

汚れを落とされ、塩で〆られ、
プルルンと張りつめた柔肌の美しさ。

 やは肌の あつき血汐にふれも見で
       さびしからずや 焼いて食う君

1粒はそのまま、次の2粒にはレモンを搾り、
最後の2粒は甘酢を作って酢がきにしてみた。
これには手製の山わさび醤油漬をあしらったりもして。
このようにして文字通り手塩に掛けてやらなければ
牡蠣は旨みを閉じてしまい、その本領を発揮してくれない。
それにしてもすばらしすぎる的矢の牡蠣に
あらためて最敬礼!

「クイーンズ伊勢丹 小石川店」
 東京都文京区小石川1-17-1
 03-5840-6231

2011年3月10日木曜日

第8話 昼も夜も西荻で (その2)

夕刻には再び西荻に舞い戻った。
そろそろ夜の部のご開帳である。
昼のワンタンメンのおかげでノドも渇いているしね。
たとえスープを半分残しても
中華麺を食べたあとはやたらにノドが渇くものだ。

時刻は17時にあとしばらく。
漠然と目星をつけていたのは風情ある酒場「千鳥」。
この店のカウンターに陣を取って酒盃を重ねていると
下町で飲んでいるような錯覚にとらわれる。
西荻に限らず、中央線沿線では稀少な存在だ。

ちょいと早いかなと思いつつも
店先に歩みを運ぶと、この日は定休日。
日曜定休だが月に一度だけ第1土曜を休むのだ。

仕方なく近所の「戎本店」に流れた。
この店は西荻のランドマークながら
評価はさほど高くはない。
されど良心的な価格設定には敬意を表している。
あたり一帯を徐々に侵食していったのだろう、
線路脇の細い路地の両側をいくつかの店舗が
乱立して終戦直後のヤミ市さながらである。
縄張りを広げるやくざのごとしと言ったら言い過ぎか。

かと言ってけして嫌いな店ではない。
ずっと居座るのはイヤだがサクッとやるにはじゅうぶん。
とまれ、場末の酒場でやろうが銀座のバーでいただこうが
キリンはキリン、サッポロはサッポロだ。

というワケで、スッと入り、サッと出たアサヒを
グッと飲み干した。
クッ、ク~ッ、うっ、うまい!
こういった気取らない店のビールは常に大瓶。
これがよい。
割安感もさることながら、
中瓶だとすぐに追加となってわずらわしい。
だからと、いきなり2本頼む独り客はおるまい。

つまみは珍しいサカナの刺身。

これはいったい何でしょう?

深紅の血合いが特徴的なこのサカナはボラ。
旨くはないが不味くもない。
ボラと助宗ダラは腹に抱える真子にこそ価値がある。

2軒目は北口の「西荻スイッチ」。
女性が2人(?)で営むバルだ。
出来るつまみは素人料理に過ぎないが
気の置けないのんびりムードが悪くない。
にんにくを利かせた小海老のオリーヴ油煮、
ガンバス・アル・アヒーヨでスペインの赤、ユゴをやる。

名食堂「坂本屋」でかつ丼のアタマだけをもらい、
ビールの飲み直しとも思ったが
このところ昼しか開けていない。
去年の今頃は長期休業していたし、
東京のかつ丼御三家の一角が崩れでもしたら
由々しき問題で、それこそ西荻の一大事。
早いとこ正常営業に戻ってほしい。

「戎本店」
 東京都杉並区西荻南3-11-5
 03-3331-9414

「西荻スイッチ」
 東京都杉並区西荻北3-22-17
 03-6931-6209

2011年3月9日水曜日

第7話 昼も夜も西荻で (その1)

天候に恵まれた先の土曜日のことである。
タンメンに狙いを定めた西荻南口の「はつね」は
長い行列に怖気づいて断念、これは昨日記した。
それではと北口に移動して「支那そば いしはら」へ。
店主は浜田山の名店「たんたん亭」の創業者だ。
後進に道を譲ったあとは
その真ん前で和食店を営んでいたはずだが
数年前にそちらをたたみ、
この支那そば屋を開いたのである。

むろん「たんたん亭」名物のワンタンメンがここにもある。
てるてる坊主みたいに丸っこいワンタンが
肉・海老・ミックスと3種類揃うところも同じだ。
肉と海老が2つずつ入ったミックスを所望した。
これが1000円ちょうど。
他者のブログ等では海老ワンタンの食感が悪く、
「たんたん亭」のほうが上とみなす声が散見されるが
実際に食してそうは思わなかった。
ウインナーソーセージにあら挽き・ほそ挽きがあるごとく、
「いしはら」の海老はほそ挽きを施されているのだ。
あら挽きが好まれるここ四半世紀ながら
キメ細やかでじゅうぶんに美味しかった。

