2017年3月31日金曜日

第1591話 慶喜公の墓のそば (その2)

谷中霊園を目指す散歩の起点は台東区・三ノ輪の大関横丁。
あまり訪れる機会のない三河島を通ってゆく。
ここはちょいとしたコリアンタウンで
ハングル文字の看板があちらこちらに賑やかなこって―。

到達したのは西日暮里駅前。
フランク永井の「西銀座駅前」が脳裏をかすめたが
紹介するのはやめておく。
大阪で歯科勤務のらびちゃんにまた何か言われそうだからネ。

急な坂を上り、諏訪神社の脇をすり抜けた。
富士見坂の高台から西空を臨む。
西空を右手に見ながらそのまま直進。
日暮里駅と谷中の夕焼けだんだんを結ぶ御殿坂上に出た。

昼とて暗い初音小路を行ったり来たりしつつ、
谷中霊園に足を踏み入れる。
霊園内を歩くのは滅多なことではない。
暗闇ならともかくも白昼の墓場は不気味でも何でもない。
なおかつ手入れが行き届いているから
むしろすがすがしいくらいだった。

とある墓石の前を通りすがると
嗅ぎ覚えのある花の匂いが鼻をつく。
大好きな沈丁花である。
三月の末になってこの香りを楽しめるとは―。
猫にマタタビ、J.C.に沈丁花、そう言っても過言ではない。
足元を見やると、その墓石の玉垣が沈丁花だった。
こんなふうにしてもらって仏さんもさぞシアワセだろう。

以前、谷中霊園のメインストリート、
焼失した五重塔の前の道は何度か通り抜けた。
桜並木が美しく、あと10日もすれば、
往来する人々の数が急激に増えるハズだ。

桜並木のほかはほとんど歩いたことのない霊園。
いざ来てみればかなりの広さである。
墓石群の中を縫うようにして線路群を見下ろす丘に立った。
ここからがなかなかの眺めなのだ。
桜のシーズンなら弁当を拡げ、ビールを開けたいくらい。
しかし花見はもとより、園内での飲食は厳禁とのこと。
まっ、それも道理でありましょう。

同じ都営でも岡澤家の墓のある八柱霊園は
広場があってテーブルもベンチもあって
花見を含め、ちょいとしたピクニックの穴場になっている。
あちらはずっとスペースがあるからネ。

その日の目的地、二本の小陸橋である。
まず北寄りの橋を日暮里側に渡る。
出くわしたのは一人の女性カメラマン。
レンズが行き交う列車を橋上から狙っている。
いわゆる”撮り鉄”という人種だネ。
何が楽しいのか判らんが
人はそれぞれ、趣味もまたそれぞれなのでしょうヨ。

=つづく=

2017年3月30日木曜日

第1590話 慶喜公の墓のそば (その1)

近い将来、JR山手線の駅が一つ増える。
ご存じのように品川と田町のあいだである。
現在の29駅が30駅になるわけだ。
山手線の新駅誕生は西日暮里(1971年)以来、
実に半世紀ぶりのことだ。

一都民としてよく利用する電車は地下鉄だが
JRでは断トツで山手線。
その山手線における自分の行動範囲を見てみると、
北は池袋から南は浜松町までの計16駅がほとんど。

二ヶ月に一度は理髪のために渋谷へ行くけれど、
それにしたって東京メトロ・千代田線の明治神宮前か
代々木公園から歩いている。
帰りにどこかへ飲みに出向く際、
渋谷駅に赴いたとしてもメトロ・銀座線を利用する。

だいたいJ.C.が出没するのは花の都の東側だから
山手線にしたって前述の通り、
縦長楕円を形成する路線の右半分で活動している。
行く先を決めずに家を出たときも
気と足が自然に向くのはイーストサイドなのだ。

山手線の駅名に”谷”が付くのは渋谷と鶯谷。
”谷”を名乗るくらいだから
駅は窪地や低地に存在するわけで
なるほど渋谷なんかメトロがJRより高い位置にある。
でも電車に乗っていて”谷”を実感するのは
鶯谷のほうであろう。

日暮里から鶯谷をはさんで上野へ向かうとき、
電車の窓から見上げると、
いくつかの跨線橋を目にすることができる。
言問通りと鶯谷南口前、それぞれの陸橋と
加えて京成電車のガードは
自分も渡ったことがあるので認知している。
しかし電車やクルマが走れない、
二つの小陸橋は未踏であった。

土地勘はあるほうだからその二つが
谷中霊園と東日暮里を結んでいることは一目瞭然。
しかし、さほど利用者が多いとも思えぬ場所に
二本並んだ小橋の設置はいささか面妖だ。
だって橋上を人が歩くのを見たことがないんだもの。

これは実地に渡橋してみなければ―。
思い立ったが吉日。
陽射し降り注ぐ日の午後に出掛けてみた。
靖国神社のソメイヨシノが開花した数日後のことだった。

=つづく=

2017年3月29日水曜日

第1589話 やって来たのは練馬区・江古田 (その5)

江古田の「和田屋」にいる。
昭和の匂いがぷんぷんである。
これでBGMに昭和歌謡でもかけてくれたら
もうそれだけで肴は要らない。
ついでに相方も要らないくらいだ。

どんな曲がいいのかって?
そうですなァ、フランク永井や裕次郎では
ちょっとモダン過ぎちゃって合わないだろうし、
銀座を舞台にしたのもなじまないな。
かと言って練馬を歌った楽曲は浮かばないし。

やはりこの地から近い池袋がいいかも。
となれば青江美奈の「池袋の夜」なんかピッタリだろう。
美久仁小路や人生横丁も登場するし。
いつもならここで歌詞の紹介となるけれど、
今回は自重しましょう。
池袋東口で飲んだときのために取り置きしときましょう。

さて、選んだつまみは焼きとんのレバーとカキフライだ。
ともに二人の好物だからネ。
どちらもフツーの居酒屋・大衆酒場の水準を
軽くクリアして余りあった。

大粒のカキは瀬戸内ではなく三陸産だと思われる。
いまだ復興をはたせない三陸。
人々も町々ももがき苦しんでいるのに
あの海に育つカキはほぼ完全復活を遂げている。

志村けんじゃないが貝はいいよな、かきはいいヨ。
このとき頭の中を往年の名優、
いや、怪優というべきか、フランキー堺の顔がよぎった。
何だ、いきなり! ってか?
いえ、「私は貝になりたい」って映画があったでしょ。

そう言やあ、二度目の賜杯を目前にして
新横綱・稀勢の里に二番続けて破れた照ノ富士。
あの顔を見ると、いつもフランキ―を思い出す。
いやはや実によく似てるんだ。

それはそれとして万事休したと思われながら
よみがえった稀勢の里はスゴかった。
みんなあきらめてたのに本人だけはネヴァー・ギヴ・アップ。
ちゃあんと両親を呼んでたもんネ。

