2016年11月30日水曜日

第1502話 流行り歌においてけぼり (その3)

  ♪    溢れる吐息の中で   
     舞い踊る女は
     刹那な出逢いのあとに
     消えてゆく

     夢のような言葉で
     口説いてたのに
     光るその肌は真夏に
     時折咲く夜が好き

     いつもは怯えたはずの
     淋しげな女も
     良くない誘いの罠に
     堕ちてゆく

     忍ぶようにお前を
     酔わせてたのは
     揺れるその胸の重さを
     この手で確かめたくて

     Woman I'm losin' you
     艶に賭けたマジなAction
     ああ いつになくやるせない
     波の音

     My Baby's gone
     Like a maniac
     My love
     Oh baby's gone
     Aphrodisiac
     My heart is blue
     Drive my Pontiac
     Tonight
     My heart is blue
     Insomniac      ♪

         (作詞:桑田佳祐)

サザン・ファンならいざ知らず、一般にはあまり馴染みのない、
「BLUE~こんな夜には踊れない」は
桑田佳祐のソロデビュー・アルバム、
「KEISUKE  KUWATA」(1988年)に収録されている。
英語詞部分の韻の踏み方がとても快く、
マイ・フェイヴァリット・ソングの一つだ。

殊に Aphrodisiac の一単語に気づいたことがすばらしい。
アフロディズィアックは名詞なら媚薬。
この場合は形容詞だから”性欲を催した”、
手っ取り早くいえば、”ヤりたくなった”という意味。
ネイティヴでも滅多に使わない、
というか、それなりの教養を必要とする語彙で
語源はギリシャ神話に登場する、
愛と美と性の女神・アフロディテであることは言うまでもない。

=つづく=

2016年11月29日火曜日

第1501話 流行り歌においてけぼり (その2)

今年の「紅白」は観ないだろうなァ。
いや、最後のほうだけチョコッと観るかなァ。
昨今は出場者の出演時間が判るから
聴きたい歌手だけマークすることにしようか。
石川さゆりと坂本冬美はカバーしておきたいし―。

おっと、サザンであった。
いろいろ聴きまくった結果、
好きな曲は1978年の彼らのデビュー以来、
最初の10年以内に収まることが判明した。

恒例のマイ・ベストテンを発表することにしましょう。
その前に思い出話を一くさり、お許し願いたい。
1978年、有楽町の免税店を辞めてしばらく、
学生時代に働いていたホテルに戻り、糊口をしのいでいた。

ただいま建て替え中の東京プリンスである。
最近、政活費問題で浮上している、
政治家の資金集めのためのパーティー。
この頃がその始まりで当該ホテルはその草分け的存在だ。

2千名以上の出席者が集まる大パーth-も少なくなく、
敷地の広さに恵まれた東プリは
「鳳凰の間」なる大宴会場を建設した。
当時、都内最大のパーティー会場といわれた。

政治家のパーティーじゃなかったと思うが
ある夜、余興のステージにサザンオールスターズが
突如として登場したのだった。
披露したのは「勝手にシンドバッド」。
初めて観るバンドの初めて聴くナンバー。
強く深く印象に残った。

こりゃトンデモない奴らが現れたもんだ!
しかも聴いたことのないサウンド。
歌詞までも突拍子がない。
大ブレイクの予感に満ち満ちたデビューだったネ、
いや、ジッサイ。

さっそくレコード屋に疾ってシングル盤を買おうとしたが
店のオジさん、チンプンカンプン。
在庫になくて、確か取り寄せを頼んだんじゃなかったか?

とにもかくにもわが人生において
TVじゃなく、ラジオでもなく、有線やレコードでもなく、
生で初めて出会ったミュージシャンは
サザンオールスターズの他には皆無なのである。

ということでお待たせしました、彼らのマイ・ベストテン!
とここまで綴って以下次話です。

=つづく=

2016年11月28日月曜日

第1500話 流行り歌においてけぼり(その1)

大阪在住の読者、らびちゃんじゃないけれど、
オカザワさんの聴いてる曲は古くてさっぱり判らん。
さすがに古臭くてとは言わなんだが―。
もちろんそんな声があることはじゅうぶんに承知。
こちとらにすれば最近の曲がちっとも判らん。
その裏返しなんだネ。

今年の「紅白」の出場者リストを見ていても
まるでチンプンカンプン。
当然、選択チャンネルはボクシングに向かうわなァ。
出場者といえば、白組の森進一が勇退、
紅組の和田アキ子は落選。
時はズンズン流れて行くものなのだ。

yutubeで
「JPOP ミリオンヒット ランキング150~1
 懐かしい気持ちにさせる名曲たち 」
というのを試聴してみた。
いや、愕然としやしたネ。
ほとんどが知らない曲、そしてプレイヤーなのだ。
88位に寺尾聡の「ルビーの指輪」、
13位にピンキラの「恋の季節」がランクインしていて
ちょいとばかりホッとした気分なりけり。

150曲は90年代の曲が中心。
タイトルに”懐かしい気持ちにさせる名曲たち”
とあるように現在の若者にとっては
すでに懐メロなんだが
それさえも新しすぎて判らぬわが身、
これってヤバくねェ?

そんな折、福島県在住のS森サンからのメール。

 先日ご紹介のあったサザンオールスターズ。
 「メリケン情緒は涙のカラー」が懐かしかったです。
 でも、子どもだったその頃より、
 私の世代はやはり「涙のキッス」や「真夏の果実」、
 そして「TSUNAMI」が心に残ります。
 J.C.さんは例えば、「いとしのエリー」など、
 スローなバラードはお嫌いなのですか?
             =以下略=

ふ~む、なるほど。
ご質問のおかげでわが半生を振り返ることとなった。
指摘されてみればそうかもしれない。

ことあるごとに好みの楽曲は
テンポの速いマイナーコードと言ったり書いたりしてきた。
アップテンポとスローバラードは相反するもんなァ。
とは言え、ここ数日間、
あらためてサザンをじっくりと聴き返したのでした。

=つづく=

2016年11月25日金曜日

第1499話 トランプタワーでトランプを (その2)

トランプに尻尾を振った”マリオ”だが
リオで稼いだ得点をニューヨークで吐き出した感あり。
ひいき目に見ても
オバマ現大統領と会ったメルケル女史に軍配でしょ。

オマケにドヤ顔で進めてきたロシアとの北方領土問題。
こちらにも暗雲が立ち込め始めた。
ハッキリ言ってしたたかなプーチンに虚仮(こけ)にされている。
これにはウチの愛猫・プーチン、もとい、
プッチも嘆いて、再びもとい、ニャげいている。

 ♪   あの頃ふたりとも 小麦色してた
    バラ色の雲ゆきが あやしく色あせたの
    突然あらわれた 長い髪の少女
    貴方の視線がどこを 見てるかを見てた私
    ああ 九十九里浜 今は遠い渚      ♪
           (作詞:長戸大幸)

Mi-Ke の「想い出の九十九里浜」は1991年のリリース。
そうか、あれから四半世紀も経つのか!
歳をとるわけだヨ。

ところでほんとだねェ、アベちゃん。
バラ色の雲ゆきが嵐に変わりそうな予感がするネ。
突然あらわれた金髪の老人に
あの狡猾きわまりない視線がもろに移ったもの。
ああ、北方四島、今は遠いまぼろしか!

