2018年11月30日金曜日

第2014話 ビールの小瓶でカキのバタ焼き (その2)

今年で創業114年を迎える、
人形町は甘酒横丁の「来福亭」。
”お座敷洋食”と明記された卓上の品書きを見つめて
悩みに悩むハムレットがいた。
ハムレットならハムとオムレットでハムオムレツにするか?
いや、それじゃ元も子もない。
今日はハナからカキを食べる気満々だもん。

このあと立ち寄りたい店がもう1軒あって
ライスまでやっつけちゃうと、自由が利かなくなる。
よってオーダーは単品。
ゆえにビールまで小瓶に抑えたのだ。

ライス付きならフライがよかろうが
小瓶の合いの手にはソテーがふさわしかろう。
決め手はそこだった。
オバアちゃんに
「カキのソテーをお願いします」
彼女応えて
「バタ焼きですネ?」
エッ、メニューにはソテーって書いてあるじゃん。

つい先日、江東区・大島の餃子屋で
中国娘にニラレバをレバニラと言い直されたばかり。
料理の名前には少々敏感になっている今日この頃だ。
でもネ、ニラレバとレバニラが同じであるごとく、
ソテーとバタ焼きも同じであろうヨ。

脂っ気の多いチキンやポークのソテーなら
またベツのハナシになろうが
淡白な魚介類の場合、カキやホタテはもとより、
エビでもイカでもソテーといったらバタ―でしょうヨ。

ちなみにカキとホタテはフライもソテーも単品で800円。
お食事セットにすると1000円。
ビールの小瓶が400円だから
ライス・スープ・漬物のトリオより割高となるが
当日のスケジュールを考慮すれば、賢明な選択と言えよう。

軽く小麦粉をはたかれ、
バターで焼かれたカキは中ぶりが5粒。
よい香りが鼻腔をくすぐる。
「お好みでどうぞ」―
ひと言添えたオバちゃんが醤油差しを置いてゆく。
皿には千切りキャベツ、パセリ1片、レモンスライス1枚。
加えて見るからに緩めのタルタルソース。

卓上のカスターは塩・胡椒・ウスターソースに
ペーパーナフキンとつま楊枝の5点セット。
ガラス製のソース差しの大きさが
”当店は洋食屋にございます”
そう宣言しているようで
歴史に裏付けられた頼もしさを感じさせる。

=つづく=

2018年11月29日木曜日

第2013話 ビールの小瓶でカキのバタ焼き (その1)

その日、降り立ったのは東京メトロ半蔵門線・水天宮。
福岡県の久留米水天宮を総本営とする神社のご利益は
安産と子授かりである。
取りあえず神社に用事はないので
目の前の人形町通りを北西に歩き、甘酒横丁にやって来た。

短い通りの名は明治の初め、
横丁の入口に甘酒屋があったことに由来するそうな。
本日のターゲットは
創業1904年、洋食の「来福亭」である。

ここでちょいと、自著「下町を食べる」から
当店の稿を紹介してみたい。

=黄色いカレーが懐かしい=

隣りの「玉ひで」の行列が
さぞやうっとうしいことだろう。
ところがそんなものはどこ吹く風。
マイペースで昔ながらの洋食を食べさせてくれる。

創業明治37年とこの店も古い。
狭い1階は使い込んだ木製のテーブル、
2階には座敷が2部屋、どちらも癒しの空間である。
近所の「芳味亭」より落ち着くから訪れて損はない。

オムライスとチキンソテーが気に入りで
黄色いカレーライスも懐かしい。
お運びはオバちゃんとオバアちゃん。
さすがに階段の上り下りがシンドそうだ。

もう十数年も前のことで女性たちの顔を
ハッキリ覚えちゃいないが今回もやはり、
同じオバちゃん&オバアちゃんと思われた。
加えてもう一人、娘さんらしき方もおられた。
娘といっても、40歳前後の主婦とお見受けする。

1階奥のテーブルに独り。
ビールはキリンラガーで、その小瓶をお願いする。
柿の種&ピーナッツとともに運ばれた。
家を出たときはカキフライと決めていたが
メニューを見て迷う。
同じカキでもソテーの文字が目に飛び込んだのだ。

おや? ホタテのフライとソテーがあるじゃないか。
まっ、自分の心の内ではカキとホタテじゃ、
カキの圧勝に終わるが
ツレ、それも女性ならススメてみたいホタテではある。

さ~て、カキ。
フライの初心を貫くか、ソテーに浮気するか、
目の前にあるクエスチョンはこのことであった。

=つづく=

2018年11月28日水曜日

第2012話 釣り金目と〆さば

渋谷区・初台の「マチルダ」をあとにして
京王線で一本の杉並区・下高井戸へ。
都内に残された数少ない昭和レトロの駅前市場に
ふらり立ち寄ると軒並み店仕舞いの有り様。
その中でポツンと営業していた鮮魚店の品揃えが豊富だ。
都心ではあまり見かけない、
香箱蟹(ずわい蟹のメス)がとても美味しそう。

駅から至近の「吾作」に入店した。
地元の常連客で大そう賑わっている。
ようやく待望の生ビールにありつけた。
キリン一番搾りの生中は
他店の生大に近いくらいのビッグサイズ。
そうだヨ、中ジョッキはこうでなくっちゃ!
ヒドい店だと、タンブラーで生中を出すもんネ。

突き出しの鱈子昆布巻きはかなりの量。
これだけでジョッキ1杯は楽勝だ。
おすすめボードから釣り金目刺しと〆さばを選抜した。
何でも「吾作」の店主はハマちゃん並みの釣りバカらしい。
釣果を店でも提供するとのことだが
この日の品書きに珍しいサカナは見当たらなかった。

金目は薄造りで登場。
ポン酢と紅葉おろしでいただいて、まことによろしい。
その上をいったのが〆さばである。
比較的浅い〆具合ながら、この鮮度ならこれでよい。
脂のノリがクドすぎず、ゼツのミョウだった。

頭上のTVが近年はどのチャンネルも
必至こいて制作する”バスの旅”を映している。
当夜はサムライジャパンとMLBの親善試合があるハズ。
お運びのオネエさんに
チャンネル切り替えの伺いを立てると却下された。
隣りで金目のかぶと煮を突ついていた、
単身のジイさんが観入っていたようだ。

(家へ帰って観なヨ!)
なあんてことは言えるワケもないし、
普段から敬老精神を忘れないJ.C.である。
ってゆうか~、そろそろ自分自身が
敬われる域に達しちゃってるしぃ。