壁の品書きには麺類以外の料理が並んでいる。
軽いつまみにとどまらず、自家製甘鯛の一夜干しや
和牛みすじのステーキまであった。
この日の夜、舞い戻ってガラス戸越しにチラリとのぞいたら
晩酌を楽しむ近隣の常連客が何人かみとめられた。

食後は東京女子大前のパティスリー「アテスウェイ」へ。
西荻で3本の指に入る有名店はケーキとパンの二刀流。
時刻は午後1時で訪れる客が引きも切らず、
人気の高さをうかがわせる。
女性のみならず、男性客が多いのは意外だった。
値段が値段だからか、東京女子大生は皆無。
このお店、彼女たちには高嶺の花かもしれない。
と思ったものの、今日は土曜であった。
登校する学生はほとんどいないやね。

レギュラー、バターたっぷりと、
2種類あるクロワッサンからバターたっぷりを1つ購入。
具だくさんで生地が分厚い角切りのピザも1枚。
翌日食べたらクロワッサンはなかなかのデキ。
ピザも食べ出だけはあったけれど、
具のじゃが芋が食感を損ねて残念。
どうやら「アテスウェイ」の人気はパン系ではなく、
洋菓子にありそうだ。

青山学院大のすぐそばに
「アテスエ」なる古いフランス料理店があった。
好きな店だったが昨年末に閉店してしまった。
「アテスエ」も「アテスウェイ」も意味は同じ。
「お会いできてうれしい」という仏語だ。
だけれども「アテスエ」にはもう会えない。

=つづく=

「支那そば いしはら」
 東京都杉並区西荻北3-22-22
 03-3395-8450

「アテスウェイ」
 東京都武蔵野市吉祥寺東町3-8-8
 0422-29-0888

2011年3月8日火曜日

第6話 花は香りて鳥は遊ぶ

毎年この季節には大きな楽しみがある。
家々の庭から流れ来る沈丁花の香りをかぐことだ。
沈丁花はジンチョウゲと読まれるが
チンチョウゲも正しく、このほうがずっと耳にやさしい。
”ジ”と”チ”の一文字違いでこうも印象が変わるものか。

40年も前、大橋巨泉が司会のTV番組、
「お笑い頭の体操」でオヒョイこと藤村俊二が
1字違いの大違いを披露する設問にこう応えた。
 世の中は”シ”の字と”ス”の字の違いにて
 武士は日本の鑑(かがみ)、ブスは日本の恥
これには腹を抱えて笑ったね、いや、アッパレ。

例年、沈丁花の”かぎ初め”は2月下旬。
今年は気候のせいもあり、
その時期に長距離散歩の機会なく、
とうとう、かがずに3月を迎えてしまったが
先の土・日は久々に散歩日和であった。
陽光うららかにして吹く風もおだやか。
こんな日に家でくすぶっていてはお天道様に申し訳ない。

土曜の朝、向かったのは気に入りタウンの西荻。
駅南口の「はつね」で名物のタンメンを
昼めしとする腹積もりだったのだ。
ところが長蛇の列に心がくじけ、夢はもろくも砕け散る。
 夢破れて山河あり 障子破れてサンがあり
まっ、この日の飲み食いに関しては明日に回す。

仕方なく代替店で腹ごしらえのあと、
地元で絶大な人気を誇るパティスリーを訪なう。
店は東京女子大の正面にあり、
継いで女子大の北に接する善福寺公園を散策。
池を2つも擁する公園は湧水に恵まれ、
近隣の人々が憩うにうってつけ。
ここで今年最初の沈丁花をかいだのだ。
多くの野鳥たちも目を楽しませ、心を和ませる。

さっそく足元に寄ってきたキジバトくん

番(つがい)でいることの多いキジバトがなぜか1羽。
しかも人をあまり怖れないのが不思議。
ユーモラスな姿のゴイサギも数羽飛来していたが
用心深く藪に潜んでサカナを待ち伏せ、
おいそれと被写体になってはくれない。

八幡神社から隣り町の荻窪へ抜ける道すがら
民家の樹木に花の蜜を吸う番いのメジロと遭遇、
僥倖なり。
ルートを変え、善福寺川沿いに再び西荻を目指した。
川面にはカルガモがのどかに遊んでいる。
するとオナガガモのファミリーまで現れた。
オナガガモは幼時から雌雄の違いが歴然で
ここがカルガモと大きく異なるところだ。
愛くるしいヒナたちにしばし時を忘れる。