ここからは自分の個人的なハナシ。
実はJ.C.、五番街のトランプタワーに行ったことがある。
いえ、外から見物したのではなく中に入ったことがある。
それもロビーじゃないヨ、部屋にだヨ。
トランプの部屋じゃないけれど―。

あれは1992年頃だった。
ある夜、友人に誘われて、その友人の友人宅に赴いた。
トランプタワーの一室に集まったのは
日本人の男ばかりが7~8名。
ほかに女性が1人いたかな?
もちろんメンバーはT大やK大やC大のアホ学生とは違う。
彼女を手籠めにするような愚挙、
いや、犯罪に手を染めるバカはいない。

中には元総理大臣の孫やレコ大受賞曲の作曲家なんぞもいた。
集まって何をしたのかというと、日本では犯罪に当たること。
それはカードゲーム、いわゆるポーカーだ。
5ドローや7スタッド、はたまた1タイム・オニギリなんて
珍妙な種目もあったっけ。
とにかく当該ゲームの勝者が次の種目を決める権利を得て
延々20時間も戦った。

リッチなというか、金遣いの粗いのが揃っていたから
ステイク(賭け金)もずいぶん高額。
クルマは無理だとしても
ローレックスとブルガリをまとめて買えるほどのキャッシュが
手元に残ったのを覚えている。
エニウェイ、トランプタワーで徹夜トランプに励んだのでした。

2016年11月24日木曜日

第1498話 トランプタワーでトランプ を(その1)

合衆国も来年の一月にはトランプ大統領の誕生だとサ。
瓢箪から駒もいいところだヨ。
でも、よくよく考えてみると世論調査は接戦を伝えていて
支持率アンケートがホンの数パーセントの差しかないってのに
ジャーナリストや評論家の皆さんは異口同音に
「最終的にはクリントン!」―
この一言で勝手に決めつけてたもんなァ。
その後、それぞれ後付けエクスキューズに忙しいが

「読み間違えた」
「早とちりだった」
「分析が甘かった」

以上のように恥をしのんで
素直に反省の弁を語る輩はまずいない。
プロ意識の欠如としかいいようがないネ。

自慢する気はないが(結局はなっちゃうか)
確信とまではいかないものの、
J.C.はトランプ勝利の確率高しと感じていた。
親しい友人との飲み会ではこの意見、
不興を買うどころかブーイングまで頂戴したけれど―。

早いハナシ、世界一の大国・アメリカといえども、
シアワセな人より不シアワセな人のほうが多いってこと。
リッチな人々の総数を
貧しい人々の総数がはるかに上回るんだネ。

選挙投票者のほとんどは
自分にとってどちらがトクかで判断する。
良心なんか入り込む余地はない。
他州より富める者が多く、
気持ちに余裕のあるカリフォルニアやニューヨークが
伝統的に民主党を支持する理由がそこにある。

ただし、全般的にニューヨーク州は民主党支持ながら
ニューヨーク市だけを見ると共和党支持者が俄然増えてくる。
ウォール街を始めとして
政治や既得権益への密着度が高まるからだ。

トランプ当選後、一時は急落した株価だが
戦いの後は急騰に転じた。
米国はもとより日本にしたって
株式の大量保持者は富裕層に限られる。
彼らにとってドナルド・トランプは
いっそうの富をもたらす可能性を満載した希望の星なのだ。

外交下手などこかの国の首相は飼い犬同然に
即刻、すり寄っていったが世界の笑い者もいいところ。
実に嘆かわしい。

=つづく=

2016年11月23日水曜日

第1497話 昼下がりの横浜 (その8)

昼下がりの横浜中華街で飲み始め、東神奈川の夕まぐれ。
肝付き皮はぎにご満悦の巻である。
右隣りの紫煙は少々迷惑ながら
さほど気にならなくなってきた。

はぎを食べ終えてさあ、もう一品いきましょうや。
ここは対抗馬のこち、あるいはしゃこだろう。
白身に重ねての白身はちっともイヤじゃないが芸がない。
しゃこわさをお願いする。

2本目の大瓶も残りわずかとなった頃、
到着したしゃこに目を見張った。
しゃこは尾頭付きだった
その店の品書きに載っていれば、
まずはずさないしゃこながら、尾頭付きは初めてである。
小ぶりの個体につき、胴体だけでは見映えがしない。
そのことを考慮したものと思われる。
海老フライの尻尾がとれちゃったら間が抜けるものなァ。

ナリは小さくとも身はしっとり。
茹で具合もよろしく、ヒョッとしたら幻の小柴産かもしれない。
銀座の鮨屋が目の色変えて探し求める小柴のしゃこ。
まさかそんな上物が出て来るワケもないか―。

燗酒が飲みたくなった。
壁には 
 上撰(400円) 金印(360円)
とあった。
昔の一級酒・二級酒みたいな仕分けだろうか?
ここはあえて金印を。

うむ、ウム、胃の腑にしみるものよのぉ。
ほんの数分で食べちゃったしゃこわさ、
何かもう一皿ほしい。
結局はこち刺しである。
こちは夏のサカナだからすでに名残り。
イルカの歌声が脳裏をかすめてゆく。
”なごりこち”は皮はぎほどではないにせよ、
水準に達していた。

金印の小徳利も2本目。
調子に乗って追加したのは新かきフライである。
まっ、この時期ならどこの店でも”新かき”だろうが
わざわざ”新”を謳うのも珍しいといえば珍しい。

フライなら玉ねぎかポテトという手があったが
かきには時期がある。
やはり看過できなかったのだ。

かきフライを完食して、支払いはおよそ3500円。
これから自宅に戻り、焼き豚で紹興酒で飲み直すのだ。

=おしまい=

「根岸家」
 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-10-1
 045-451-0700

2016年11月22日火曜日

第1496話 昼下がりの横浜 (その7)