焼酎を舐めてる相方を尻目に中ジョッキは早や3杯目。
やんなっちゃうくらいにどんどん入っちゃう。
駄目元で頼んだポテトフライがやっぱり駄目。
ごくフツーのフライドポテトにケチャップが添えられている。
望むのは昔、精肉店が揚げていたパン粉付きのヤツ。
熱々ににウスターソースを垂らすと最高なんだ。

チンチン電車を思わせる東急世田谷線に乗り、三軒茶屋へ。
これから魔の三角地帯で深い夜に身を投じる覚悟なり。

「吾作」
 東京都世田谷区松原3-28-11
 03-3324-2220

2018年11月27日火曜日

第2011話 7席だけのワインバー (その2)

たった7席の小さなワインバー「マチルダ」。
ノドが渇いていたので
最初の1杯はスプマンテのリオ・ロッカ。
あゝ、これがビールだったらなァ・・・
未練心につまづきながら、落とす涙の哀愁列車の巻。
ちょっと何言ってるか判らん! ってか?
ミッチーこと、三橋美智也ですがな。

2杯目からは赤。
アルザスのピノ・ノワール、その名もピノ・ボワールを。
ノワール(黒)をボワール(飲む)にかけた、
駄ジャレみたいなネーミングだ。
ス~ッとノドを通って、ほのかな残り香が立ちのぼる。

つまみは相方が主張した冷奴。
つまらんモノを通したもんだが
パクチーと甘辛い中華風のタレが悪くはない。
でも、パックから出しただけの豆腐はいただけない。

それに加えて舞茸と柿のサラダ仕立て。
クルミが散らされ、タイムの小枝が1本添えられている。
こちらは水準に達していたものの、
特段の美味とは言い切れない。

ほどなく女性2人組とカップルが1組、
立て続けに来店して1席を残すのみとなった。
こりゃ長居はできんゾ、何かそわそわしてきたヨ。

3杯目はイタリアの赤で Zeno '14 Voltumna。
ツェーノ ヴォルツンナとでも発音するのだろうか。
店主の説明では品種がサン・ジョヴェーゼらしいが
一口含んで飲み下すと強烈なピノ・ノワールの個性。
とてもサン・ジョヴェーゼとは思えない。
裏のラベルを確認したら、案の定、
ピノ・ネロ(ピノ・ノワールのイタリア版)との混合だった。

この秀逸なワインに合わせ、
4種キノコのブルーチーズ・グラタンを追加する。
どんなキノコか、興味を抱いて訊いてみたら
舞茸・椎茸・占地(しめじ)・エリンギのカルテット。
高価な欧州モノは望むべくもないが
当たり前すぎて面白味がない。
いえ、料理自体はワインとシンクロしたんだがネ。

単身の男性客が入ってきた。
これで満席である。
ワインも3杯づつ飲んだし、料理も3品いただいた。
ここが潮の引きどきと感知してお会計。
2人で8000円弱は高くも安くもない。

ニッコリ笑った女店主の目に
やさしさとうれしさが同居している。
(こちらのお客さま、よく判ってらっしゃるわ)
言葉に出さなくとも瞳がささやいていた。
勝手な思い込みかもしれないが
当たらずとは言え、遠からずであろうヨ。

「マチルダ」
 東京都渋谷区初台1-36-1
 03-5351-8160

2018年11月26日月曜日

第2010話 7席だけのワインバー (その1)

先日、新丸子、目黒と飲み歩いた酌友・Fチャンより、
幡ヶ谷のジャマイカン・カフェに連れてけとのお達し。
ついでに三軒茶屋の三角地帯も案内せよとのこと。
前回は武蔵小杉→溝の口→三軒茶屋という、
スケジュールの大幅な変更を余儀なくされた。

したがって次に飲む際は
溝の口から三軒茶屋のコースで合意したハズなのに
幡ヶ谷をふりだしにせよとのたまう。
まっ、こちらは何処でもいいんだけどネ。

京王新線・幡ヶ谷駅で落ち合い、甲州街道沿いに東へ歩く。
2週前に長期休暇のため、フラれた「C」は幡代交差点前。
店内から灯りがもれていたがカーテンは閉ざされていた。
引き戸を引いて入店すると
驚いた様子のママが、それでも笑顔で迎えてくれる。
ただし、15~18時は中休みだという。

時刻は15時45分。
こりゃ、迷惑はかけられないなァ。
短い会話を交わし、
オッサン二人は速やかに退出した次第なり。

はて、どうしたものかのう。
冷たい生ビールを期待して
水分を控えてきたからノドはカラカラだ。
思いついたのは初台のワインバーである。
以前、ここでも臨時休業の憂き目にあった。
甲州街道の騒音を避け、
玉川水道旧水路緑道を歩いてゆく。

さいわいにして「マチルダ」は開いていた。
ママというのか、マダムと呼ぶのか、
とにかく女主人一人の切盛りである。
30代後半とお見受けした。
たった7席だけの小さなワインバーは
開店間もないため、先客ゼロ。
詰めるように奥の2席へ腰を滑らせた。

「飲みものはワインだけですが、よろしいですか?」―
あまりの一言に茫然自失。
ビールを好まぬ相方は馬耳東風なれど、
当方には強烈な先制パンチである。
いきなりダウンしてすぐには立ち上がれない。
カウント9の声を聞き、どうにかスタンド・アップ。
W杯セネガル戦のGK川島みたいに
両拳を胸の前で揃えてファイティングポーズをとった。

最初は白ワイン。
運ばれ置かれた3本のボトルを投げやりにながめる。
ワインに興味のない相方はボトルなどそっちのけ。
店主の横顔に見とれながら、人の脇腹を突ついて
「好みのタイプだなァ」―鼻の下を伸ばしていやがる。
ふん、勝手にせいや!

