2011年4月29日金曜日

第42話 絶対注文しないモノ

昨日は外神田の「明神下 みやび」で
たまたまネギトロ丼と正面衝突したハナシ。
人生、いまだかつて
ネギトロ丼を注文したことがなかったのに
何の因果かそうなった。

ここであらためて振り返ってみました。
飲食店で絶対注文しないものが
ほかにもあるんじゃないかと・・・。
するとこれがけっこうあったんですね。
オメエの嗜好なんザ知ったこっちゃねェ! ってか?
まあ、まあ、そうおっしゃらずに
ジャンル別に整理したので、しばしおつき合いくだされ。

鮨屋・・・納豆巻き&お新香巻き
 他人様に迷惑を掛けたくないし、隣りで食べられてもイヤだ。
 何がって? 納豆の匂いがですよ。
 第一、納豆巻きを出す鮨屋には行かない。
 お新香巻きも頼まない。
 「弁天山美家古」の四代目がのたまわった。
 「エッ?お新香巻き? そういうモンはウチで作ってお食べなさい」

そば屋・・・山菜そば
 山菜の天ぷらならいいけど、
 瓶詰めをそばにノッケたのは大嫌い。
 化学調味料まみれの出来合いを使うのは、そば屋の名折れだ。

天ぷら屋・・・アスパラ&かぼちゃ
 理由はない、ただ、好きではないだけ。 
 天ぷら屋でグリーンアスパラを見ると、
 鮨屋でサーモンを見たような気持ちになり、食欲減退。
 それにかぼちゃだったら、丸十(さつま芋)だろう。

うなぎ屋・・・大串蒲焼&うな重(特or 松)
 とにかく一番デカいヤツは大味でイケません。
 うなぎに関して大が小を兼ねることはありえない。
 でも、小ぶりのうなぎをを並べた大皿の筏(いかだ)は大好物。

洋食屋・・・帆立フライ
 思いつかなかったが、しいて挙げれば帆立のフライ。
 べつに嫌いじゃないのだけれど、食べ進むうちに飽きてくる。
 同じ貝でも牡蠣フライとの注文比率は牡蠣10に対して帆立0。

中華料理屋・・・あんかけ炒飯
 白飯ではなく炒飯の上に酢豚でん、回鍋肉でん
 麻婆豆腐でん、なんでんかんでんブッカケちゃう、
 味オンチのアメリカ人みたいな食い方をするくらいなら
 あえて筆を絶つ、もとい、匙を絶つ。
 上海炒麺のアタマに広東炒麺の具は掛けんやろ。

あとはどんなもんがあるだろう。
居酒屋でも不衛生なとこでは刺身など生モノを回避。
ビールですら生ではなく、より安全な瓶にする。
中華は汚い店が旨いって?
トンデモない、火を通した料理さえヤバそうなのに
冷やし中華なんか頼めるもんですか!

2011年4月28日木曜日

第41話 迷った挙句の幕の内

東京・神田は日本橋と並び、都心にあってだだっ広い街。
神田、神田と申しましても、いささか広うござんす。
おっと、これは関東、関東の間違い。
実在の人物、千葉周作といえば神田御玉ヶ池である。
  ♪ 見てはいけない 西空見れば
    江戸へ 江戸へひと刷毛 あかね雲 ♪
       佐原囃子が聴えてくらァ、
       想い出すなァ・・・御玉ヶ池の千葉道場か。
       うふ・・・平手造酒もいまじゃやくざの用心棒、
       人生裏街道の枯落葉かァ。
これは平手造酒を主人公に据えた「大利根無情」のセリフ入り。
歌い手は三波春夫でございます。
   
いっぽう架空の人物、銭形平次とくれば神田明神下であろう。
  ♪ どこへゆくのか どこへゆくのか 銭形平次
    なんだ神田の 明神下で
    胸に思案の 胸に思案の 月をみる   ♪
こちらはTVドラマの主題歌で舟木一夫が歌った。