東神奈川駅前の「根岸家」。
その品書きの一部を紹介しましょう。

こち 平目 石鯛、あおやぎ たこぶつ しゃこわさ (各400円)
きびなご酢味噌 小肌酢 (各320円)
〆さば 鱧酢味噌 皮はぎ肝付 (各430円)
小いわし 小あじ (各350円)  さんま(380円)
ほうぼう(420円)  まぐろぶつ(520円)  きんめ(530円)
山かけ(470円)  鯨ベーコン(780円) 
フライ・・・新かき(520円) 玉ねぎ ポテト (各280円)
      まぐろ いか ソーセージ  (各380円)
      わかさぎ(330円)

といった具合であります。
何だ、刺身とフライばっかりじゃねェか! ってか?
まあ、そうなんですけど―。

ちなみに生モノ以外でここの一番人気は玉ねぎフライ。
玉ねぎを油で揚げると美味しいもんネ。
二番はポテトフライ。
これをオッサンたちはウスターソースをかけて食べる。

今の若者みたいに
袋ん中に塩まいてシャカシャカなんてことはしない。
塩をまくのは土俵の上と決まっとる。
おっと、ヤな客が帰ったあともあったか。
それに家人のお通夜帰りもあるな。

迷って悩んで最終的に残ったのは三候補。
こち、しゃこ、皮はぎである。
通常の大衆酒場ではまず出会えぬ海の幸である。

結局、最初にお願いしたのは皮はぎだった。
”肝付”なる二文字が決め手であった。
ただし、皮はぎの肝は鮮度落ちのアシが早く、
以前、千代田線・町屋の料理屋でヒドい目にあった。
もちろん、「根岸家」の実力を知ったればこその信頼感だ。

案の定、はぎクンは身も心も、もとい、
見も肝もベリー・グッド!
J.C.の身と心は雀躍していた。
白状すれば、はぎはふぐよりも好き。
だってはぎの肝は食えるけど、
ふぐの肝は大分くんだりまで出向かんと食えないからネ。

そろそろ日本酒に切り替えようと思いつつも一番搾りの2本目。
左のご婦人がチラリと当方の横顔をのぞいた。
このオジさん、ずいぶんビールを飲むわネ・・・
年よりの冷や水じゃないかしら?
なんてことを思っているんでしょうヨ。

=つづく=

2016年11月21日月曜日

第1495話 昼下がりの横浜 (その6)

京浜東北線で横浜から一つ東京寄りの東神奈川にいる。
JR東神奈川駅はもう1本、横浜線(通称ハマ線)が通っており、
東京の八王子につながっている。
驚いたことにハマ線の開駅(1904年)のほうが
京浜東北よりも数年早い。

おそらく明治の日本において主産業だった生糸を
群馬や秩父地方から運んだのだろう。
そして横浜港から海を渡って欧米に輸出されたのだろう。
その縁で横浜と中部フランスのリヨンは
今でも姉妹都市の関係にある。

明治の文人、永井荷風は文壇に登場する以前、
横浜正金銀行(のちの東京銀行、現在の東京三菱UFJ)の
リヨン支店に勤務していた。
銀行での仕事が嫌でイヤでたまらなく、
その心痛は彼の著書、「ふらんす物語」に詳しい。

東神奈川駅のすぐそばに京浜急行の仲木戸駅がある。
ペデストリアン・デッキ(歩道橋)でつながっており、
J.C.はその足下にある「根岸家」のカウンターを
一晩の止まり木としたところだ。

壁の品書きは眺めているだけで楽しい。
サカナの揃えが多彩なのは近くにある横浜市場のおかげだ。
瓶ビールを独酌しながら壁を見上げていたものだから
手元おろそか、液体をグラスからあふれさせた。
世の中には親切な方がいるもので
左隣りの客が拭き取ってくれたではないか―。

お礼を言いながら尊顔すると、四十路半ばだろうか、
目元涼やかなご婦人であった。
残念なことに彼女の隣りにはツレの男性、
何となく不機嫌そうだから会話のきっかけともならず、
独酌の世界へと舞い戻る。

こぼしたビールはキリンの一番搾り。
この店にほかにキリンのラガーがあるだけだから
あくまでもキリン攻め。
キリン発祥の地、横浜ではこういう店が多い。
当日の午後、友人たちと飲んだ中華街の「山東」は
珍しくもサッポロだったけどネ。
これは営業マンが頑張ったか、
特段のバックリベートのおかげであろうヨ。

そんなことよりサカナであった。
突き出しの切干し大根をつまみながら選択に迷う。
迷うというより悩みに悩みやしたネ。
いったい、どんなメニュー何だ! ってか?
そうでしょう、そうでしょう、ご覧になりたいでしょう?
以下、次話で。

=つづく=

2016年11月18日金曜日

第1494話 昼下がりの横浜 (その5)

  ♪   波止場を離れる あの船に あなた
     想い出残して 私を残して
     夕陽が傾く 横浜桟橋
     海鳥鳴いてよ 私と一緒に
     あぁ あぁ あぁ・・・海よ
     あぁ あぁ あぁ・・・憎い
     国を越えて 言葉越えて
     愛に溺れた 横浜・・・   ♪
        (作詞:吉幾三)

吉幾三の名曲「横浜」。
以前にも当欄で紹介したから一番だけでやめておく。

チャイナタウンでのみともたちと別れたJ.C.、
想い出の詰まった大桟橋へやって来た。
歌詞の通り夕陽が傾いている。
いや、今にも落日を迎えそうだ。

独りでこの港を出た45年前とは
桟橋の様子がずいぶん変わってしまった。
みなとみらいの高層建造物が視界に入ってジャマなのだ。

さて、どこへ行こうか・・・。
真っ直ぐ帰宅し、骨付き焼き豚で紹興酒にするか・・・。
いや、それはないな。
せっかくの遠出、それ相応の止まり木に止まらなければ―。

関内方面に歩み始めた。
ちょうど1年前、この辺で昔の部下・A子と旦那に遭遇したっけ。
そんなことを振り返りながら
横浜スタジアムの脇を抜け、JR京浜東北線・関内駅に到着。

ここから歩いて野毛に廻れば飲み屋は腐るほどある。
好きな焼きとん屋も目白押しだ。
しかし当日はスペアリブの包みを抱えた身、
焼きとんはパスするのが無難だろう。
つかの間、思案をめぐらして
思いついたのは一軒の居酒屋である。

東京方面大宮行きの電車に乗り込み、
関内から3つ目の東神奈川で下車する。
くぐった暖簾は駅前の「根岸家」だ。
コの字カウンターは14人掛けだが
開店から15分ほどしか経っていないのに
空席は最後の一つのみ。
まっ、ラッキーといえばラッキーではあった。