=つづく=

2018年11月23日金曜日

第2009話 日暮里スクエアの夜は更けて (その2)

ここ数年は外国からの観光客にも人気の谷根千。
谷中と千駄木の境い目を走るよみせ通りにある、
スナック「G」はそこそこの客入りだった。
しばし、寛ぎのひとときを過ごす。
23時近くになって閉店。
ようやくわれらも何か食べたくなってきた。

谷根千の夜は浅い。
これといった店はみな扉を閉ざしている。
谷中銀座をそぞろ歩いて
突き当りの”夕やけだんだん”に到達した。

ありゃりゃ、昼間”裕やんだんだん”に行ったばかりで
今度は”夕やけだんだん”。
ベツに意図したわけでもないのに何たる偶然だろう。
スナック「Y」が居抜かれてなければ
迂回する予定のなかった谷中銀座である。

数えてみたら、こちらは踊り場をはさんで
上下18段づつの計36段だった。
おそらく草葉の陰で裕次郎が導いたのだ。
「アンタのネーミングはうれしいが
 本家にも顔を出して仁義を切っておいでヨ」
ってネ。

”夕やけだんだん”を上り切ってしばらく、
御殿坂を下ってJR日暮里駅の改札前を横切り、
エスカレーターを降れば、北口のロータリーである。
おお、日暮里スクエアの夜は更けていた。

谷根千と異なり、この界隈の夜はそこそこに深い。
さすがにチェーン店が幅を効かせているものの、
個人経営の中華屋が何軒か開けている。
すんなりと入店したのは「馬賊 日暮里店」だ。

浅草店は何度か利用しているが日暮里店は初めて。
ともに店頭の拉麺打ちが
道行く人の目を引くパフォーマンスとなっている。
日中のピーク時には行列ができるそうだ。

ビールはスーパードライの大瓶。
注文品は相談した結果、ラーメンと焼き餃子を一人前づつ。
相方には昼間、五反田の「志野」で食べたかったラーメン。
当方には「一風堂スタンド」のリベンジとなる餃子である。

シンプルな醤油ラーメンは太打ち麺に
バラチャーシュー・シナチク・わかめ。
じゅうぶんに水準をクリアしている。
焼き餃子は厚めの皮に肉主体の餡。
好みではないものの、存在感が際立って美味しい。

ストマックには負担をかけてしまったけれど、
相応に楽しめた長い一日でありました。

「馬賊 日暮里店」
 東京都荒川区西日暮里2-18-2
 03-3805-2430

2018年11月22日木曜日

第2008話 日暮里スクエアの夜は更けて (その1)

  ♪    静かな街の 片すみに
     冷たい風が 吹き抜ける
        ワシントン広場の 夜はふけて
     夜霧に浮かぶ 月明かり

     冷たい風が 吹き抜けて
     黒い落ち葉が ただひとつ
           ワシントン広場の 夜はふけて
     夜霧に浮かぶ 月明かり   ♪

         (作詞:漣健児)

ディキシーの佳曲「ワシントン広場の夜は更けて」は
1963年にアメリカでリリースされた。
当時はインストルメンタルで
演奏はザ・ヴィレッジ・ストンパーズ。
その後、
作曲者のボブ・ゴールドシュテインによって詞が作られる。

日本に上陸したのは1964年。
ダニー飯田とパラダイスキングが歌って大ヒットし、
のちにダークダックスもカバーしている。

五反田の街でニクシチやら水餃子やらを食べて腹いっぱい。
腹ごなしに遊び回ったものの、
日が暮れても空腹感は訪れなかった。
相方も同じ様子である。

当初の予定は近場の焼きとん酒場だったが
手をこまねいて腹がすくのを待つわけにはいかない。
先にどこかへ移動してしまおう、ということになり、
到着したのは荒川区・西日暮里。

スナッキーを自認する相方の夜は
スナックに行かないと更けることがない。
互いに何度か訪れたコリアン・スナック「Y」に赴くと、
袖看板がすげ替えられているじゃないか―。

「めだかの学校」よろしく、そっとのぞいてみてごらん。
かように下見を促した。
報告によれば、前のママよりずっと年長の女(ひと)が
客とデュエットしていたそうな。
おかげで扉を細目に開けた斥候に気づかなかったらしい。
こりゃ、ヤバいな。
君子、危うきに近寄らず。
予定を変更して、よみせ通りの別店に向かう二人だった。

=つづく=

2018年11月21日水曜日

第2007話 ニクシチなる珍品 (その2)

西五反田はTOCセンター地下の食堂街。
「食事処 志野」でエビスビールを飲んでるうちに
あんかけ焼きそばが運ばれ来た。
白菜中心の餡がたっぷりかかっているが
どうやら片栗粉の分量を間違えたようだ。
あちこちに煮凝り状のダマだできちゃってるヨ。
しかしながら、味のほうはまずまずである。
相方は麺の炒め具合が良いとうなづいている。

名代のニクシチもほどなく登場。
想像通りの見た目だ。
山盛りのキャベツの上にはスパゲッティサラダ。
脇にはマヨネーズが添えられている。

口にしてみて、
これならフツーの生姜焼きのほうがいいんじゃないの。
そんな印象である。
ただ大量に七味唐辛子を加えただけでは
名物料理としての完成度に疑問符が付く。
熊本県・天草の自然放牧育ち、
宝牧豚とのことだが別段、特筆には当たらなかった。

きゅうりのキューちゃん風の漬物。
油揚げ・豆腐・にんじん・大根と具は多彩ながら
その絶対量がケチくさい味噌汁。
どっちも何だかなァ・・・。

ただし、ごはんは極上だった。
秋田粋き活き農場の無農薬・無化学肥料米は
炊き加減もよろしく、実に美味しい。
このライスのためだけに再訪してもいいくらい。
そのときは肉野菜炒めかベーコンエッグをおかずにしよう。

来た道を戻って「一風堂スタンド」へ。
浜松町店は知っていたが五反田にもあったのだ。
立ち飲みスタンドと聞いてたものの、
カウンターに座り飲みだった。

迷わずスーパードライの中瓶を通す。
これだけではあまりに愛想がないので何か軽いつまみをと
相方が明太子とキクラゲ、当方は水餃子をお願いする。
すると、ビールは旨いが焼き海苔を添えた明太子がヒドかった。

生臭いし、化学の味しかしない。
これは明らかに業務用チューブ入りだネ。
上等な助宗鱈ではなく、
真鱈やカラフトシシャモの真子が主体だろう。

加えてキクラゲがおざなり。
水餃子も皮がモコモコの駄品。
すでに「志野」で満腹になっていたことを差し引いても
これではとんこつラーメンの人気店の名が泣く。
「一風堂」だけに一風変わった形態に挑戦したものと見えるが
このままでは「日高屋」のような成功は見込めまい。
速やかな改善を促したい。

「食事処 志野」
 東京都品川区西五反田7-22-16
 03-3494-4988

「一風堂 西五反田スタンド」
 東京都品川区西五反田1-25-5
 03-6421-7666

2018年11月20日火曜日

第2006話 ニクシチなる珍品 (その1)

”裕やんだんだん”にて
裕次郎の面影をしのんだあと、五反田駅に舞い戻った。
改札口で相方とおち合い、中原街道を南下してゆく。
東海道よりはるかに長い歴史をきざむ幹線道路は
赤穂浪士が江戸入りに利用したルートと語り継がれている。