日本人に生まれたからにゃ、無縁でいられぬ花鳥風月。
4時間にも及んだ散歩は”風月”に縁はなくとも
”花鳥”と接した貴重なひととき。
物の動・植を問わず、
生きとし生けるものとふれ合う歓びは
おのれもまた、生きもののはしくれであることを
あらためて実感させてくれもした。

2011年3月7日月曜日

第5話 季節外れのハロウィン (その2)

世にも不思議なパイン缶入り海老マヨに
意表を衝かれてしまったが
缶詰のパイナップルを初めて美味しく感じた。
奇抜な着想に敬意を表したい。
「味王 池袋店」の料理人は大したヤツである。

「池袋店」があるってことは、ほかにも「~店」があるハズ、
気さくな台湾人の女将に訊ねると案の定、
沼袋と中野にあり、すべて血縁でつながっているとのこと。
ただし去年たもとを分かち、独立採算制にシフトした。
おい、おい、そんなことまで訊いちゃいないのに
女将はどこまでも明け透けである。

メインディッシュをさらに1品所望する。
壁の貼り紙をジッと見つめていた相棒の発案は
その名も五目野菜のクレープ包み。
意外である、珍妙である、非台湾的ですらある。
台湾であろうと、中国本土であろうと、
中華料理にクレープなんかあったかい?
運ばれ来たる姿を見て得心がいった。

3点セットでクレープ包みが登場

なるほどネ。
なんのこたあない、北京ダック用の包餅(パオピン)だ。
肝心の五目野菜が見当たらないが容易に想像がつく。
玉子焼きの下に潜んでいるんだろう。
スプーンを入れてやって・・・・・・、ほうら現れた。

おや、ハロウィンのカボチャそっくりだ

まさしく季節外れのハロウィンである。
エッ、ちっともカボチャに見えないってか?
想像力がないなァ・・・・・・、じゃ、これでどうです?

ねっ、見えたでしょ?

四川味噌だれで両目を描き、
口にはご丁寧に歯まで入れてやる。
歯は海老マヨの海老に一役買ってもらった。
まっ、季節外れのハロウィンは自作自演でしたがね。

食べ方は北京ダックと大差ないが
たっぷりの五目野菜のおかげで中身はふくれあがる。
かぶりついていてデジャヴュにとらわれた。
はて、何だったかな?
おう、そうだ、いつかメキシコで食べたタコスじゃないか!
まぶたに浮かんだのはカリブ海に臨むカンクンの砂浜。
空を真っ赤に染めた朝焼けでありました。

「味王 池袋店」
 東京都豊島区2-57-10
 03-3980-5070

2011年3月4日金曜日

第4話 季節外れのハロウィン (その1)

池袋西口は高校時代になじんだエリア。
板橋・豊島両区の境目に位置する母校・板橋高校から
下校時に池袋まで歩いたものだが
西口一帯はそのルート上なのである。
界隈きっての遊び場だったロサ会館では
よくボーリングをした。
登校前の早朝割引を利用すると、
1ゲームがたったの100円だった。

池袋西口にめっぽう旨い台湾料理屋があると
聞きつけたのは2月中旬のこと。
東京の老舗台湾料理店となれば
西新宿「山珍居」と渋谷「麗郷」がすぐに思い浮かぶ。
そういやあ、ずいぶん台湾料理を食べてないなァ。

せっかくの情報を活かさぬ手はない。
1週間後には出掛けていった。
駅から10分近くは歩いたろうか、
ちょいと辺鄙(へんぴ)な場所にあり、
ブクロ通のJ.C.もさすがにこの辺りは不案内。
近所に「赤札堂」なんぞもあったりして
人の通りが絶えることなく、
それなりに飲食店が灯りを点している。

いかにも下世話な町の中華食堂といった店構えに
多少なりともたじろいたが、まっ、こんなものだろう。
気さくな女主人は日本語がペラペラだ。
愛想がよく親切にして丁寧。
概して中華民国の人のほうが
中華人民共和国の人より当たりがやわらかい。

台湾名物のしじみ醤油漬けでスタートする。

緑がかった殻が台湾蜆の特徴

サッと火を通したら、あとは醤油に漬け込むだけだから
ほとんどナマで貝の旨味がギュッと閉じ込められている。
こいつはいいや!