この店の魅力はなんてったって刺身の品揃え。
白身も青背もその多彩ぶりは
下手な鮨屋を圧倒するほどである。
隣席から流れ来る煙草のけむりを
気づかれぬようにそっと払いながら
おもむろに壁の品札を見上げた。

=つづく=

2016年11月17日木曜日

第1493話 昼下がりの横浜 (その4)

  ♪   霧の波止場に 帰って来たが
     待っていたのは 悲しいうわさ
     波がさらった 港の夢を
     むせびな泣くよに 岬のはずれ
     霧笛が俺を 呼んでいる

     錆びた錨に からんで咲いた
     浜の夕顔 いとしい笑顔
     きっと生きてる 何処かの町で
     さがしあぐねて 渚にたてば
     霧笛が俺を 呼んでいる   ♪

          (作詞:水木しげる)

トニーが歌った「霧笛が俺を呼んでいる」の一番と二番。
何だ、また古い歌かヨ!
まあ、そうおっしゃらず、先にお進みくだされ。

映画「霧笛が俺を呼んでいる」には BUND HOTEL が
たっぷりと映し出されている。
ナイトクラブ「シェルルーム」で芦川いづみが歌っているし、
宿泊フロアのコリドーではトニーと葉山良二が銃撃戦。
今の世に残されし貴重な映像である。

港町・横浜にやって来たのは先月下旬のこと。
港ではなくチャイナタウンに現れた。
新子安に住む一組の男女に会うためだった。
彼らはともに昔の飲み仲間で
その頃から互いにフォール・イン・ラブ、
かれこれ8年以上つき合っているんじゃないかな。

その日、神奈川県・藤沢市に所用のあったJ.C.が
ハマで一杯飲らないか? とメールで打診したところ、
夜に来客があるけれど出向きますとのこと。
チャイナタウンで落ち合った次第だ。

14時過ぎに水餃子で有名な「山東」で待合せた。
週末の中華街はこの時間でも人通りが半端じゃない。
それでも「山東」ならどうにか席を確保できると読んだ。

名代の水餃子に加えて焼き餃子、
それと海鮮焼きそばをつまみにビールをしこたま飲んだ。
この店は餃子のタレに特徴がある。
醤油ベースにココナッツの果肉がたっぷり使われており、
これが独特の風味を醸して実に旨い。

「山東」の品書きはある意味、いい加減。
ほとんどが1000円か1500円の値付けになっている。
いくらなんでも豆苗炒めとエビチリが
両方ともに1500円てえのはあんまりだ。

思い出話に没頭して2時間ほど過ごしたろうか、
会計を済ませ、来客用に焼き豚や蒸し鶏を買い求める、
彼らにつき合って当地では名の知れた店に出向き、
こちらもスペアリブを購入した。
帰宅後、こいつを肴にいただき物の紹興酒を飲る腹積もりであった。

=つづく=

「山東」
 神奈川県横浜市中区山下町150
 045-651-7623

2016年11月16日水曜日

第1492話 昼下がりの横浜 (その3)

サザンのアルバム「人気者で行こう」はクルマの中でよく聴いた。
当時はシンガポールに赴任中で、確か大丸だったかな?
デパート内のショップでカセットテープを買ったのだった。
日本円に換算して数百円だったから
どこぞの国が不法コピーした海賊版に相違ない。

フランク永井・小林旭・赤木圭一郎・クールファイブ・
小柳ルミ子・郷ひろみ・野口五郎・細川たかし・中島みゆき、
安さに任せて見さかいなく、
なんでんかんでん買い集めたものだった。
まったく節操がないネ。

「人気者で行こう」は別段、名曲の宝庫というのではない。
「メリケン情緒は涙のカラー」のほかには
「ミス・ブランニュー・デイ」と「シャボン」が目立つ程度で
あとはほとんど記憶にとどまらず、もはや忘却の彼方である。

前話でお願いしたチャイナタウン BUND HOTEL
覚えておいていただけただろうか?
BUND HOTEL はかつて
横浜の港の見える丘公園の直下にあったクラシカルなホテル。
1999年に取り壊されてしまい、
現在は同じ場所にドン・キホーテが建っている。

大田区・大森にあった、
マイ・フェイヴァリット・デパートメント・ストア、
「ダイシン百貨店」もいつの間にかドン・キホーテに
取って代わられている。
べつにドンキに恨みはないけれど、やっぱりちょいと恨めしい。

五木ひろしの「よこはま・たそがれ」の一番、
”ホテルの小部屋”は作詞家の山口洋子が
BUND HOTELをイメージして書いたというのが通説。
ひょっとしたら彼女は愛する人とここで一夜を過ごしたあと、
そのまま小部屋で詞を書いたのかもしれない。

往時、ホテルの最上階にはクラブ「シェルルーム」があって
支配人は横浜出身のヨーデル歌手、ウイリー沖山が務めていた。
いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」は
このクラブの青いネオンサインがモチーフになったそうだ。
もっとも作詞の橋本淳に訊いてみなきゃ真相は判らんがネ。

当ホテルにその後オープンした、
ライブハウス「シェルガーデン」には
サザン自身を始め、TUBEや尾崎豊も出演している。

上手くもないJ.C.がカラオケで歌うナンバーに
赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」がある。
1960年に日活が製作した同名映画の主題歌だ。
それほど好きな曲ではないが
画面の映像を観たいからこその選曲。
トニーこと圭一郎はもちろん、芦川いづみ、葉山良二、
それに何といっても幼かりし吉永小百合に逢えるのが嬉しい。

=つづく=

2016年11月15日火曜日

第1491話 昼下がりの横浜 (その2)

 ♪ Yokohama, twilight time, tiny unknown hotel room,
          A little kiss, traces of scent,
          still  lingering smell of smoke
          blues, whistling melodies, those tears I see in her eyes
          My love is gone away, away, so far away
          My love is gone away, away, so far away
          Never coming back my way

          Back of the street, an empty bar,
          an endless round of sad drinks
          Passing romance, lying eyes, deceiving words of a man
          song of my love, I sing for you, the song you will never know
          My love is gone away, away, so far away
          My love is gone away, away, so far away
          Now he's gone to someone new            ♪

           (英語詞:Tony Allen)

「よこはま・たそがれ」の英語詞である。
タイトルは” Twilight time in Yokohama ”。
苦労したであろう Allen サンには申し訳ないが
あまりデキのよい詞とは言えない。

ほぼ直訳ながら赤字部分がトンチンカン。
いったい I は誰で、her はどなた?
紫字も気に入らないなァ。
”あてない恋歌 流しのギター”が
なんでこうなるの?