さて、「三州屋」、「加賀屋」ほどじゃないにせよ、
都内では「和田屋」をあちこちで見掛ける。
繁華街では新橋と四谷。
中央線沿線なんか、
高円寺・阿佐ヶ谷・西荻と、目白押しで連なっている。

すべてを訪れたわけではないが
J.C.が好きなのは浜田山と五反田。
でもネ、先述した”昭和性”をおもんぱかると
マイ・ベストはこの江古田になる。
何でもすでに閉業した麻布「和田屋」の暖簾分けだそうな。
遠くからでも一訪の価値ある佳店ですヨ。

=おしまい=

「和田屋」
 東京都練馬区栄町30-2
 03-3992-3153

2017年3月28日火曜日

第1588話 やって来たのは練馬区・江古田 (その4)

ニセ平目の肩透かしに態勢を崩しながらも
仕切り直してキリン一番搾りの大瓶に切り替えた。
食指が動かなかったサバの味噌煮は相方におっつけ、
こちらはあさりバターを合いの手に瓶ビールを飲む。
小さなコップを辞退し、先刻の大ジョッキの注ぐ。

これには一つの腹積もりがあった。
メニューには大ジョッキ(700ml)とあったが
飲み干してみて
どうもそれほどの容量があるとは思えなかったからだ。

案の定、633mlの大瓶が入りきらない。
およそ600mlといったところだ。
まっ、これは居酒屋の常、ビールメーカーも微妙に異なる、
さまざまなサイズのジョッキを店舗に提供しているのだ。

何だかケチばかり付けてるみたいで尻の座りが悪くなってきた。
多くの学生たちにも支持されていると聞き及ぶ。
ワンコインで白身の刺身を
タップリ食べられるのだから、さもありなん。
平目だろうがティラピアだろうが大した問題にゃなるまい。
それが若さというものだ。

続いて2軒目。
線路の反対側、北口の「和田屋」に向かう。
J.C.的には江古田の町で最愛の飲み処である。
何たって店内に流れる空気がいい。

子どもの頃、亡き親父に連れられて
訪れた酒場の匂いがここかしこに残っている。
浅草の「菊水」、池袋の「バクダン」、
それと田町駅前の、何といったかな?
この店の名前だけが思い出せない。

空気のみならず、
調理のオジさんからも接客のオバさんからも
昭和の匂いがにじみ出ている。
要するに昭和まみれなんですな、ここは―。

ここでは白ホッピーを所望した。
ホッピーにはほかに黒と赤があり、
通常、白・黒はどの店でも飲めるが
赤はめったにお目に掛かれない。

相方は角ハイボールである。
ホッピーは中ジョッキにいっぱいイッパイ状態で供された。
よってジョッキとジョッキをガッチンコ、
本日二度目の乾杯となる。
時間が早いせいか、まだガラガラの中、
つまみの吟味に入った。

=つづく=

2017年3月27日月曜日

第1587話 やって来たのは練馬区・江古田 (その3)

西武池袋線・江古田駅南口の大衆割烹、「お志ど里」である。
西島三重子の「池上線(ニューバージョン)」を聴きながら
この稿をしたためている。
ニューバージョンといってもテイチクからCDが出たのは
2004年の昔だけどネ。

そんなことよりニセ平目だ。
ふぐ刺し、いわゆるテッサさながら薄造りにポン酢で来た。
けっこうなボリュームである。
若者は歓ぶだろうなァ・・・そう思いながら一箸つける。

平目特有の弾力をまったく感じない。
むしろシットリ感が前面に出ている。
はて? コレはいったいどんなサカナであろう。
白身は白身ながら、超安値の530円でこの量だ、
日本近海から水揚げされたものではあるまい。

白身のうちでも平目は真鯛を凌駕する高級魚。
こんな値段で提供できる道理がない。
じゃあ、何なんだ!
ツラツラと白身魚の名前を思い浮かべてみる。

マコガレイ・メイタガレイ・スズギ・ヒラスズキ・マゴチ・
ホウボウ・メバル・カサゴ・シロギス・クロダイ・イシダイ・
イシガキダイ・キンメダイ・カワハギ・ウマヅラハギ。
ちょいと白身のカテゴリーを拡げて
クロムツ・ギンムツ・マダラ・ヒゲダラ。
そのいずれにも当てはまらぬ。
超高値のノドグロやキンキはハナから外してある。

ふ~む、マイッたなコレには―。
しばし思案黙考の巻である。思い当たったのは
とある淡水魚であった。
その名はティラピア。
誰が名付けたか知らぬがイズミダイ(泉鯛)というヤツだ。
スーダン・エジプトを流れるナイル川が
原産地の一つとされ、
俗にナイルティラピアとも呼ばれる。

半世紀も以前に今上天皇がタイ国王に贈ったサカナとして
メディアでもたびたび紹介されているティラピアである。
生臭みとは無縁のクセの無さ、
そこそこの美味しさは万人向けの食用魚といえる。

でもなァ、日本近海の平目と較べるとねェ・・・
その劣勢は覆うべくもない。
とりわけこの季節の寒平目は白身の王者と断言しても
けして過言ではないのだ。
断定はしかねるが7割超えの確率で
目の前のお造りはティラピアであろう。

=つづく=

2017年3月24日金曜日

第1586話 やって来たのは練馬区・江古田 (その2)

昼下がりの「お志ど里」はすいていた。
入れ込みの大きな座敷の一画に陣を取り、
胡坐(あぐら)をかいた。
正座は大の苦手だけれど、胡坐は大得意。
この姿勢で徹夜マージャンにも耐えられる。
自慢じゃないけどネ。

「お志どり」はもともと有楽町のガード下で開業したらしい。
それが1970年代になって江古田に移転して来たという。
ロンドンから帰国したJ.C.が
最初に就職した会社は有楽町にあり、
昼飯に晩酌にガード下の店々にお世話になったものだ。

それが1975年のことで
すでに「お志ど里」が飛び去ったあとだから
’70年代前半の引っ越しだと思われる。
有楽町から江古田、
比較的近距離の移動は渡り鳥でも留鳥でもない、
漂鳥・オシドリにふさわしい行動といえようか―。

店内に点在する先客たちは
遅い昼飯組と早い晩酌組にほぼ二分されている。
中にはコップと茶碗の二刀流が混在してもいる。
外から入る陽射しがたたみを照らし、
明るい空間にけだるい空気が流れている。
これこそが昼飲みのダイゴ味であろうヨ。