南下といってもたかだか10分足らずでTOCに到着。
服飾にはそれほど興味がないので地下の食堂街に直行した。
アパレル界に従事して、ここをよく訪れる友人からは
「ロクな店がないヨ」と釘を刺されていたものの、
ニクシチなる一皿を供する食事処があると聞いていた。
豚肉の生姜焼きに大量の七色を投入しただけらしいが
どんなものか試してみる気でいた。

ぐるりと一周して友人の忠告に納得。
昭和の匂い、というより食べものの臭いが立ち込めている。
店頭に立ち止まり、メニューに見入っても
惹かれる店がまったくと言っていいほどにない。

浮気をせずに「志野」に入店した。
店内は左側から厨房、テーブル席、小上がりのレイアウト。
われわれは靴を脱いで上がり込んだ。
ニクシチの正式名は豚肉七味炒め定食。
これは決めてあるから、もう1品の選考に入る。

おっと、その前にビール、ビール。
”裕やんだんだん”を上り下りしたせいもあって
ノドは相当に渇いている。
接客のオジさんに銘柄を確かめてガッビ~ン!
何と、エビスの瓶だけだとヨ。

それはないぜ、セニョール!
そりゃ、山手線で恵比寿駅は五反田の隣りの隣り。
ここはサッポロビールのテリトリーだってことは理解できる。
ならば、せめて赤星か黒ラベルも置いておくれヨ。

よって中瓶1本だけお願い。
実はここへ来る途中、中原街道沿いに
とんこつラーメンの「一風堂」が新しく展開を始めた、
「一風堂スタンド」があるのを確認していた。
「日高屋」や「銀だこ」に倣って、
手っ取り早く言えば、真似をして乗り出した飲み処。
帰りに立ち寄り、気に入りの銘柄で口直しならぬ、
ノド直しをすれば、それで済むことだ。

協議の末、もう1品はあんかけ焼きそばとした。
相方は支那そばを食べたがったが
スープ麺はシェアしているうちにノビやすいし、冷めやすい。
よって要望を却下した次第なりけり。

=つづく=

2018年11月19日月曜日

第2005話 裕次郎の五反田だんだん

東京都心を包み込むようにして走るJR山手線。
じきに新駅が誕生するが現時点で全29駅のうち、
五反田は大好きな駅である。
好きな駅というのもヘンなハナシだが
プラットフォームからの眺めが素敵なのだ。
いや、素敵だったのだ。

電車を降りて東の方角に目を向けると駅前ロータリー。
今でこそカラオケボックスや洋服屋の無粋な看板に加え、
駅の事務所でも入っているのだろうか、
のっぺらぼうなビルが目の前に建っており、
いちじるしく美観を損ねている。
かつては29駅中、随一の佳景を造成していた。

この日は西五反田にある、
TOC(東京卸売センター)の地下食堂街でランチの予定。
待合せの時刻より30分も早く五反田駅に到着した。
しばし前述の景色を眺め、多少の落胆を引きずりながら
改札を出ると、線路に沿って北(目黒駅方向)に歩いた。
俳優・石原裕次郎の面影をもとめてネ。

ものの5分も歩くと
「助川ダンス教室」の看板を掲げたビルが見えてくる。
いつの間にか、その1階にはイタリア料理店が開業していた。
このビルの左隣りに古い石段がある。
たった22段の短いものだが
裕次郎ファンにとってはかけがえのないスポットなのだ。

映画「嵐を呼ぶ男」(1957)をご覧になった読者は少なくないハズ。
映画ではこの階段の上に裕次郎の一家が棲むアパートがあった。
夜更けに家を飛び出した彼がここでドラムならぬ、
ドラム缶を棒きれでたたく。
騒音に腹を立てた近所のオッサンが怒鳴りつけたネ。

通常は撮影所のセットで済ませられるシーンなのに
監督・井上梅次はロケを選択した。
この場所、この石段の存在を
井上、あるいはスタッフの誰かが知っていたに違いなく、
おかげでファンに裕次郎をしのぶよすがを残してくれることになった。

段数を数えながら石段を2往復する。
頭の中では

 この野郎、かかって来い!
 最初はフックだ・・・ ホラ右パンチ・・・
 おっと左アッパー・・・

裕次郎の声がこだましていた。

ちょくちょく徘徊する谷中に夕陽の名所、”夕やけだんだん”がある。
そうだ、あやかってこの石段を”裕やんだんだん”と名付けよう。
そして五反田界隈にやって来たなら、必ずここを上り下りしてやろう。

2018年11月16日金曜日

第2004話 思い出のシャルル et フランシス (その2)

さて、フランシス・レイの思い出。
ある意味、アズナヴールよりも
この人に愛着があるかもしれない。
映画音楽にはスクリーンという強い味方があるからネ。
出会いはご多分にもれず「男と女」。
その後、彼が音楽を手がけた映画はほとんど観てきた。

1971年3月。
東京で米映画「ある愛の詩」が封切られた。
あとになって再観すると、
あまりデキのよくないラブ・ストーリーなのだが
そのときは強く印象に残った。
レイの音楽が効力を発揮していたし、
何たってこちらはまだティーンエイジャーだったし・・・。

ロードショーで観た数日後。
人生初めての渡航は横浜の港からソ連船に乗って―。
ソ連経由の西欧の旅だったが
フランスの小さな田舎町、グルノーブルを訪れた。
「白い恋人たち/グルノーブルの13日」、
冬季オリンピックのドキュメンタリー映画を
観ていなければ、間違いなくスルーしていたところだ。

その旅ではけっこうな日にちをパリで過ごした。
シャンゼリゼの映画館に「ある愛の詩」がかかっており、
引き込まれるように切符を買った記憶がある。
街にはミレイユ・マチュウが歌う主題歌が流れていたっけ。

それではフランシス・レイのマイ・ベスト5を。

① 白い恋人たち
② 雨の訪問者
③ 個人教授
④ ある愛の詩
⑤ あの愛をふたたび
 次点:パリのめぐり逢い

「男と女」はどうした? そうおっしゃいますか。
残念ながら次点の次くらいですかな。

レイによる音楽とともにさまざまな女優の面影が浮かぶ。
アヌーク・エーメ、マルレーヌ・ジョベール、
ナタリー・ドロン、アリ・マクグロー、キャンディス・バーゲン、
そして何といってもアニー・ジラルド。

彼女はもっとも好きな仏女優の一人。
「あの愛をふたたび」のラストで
アップにされた冷笑を忘れることができない。
先述の旅でミラノを訪れたのも
アラン・ドロンと共演した映画「若者のすべて」のためで
ドゥオモ屋上のシーンが心に深く刻まれていたのだ。