まっ、とにもかくにもビックラこいた、
横浜の浅草こと、野毛のカラオケボックスでありました。
てなわけで、今話の舞台はわが心のホームタウン、
横浜である。

  ♪  メリケン情緒は涙のカラー oh no
     翔びかう妙な叫びがYOKOHAMAに
     エノケン・ロッパの芝居 途中どうしてoh no
     彼女の姿が消える??
     夜霧のチャイナタウンを 中ほど行くあたり
     吐きだめたなびく魔のとびら oh oh oh
     I belong to you my life is yours. SORA-MIYO
     今ここにいない 打つ手も無い悲しく Lonely man
     BUND-HOTEL のバスタブにゃ黒い薔薇
     殺意告げる Message on the floor        ♪
             (作詞:桑田佳祐) 
  
サザンオールスターズが1984年に発表した、
7枚目のオリジナル・アルバム「人気者で行こう」に
収録されている「メリケン情緒は涙のカラー」。
ハードボイルドにしてミステリアスな歌詞も曲も大好きで
彼らのナンバー、マイ・ベスト10に間違いなく入る。
歌の紹介ばかりで恐縮ながら
赤字チャイナタウンBUND-HOTELを覚えておいてネ。
以下、次話であります。

=つづく=     

2016年11月14日月曜日

第1490話 昼下がりの横浜 (その1)

  ♪   よこはま たそがれ ホテルの小部屋
     くちづけ 残り香 煙草のけむり
     ブルース 口笛 女の涙
     あの人は 行って 行ってしまった
     あの人は 行って 行ってしまった
     もう帰らない    

     裏町 スナック 酔えないお酒
     ゆきずり 嘘つき 気まぐれ男
     あてない 恋歌 流しのギター
     あの人は 行って 行ってしまった
     あの人は 行って 行ってしまった
     もうよその人               ♪

            (作詞:山口洋子)

五木ひろしのデビュー曲「よこはま・たそがれ」。
この曲が流れたのは45年前の1971年である。
つい、歌詞が好きな二番まで披露してしまった。

J.C.はこの年、生まれて初めて日本の地を離れた。
横浜の波止場からネ。
数ヶ月後に帰国すると、
街は横浜も東京も「よこはま・たそがれ」と
「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)に席巻されていたっけ。
そして、もちきりの話題は連続殺人鬼、大久保清一色であった。

五木ひろしの成功は
何を差し置いても「よこはま・たそがれ」に尽きる。
山口洋子と平尾昌晃(作曲)のゴールデンコンビ、
渾身の名曲と言ってよい。
努力の人、五木ひろしは
紆余曲折を経てその才能を開花させるが
二人の偉大な音楽家に恵まれた強運によるところも大きい。

その横浜の裏町、野毛のカラオケボックスでビックラこいた。
せっかく横浜に来たのだから
「よこはま・たそがれ」でも歌おうか・・・
そんな気になっていた。

すると驚いたことに英語バージョンがあったんだわサ。
演歌の英語版ってのはかなり珍しいんじゃなかろうか。
ぶっつけ本番で挑戦したが、いや、難しいのなんのっ。
コイツはムリだわ。

帰宅後、yutubeで視聴してみたけれど、
五木自身はなんとかこなしているものの、
どこかシックリこないんだよなァ。
プロの本家が歌ってイマイチなら
素人にはとてもとてもムリですわ。

=つづく=

2016年11月11日金曜日

第1489話 うな重だけではもったいない(その8)

地域の人気うなぎ店、「稲毛屋」での夕餉もいよいよ大詰め。
福島の奈良萬を重ねつつ、うなぎの焼き上がりを待っている。
その間、うなぎ談議に花を咲かせた。
小さん師匠と同様にわれわれはともにうな重ではなくうな丼派。
そしてタレ控えめが好みのアッサリ派である。

今となっては庶民には手の届かないところに咲く、
高嶺の花ならぬ、高値の花となってしまったうなぎ。
卵から育てる完全養殖があと一歩の段階まで進んでいると聞く。
牛丼みたいな安価は望むべくもないが
より大衆価格に近づくことは可能であろう。
その日が来るのが待ち遠しい。

そうこうしているうちに
「お待ちどうさまでした」―2鉢のどんぶりがやって来た。
理想的なバランスの蒲焼とごはん
いいねェ、いいですねェ。
これが<1900円+税>である。
安くはないが良心的な値付けではなかろうか。

よだれ湧き出る口中にまずはそのまま1片を投じる。
やや小ぶりな個体につき、クドい脂っこさとは無縁である。
おもむろに粉山椒を振り、さらに食べ進む。
うむ、何はともあれ、うなぎには山椒だ。
毎日食べたいとは思わぬものの、
やはりタマには訪れたいうなぎ屋である。

あえて肝吸いは頼まなかった。
肝は存分にいただいたからネ。
食べる速度の遅いJ.C.が道半ばに差し掛かった頃、
相方のどんぶりはすでにスッカラカン。
文章の書き上げだけにとどまらず、
これもまた一気呵成と言うのであろう。

かように飲んで食べての支払いは二人で1万5千円に満たない。
鮨屋ではとてもとてもこうはいくまい。
となると、うなぎはまだまだ、
どうにか庶民の手の届くところにあると言えないこともない。
きわめて満足度の高い一餉であった。

時間制限にしばられるランチタイムはべつとして
うなぎ屋に来てうな重だけで帰るのはあまりにもったいない。
レバやヒレはどこの店にもあるわけではないが
最低限、肝焼きは注文しておきたい。

その際は2本お願いして1本は酒の肴に
もう1本はうな丼の蒲焼の脇にバラし、
うな肝丼として楽しむのがオススメだ。
さすれば、より美味しくいただけること請け合いであります。

=おしまい=

「稲毛屋」
 東京都文京区千駄木3-49-4
 03-3822-3495

2016年11月10日木曜日

第1488話 うな重だけではもったいない(その7)

道灌山の「稲毛屋」にてT田サンと旧交を温めているのだけれど、
またもや脱線の巻である。
とにかくお呼ばれしたお宅で
料理自慢の奥方の手料理をいただいている。
3品目のぬたに気落ちしていたのである。

ところが・・・であった。
何の変哲もないぬたがトンデモない美味なのだ。
一見、青ねぎのぬた風だったがワケギ(分葱)だろうか?
いや、もっとずっと細身にしてデリケート、
これはアサツキ(浅葱)に違いない。

訊ねると、やはりそうでありました。
辛子酢味噌の塩梅もよろしく、
ふ~ん、奥さんやるじゃないの、そう思ったことでした。
似たようなネギの仲間に万能ネギや鴨頭ネギなどがあるが
アサツキは抜群の食味と食感を擁している。
以来、アサツキのぬたは大好物になったのでした。
ありがとうネ、奥さん!