中華に行けば必ず頼むのが緑の葉野菜炒め。
今宵は空芯菜である。
鮮やかな緑がいかにも身体によさそう

このおかげで食物繊維とビタミンの摂取はバッチリだ。

情報源が推挙していた海老マヨをメインの第1皿に選ぶ。

ユニークな食感が舌に快感を呼ぶ

海老の下には缶詰のパイナップルが潜んでおり、
意外にも両者の相性は、バツ山グン子さん。
ヘェ~ッ、こいつは驚いた。
でも、驚くのはまだ早かった。
次にアッと驚くハロウィン現象が控えていたのである。

=つづく=

2011年3月3日木曜日

第3話 秀子を変えたにくい奴

昨日に引き続き、高峰秀子サンである。
どうもこの女(ひと)を語り始めるとハナシが長くなってしまう。
どうしてこんなに好きなのか?
いつから好きになったのか?
自分でもよう判りまへんのや。

女優としての彼女を初めて認識したのは
小学生校4、5年の頃だった。
当時、日本には高峰姓の女優さんが2人いて
三枝子サンはとても綺麗な人、
秀子サンはちょっと可愛いけれど、
町内に1人や2人はいそうな
ごく普通のオネエちゃんかオバちゃんというイメージ。
子ども心にそう思っていた。

秀子サンのファンになったのはここ10年ほどのこと。
それまでこの両眼は節穴同然だったのだ。
嘆くべし!
40歳を過ぎると永井荷風にのめり込むとよくいわれるが
はたして高峰秀子もそのクチなのだろうか。

昨日もふれた「わたしの渡世日記」は
上・下巻計52話からなるエッセイ集。
深く印象に残る話は枚挙にいとまがないが
その中に「にくい奴」と題された1篇がある。
肝の部分を引用したい。
長いので勝手に編集・要約してしまった。
ごめんネ、デコちゃん、許されよ。

 ある夜、豊田四郎演出の「小島の春」の試写室に
  もぐり込んだ私は一人の女優の演技に、
  思わず身を乗り出した。
 「小島の春」はハンセン病患者のために
 一生を捧げた女医の手記を映画化した作品であった。
 身を乗り出したのは主役の女医が陽光輝く山道を登り、
 あるハンセン病患者を訪ねる場面であった。
 醜く崩れた顔をさらしたくないためだろう、
 あくまでも女医に、つまりカメラに背を向けたまま、
 物干し竿から洗濯物をとり込む女の、
 その演技のずばぬけた上手さ、 巧みさ、素晴らしさ!・・・。
 私はうめいた。
 「これこそ演技だ!
 私が求めて見たこともなかった芝居がここにあった!・・・。
 こんな上手い俳優がこの世に居るとは知らなかった。
 チキショー、誰だお前は。
 いったい、どこのどいつなんだ!」

 それが杉村春子という名女優と私との出会いであった。
 私は彼女の演技に雷に打たれたようなショックを受けた。
 「同じ演技を売るなら、
   これほどの演技を売らなければ俳優ではない」
 と、私は思った。
 終始うしろ姿を見せながら、セリフだけで演技する、
 ニックキ杉村春子の姿が目に焼きついて離れなかった。
 胸にフツフツとファイトの煮えたぎるのを感じていた。
 と同時に、人間の背中にも「顔」のあることを私は知った。

偉大な女優が、のちのち偉大になる女優の眼を開かせる。
秀子は春子の背中を見て育ったのだ。

2011年3月2日水曜日

第2話 読書は楽し!

「本は10冊まとめて同時に読みなさい」――
こう啓蒙する「乱読のススメ」みたいな新刊本を
書店で見かけたのは3年ほど前だったろうか。
3、4冊ならともかく、10冊ともなれば
何が何だか判らなくなっちまうじゃないか。
ところが、くだんの本を読んでもいないのに
いつの頃からか同時進行の冊数が増え出した。

今、読みつつあるのは

 あの人この人         戸板康二
 堕落論             坂口安吾
 柳よ笑わせておくれ      川島雄三・柳沢類寿
 駅弁の丸かじり        東海林さだお
 ゴリオ爺さん           バルザック
 櫻川イワンの恋        三田完
 或る女              有島武郎
 小説 永井荷風         小島政二郎
 荷風の永代橋          草森紳一

10冊には届かずとも相当な乱読だ。
支離滅裂といってよい。
コント55号じゃないが、なんでそうなるの?
(古くてどうもスイマセン)

読み始めて2年経つのに遅々として進まないのまである。
「荷風の永代橋」がそれだ。
草森先生には申し訳ないが、そぎ落としがまったくなく、
冗長にすぎて疲れることはなはだしい。
長大なワーグナーの連作オペラ、
「ニーベルングの指輪」を観るより苦しい。

とは言っても読み物が傍らにあるのはいいものだ。
かの城山三郎翁も告白している。
「夜、読みたい本を手にして寝床にもぐり込む幸せよ」――
まさに読書は楽し!