2018年11月15日木曜日

第2003話 思い出のシャルル et フランシス (その1)

シャルル・アズナヴールのあとを追うようにして
フランシス・レイもまた帰り来ぬ人となってしまった。
アズナヴール他界の報に接したとき、
すぐにでも一筆したためようと思ってはみたものの、
いたずらに費やした怠惰な日々。
 
その背中を押すというより、突っついたのがレイだった。
フランス音楽界の両巨頭と断じていいほどの大物の旅立ちを
このまま看過しては彼らの音楽に少なからず心癒され、
慰められ、励まされた一ファンとして顔向けができない。
ちなみにミッシェル・ルグランを加え、わが御三家とする。
 
アズナヴールとの出会いは
1964年に日本で公開された映画「アイドルを探せ」。
シルヴィ・ヴァルタン歌う主題歌を手掛けた彼は
映画にも出演しているが観たのはずっとあと、
結果として曲から入ったわけだった。
その後、六本木のシャンソン酒場で
名曲「ラ・ボエーム」を聴き、一気にのめり込んだ。

二十数年前、実物を拝んだのはマンハッタンのカーネギー・ホール。
ライザ・ミネリとのジョイント・コンサートだった。
どこでどう二人がつながったのか、今もって不明のままだが
歌上手にして芸達者のコラボは観客を魅了しつくした。

当ホールのジョイントでは同じ頃、
ミッシェル・ルグランと森山良子の競演を観る機会にも恵まれた。
こちらもまた素晴らしいステージでありました。

ここで恒例により、彼のナンバーからマイ・ベスト5とまいりましょう。

① ラ・ボエーム
② 帰り来ぬ青春
③ 愛のために死す
④ 君を待つ
⑤ イザベル
 次点:二つのギター

J.C.にとってシャンソンのベスト3は
 ラ・ボエーム・・・シャルル・アズナヴール
 パリの空の下・・・イヴ・モンタン
 枯葉・・・ジュリエット・グレコ
こればかりは順位なんかつけられない。

「愛のために死す」は実話の映画化の主題歌。
おそらくこの事件、この映画なくして
エマニュエル&ブリジットの結婚は成就していまい。
エッ、誰のことだ? ってか?
フランス共和国のマクロン大統領夫妻であります。

=つづく= 

2018年11月14日水曜日

第2002話 レバニラと餃子を食す (その4)

学生風がハネた紅しょうがを
蟹目で見ながら老酒をお替わり。
レバニラ炒めも後半に入り、
箸の上げ下げのスピードがガクンと落ちてきた。

そもそも大盛りの1皿を食べ切る、
かような習慣がまったくないのだから致し方ない。
残りを学生風に譲りたいくらいのものだ。
たぶんコヤツなら歓んで食うだろうヨ。

見渡せば、店はほぼ満席の盛況ぶりである。
空いていた右隣りに独りのオジさんが着席。
真横だと顔が見えないが
雰囲気から推測して50代だろうか―。

カウンターは揃いも揃って孤独のグルメ状態。
”でしゅね~?娘”にオジさんが餃子を3皿注文した。
本店は2皿しばりだから珍しくもないが
しばりのない当店で単身の3皿はあまり見かけない。

食欲の秋たけなわ。
オジさんはさほど時間を掛けず、キレイに平らげた。
合いの手の飲みものはお冷やだけである。
わが身を振り返ると、
はたして餃子をビール抜きで食べたことがあったろうか。
飲茶の際にも中国茶はほとんど口にしないし・・・。
とてもとてもこんなマネは逆立ちしたってできやしない。
いや、ちょいと待て!
身体が固いため、逆立ち自体がもはやムリだネ。

店頭にはテイクアウトの客がパラパラと現れる。
中には10人前なんて主婦もいる。
50個だぜぃ、子どもが何人いるか知らんんけれど、
今夜は家族そろって餃子合戦だネ。

2杯目の老酒を飲み干して、さァ、そろそろ腰を上げよう。
いや、再びちょいと待て!
両サイドの同朋に恵まれた(?)せいで
気がそっちにバラけてしまい、2軒目の吟味がまだだった。

オジさんが醤油ラーメンを追加したこともあり、
こちらも負けじと3杯目の老酒を所望する。
せっかくだから未食のラーメンを拝んでおきたいしネ。
その間に身の振り方を考えればよい。

はたして運ばれたどんぶりには
バラ肉チャーシュー・シナチク・わかめ、
そしてここにも当店で多用されるもやしがあった。
無粋にのぞき込むことはでこなかったが
中細の麺はほぼストレートに見えた。

結局は薬局、レバニラを完食して腹は十二分目。
腹ごなしを兼ねて新大橋通りを西へ歩く。
行く手の住吉・菊川・森下には酒場が目白押し。
手ぐすね引いて待っているに違いない。

=おしまい=

「亀戸餃子 大島店」
 東京都江東区大島4-8-9
 03-5628-0871

2018年11月13日火曜日

第2001話 レバニラと餃子を食す (その3)

江東区・大島の「亀戸餃子」で沈思黙考。
ニラレバとレバニラ、どちらが人口に膾炙しておるのか?
そのことであった。

帰宅後、調べてみたら同じ疑問を抱く御仁が相当数いた。
中国語では”韮菜炒牛肝”だからニラレバという人。
「天才バカボン」のパパがレバニラの言い出しっぺで
それ以来、急速に普及したとする説。
いろいろあったがレバニラ派が圧倒的多数を占めるらしい。
キャベジンのCMにある通り、
昔はみんなニラレバと呼んでたような気がするけどネ。
まっ、J.C.はこれからもニラレバ派でいくつもり。
第一、慣れてるせいかニラレバのほうが発音しやすい。

そんなことより出来上がったニラレバ、
じゃなかった、当店ではレバニラである。
楕円形の白い皿にてんこ盛りで運ばれてきた。
おい、おい、独りでこんなに食えんやろ。

パッと見、レバーがたっぷり入っているものの、
もやしの量が半端じゃない。
(流行りの”ハンパない”はけして使わない)
レバー・ニラ・もやしのレイシオは2・3・5くらいだ。
ここ数年、いや数十年かもしれんが
ほとんどの店がもやしの大量使用に走っている。
これは本来あるべき姿ではない。

完食不能と思われつつも
味付けはアッサリ、油の量は控えめとあって
順調に食べ進んでいた。
特筆に値しなくともこれなら及第点はあげられる。
野菜が不足がちな独り者には理想的な一品とも言えよう。
そのせいか、やたらめったらレバニラを注文する客が多い。

左隣りに座った学生風が
”レバニラでしゅね~?”娘に問い掛けている。
「ソース焼きそばとかた焼きそばの違いは何ですか?」
思わずJ.C.、首を45度左に捻って
コヤツの顔をのぞき込みそうになった。
(お前、そんなことも判らんの?)
もちろん口には出さずにネ。

学生時代は花盛り、学生風は食い盛り。
餃子・炒飯・ソース焼きそば、みんな頼みやがった。
TVの大食い選手権じゃあるまいし、
そんなには食えねェだろ!