「稲毛屋」に戻りましょう。
芋焼酎・佐藤 黒の合いの手にJ.C.が選んだのは
九条ネギのぬただった。
アサツキよりもずっと大ぶり
 九条ネギを愛でてやまない上方の人々には申し訳ないけれど、
美味しさはアサツキに及ばない。
及ばないが滋味に富んで、何よりも芋焼酎にピタリと寄り添った。
賢明な選択だったと言えよう。

さらにもう1品。
今度は相方がチョイスする。
どう見ても奈良漬ですな
品書きには白瓜の粕漬とあった。
品名から想像したのは薄い黄緑色の皮を持つ瓜が
白い酒粕をまとって現れる姿、少々鼻白むものの、
奈良漬は大好きだからこれはこれでよかろうという気になった。

でもやっぱり酒粕には日本酒であろう。
再び清酒に舞い戻る。
その名を聞き及んではいたが味わったことのない奈良萬を見つけ、
奈良漬には奈良萬でしょ、今飲むしかないでしょ、意見の一致をみる。

ほのかな甘みを蓄えた福島・喜多方の酒は白瓜とシンクロナイズ。
瓜をカリッとやって一口含むと奈良萬の甘味が打ち消された。
そんなこんなで二人ともやや酩酊気味、
頃合いもよかろうと、うな丼の調整をお願いした。

注文が入ってから、焼き・蒸し・焼きの過程を踏むのではなくとも、
うなぎには多少の時間を要する。
自制心を失った二人は奈良萬のお替わりに走ったのでした。

=つづく=

2016年11月9日水曜日

第1487話 うな重だけではもったいない (その6)

肝わさをもってうなぎの稀少部位はおしまい。
あとは締めにうな重ならぬ、うな丼をいただけばよろしい。
しかし、今しばらく酒を酌み交わしていたい。
佐藤 黒のお替わりをしておいて軽いつまみを物色し始めた。

ここでは”軽さ”が大事で重い料理を頼んだひにゃ、
うな丼の味を損なうことはなはだしい。
本来、うなぎ屋に行ったらば上質のお新香、
いわゆる上新香で一杯飲りながら
うなぎの焼き上がりを待つというのが手筋なのだ。

ここで九条ねぎのぬたをお願いする。
もともと、ぬたは好まなかった。
殊にイカやマグロを使ったのは敬遠してきた。
そりゃ、イカ納豆やマグロ納豆よりはマシだがネ。

あるとき、あるウチに呼ばれ、
料理自慢を自称する奥方の手料理をいただく機会に恵まれた。
機会に恵まれた・・・そう書いてはみたものの、
”破目に陥った”というのが素直、かつ適切な心模様である。
わが半生を振り返ると、料理自慢の女性の料理によって
シアワセを感じたことは数えるほどしかない。

その夜も最初に出て来たアジのたたきに翻弄される。
あちこちで何度も触れているから読者はご存じだろうが
どんなに新鮮であっても生の青背はキラい。
アジ・イワシ・サンマ・サバ・ニシン、
生食の場合は必ず酢を必要とする。
大好物のコハダにしたって
酢と塩による一仕事がなければ、けしてノドを通ることはない。

アジたたきの先制攻撃を食らい、第一ラウンドからKO寸前。
何か理由を見つけて退散しようと思ったくらいなのだ。
とにかくアジの下に敷かれた大葉の助けを借りてどうにかやっつけた。
やっつけた・・・そう書いたが”駆除した”というのがより正しい。

そして2皿目。
登場したのはあんかけ豆腐。
温めた絹ごし豆腐に熱々にしてカラフルなあんが掛かっている。
カラフルなわけだヨ、具材にカニカマとコーンが使われていた。
高価なズワイの脚肉にしておくれとは言わないけれど、
カニカマかい?
お先真っ暗でありました。

続いて3品目。
小鉢に盛られて運ばれたのは、ぬたであった。
前述したようにぬたは好きではない。
次から次とよくもまあ、ハズしてくれるものよのぉ。
おお、神よ、われを救いたまえ!

=つづく=

2016年11月8日火曜日

第1486話 うな重だけではもったいない (その5)

文京区・千駄木はぶらり散歩の名所、谷根千の一翼を担う。
谷中銀座、よみせ通りにほど近い千駄木三丁目の道灌山下。
そのT字交差点そばにある、うなぎ店「稲毛屋」の2階にいる。
レバ串の旨さに二人して身をよじっているのだ。

肝串のほうもレバに負けじ劣らじの美味。
よじった身が今度は悶え始めた。
いや、たまりませんな、コイツは―。
恍惚の人になっちまいそうだヨ。

ビール好きの二人は互いに中瓶2本を空けたあと、
清酒に移行することで合意する。
アルコール類のリストが実に立派である。
パリはエトワール広場近く、
「タイユヴァン」のワインリストに匹敵と言ったら言い過ぎながら
品揃えは半端なものではない。
日本酒をウリとする銘酒屋のそれを凌駕さえしている。

吟味に吟味を重ね・・・と言ってもそれほど詳しくはない二人。
選んだのは相方が広島の宝剣(ほうけん)、こちらは山形の初孫、
ともに”冷たいの”をであった。
銘酒のおかげだろう、
心なしか残しておいた肝焼きの一片がグッと引き締まる。
酒は二人で飲むべかりけり・・・でありますなァ。

続いてヒレ焼きがやって来た。
 

ヒレは塩焼きでお願い
レバと肝に比べ、ルックスはずいぶん劣る。
少なくとも食欲をそそる姿ではない。
しかし、人も鰻も見た目で判断しちゃいけやせん。
ヒレ串の美味しさもまた舌を歓ばせてあまりあった。
さすがに身体が慣れてきたせいか、
此度はよじりも悶えもなかったけれど―。

このまま清酒を続けようか、
それとも焼酎に切り替えようか、
迷っているときに女将らしき女性が現れて
「すみません、ご予約いただいたレバわさがご用意できなくて
 肝わさだけお持ちしましが、よろしいでしょうか?」―
無いものは仕方がない、無い袖は振れない、
残念ではあったが快く諒とする。

そうして肝わさが整った。
身がプリプリと躍動
あらかじめ持参しておいた生わさびをすりおろし、
清冽な香りとともにうなぎの臓物を味わう。
先刻の肝は焼かれていたが、こちらは湯がいてある。

肝焼きと肝わさの順序が逆じゃないの―
なんて思いながら芋焼酎・佐藤 黒を
ロックで所望する二人でありました。

=つづく=

2016年11月7日月曜日

第1485話 うな重だけではもったいない (その4)