GWが明ければ、ほどなく江戸三代祭の神田祭が幕を開ける。
神田明神(神田神社)の例大祭だ。
お参りをすませた参詣客が男坂を降り終えると、
胡麻油のいい匂いが流れてくる。
匂いの出元は天ぷらと鮨の「明神下 みやび」。
ところが店内に油の匂いは立ち込めていない。
ここが「みやび」の雅びたる由縁であろう。

ともに金千円也のみやび天丼と六角幕の内二段重、
迷いに迷った挙句、幕の内に心を決めた。
これは限定15食の日替わりサービスで
普段は”限定”を忌み嫌うのだが、幕の内に惹かれたのだ。

二段ではなく、前後して運ばれた六角重の内容は
 一の重  こんにゃく刺し 高野豆腐と野菜の煮物 サラダ
 二の重  ずわい蟹 玉子焼き ネギトロ丼 漬け生姜
 豆腐と油揚げの味噌椀

二の重が運ばれたとき、「うっ!」―思わずうめいた。
白飯のつもりがネギトロ丼だったからだ。
そういえば店先の品書きに
本日の日替わりはネギトロ丼と、明記されていたではないか。
鮨屋だろうが海鮮居酒屋であろうが
絶対に頼まない一品が今、目の前に。
うかつであった、愚かであった。
日替わりと幕の内が同一だなんて思わんもん。

仕方ないからネギトロを肴にビールを飲むことにした。
粉わさびを醤油で溶いて上からチョロリと掛けてやる。
よく冷えたアサヒの生が格別だったせいか
いざ口にしてみると悪くはない。
悪くはないが、まぐろとねぎの組合せには積極的になれない。
このときJ.C.オカザワ、
なんだ神田の明神下で、胸に思案の重をみていた。

「明神下 みやび」
 東京都千代田区外神田2-8-9
 03-3251-0155

2011年4月27日水曜日

第40話 あれは33年前

ただいま活動休止中のサザンオールスターズ。
いつになったら復活するのやら・・・。
リーダー桑田圭祐の健康不安もあり、
しばらくは目途が立ちそうもない。
30年間も日本音楽界のトップを走り続けてきたのだから
もういいだろうという向きもあれば
再起を心待ちにするファンも多いことだろう。

1978年、彼らが本格的に
デビューしたときのことはよお~く覚えている。
この年は邦楽の当たり年で佳曲が立て続けにリリースされた。
ピンクレディーの活躍目覚ましく、レコ大受賞曲「UFO」をはじめ、
「サウスポー」や「透明人間」などシングル盤が5曲も発表され、
男性陣ではジュリーこと、沢田研二が絶好調だった。

ほかにも「時には娼婦のように」、「飛んでイスタンブール」、
「カナダからの手紙」、「林檎殺人事件」と異色曲あふれるなか、
心に残る想い出の曲は百恵「いい日旅立ち」、
淳子「しあわせ芝居」、そして千春「季節の中で」の以上3曲。
二人の純子の「みずいろの雨」と「たそがれマイ・ラブ」も好きだ。
演歌ファンなら「夢追い酒」が忘れじの一曲だろう。

サザンを初めて見たのはホテルのパーティーの席上だった。
TVより先に生で観た唯一のアーティストである。
何のパーティーだか忘れてしまったが
ショータイムのゲストバンドとしていきなりステージに上がり、
「勝手にシンドバッド」を激唱&激奏し始めたのだ。
いやあ、正直言って衝撃でしたね、
スゴいやつらがスゴいナンバーを引っ下げて現れたという印象。
こいつは間違いなく本物だと確信したが
本物どころか、超大物になっちまいやがった。

気に入りの曲は「勝手にシンドバッド」を別格として
 「夏をあきらめて」
 「匂艶 THE NIGHT CLUB」
 「My Foreplay Music」
 「メリケン情緒は涙のカラー」
 「BLUE~こんな夜には踊れない~」
 「さよならベイビー」
 「HOTEL PACIFIC」
といったところ。