ところが食ったネ。
見事に完食しやがった。
ただし、焼きそばに付いてた紅しょうがだけは
皿の端にみんな弾いてやんの。

=つづく=

2018年11月12日月曜日

第2000話 レバニラと餃子を食す (その2)

「生きる歓び」もとうとう第2000話。
日頃の読者のご愛顧に心より感謝いたします。

さて、「亀戸餃子 大島店」のカウンター、
その中央あたりに座っている。
ビールを飲んでいて背中に人の気配を感じた。
振り向くとお運びの中国人女性が立っている。
すでに餃子は頼んだじゃないか、
ほかの注文はあとで、あとで、シッシ!

何のこたあない、J.C.の座った席は
料理の出るデシャップ台の真ん前だったのだ。
そりゃ、お運びサンはその位置に立つわな。
邪険にしてごめんね、ゴメンネ~!
取り急ぎ、右へ2席移動した。

相変わらずスーパードライは美味いねェ。
相変わらずここの餃子も美味いねェ。
そして美しい。
片面の焼き色ほどよく、餡はしっとりふんわり。
練り辛子が添えられてるが
最初の1カンは何も付けずにそのままいただく。
カリッパリの皮に歯を立てると
豚挽きの香りがフワッと立ち上る。

2カン目は辛子で食べて、これもよし。
お次は酢のみ、続いて醤油を足し、
最後の5カン目は卓上のニンニク油と辣油を半々。
これは油をブレンドしたのではなく、
餃子を箸で二分して、それぞれ味わった。

ここで老酒に切り替える。
グラス250円ながら、しっかりとした老酒である。
亀戸の本店は餃子とビールと
中国酒しか置かないくらいだから
それなりの厳選を経ているものと想像される。
品質に間違いはなかろう。

何度も訪れている当店だが餃子と炒飯しか食べていない。
麺類や一品料理を試したことは一度もない。
そこで追加したのがニラレバである。
もっとも先刻の中国娘に
「レバニラでしゅね~?」と言い直された。

このとき気分を害さずに
「そうだヨ」と同意するのがJ.C.のやさしいところ。
だが、ちょいと待てヨ。
ニラレバもレバニラも日頃よく耳にするけれど、
いったいどっちが正しい呼称なのかネ?
いや、どちらも正しいんだろうが
よりポピュラーなのはどっちの方じゃい?

=つづく=

2018年11月9日金曜日

第1999話 レバニラと餃子を食す (その1)

今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。
じゃなかった、森繁の翁といふ者ありけり。
この翁と、先頃亡くなった樹木希林が掛け合う、
キャベジンのTVコマーシャルがあった。
1970年代だったと思う。

記憶をたどって再現してみると、
「ニラレバとボタ餅食べたんだけど、
 キャベジン飲んだほうがいいべか?」
と樹木希林。
森繁応えて
「そりゃ、いいべヨ」
正確ではないにせよ、大方こんな感じだった。

その夕刻。
かかりつけの歯科医に歯の点検と
マウス・クリーニングを施してもらい、
遅い昼食というより早めの晩酌に出発した。

日頃から出没先の偏りを避けるため、
東京23区内に限っては
小まめにパトロールするよう心掛けている。
隅田川の左岸、いわゆる川向こうにある、
墨田区へは8月に行った。
同じく左岸の江東区を最後に訪れたのは2月のことで
ずいぶんと無沙汰をしている。
よし、今日は江東区に決めた!

都営地下鉄の新宿線・西大島で下車する。
ここは”にしおおしま”ではなく”にしおおじま”。
新大橋通りを東に歩くこと数分。
目当ての「亀戸餃子 大島店」に到着した。

餃子で一杯飲って、隣りの「ゑびす」で飲み直し。
そんな目算を立てていた。
ところが「ゑびす」の閉じられたシャッターには
臨時休業の木札が掛かってるじゃないか。
まっ、いいや、ビールを飲みながら行く先の吟味を図ろう。

しばらくぶりの「亀戸餃子」。
大島店の餃子は亀戸本店のそれより好きである。
ってゆうか~、こんなに旨いのヨソにはないぜ。
5カン=270円の値段を考慮すれば、
都内随一の名餃子と言ってよい。
そうなんですヨ、富めぬ者の強い味方が当店なんです。

スーパードライの大瓶を通す。
あっさりとした味付けの茹でもやしは定番のお通し。
チェーン居酒屋の愚にもつかぬ駄品よりよほどマシだ。
本店は2皿(10カン)しばりだが、ここは1皿からOK。
餃子だけなら2~3皿イケちゃうけれど、
今日は隣りの「ゑびす」が臨時休業。
ここは1皿にとめおいて
ほかの一品料理を試したかった。

=づづく=

2018年11月8日木曜日

第1998話 書割みたいな飲み屋街 (その6)

大衆割烹「こまい」でヒョンなことから
2人のうら若き乙女が互いの自己紹介を始めた。
聞き耳を立てたのじゃないが、すぐ目の前の出来事。
加えて両者ともに長野県出身ときては聞き逃せない。

そんなこって小上がりの娘が篠ノ井、
右隣りは松本の産と判明した。
聞き流せばよいものを
ここで余計なくちばしを挟むオジャマ虫が1匹。
「あのぉ、実はボクも長野出身なんです」
虫野郎は言わずと知れたJ.C.その人であった。

「エッ、どちらですか?」
「長野市です」
思いがけない成行きに女将も目を丸くしてたネ。
小上がりの女性は仲間の元へ戻って行ったが
右隣りとはこれをきっかけに会話が始まった。
こういう場所で同郷の方と隣り合わせになるのは
去る1月、千葉県・本八幡のカウンター酒場で
上田出身の女性と遇って以来のことである。

それはそれとして、しゃこが整った。
皿には中型サイズが6尾も―。
おろし立ての山わさびがタップリと添えられている。
いや、これはうれしいな。
山わさびはローストビーフに不可欠の薬味で
英語はホースラディッシュ、仏語ならレフォールという。