道灌山下のうなぎ店「稲毛屋」をT田サンと訪問。
仕事ぶりを直接見られる食べ物屋のカウンターは大好きだから
1階のカウンター席でいっこうにかまわないが
久々の再会でもあることだし、2階の畳をお願いしてあった。
 
ところが2階に通されてビックリ。
以前は入れ込みの座敷だったハズが
いつの間にかすべて個室にリノベイトされているではないか―。
個室はあまり好きじゃない。
考えすぎかもしれないけれど、
よからぬ密談、あるいは許されぬ逢瀬、
そんなうしろめたさがつきまとって心が晴れないからだ。
こりゃ間違いなく考えすぎだネ。
 
とにかくかつての広間のほうが
「庶民のうなぎ屋」といった空気に満ち満ちて断然よかった。
鮨や天ぷらはカウンターに限るが
そばやうなぎは畳の上がよい。
これがどぜうとなったら、もう畳以外は考えられない。
まっ、時の移ろいとともに
経営者の方針も変わるから仕方なかんべサ。

互いに好みの銘柄、スーパードライで乾杯。
酒を酌み交わすのは10年ぶりだが
初めて会ったのは30年近くも以前。
ちょうどアサヒ麦酒がこの新製品を世に送った頃だった。
口にしたのはマンハッタンの総合和食の店、
「レストラン日本」で、T田サンが同席していたハズ。
さわやかな飲み口にわれわれは魅了された。

予約時に抑えておいた肝焼きとレバ焼きが運ばれた。
垂涎の4串
一目で美味を確信する。
どちらもタレ焼きである。

肝とレバは同じだろ! ってか?
おっしゃる通りではありますが
ことうなぎ屋では臓物全体を肝、
肝臓をレバと呼ぶのである。

まずはレバから。
世に肝臓は数あれど、J.C.はそのほとんどを好物としている。
もつ焼きならば豚、しぐれ煮やペーストは鶏がよい。
牛レバーは刺身よりも
刺身に使用される良質なものをサッと網焼きにしたのが好きだ。

水の都、北イタリアはヴェネツィアの郷土料理に
フェガート・アラ・ヴェネツィアーノがあるが
こちらは仔牛のレバーと玉ねぎを炒め煮にしたものだ。
1971年、最初の海外旅行の際に
現地で食べたときの旨さをこの舌は今も忘れない。

=つづく=
 

2016年11月4日金曜日

第1484話 うな重だけではもったいない (その3)

なおも小さん師匠のつづき。

うなぎ屋の少ない上野・湯島界隈だが
「小福」の前の昌平橋通りを南に下ると、
ほどないところに名店「神田川本店」が控えている。
こちらを贔屓(ひいき)にしたのは
黒門町の名人と謳われた八代目桂文楽。
言わずと知れた五代目柳家小さんの師匠である。
師匠思いの小さんは陰になり日向になって晩年の文楽を支えた。
文楽が退いたのち、
圓生をはさんで落語協会会長に就任した小さんは
文楽の自宅があった場所の真向かいに協会本部を移す。

うなぎ好きの小さんが「神田川」を訪れたのは
一度や二度ではあるまいが
師匠のホームグラウンドを自分の庭とするには
遠慮があって敷居も高かった。
大店(おおだな)の老舗「神田川」に比べて
はるかに知名度の低い「小福」のほうが
自分の分に相応しいと考えたことだろう。

常に清廉潔白を志した五代目柳家小さん、
こんなに人の好い噺家はほかにいない。
お天道様はちゃあんと見ていて
人間国宝の栄誉をお与えなすったんだネ、きっと。
そうだヨ、そうに違いない。

「小福」
東京都文京区湯島3-36-5
03-3831-7683
 
でありました。
長文のおつき合いに感謝します。

さて、今回訪れたのは柳家小さんならぬ、
古今亭志ん生(これまた五代目)が棲まった、
道灌山下に暖簾を掲げる「稲毛屋」である。
何年ぶりになるだろう。
チェックしてみたら9年ぶりだった。
 
その後、何度か店の前を通りすがったが
ほとんど毎度、「本日は予約で満席となっております」―
かような札が掛けられている。
エリアでは相当な人気店であることに疑いの余地はない。
 
よって此度は半月前に予約を入れておいた。
利用時に注文しても「売り切れました」―
空振りに終わる稀少部位もちゃんとリザーブしておく。
稀少部位とはヒレやレバのことだ。
 
当夜の相方は滞米時代の旧友・T田サン。
こちらもほぼ10年ぶりの再会であった。

=つづく=

2016年11月3日木曜日

第1483話 うな重だけではもったいない (その2)

柳家小さん(五代目)の稿のつづき。

 十数年も以前のことになるが小さんの人柄がにじみ出る、
日経新聞の「私の履歴書」を楽しく読ませてもらった。
歩兵三連隊の機関銃隊に属する一兵卒(二等兵)として
二・二六事件に巻き込まれたクダリなど、
人間国宝に向かって失礼ながら高座よりずっと面白かった。
この折、兵隊たちには
帝国ホテルのライスカレーの炊き出しがあったという。
どんな味、どんな食材だったか、興味津々だ。

「粗忽長屋」・「長屋の花見」・「時そば」・「子別れ」・
「強情灸」など、得意とするネタは数々あれど、
やはり本人の容貌と風采に照らして
「狸賽」と「饅頭こわい」に親しみを感じる。
小さんならではの独特のおかしみが
観るもの聴くものの笑いをごく自然に誘い出す。
こればかりはほかの噺家には真似のできない天性のものだろう。

五代目小さんが通ったうなぎ屋が文京区・湯島にある。
上野鈴本演芸場から歩いてみよう。
演芸場を右に出たらすぐの、上野広小路の交差点を右折、
そのまま真っ直ぐ行って、天神下の交差点を左折すると、
数軒先の左手にうなぎ屋「小福」のコンパクトなビルが見えてくる。
普通の男の脚で徒歩5分ほど。
雪駄履きの噺家の脚なら、いくらか速いかもしれない。

小さんはこの店をこよなく愛した。
さすがに浅草育ちの下町っ子は重箱に収まったうなぎを好まない。
赤坂のうなぎ料亭、その名も「重箱」が発案して以来、
またたくまに東京中を席捲しつくした感のあるうな重だが
まったくイヤものが流行ったものだ。
したがって小さん師匠は
瀬戸物製のマイ・ドンブリを店に持ち込んでいた。