所望したのはキリンラガーの大ジョッキ。
けっこうなサイズである。
数日前に右手首を傷めたため、
片手じゃ持ち上がらず、両手でヨッコラセ。

「お好きなモノをどうぞ!」―E村サンをうながす。
しばらく考慮した相方が選んだのは
あさりバターとサバ味噌煮だ。
ふむ、チョイスとしては悪くないやネ。

J.C.も何か1品。
こんな値付けでダイジョビかいな?
不安にかられながらも平目の刺身をお願いした。
何たって530円の超安値、本物なら御の字で
間違っても上物であるわけがない。
そこは覚悟のうえなのだ。

はたして・・・
現れたのは円を形成する薄切りの、
ヒラメらしきもの。
あくまでもらしきモノ。
ってことは本物に非ずであった。

=つづく=

2017年3月23日木曜日

第1585話 やって来たのは練馬区・江古田 (その1)

何年ぶりかで江古田を訪れた。
ちなみに西武池袋線の江古田駅は練馬区にあり、
地番としての江古田は中野区に属する。
江古田の読みも”えこだ”と”えごた”。
どちらが正しいのかハッキリしない。

呼称の成り立ちがつまびらかにされてないから
どうにもヘンテコな土地柄なのだ。
まっ、わが祖国、日本だって”にほん”と”にっぽん”。
国柄からしてこの調子だから深く追求する必要とてナシ。
これはこれでいいんじゃないの。

今は昔、15世紀に江戸城を築いた、
かの大田道灌が豊島一族とこの地で争い、
江古田・沼袋原の戦いと呼ばれているそうな。
日本史にその名を刻んだのは
江戸開府をさかのぼること半世紀に達するのだ。

池袋で西武池袋線に乗り換える。
乗車したのは準急電車だった。
江古田は比較的大き目の町だから
準急が停車するものと勝手に思い込んでいたが
あにはからんや電車は目的地を通過して
練馬駅に到達の巻。
各駅停車で2駅戻る破目に―。

江古田駅はいつの間にか高架化されており、
町の景観に見覚えはあるものの、ちょいと戸惑う。
方向感覚にズレをもたらすのだ。
これは数か月前、同じ池袋線の石神井公園駅界隈で
実感したのと同様の現象である。
帰宅後、調べてみたら江古田は丸7年ぶりの訪問だった。
その節はユダヤ料理店「シャマイム」で食事をし、
線路の反対側に移動して居酒屋「和田屋」で飲み直した。

少しく待たせてしまった相方のE村サンと
あらかじめ目星をつけておいた店へ向かった。
この町でもっとも人気のある居酒屋の1軒、「お志ど里」だ。
店名の由来はオシドリ(鴛鴦)に由来するのだろう。

巷間、オシドリ夫婦という言葉をよく聞くが
実際、オシドリは毎年パートナーを代えるそうだ。
その点、生涯を同じ相手と添い遂げるタンチョウ(丹頂)とは
好対照を成す。
鳥たちの勝手につき、大きなお世話だが
オシドリ夫婦ではなく、タンチョウ夫婦のほうが
実態をより正確に映すことになろう。

かく言うJ.C.も前回の相手と今回の相手が違うので
あまり偉そうなことは言えない。
別段、繁殖のために来たわけじゃないから
まっ、いいでしょう。

=つづく=

2017年3月22日水曜日

第1584話 演歌の世界の稀勢の里 (その2)

村田英雄自身の作詞・作曲による「男の土俵」。
才能がキラリと光る名詞であり、名曲といえる。
だが、三波春夫と違って村田英雄の歌謡界デビューは
順風満帆とはほど遠いものだった。

デビューは三波の翌年の1958年で
大御所・古賀政男の手になる「無法松の一生」。
すばらしい楽曲だと思うが
聴かせどころの”度胸千両”ナシのヴァージョンだったせいか
鳴かず飛ばずの不発に終わる。

その後は戦前に活躍した歌手、
楠木繁夫が歌った「人生劇場」のリバイバルが
小ヒットしただけなのだ。
それもそうだろう、
馬喰一代だとか国定忠治、はたまた吉良の仁吉なんて
新国劇の演目みたいな曲ばかりでは
そのジャンルのファンはともかくも
一般市民はついていけないでしょうヨ。

ところが1961年の暮れ、
一つの楽曲が下積み長かった村田に光明を当てる。

  ♪    吹けば飛ぶよな 将棋の駒に
     賭けた命を 笑わば笑え
     うまれ浪花の 八百八橋
     月も知ってる 俺らの意気地  ♪
         (作詞:西條八十)

最大のヒット曲となった「王将」である。
作詞はこれも大御所、西條八十。
作曲は先頃亡くなった船村徹。
村田は自ら西條に作詞を頼みこみ、
最後は拝み倒したという逸話が残されている。

ここで例によって村田英雄のマイ・ベストテン、
といきたいところなれど、あまり聴きこんでいないため、
ベストファイブでご勘弁。

① 無法松の一生(度胸千両入り)
② 男の土俵
③ 人生劇場
④ なみだ坂
⑤ 男の一生
 次点:夫婦春秋

女千人切りを始めとして数々のエピソードを持つ村田だが
海外旅行の際、イミグレーションカードのSEX の欄に
男・女ではなく、週2回と記入したというのは
はたして真実でありましょうか?
本当だったら、まさに傑物ですな。

2017年3月21日火曜日

第1583話 演歌の世界の稀勢の里 (その1)

遅咲き横綱・稀勢の里。
まったくもって何度期待を裏切られたか数知れない。
とにかくあの恵まれた身体だもの、
十両に落ちたが相撲巧者、安美錦の上手さ、
あるいは狡さのどちらか一つでも備えていれば
とっくもとっく、大とっくの昔に横綱に上り詰めていたハズ。
ずいぶんと回り道をしたものだ。

  ♪    桜の花のような
     小雪がふりかかる
     お前のおくれ髪を
     この手でなでつける
     まわり道を したけれど
     めぐり逢えたら いいさいいさ
     遅れてやってきた
     二人の春に 乾杯を ああ・・・  ♪
        (作詞:なかにし礼)

1982年当時、現役の大関だった琴風が歌った「まわり道」。
歌詞の内容は相撲と関係ないけれど、
”まわり道”と関取つながりでつい、紹介してみました。

おくれてやって来た、角界の稀勢の里のように
歌謡界の遅咲きスターが村田英雄である。
同じ浪曲出身の三波春夫とは実に対照的だった。

1957年に歌謡界デビューをはたした三波は
早くもシングル第2弾、「チャンチキおけさ」が大ヒット。
しかもB面にカップリングされた「船方さんよ」まで
A面に負けず劣らずのヒットときては
本人も所属レコード会社のテイチクも
笑いが止まらなかったことだろう。

三波は’59年に歌謡史に燦然と輝く名曲、
「大利根無情」を出して国民的歌手の道を邁進してゆく。
なにせオリンピックと万博の両テーマを
独りでこなしちゃうんだもんねェ。