先日、「わたしの渡世日記」を読了した。
愛する高峰秀子の代表作をやっと入手して読み終えたのだ。
あれほどの知性と筆力の持ち主だから
読み手に倦怠感の“ケ”の字も感じさせないのは立派。
さすがであった、巧みであった、何よりも楽しめた。
ただ、愛するがゆえに苦言を呈しておきたいこともある。

デコちゃん、自分に対する厳しい突き放しも
周囲への謙虚なへりくだりも、度を過ぎればイヤ味でっせ。
またあるときは、ひいきの引き倒しさながらに
ゆかりある文豪や巨匠に加え、
彼らの身内までほめそやすのも何だかなァ。

一例を引用すると

 文豪谷崎潤一郎にとって、私のような者は、正直いって
 「ちり、あくた」のような存在でしかなかったであろう。
 その私を、最後まで家族のように扱ってくれたのは、
 私がたまたま女優で、五年間、心魂かたむけた「細雪」の
 こいさんを演じたからこそ、ではなかったろうか・・・

するってえと、お前サンのファンやサポーターは
「ちり、あくた」を敬愛、恋慕していることになりやすぜ。
そりゃあんまりだ!

2011年3月1日火曜日

第1話 虎の模様のキスがいた

みなさん、おはようございます。
「生きる歓び」のスタートです。
Qさんサイトの「食べる歓び」同様に
月曜から金曜まで週5回更新しますので
おつき合いのほど、よろしくお願いいたします。

さて、このところ銀座の散歩、
俗にいう銀ブラが以前ほど楽しくなくなった。
なぜであろうか? 答えは簡単ですよ。
銀座の目抜き通りは中央通り(銀座通り)。
新橋から京橋まで南北に縦断している。
嘆かわしいことにこのストリート、
欧米のブランドショップだらけなのだ。
シャネルだ、ヴィトンだ、ブルガリだと、
ここはいったいどこの国?
ティファニーなんか2軒もあって
どうかしてるぜこの街は!

銀座は渋谷・新宿と違い、歩道が広いからとても歩きやすい。
だのに、ズラリと連なる店がファッション系ばかりでは
オジさんたちの気に染まらず、目の保養にすらなりゃしない。
週末の歩行者天国にしたってもはや新鮮味が薄れた。
トドのつまり、「ライオン」でビールを飲むか、
デパ地下を徘徊するほかはない。
若い頃、胸弾ませて訪れた街も今じゃ何だかなァ、なのだ。

鳴物入りで「三越 銀座店」がリニューアルオープンして半年。
オープン当初はあまりの人の多さに敬遠したが
ここ数ヶ月はちょくちょく出向くようになった。
スイーツと惣菜売り場にはいまだに客があふれ、
興味もないから遠巻きに眺めているが
そのぶん精肉・鮮魚売り場では買い物の機会が増えた。

2軒ある鮮魚店のうち、向かって左側の「吉川水産」は
意識的に珍魚を仕入れて客の目を楽しませてくれる。
柳の舞・ゴッコ・カジカ・浪人鯵・赤矢柄、
ヨソではなかなかお目に掛かれぬ連中が日替わりで並ぶ。

先日は珍しくも虎ギスに出会った。

体表に虎のような縞模様が・・・

天種に重用される白ギスよりも愛嬌のある面貌をしておる。
可愛い瞳の持ち主ながらこのトラちゃん、
性格は貪欲で蟹や海老を殻ごとバリバリ食べちゃうそうだ。
キスを名乗っていても実体はハゼの近縁種なのである。

1尾150円ほどだったか?
4尾買い求めたので2尾はその夜のうちに塩焼きにした。
残りは醤油と酒を同割りにしたところへ漬け込み、
翌日やはり焼いて食べた。
どちらも負けず劣らずの美味であった。
白ギスの天ぷらや昆布〆は大好きだが
焼くならトラちゃんが上かもしれない。
ただし、小骨が多くて硬くて半分お手上げ状態。
それが気になって仕方なく、口中の美味が長続きしない。

匂いを嗅ぎつけ、騒ぎ始めた愛猫におすそ分けするも
硬い骨は猫にとっても難攻不落であったらしい。
ちょいと突ついてすぐにソッポを向きやがった。
綺麗なバラには棘があり、旨いキスには骨がある。
猫もまたいだサカナは、もう買わないことにした。

「吉川水産 三越銀座店」
 東京都中央区銀座4-6-16 三越銀座店B3

 03-3564-9221