しゃこには山わさびより本わさびがなじむが
練りや粉のわさびよりずっといい。
しゃこ本体もシットリと水分を保ち、上手に茹でられていた。
満足、マンゾク。

新しい客が何人か来店し、いよいよ店は活況を帯びてきた。
女将はてんやわんやの大忙しである。
会話をするとノドが渇くため、ジョッキをお替わりしたいが
状況が状況だけになかなか口に出せない。
すると、目ざとく気づいた話し相手が
「お母さん、お客さんの生ビール、私が注いじゃうネ」
あら、あら、手慣れたもんじゃないですか。
つつしんでお礼を申し上げた。

ようやくマトウ鯛が焼き上がった。
オーダーから1時間近く経過していた。
忙しさもあろうが、かなりの大判につき、
ジックリと火が通された証しだろう。
こりゃ食べでがあるわい。

手の空いた女将に青森は白神酒造のその名も白神を
グラスに目いっぱい注いでもらい、おもむろにグビリ。
良質の白身に白神、こりゃ合わんわけがなかろうぜ。
雨には祟られたものの、
店・客・魚・酒に恵まれた幡ヶ谷の夜。
更け込むにはまだまだ早いものがありました。

=おしまい=

「こまい」
 東京都渋谷区幡ヶ谷2-7-6
 03-3375-2449

2018年11月7日水曜日

第1997話 書割みたいな飲み屋街 (その5)

幡ヶ谷の町でマトウ鯛とまさかの出会い。
この美味なるサカナを最後に食べたのは
旧ユーゴスラヴィアを構成していた国の一つ、
スロベニアの首都・リュブリャナだ。

あれは2007年9月8日土曜日。
海鮮料理専門の「Spajza(スパイザ)」なる店だった。
スカンピ(赤座海老)、地中海スズキ、
大メイタガレイはすべて炭火焼き。
マトウ鯛だけが地中海風という料理名のアクア・パッツァ。
ほかにはポルチーニのリゾットとスロベニア野菜のサラダバー。
ワインは白がシャルドネ、赤はピノ・ノワール中心である。
総勢9名、華麗なる晩餐に揃いも揃って舌鼓を
ぽんぽこぽんのすっぽんぽんでありました。

「こまい」の壁にマトウ鯛を見初めて発した第一声は
「マトウ鯛があるんですか?」
「ええ、ありますヨ」
「おお、焼いてください」
飲みものを通す以前である。
だって売切れ御免だけは避けたかったからネ。

そうしておいて生ビールの中ジョッキを発注。
銘柄はサッポロ黒ラベルである。
唇に付いた泡を拭って再びメニューボードを見上げる。
マトウ鯛に心を奪われてろくに目を通してなかったのだ。
前話で紹介した北海の幸は
あとになってからしたためたものである。 

おっとまた一つ必注品を見つけたゾ。
東京湾からほとんど姿を消したしゃこ(蝦蛄)である。
道産かどうか定かでないが、これは見逃せない。
女将の手が空くのを待ってお願いした。

カウンターの客は3人きりだが
奥の小上がりに男女4人のグループが1組。
なんだかんだと注文が多い。
「すみませ~ん、氷とウーロン茶お願いしまーす」
「今忙しいからダメッ!」
ハハハ、怒られちゃってるヨ。

当方は突き出しの肉じゃがを合いの手に2杯目の中ジョッキ。
グループの女の子が畳をいざって顔を出した。
すると女将、J.C.の右隣りの女性にも目線を送りながら
「アンタたち、こないだ会ってるよネ?」
問われた2人はキョトンとしている。
「あらっ、だって同じ長野の出身じゃないの」
「エエーッ!」
同時に驚きの声。
おやおや、何だか面白い展開になってきたゾ。

=つづく=

2018年11月6日火曜日

第1996話 書割みたいな飲み屋街 (その4)

幡ヶ谷は「こまい」のカウンター。
店名の「こまい」はタラ科のサカナ、氷下魚に由来する。
氷下魚の別名は寒海(カンカイ)。
氷下魚にせよ寒海にせよ、北の海の産であることが判る。
そう、当店は北海道の味覚を前面に押し出した割烹なのだ。

壁のボードに書き出された品々に
その特徴が如実に表れている。
刺身はオヒョウ、青ソイ(各800円)。
焼きものはタイトルロールのコマイ(500円)、
ニシン(1100円)、宗八カレイ(1200円)といった具合である。

オヒョウなんて久しぶりに目にした。
1960~70年代にはかなり市場に出回っており、
ヒラメの代用品として人気も高かった。
洋食屋の平目フライはほとんどオヒョウだったハズ。
メスは200kg近くに成長するため、
漢字では大鮃と表記されるものの、
実際はカレイ目カレイ科のサカナである。

その名を聞くこともトンとなくなったが
現在では回転寿司など安価な鮨屋で使われているようだ。
そこでヒラメのエンガワと称されるのは
ほとんどがオヒョウのそれであるらしい。

品書きに或るサカナの名を見とめて瞠目。
何とマボロシのマトウ鯛である。
あまり一般に知られていないものの、極めて美味なサカナだ。
全ての魚種のうちで
最も食味の良いサカナの一つと言ってよい。

漢字は馬頭鯛、あるいは的鯛が当てられるが
どちらもその姿から来ている。
ウマヅラハギのように面長だし、
身体の側面には弓矢の的に似た大きな斑点を一つ持つ。

殊にヨーロッパで珍重され、
高級レストランのメニューにその名を見ることたびたび。
英語ではジョン・ドーリー、仏語でサン・ピエール、
伊語はサン・ピエトロ、西語ならサン・ペドロ。
キリスト教の十二使徒の一人、聖ペテロに由来するが
なぜか英国ではセント・ピーターと呼ばない。

その味を何と表現したらよいだろう。
淡白にして繊細な白身は
マナガツオとツボダイの中間点、
両者のいいとこ取りといったら当てはまろうか。
ん? それじゃもっと判らんってか?
いや、ごもっとも。

マトウ鯛の名を品書きに見るのは
実に11年ぶりのことであった。

=つづく=

2018年11月5日月曜日

第1995話 書割みたいな飲み屋街 (その3)

京王新線・幡ヶ谷駅近く、甲州街道の北側にある、
小さなアーケードには飲食店が数軒並んでいる。
大阪発祥の「串かつ 名代(なしろ)」で
浅草以外ではまず飲まない電気ブランを飲んでいた。
頭の中に高倉健の「唐獅子牡丹」がこだましている。

このとき突然、ジャマをしたのが
店内にあるユーチューブ動画のスクリーン。
画面はエゴラッピンにの「色彩のブルース」だ。
いや、これはジャマどころか、モースト・ウェルカム。
大好きな曲なのだ。
中納良恵の歌声により、健サンはフェイドアウェイしていった。