  ♪    無事に迎える 千秋楽の
     汗もにじんだ この十五日
     今場所済んだが 来場所目指し
     けいこ重ねて どんと体当たり
     男勝負の 男勝負の 道を行く  ♪
     (作詞:二階堂伸 作曲:北くすお)

再び村田英雄の「男の土俵」。
前話でい1番を披露したので今話は3番。
そう、作詞・作曲であった。
何を隠そう、上記の二階堂サンも北サンも
村田自身なのである。

=つづく=

2017年3月20日月曜日

第1582話 鰻屋で鰻食わずに何を食う? (その5)

両国橋東詰の鰻屋ですっぽん鍋を味わっている。
卓上の箸袋には
 東両國橋畔 明神下神田川支店
とある。

煮出汁を残して鍋の中を総ざらいした。
きりがないから菊正の樽酒も切り上げた。
そうしてすっぽん雑炊の出来上がりを待つ。

待つこと5分ほどで女将が先刻の鍋を運んできた。
ちょいとのぞくと雑炊のボリュームが半端ではない。
ちょっと見、3~4人前はありそうだ。
出汁とごはんの他には溶き玉子に小ねぎが散るのみ、
実にシンプルである。

見た目はふぐちりのあとの雑炊に似ている。
ふぐ雑炊なら残ったポン酢を掛けたりもするが
すっぽんにポン酢は使わないからそのまま食べるだけ。
合いの手はささやかな香の物だ。

こんなに食べられるかな?
とも思ったけれど、
けっこうなお味だったこともあり、
多少無理してサラサラと完食した。
サラサラとはいうものの、胃の腑にはズシリときている。
まっ、女将さんが歓んでくれたのでよかった。

夕闇に包まれた両国橋を西に渡り返す。
北東の方向に国技館が姿を現した。
このとき、あるメロディーが頭の中を回り出した。

  ♪    やぐら太鼓が 隅田の川に
     ドンと響けば 土俵の上で
     男同士の 血汐はたぎる
     負けてなるかと どんとぶつかれば
     まげも乱れる まげも乱れる 大銀杏  ♪
      (作詞:二階堂伸 作曲:北くすお)

浪花節で鍛え上げた村田英雄のシブい声が
隅田の畔に流れたのは1964年の初め。
普段は作詞者しか紹介しないが
作曲者まで記したのにはワケがある。

そうだ! その逸話も含めて
次話では村田英雄を取り上げよう。
演歌嫌いの方には、はなはだご迷惑でしょうがネ。

大相撲といえば、
遅れてきた青年がすでに中年に差し掛かって
やっとこさ綱取りに成功した稀勢の里。
昨日の中日を全勝で折り返して目出度し、めでたし。
高安と同部屋ということもあり、
二場所連続優勝はまず間違いないところ。
目指すは自身初の全勝でありましょう。

=おしまい=

「神田川支店」
 東京都墨田区両国1-9-1
 03-3631-3561

2017年3月17日金曜日

第1581話 鰻屋で鰻食わずに何を食う? (その4)

両国橋のたもと、芥川龍之介の生地にほど近い、
「神田川支店」の座敷にくつろいでいる。
墨田区はアサヒビールのお膝元、
スーパードライでまずは乾杯だ。
楽しい一夜となることに何の疑いもない。
ビールを運んでくれた女将に鰻肝焼きを二人前追加した。

前菜は三点盛り。
陣容は菜の花ひたし、鳥胸肉白和え、まぐろ角煮である。
それぞれに味は悪くないものの、
鰻屋で鳥肉やまぐろはトンチンカンな印象が否めない。
殊に白和えの上にイクラが3粒ほど。
鳥に魚卵を散らすかネ、まったく。

お替わりのビールとともにサービスの骨せんべいが供された。
サービス品はありがたき幸せなれど、こいつがやけに硬い。
奥歯を傷めるんじゃないかと心配しながら慎重に噛み砕く。
う~ん、あまり旨いもんじゃないな。

ところがそのあとの肝焼きはすばらしかった。
串には肝だけでなくヒレや向こう骨も打ち込まれており、
まことにけっこうな二串だった。
季節外れの天豆(そらまめ)まであしらわれている。

肝と天豆でビールがすすむけれど、
ここで菊正の樽酒に移行した。
杉の木の薫香が鼻腔をやさしく刺激する。
いや、樽酒は好きだなァ。

ほどなくすっぽん鍋の用意が整った。
小さなグラスには日本酒で割った生き血が注がれている。
これで精力倍増ということもなかろうが
たじろぐ相方を尻目に一気に飲み干した。

6年前にもいただいたすっぽん鍋は
そのときと寸分の違いとてなく、
かつお出汁に薄塩仕立てのあっさりタイプ。
鍋には燗酒といきたいところながら樽酒も実によく合う。

煮立った鍋をのぞくと、すっぽんのほかに
長ねぎ、えのき茸、生麩、車麩の姿が見える。
2種のお麩の共演がうれしい。
生麩と焼き麩ではこうも違うものかと、
感心しつつ舌鼓を打つ。

主役のすっぽんは控えめな量ながら滋味深い。
スルスルとのどを滑り落ちて
これだったら一人二人前は軽くイケちゃうだろう。
上品なつゆを合いの手に樽酒をグビり。
誰が言い出したか知らないけれど、
”月とすっぽん”なんてすっぽんに失礼だろうヨ。
”花よりだんご”にゃ賛成しかねるが
J.C.には断然、”月よりすっぽん”でありまする。

=つづく=

2017年3月16日木曜日

第1580話 鰻屋で鰻食わずに何を食う? (その3)

北原ミレイの衝撃的なデビュー作を
初めて聴いたのは板橋区・成増の駅前にあったパチンコ店。
当時、J.C.は大学が過激派に占拠されて
授業が無いのをいいことに
ひたすらアルバイトに明け暮れていた。
すべては欧州旅行の資金を稼ぐためであった。

それはそうと、
「ざんげの値打ちもない」の一番だけ紹介するつもりが
阿久悠サンの詞があまりにすばらしいので
完全版をお届けした次第である。
まぼろしの四番を含めてネ。

ハナシを元に戻す。
二月の寒い頃、墨田区・両国を訪れたのだった。
行く先は鰻の老舗、「神田川支店」である。
銭形平次でおなじみの神田明神下。
文化2(1805)年創業の「神田川本店」の暖簾分けが
この支店である。
こちらは大正7(1918)年に暖簾を掲げているから
来年で創業百周年を迎えることになる。

当夜の相方は鰻好きのT栄サン、久々の酌交だ。
JR総武線・浅草橋駅で待合せ、
柳橋と両国橋を歩いて渡って行った。
「神田川支店」のおジャマするのは6年ぶりのこと。
客席はすべて2階にあり、全室たたみ敷の個室。
見覚えのある女将の案内で階段をのぼった。
こういう業態の店としては珍しく、女将は洋装である。