どんぶりモノを粋にかっこむには左手で持ち上げて
右手の箸を使うのが一番だ。
もちろん左利きの方はその逆でけっこうです。
重箱を持ち上げると、全然サマにならないし、
卓上に置いたままでは
背筋が伸びずに猫背となって貧乏臭くなる。
店側にとって配膳や収納に便利な重箱の長所は
捨てがたいものがあるのは承知の上、
食べものを食べものらしく食べるためにも
どんぶりの復活が切に望まれるところだ。

玄関先のつくばいを横目に
丈の長い染め抜き暖簾をくぐると、一階には帳場と調理場。
二階に上がると、馬蹄形のカウンターを
客がぐるりと囲む設いになっている。
馬蹄の内側には水槽があり、錦鯉が優雅に尾ひれをなびかせる。
うなぎ屋らしからぬ雰囲気が漂い、
ゆるりと酒を飲みたくなる気分にさせる。

生モノの水準がきわめて高く、
単にうなぎが焼けるまでの継ぎというのではもったいないほど。
肝焼きも忘れてはならじの逸品だ。
うな重は丸一尾使用の2100円のものでじゅうぶん。
蓋を開ければ、
焼きと蒸しに手ぬかりのない蒲焼きが照り輝いていた。
あぁ、これがどんぶりであったなら・・・。

=つづく=

2016年11月2日水曜日

第1482話 うな重だけではもったいない (その1)

もう何年も以前から庶民の口には入らなくなったうなぎ。
うなぎ好きには悲惨な状況が続いている。
デパ地下に潜ってもうなぎと松茸だけは飛びぬけて高価だ。
もっともキャヴィアやトリュフに比べたらまだマシか―。

てなこって今話はうなぎ。
わが人生を振り返ると、うなぎ屋を利用したほとんどが昼めしどき。
昼と夜のレイシオは8:2、あるいは9:1ではあるまいか。
休日ならともかもく昼から長居、ましてやゆっくり酒を飲むこと能わず、
来た、食った、帰ったの繰り返しであった。

うなぎはうな重よりもうな丼を好む。
人間国宝にもなった故・柳家小さん(五代目)がまさしくそうで
ちょいと長いが自著「文豪の味を食べる」から
師匠の稿を全文紹介してみよう。


「小福」

師匠ゆずりのうなぎ好き

落語界きっての剣の達人だった五代目柳家小さん。
神田お玉ヶ池の千葉道場で名を馳せた千葉周作を琉祖とする、
北辰一刀流の使い手であった。
往時の門人には、平手造酒・山岡鉄舟・清河八郎などがいて
坂本竜馬もこの流れを汲んでいる。
昭和30年代に人気を博したコミックのヒーロー、
赤胴鈴之助も千葉道場に通った少年剣士だ。
 
北辰一刀流は剣の道に潜む余計な神秘性を排し、
竹刀と防具を取り入れ、
技を鍛え上げる実践的な稽古を通して多くの門弟を集めた。
相手のどんな動きにも対応できるように
竹刀の切っ先を小刻みに震わせる
「鶺鴒(せきれい)の尾」はその典型例である。
柳家小さんはこの流派、実に七段の腕前を誇った。

いくたびかTVの番組で
小さん師匠の剣道の稽古の様子を観ていたので
違和感を抱くことはなかったが
そうでもなければ丸顔のタヌキのような風貌からは
およそ剣の達人などとは想像もつかない。
一流の噺家なら誰しもが併せ持つ、
つや・照り・色気・いやらしさとは無縁の稀有な存在だった。
眼差しに媚びへつらいの色がまったく見られないのである。

永谷園の味噌汁のコマーシャルに
「これでインスタント?」というのがあった。
あの飄々としてトボケた味が凝縮された小さんの魅力だ。
インスタント食品を否定的にとらえつつ、
反作用を利してインスタント味噌汁を売り込む、
キャッチコピーの卓抜さも光っていた。

あまり映画には出ない人だったように思うが
寅さんシリーズの「奮闘篇」では
沼津駅前のさびれたラーメン屋のオヤジを演じて味わい深い。
プロの俳優でもなかなかこうはいかない。
寅さんのすするラーメンがごく普通の昔ながらの中華そばでも
小さんのオヤジが登場すると、
インスタントラーメンが出てくるような気がして
思わず笑みをこぼしてしまう。
 
=つづく=

2016年11月1日火曜日

第1481話 ラブホ街の入口で (その3)

まだ店名を明かしていなかった。
「あまのじゃく」というのであった。
訊けば古くからの屋号であって
数年前にママ夫婦がそのまま引き継いだのだそうだ。
もっとも店主はほとんど店に出てこないらしい。
仕込みの手伝い程度はしているというが
ほとんど髪結いの亭主ですな、この状態は―。

ここでJ.C.が所望したのは、とんぺい焼きだ。
お好み焼きをあまり好まぬ身ゆえ、
お好み焼き屋は滅多に利用しないが
入ったときには代わりにとんぺい焼きを頼むことがままある。
いわば小麦粉を使わぬお好み焼きだネ。

じゃ、何を使うんだ! ってか?
代わりに溶き玉子を使うんざんす。
平ぺったいオムレツのアレンジ版とでもいおうか。
これが腹にもたれず、恰好のつまみになってくれる。

生ビールの二杯目。
相方は水餃子を追加した。
中国南部の出身というママ手作りの餃子はなかなかである。
本来、餃子は中国東北部、旧満州辺りの郷土料理。
南支は米処だが北支は小麦粉圏だからだ。
南部の出でも美味しい餃子を作る人が少なくないらしい。

品書きに”牛カルビと野菜のヒマラヤ岩塩焼き”というのを見とめて
にわかに興味をそそられる。
ほかに調味料や香辛料を使わず、岩塩だけの味付けだという。
ふ~む、塩だけかいな、それもよかろう。
「ハイ、一人前!」

調理場のママが取りい出したる一枚のまな板はくすんだ白色である。
てっきり古びたプラスチックと思いきや、
何とこれがヒマラヤ岩塩そのものだった。
上に食材を乗せてじかに焼くのだ。
岩盤浴は聞いたことがあるが岩盤焼きは初耳である。

岩盤塩からにじみ出た塩味だけのカルビと野菜は
文字通り素朴な味付け、シンプリー・ナイスとでも形容しようか、
雑味がないぶん、これはこれでよい。

いろいろ注文してみたところ、ハズレは一つとしてなかった。
僥倖といえよう。
結果として当たり!だったわけで
こういうこともあるんですネ。

ホンの気まぐれで飛び込んだ「あまのじゃく」。
夜の鶯谷はただ”ヤる”だけじゃなく、
”飲る”にもまたヨシの街でありました。

=おしまい=

「あまのじゃく」
 東京都台東区根岸1-3-21
 03-5603-6088