気をよくして串かつのキスとチーズもちを追加する。
生ビール、電気ブラン、5本の串かつ&キャベツ。
それぞれにそれなりに美味しくいただいて会計は1350円也。
さあ、書割横丁に乗り込むゾ。

再びこのとき突然、襲来したのが折からの驟雨。
不安定な大気がもたらした雨足の強さにたじろいだ。
横丁は目と鼻の先なのに、これじゃたどり着けないヨ。
たまたま串かつ屋の向かいにあった、
「TSUTAYA」に逃げ込んで雨宿りの巻である。

驟雨というのは本来、ザァ~ッときてすぐやむもの。
いや、やまなければならない雨。
それがどうしたわけか、この夕刻の驟雨は掟破りだった。
30分以上降ってもやむ気配がサラサラない。
都知事じゃないが”サラサラない”は人気を落とす。
少しは雨宿りする身にもなっておくれヨ。

1時間近く足止めを食らったろうか。
雨足が弱まるのを見計らい、
ようやく舞い戻った本日3度目の書割横丁。
目当ての2軒をチラリとのぞくと、
どちらもカウンターに空席があった。
しめしめ。

牛タンなんてしばらく口にしてないから
「萬月」にしてみるか。
そのあと「こまい」に流れればいいじゃないか。
いや、ちょいと待て!
腹に収まった5本の串かつが
文字通りボディーブローのように効いてきた。

「こまい」の引き戸を引くと、女将が「いらっしゃい!」。
カウンターのほぼ中央に落ち着いた。
1席おいて右に単身の女性客。
左側も1席おいてこれまた女性が一人。
これを両手に花とは言わぬが
書割横丁では女性の一人飲みが流行りなんだねェ。

=つづく=

「串かつ 名代」
 東京都渋谷区幡ヶ谷2-13-4
 03-3370-7452

2018年11月2日金曜日

第1994話 書割みたいな飲み屋街 (その2)

渋谷区・幡ヶ谷の裏町を徘徊中。
幡代で目当てのバーを空振ったあと、
止まり木をもとめて流れて来たのだ。
店々に灯りが点るまで時間があった。
取りあえずタイム・キリングに努めねば―。
傾きかけた西陽を見上げて思案投げ首。
ここは何も考えずに町を歩くしかない。

甲州街道を渡って駅の南側に移動。
2ヶ月前に訪れた小料理屋「のっこい」の前を通り過ぎると、
薄暗い店内の客席で女将が三味線を弾いていた。
ほ~う、三味のお稽古ですか、粋ですなァ。

よほど立ち寄ろうかと気移りしかかったが
稽古のジャマはもとより、
店先で待つわけにもいかんしなァ。
(また近いうちに寄るネ)―
心につぶやき、代々木上原方面へと立ち去る。

西原の商店街を往来してから書割横丁へ戻った。
ありゃりゃ、17時を回ったのに未だ両店開かず。
いや、マイッたな。
仕方なしに先ほど店先を通った串かつ「名代」へ。
これは”なだい”ではなく、”なしろ”と訓ずる。
大阪・平野にて昭和27年に開業したそうな。

ハッピーアワーを16~18時に設けていて
好みの酒1杯におまかせの串かつが3本付いてワンコイン。
お安いですなァ。
ただし、飲みものは390円までの商品に限られる。

ドリンクメニューに目をやると、
またまたキリンラガーのお出ましで
(小)が390円、(中)は500円超えである。
ハッピーにあやかるためには(小)を択ぶほかはない。
敵もさる者、上手く設定してるなァ。

小ジョッキに突き出し代わりの生キャベツ。
串は牛肉、エリンギ、うずらの玉子だった。
ちなみに当店の串かつは牛が1本90円で
ほかはほとんど125円である。

キャベツを合いの手に飲む生ビールはすぐにカラとなる。
そうだよなァ、小ジョッキなんてめったに飲まんもん。
昼めし抜きにつき、3本の串もアッという間に消えた。
ここでお勘定では愛想がなさすぎる。

追加はまず電気ブラン。
何処にいてもこれを飲れば、浅草にいるような気がしてくる。

 ♪ エンコ生まれの 浅草育ち ♪

健サンの上手くはないが渋い歌声が
頭の中をグルグル回り出した。

=つづく= 

2018年11月1日木曜日

第1993話 書割みたいな飲み屋街 (その1)

その日は渋谷で理髪を済ませ、
サロンの前で渋谷区のコミュニティバスに乗り込んだ。
笹塚行きに揺られること10分あまり、幡代の交差点で下車。
ちょうど2ヶ月前にたどったコースの踏襲である。

停留所のすぐそばにある、
ジャマイカン・カフェ「C」で軽く飲るつもりだった。
ところがギッチョン、店のドアが閉ざされている。
エッ、まさか?!

いえ、閉業したわけじゃなかった。
貼紙によれば、ちょいと長めの夏季休暇の由。
もっとも今の時期なら秋季休暇か―。
取りあえず安心した次第。
安心はしたけれど、
せっかく来たのに休みでは落胆もする。
まっ、そのうち舞い戻ればそれで済むことだがネ。

はて、困った。
15時半じゃ、開いてる店などないヨ。
どこぞへ河岸を変えてみるか―。
だけど時間つぶしのための長距離移動は
それこそ時間の無駄にしてスイカの浪費にもつながる。
賢者、遠きに赴かず、その精神でまいりましょう。

よって近場で飲むことにした。
渋谷区・幡代は初台と幡ヶ谷の中間に位置する。
オペラシティに用はないから必然的に向かうのは幡ヶ谷。
この町は甲州街道の北側にプチ飲み屋街を抱えている。
舞台の書割みたいな情緒をたたえる一画である。

歩き始めてほどなく、6号通り商店街に到着。
通りには肉バルやシュラスケリアがあり、
どちらかというと若者向き。
西へ1本入った界隈が書割横丁(勝手に命名)だ。
辺りをぶらぶらしていれば時の経過も速かろう。

最後にここで飲んだのはいつだったかな?
帰宅後、調べてみたら7年前の師走であった。
笹塚で2軒回ったあと、
書割横丁の「魚貞」、「太陽食堂」を連荘。
その後、初台に流れてもう1軒と、
ヒドい飲み方をしたもんだ、ジッサイ。

同じ店の再訪より新規開拓が望ましい。
まだ暖簾が出てないものの、割烹風の「こまい」、
そして牛タン自慢の「萬月」、以上2軒に狙いを定めた。
定めはしたが開店まで1時間余りもある。
はて、時の名残りをいかにとやせん。

=つづく=