そう、都内の鰻店に通じている読者はもうお判りでしょう。
鰻屋で鰻食わずに何を食う?
正解はすっぽんでありました。
せっかくだから品書きの一部を紹介しておこう。

すっぽん鍋 御一人前・・・4366円
すっぽん御定食・・・4956円
鰻蒲焼御定食・・・4248円~
鰻重御定食・・・3658円~

=一品料理=
蒲焼・白焼・・・2832円~
酢の物・・・1062円
肝焼き(二本)・・・1062円
おさしみ・・・1770円

といったふうである。
予約時にお願いしておいたのは
すっぽん定食二人前だった。

=つづく=

2017年3月15日水曜日

第1579話 鰻屋で鰻食わずに何を食う? (その2)

酢だことたこ酢の違いについて―。
赤く染められた加工品の酢だこは
わさび醤油でいただくのが一般的だ。
一方、たこ酢はタコの刺身かブツにわかめやきゅうりを添えて
二杯酢、あるいは三杯酢と合わせたもの。
世間には酢だこよりたこ酢を好む向きが多いんじゃないかな。
近頃、赤い酢だこをあまり見かけなくなったものネ。

説明にタコの足を借りたが酢がきは酢だこみたいに赤くはない。
生ガキを塩と酢で〆て、さらに酢を合わせたのが酢がきだ。
J.C.は甘さやや抑えめの三杯酢が好み。
レモンを搾っただけの生がきも好きだが、その上をゆく。 
かき酢はたこ酢同様に生ガキに酢を掛け回したもの。
アサツキやもみじおろしをあしらったりもする。

あれあれ、また脱線しちまった。
牡蠣じゃなくて鰻であった。
そう、あれは二月の寒い頃、
大相撲の聖地、両国の街に出掛けていったのだった。

  ♪   あれは二月の 寒い夜
     やっと十四に なった頃
     窓にちらちら 雪が降り
     部屋はひえびえ 暗かった
     愛というのじゃ ないけれど
     私は抱かれて みたかった


     あれは五月の 雨の夜
     今日で十五と 云う時に
     安い指輪を 贈られて
     花を一輪 かざられて
     愛と云うのじゃ ないけれど
     私は捧げて みたかった


     あれは八月 暑い夜
     すねて十九を 越えた頃
     細いナイフを 光らせて
     にくい男を 待っていた
     愛と云うのじゃ ないけれど
     私は捨てられ つらかった


     あれは何月 風の夜
     とうに二十歳も 過ぎた頃
     鉄の格子の 空を見て  
     月の姿が さみしくて
     愛と云うのじゃ ないけれど
     私は誰かが ほしかった
     
     そしてこうして 暗い夜
     年も忘れた 今日のこと
     街にゆらゆら 灯りつき
     みんな祈りを するときに
     ざんげの値打ちも ないけれど
     私は話して みたかった   ♪


          (作詞:阿久悠)

北原ミレイのデビュー曲、
「ざんげの値打ちもない」が街に流れたのは
1970年の晩秋であった。

=つづく=

2017年3月14日火曜日

第1578話 鰻屋で鰻食わずに何を食う? (その1)

東京の老舗の鰻屋へ行って
鰻を食わなかったら、いったい何を食うのでありましょうや。
読者のみなさんもご一緒にお考えください。
な~んて、クイズ番組みたいなことは言いませんが
ちょいと悩むでしょ?

店によってウナギ以外は
何もないってところがかなりの数に上るしネ。
まっ、つらつらと思い浮かべるに出て来る答えはおおかた、
焼き鳥、どぜうあたりじゃなかろうか。
まっ、フツーはそんなところだろう。
中には刺身や天ぷらを出す店もあるが
鰻屋で刺身定食を食うバカがどこにいよう。

以前、こんなことがあった。
有楽町に気に入りの牡蠣料理専門店があり、
10人ほどの食事会を主催した。
中に一人、カキをまったく受けつけないご婦人がいた。

牡蠣料理専門店といってもシーズオフの夏季には
カキ以外にも真っ当な洋食を供するレストラン。
黒豚の串カツやら平目のムニエルやら
ローストビーフまで揃っている。
もちろん夏季以外のカキのシーズンでも・・・
(何だかカキと夏季でまぎらわしいな)
上記の料理が食べられる。

よってそのご婦人はカキに見向きもせず、
サカナだの肉だの野菜だの、パクパクと数皿平らげ、
満面の笑みを浮かべて
ナフキンを食卓に置いたのだった。

そういえばこのところ外でも内でもカキを食べる機会が多い。
大好きな食材だから当然といえば当然ではある。
カキ料理のマイ・ベストスリーは

①酢がき ②かきフライ ③土手鍋

ということになろうか。
ことわっておくが酢がきはあくまでも酢がきであって
かき酢ではない。
どういうこと? そういぶかる方もおられよう。
この説明にはタコの手を借りたい。
何たって8本もあることだし・・・。
おっと、あれは手じゃなくて足だった。

とにかくタコ、蛸。
酢だことたこ酢は別物でしょ?
もっとも今の若者に酢だこといっても判らないかもしれない。
ほら、正月に食べる、あの真っ赤な縁取りの付いたヤツでんがな。

=つづく=
 

2017年3月13日月曜日

第1577話 芋と聞いたらどんな芋?

朝日新聞のコラムに「東京のほぉ~言」というのがあって
先日のテーマは【いも】であった。
執筆者は国立国語研究所助教の三井はるみサンである。
ご本人の諒解も承諾も得ていないが一部分を紹介してみたい。

「イモ」と言ったらどんな芋を思い浮かべますか。
東日本ではジャガイモ、西日本ではサツマイモを
指すことが多いのですが、東京ではサトイモが一般的でした。
「芋の煮っころがし」や
「芋の煮えたもご存じない」の芋もサトイモです
 =中略=
高年層では、1960年前後と近年の2度の全国調査で、
東京のサトイモ優位は変わっていません。
しかし、食生活の変化とともに存在感が薄れ、
代わって洋食になじむジャガイモが台頭してきました。
現在、東京を含む全国で、若年層を中心に、
芋=ジャガイモという人が増えています。

ふむ、フム、なるほどねェ。
そんな時代もあったっけ。
実際に1960頃、我が家の食卓にのぼるのは
ジャガイモよりサトイモが優位だったかもしれない。

でもネ、おウチのカレーなんかにゃジャガイモ不可欠だろうし、
精肉店の店先だってポテトフライや
野菜サラダが必ず並んでいた。
ちなみに野菜サラダは昨今のポテトサラダのこと。
昭和30年代にはそう呼ばれていたのだ。

はるか昔、大正6年(わが母の生年)に
「コロッケの唄」が一世を風靡している。

 ♪ 今日もコロッケ 明日もコロッケ ♪

というヤツだ。
歌がヒットする10年ほど前の明治後期、
すでにコロッケは日本中に広まっていたらしい。
大正初期になるとコロッケはとんかつ、カレーライスと並び、
日本三大洋食を形成していたという。

J.C.が芋と聞いて重い浮かべるのはジャガイモである。
欧米人なら断然ジャガイモであるはずだ。
欧米ではほかの芋にほとんどお目に掛からない。
したがって海外生活が長いと
おのずから、イモ=ジャガイモになってしまう。

サツマイモ、サトイモ、ナガイモ、ヤマトイモ、
日本は世界に名だたるイモ大国なのだ。
そう言えば最近トンと見掛けなくなったのが
イモネエチャンという名のイモ。
ヘアにメイクにファッションに
現代のネエチャンは余念がないもの。
だけどさァ、そのぶん一番大事な人情が薄れたみたい。
心なしかイモネエチャンが懐かしい今日この頃であります。

2017年3月10日金曜日

第1576話 ある日旅立ち (その10)

JR京浜東北線なら東神奈川、
京浜急行なら仲木戸が最寄りの「根岸家」にいる。
横浜の魚河岸に近いのも上記2駅である。
よって当店のサカナは鮮度抜群にして種類も豊富だ。

とりわけ白身魚の取り揃えが多彩で
そこがうれしいけれど、各魚の仕入れ少な目につき、
すぐに売切れとなる魚種が頻発する。
玉に瑕とはこのことである。

東神奈川はキリンビールの勢力圏ど真ん中。
何せ横浜を発祥の地として現在の工場は生麦なんだからネ。
ラガーよりはあたりの柔らかい一番搾りで乾杯する。
この一番搾り、発売当時とはずいぶん印象が変わった。
数年前、ガラリとテイスト・チェンジしたに違いない。

突き出しは切干し大根で典型的粗品ながら
けしておざなりなではなく、丁寧に作られている。
とにかく開店後2時間が経過した。
壁に貼られた品書きにはすでに裏返されているものもあり、
早急に発注しなければ空振りの山を築くことになりかねない。

注文第一弾はハタとシマアジの刺身。
ハタには、真ハタ、赤ハタ、キジハタ、ネズミハタなど、
いろいろあるが単にハタと記されているだけで詳細は不明だ。
よしんば接客の女性に訊いても
真っ当な答えは返ってこないだろう。

相席になるまえに手早く生わさびをすりおろし、
運ばれた2種の刺身をさっそく賞味にかかった。
ハタはサカナ臭さとはまったく無縁、
高級魚の片鱗をうかがわせる。
でも、このサカナは広東風に清蒸にするのがベストで
あまり刺身向きじゃないのも事実だ。

シマアジは死後硬直がとけかかっており、
コリコリ感薄く、締められたのは前日かもしれない。
分類上、青背にくくられようが
その上品な口当たりは白身にもっとも近い青背といえる。
特徴的な銀色の肌が美しく、深窓の令嬢を思わせた。

日本酒の金印の燗に切り替え、
おそらく客の7~8割は頼む玉ねぎフライとポテトフライを。
本来なら刺身で清酒、フライでビールといきたいところなれど、
売切れの心配無用の揚げ物がどうしても後回しになるのだ。

ほどなく初老の男性二人と相席になった。
二人ともデッカい温奴をで始めている。
奴系は男二人が分け合うものではなかろうが
サイズがサイズだけに芸のない注文と言えなくもない。
余計なお世話だけどネ。

お銚子を3本ほど空け、追加注文すら忘れて
立て混む店内から脱出した。
これから東京方面に戻り、飲み直しである。
みたび京浜東北線の乗客となりましたとサ。

=おしまい=

「根岸家」
 神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-10-1
 045-451-0700

2017年3月9日木曜日

第1575話 ある日旅立ち (その9)

徒歩で大磯の町に到着。
大磯の第一感は明治から昭和にかけて
政府要人の別荘地となったことだろう。
伊藤博文から吉田茂まで
ほかにも山縣有朋や大隈重信など、
そうそうたる宰相が名前を連ねている。

あとは大磯プリンスホテルと
そこに併設される大磯ロングビーチくらいだろうか―。
まっ、一般人が訪れても面白味薄い土地柄で
要するに庶民性とは無縁なのだ。

別段、散策すべき街並みとてなく、大磯駅の改札を通って
おりから入線してきた宇都宮行きに乗車の巻。
上野駅で「小洞天」の焼きそばさえ購入しなければ
小田原の和食堂、熱海の中華料理店、
あるいは三島のうなぎ屋で昼めしを食べていたハズ。
ホンのちょいとしたことがきっかけで
予定はコロリと転んでしまう。

しかし考えようによっちゃ、
おかげで本カワハギとウスバハギの食べ比べが可能になった。
しかも本わさびを携帯していたため、
その美味に拍車をかけることさえできたのだった。
歓ぶべし。

電車は大船に停車。
ここで少々迷った。
夜の約束まではかなりの時間的余裕があるから
京浜東北線に乗り換えて山手の港の見える丘、
それとも石川町からチャイナタウン、そんな手は悪くない。

結局は大船で降りずに横浜まで行った。
そこから京浜東北で一つ南に戻り、桜木町で下車。
桜木町とくれば横浜のダウンタウン、野毛であろう。
昼から飲める店にこと欠かないしネ。

でもそれじゃ、二宮駅のベンチ以来、
ずっと飲み続ける破目に陥る。
休肝日など設けたことのない身、せめて休肝タイムは必要だ。
よって街をブラブラするにとどめた。

そうして再び京浜東北線に乗り込み、
宵闇せまる頃には東神奈川駅に降り立った。
当夜ののみとも・O戸サンと待合せて
2~3ヶ月前にも訪れた「根岸家」の敷居をまたいだのである。

この店は16時の開店。
ところが浅い時間の予約がとれなかった。
おそらく3回転目かな?
入口の脇の四人掛けテーブル席に着いた。
相席は必至だろうヨ。

=つづく=

2017年3月8日水曜日

第1574話 ある日旅立ち (その8)

にぎり鮨4カンじゃちょっともの足りないなァ・・・。
あと2種4カンいっちゃおうかなァ・・・。
そう思って品書きを手に取り、
サカナたちのラインナップに目をこらす。

ん? 何だ? ナンだ?
ドヤドヤと入り口付近が騒がしい。
入店してきたのは明らかにジモティの団体である。
テーブルのすき間をぬってアリの行列状態は
奥の小上がりに収まった。

ひぃ、ふぅ、みぃ・・・数えてみたら総勢9名。
別段、珍しくも何ともないが
瞠目したのはその男女比である。
なんとオバさん8人にオジさん1人、
まさに黒一点でオスマン・トルコのハーレム状態じゃないの。
大したもんだよ、カエルのションベン。
アリ集団は実のところオットセイ集団だったのだ。

こちとらテメエの注文すら忘れて
しばらくはオットセイ・ウォッチングにいそしむ。
ビールを数本頼み、
各自好みのランチメニューを選択してゆく。
一番人気はあじフライ定食のようである。

あじフライはそれほど好まないが
世間一般にファンの多いことは知っている。
酒にも飯にもピタリと寄り添うからなァ。
しかも地元の海の幸とあらば鮮度良好にして
刺身やタタキでいける素材を揚げるんだもの。

J.C.が一画を占める大テーブルにカップルがやって来た。
アラサーの夫婦とみえる。
同じカップルでも恋人同士と夫婦は何となく判別できるものだ。
彼らのオーダーは生しらす丼と海鮮丼。
この二つも当店の人気商品であるらしい。

われに返ってにぎりの追加だ。
ウスバハギをいただいたものの、
やはり本カワハギを看過すること能はぬ。
おそらくこれも肝付きで現れるだろう。
そしてキンメダイである。

う~ん、さすがにご本家、カワハギはウスバの上をいった。
しっかりとしたテクスチャーに濃密な旨みが宿っている。
ただし、肝にそれほどの違いはない。
いわゆる甲乙つけ難しである。

ビール600円、ウスバ&アオリ600円、カワハギ&キンメ600円。
トータル1800円を支払って満足の笑み。
陽光を背中に浴びて東海道を東へ。
取りあえず大磯まで歩いてみよう。

=つづく=

「えびや食堂」
 神奈川県中郡大磯町国府新宿324
 0463-71-0719

2017年3月7日火曜日

第1573話 ある日旅立ち (その7)

最寄りは二宮駅だけど、地番は大磯の「えびや食堂」。
市井にほとんど出回らないウスバハギのにぎりに
舌鼓をポンッと打ったところである。
やや厚めに切られた白身魚の旨みを堪能した。

実はJ.C.、ハギ類には目がなく、
殊に本カワハギの刺身など、トラフグより好きなくらいだ。
何となればフグの肝は
九州・大分にでも行かなければ拝めないが
ハギの肝ならハギが揚がるところであれば、
日本国中どこででも味わえる。

続けてもう1カン、ウスバをいってもよかったが
隣りのアオリイカに箸をのばす
ここでふと思い出した。
何をだ! ってか?
いや、先日の焼き鳥論争のことでんがな。

串からダイレクトか、はずして食うか、である。
にぎり鮨は素手か、御箸か、
ここにも論争の火種がありそうだ。
そんなん好きずきだから、どっちでもいいやん!
ひと言で片付けちまったらそれまででとりつくシマもない。
もちょっと掘り下げてみましょうや。

かく言うJ.C.はカチコチの御箸派である。
子どもの頃の記憶はないけれど、
遅くとも中学生からは箸でにぎりを食べてきた。
ジカ手はまずなかったネ。
その理由を箇条書きにしてみよう。

・ 食前食後に手を洗わずに済む  
・ 指に鮨種の匂いがまとわりつかない
・ いちいち手拭き・おしぼりの類いの世話にならずに済む
・ 何よりも所作の見た目が美しい

そんなところでありましょうか。
とりわけ所作の美しさは肝心かなめで
殊にご婦人には箸の使用をすすめたい。
にぎりは御箸、おにぎりは素手、食文化の鉄則ですな。

2種めのアオリイカであった。
水揚げ量の少ない希少のイカの旬は春から初夏。
この時期はハシリである。
相模湾から揚がったやや小型のアオリは
特有のネットリ感があるものの、やや硬い。
このコリコリ感も悪くはないけどネ。

ウスバ→アオリ→ウスバ→アオリ
以上の順で4カンを食べ終えた。

=つづく=

2017年3月6日月曜日

第1572話 ある日旅立ち (その6)

湘南の二宮駅に降り立って東海道を東に向かって歩く。
突発的な途中下車につき、界隈の下調べなどしていない。
道すがらたまたま出会った、
孫と犬を連れた老人のオススメに従って
東海道沿いの食事処「えびや食堂」の暖簾をくぐった。

店内は少々複雑な造作になっており、
小テーブル、大テーブル、加えて小上がりがある。
単身客とカップルは
おおむね大テーブルの片隅に身を置くこととなる。

ビールの大瓶にイカの塩辛が付いてきた。
いわゆる突き出しはサービス品だった。
自家製とは思えぬそれはそれなりのデキでしかない。
ちょいとつまんで箸を置く。

和・洋・中、何でもござれのメニューは
おのずから多種多彩。
すべて目を通すとかなりの時間を要する。
先刻食べた焼きそばのせいで空腹感はないから
ビールの続きとつまみがあればそれでよい。

惹かれたのは2カンで300円のにぎり鮨である。
相模湾から揚がった白身のラインナップが豊富だ。
中でもウスバハギというのに興味が湧いた。
あとで調べたらカワハギの一種のこのサカナ、
ウマヅラハギと合わせて
三大カワハギの一翼を担う珍魚らしい。

これまためったに出会えない、
アオリイカと一緒にサビ抜きで注文する。
当日の夜は東神奈川の「根岸家」で飲む予定。
その店は横浜の魚市場に至近だから
魚介料理、殊に鮮度の高い刺身がウリだ。
よって生わさびとおろし板を携帯してきた。
こんなところで役に立つとは―。

ウスバハギとアオリイカ、
合わせて4カンが1皿に盛られて運ばれた。
おっと、ウスバの身肉の上には
肝があしらわれているじゃないの。
これが何ともうれしい。
カワハギのファンなら誰しも肝の旨さは熟知していよう。

にぎりは大きくも小さくもなく、ちょうどよいサイズ。
他客に目立たぬよう深く静かに潜行しつつ、
ひっそりとわさびをすりおろす。
行儀があまりよくないが種と酢めしのあいだに
おろし立てのわさびを忍ばせ、まずウスバをパクリ。

シコッとした歯ざわりに白身特有の上品な甘み。
さらに肝の滋味が追いかけてきて、いや、マイッたなもう!
孫連れ犬連れの老人に胸の内で感謝しながら
ぞんぶんに味わい、ゆっくりと嚥下した。
マギー司郎風に横文字で言うと、ハッピー!
っつうこってス。

=つづく=

2017年3月3日金曜日

第1571話 ある日旅立ち (その5)

JR東海道線は大磯の一つ先、二宮の駅そばを散策している。
図らずも通りすがった八百屋の婆さんに
あらぬ疑惑を生じさせてしまったらしい。
例え流れ者とてアメリカの西部劇じゃあるまいし、
そんな目で見つめなくても・・・。

もっとも一度だけチラリと視線を交わしただけで
すぐに当方が目をそらしたから
そのあと婆さんがどこを見ていたのか判らない。
ここでお互いジッとにらみ合ったら、
野良猫同士の鉢合わせ同様、
下手を打ったら喧嘩に発展しないとも限らない。

くわばら、くわばら・・・。
なおも開けている店もまばらな商店街をゆく。
ビール2缶と軽めの焼きそばでは少々もの足りないし、
夜の酒場まで腹持ちも悪かろう。

すでに正午を回っているから
町の中華屋、定食屋は暖簾を掲げているだろう。
そうは思ったものの、駅前に弁当屋があっただけで
日本そばやラーメンの類いすら見当たらない。

ほどなく国道1号線こと、東海道に出た。
左右見渡しても店舗らしきものはない。
幹線沿いならドライバー目当ての食事処があるハズ。
とり合えず大磯方面へテクテクと歩みを進めた。

途中、孫らしき幼児と飼い犬を連れた老人とすれ違う。
「ちょっと、すいません。
 この近くに食堂みたいなお店、ありませんかネ?」
今来た道を振り返って老人曰く、
「このまま真っ直ぐ行くと右側に『えびや』ってのがあってね、
 そこは旨いですよ」
おお、よかった、よかった。

足元を見ると、犬はソッポを向いてるけれど、
孫が爺ちゃんの返答を保証するかのごとく、
ウン、ウンとうなずいている。
ときどき家族そろって晩めしを食べに行っているのだろう。

よし、よし、「えびや」か、期待してよさそうだな、
そう、直感したことであった。
その地点から歩くこと5分、
爺ちゃんのおっしゃる通り、右手に「えびや食堂」が見えてきた。
もちろん東海道沿いである。

店先に立つと、古い造りながらかなりの大型店舗だ。
多少、商売上ありがちなあざとさが匂わないでもないが
そうでもしなけりゃ客を呼び込むのが困難な時代だ。
ハコが大きいから満席の憂き目はないハズ、
余裕で入店に及んだ。

=つづく=

2017年3月2日木曜日

第1570話 ある日旅立ち (その4)

東海道本線の二宮駅のホームで焼きそばを食べ終え、
2缶目のビールを平和に飲んでいた。
現れたのはバックパッカーのアンちゃんである。
おにぎりを旨そうに食っている。
中身がツナマヨじゃなく、しゃけでよかった、
そう思ったのもつかの間、再びゴソゴソやって何か取り出した。

エッ? あちゃ~、そりゃないだろヨ。
出てきたのは500ml の紙パック。
ペットボトルではないから緑茶やウーロン茶じゃないのは明らか。
ぎりぎりミルクなら許そうと思っていた。
いや、許すも何も当のアンちゃんの知ったこっちゃないがネ。

何とソイツはリプトンのミルクティーときたもんだ。
しゃけのおにぎりに冷たいミルクティー。
俺ゃこんな組合わせイヤだァ!
以前、銀座の鮨屋のつけ台にて
コーラで鮨を食うネエちゃんを見掛けたが
それに比べりゃ多少はマシか―。

そんなことよりこれからの自分の行動である。
実はこの日、18時には東神奈川へ戻らねばならなかった。
数ヶ月前に紹介した大衆酒場、
「根岸家」で一飲の約束があったのだ。
よって熱海か、せいぜい三島、沼津あたりが限界、
清水や静岡まで遠征する時間的余裕はない。

ベンチに腰掛けたまま、
うららかな陽光に向かって目を閉じた。
途端にまぶたの中がオレンジ色に染まる。
そうして身の振り方を思案した。

あらためて過去を振り返り、
二宮の町は未踏であることに気づいた。
缶ビールと特製焼きそばのために途中下車した二宮。
袖振り合うも多生の縁、
ハナから思い悩むことなどなかったのだ。

改札を出て南口に通ずる階段を降りた。
人影がほとんどない。
東海道線の南側にはほぼ並行して東海道が走っている。
いきなり幹線道路には出ず、しばらく裏筋を歩く。
時の流れに取り残されたかの一帯は
昭和の匂いふんぷんである。

昔はどの町にもあった青果店が店先に品物を並べている。
客の姿は一人としてない。
薄暗い店内の奥に店の女将さんだろうか、
老婆が胡乱な眼差しでこちらの様子をうかがっている。
怪しいよそ者が何しに来た?
両のマナコがそう訴えている。

=つづく=

2017年3月1日水曜日

第1569話 ある日旅立ち (その3)

東海道線の熱海行きは横浜を通過した。
見知らぬ乗客に囲まれて
シャイな乗客はなかなかビールを開けられない。
それでもこの時点ではまだ楽観視しておりました。

「次は藤沢、ふじさわ~っ!」―
そんなアナウンスがあったかどうか忘れちまったが
藤沢に到達しても
わが身沈めるボックスには他人同士が約4名。

時間は過ぎゆき熱海は迫る。
 ことここに及んで浮足立つJ.C.でありました。
列車が大磯駅に停車した。
窓外を見やると、ホームにベンチがあって
(そりゃありますわな)
陽射しが燦々とそそいでいる。
行楽にもってこいの好日なのである。

そうだ、ベンチという手があったか!
ここであわてて隣りの乗客に会釈し、降りようとして
その瞬間にドアが閉まったらカッコが悪すぎる。
あえて急がず、次の二宮駅の下車を心に決めた。

大磯ほどのどかではないものの、
二宮にもベンチはあった。
周りから解放され、リラックスして缶をプシュッ。
いやはや我慢したかいあって旨いのなんの!
飲めない時間が愛育てるんだネ。
目をつぶって一気に飲んじゃいましたとサ。

「小洞天」の特製焼きそばもシンプルな味付けがけっこう。
具材に乏しくとも穏やかな旨味がささやかに主張する。
15年も以前、日本橋の本店を訪れたが
その際は焼売を食べた記憶がある。

2缶目のビールを開けた。
その間にもホームの反対側には
宇都宮行きだの高崎行きだのが入線してくる。
湘南でそういう列車を見るのはかなりの違和感を伴う。
これもみな相互直通運転の功罪と言えよう。
もっとも利便の”功”が違和感の”罪”を圧倒するがネ。

大きな荷物を背負って来た若者が
同じベンチの端に座った。
J.C.との間にバックパックを置き、とりい出したる1個のおにぎり。
のぞくつもりはなかったが目に入るものは致し方ない。
中身はしゃけである。

近年、コンビニおにぎりの売れ筋はツナマヨと聞き及ぶ。
気色悪いもんが流行るもんだ、まったく。
とにかくそんなんじゃなくてよかったヨ。
ホッと胸をなで下ろす昔気質のJ.C.でありました。
ところが・・・ところがであった。

=つづく=