逆に大ヒットしたわりにそうでもないのは
 「いとしのエリー」
 「真夏の果実」
 「涙のキッス」
 「愛の言霊」
 「TSUNAMI」(今からでもタイトル変えたいネ、桑田クン)
あたりかな。
すべてじゃないけどスローバラードが合わないようだ。

わが身にとって1978年は失職し、ホテル業界に戻った年。
糊口をしのぐための緊急避難だったが
今振り返れば、つかの間楽しい日々が続いていたように思う。
ちょうど東京の街にカラオケが普及し始めた頃、
場末のスナックで”角”か”ダルマ”の水割りを飲みながら
8トラックのデカいカートリッジを出し入れしたものだ。

 人の世に 涙の川があり 苦労の山もある
 その川を渡るとき その山を越えるとき
 歌という友がいる

故遠藤実、歌を愛すればこその名言である。
「高校三年生」と「あゝ青春の胸の血は」は
今でも興が乗ると歌わせてもらってます。
たまには森昌子の「おかあさん」なんかもネ。

2011年4月26日火曜日

第39話 町場中華の優良店 にせどろ千夜一夜 Vol.2

2千円で泥酔できる酒処をめぐるシリーズの第2弾は
町の中華屋を取り上げる。
昭和30~40年代の東京には
庶民的な店がどの町内にも数軒はあったものだ。

東京のど真ん中、銀座の隣りの京橋に
昭和の匂い漂う店がポツンとある。
「長寿軒」と聞き、日本そば屋と混同するあわて者がいるが
そば屋のほうは「長寿庵」だっつうのっ!

店主の修業先は今はなき江古田の「長寿軒」。
地元でこよなく愛された名店だ。
兄弟子が開業したのだろうか、
椎名町にも同名の「長寿軒」がある。

本日の主役の京橋「長寿軒」は20人も入れば満員、
昼めしどきは客があふれ返る。
したがって明るいうちから”にせどろ”はちょいと難しい。
狙いは夕陽が沈んだあとになる。

初手はビールの中瓶(490円)で春巻(420円)でいかが?
手軽なつまみは冷奴(220円)、枝豆、ピータン(各320円)あたり。
よそにありそうでないカツカレー頭(620円)はビールにピッタシ。
大衆酒場でもないのにモツ煮込み(420円)を出すのはエラい。
イケるのが本場とは違う感じの麻婆豆腐(520円)。

ちょっと見はユルそうでも独特の風味あり

紹興酒(520円)に切り替えながら
野菜もちゃあんと取らにゃあかんと、肉野菜炒め(620円)を追加。

豚肉がふんだんに使われている

中華屋の常で野菜炒め系はチマチマせずにどっさりくる。
しかもこの皿は酒を選ばないのがありがたい。
日本酒・ワイン・ウイスキー、何にでも寄り添う。

仕上げには相方とラーメン(520円)をシェアしよう。
いかにも昭和的中華そばは支那そばと呼ぶほうが当たっている。

うずら玉子のビジュアル効果が大きい

ナルトや海苔、あるいはほうれん草が浮かんでいれば、
いっそう昭和的だが、あの頃にもこんなモノクロ系はあった。

やわらかいの、かたいの、ソース焼き、
3種類揃った焼きそばは620円均一。
いきなりソース焼きそばを注文して
立て続けにビールを3本空けた豪気なアンちゃんがいた。
にせどろは飲むのがメインゆえに初っ端はともかく、
締めの麺類なら悪かないんじゃございまんせんか?

「長寿軒」
 東京都中央区京橋1-4-9
 03-3281-8777

2011年4月25日月曜日

第38話 トウモロコシにグラシャス 古く良かりしニューヨーク Vol.1

まずは前回第37話にて中国の東北地方(旧満洲)では
ニンニクの入っていない餃子を
生ニンニクをかじりながら食べるってホントかな? と書いたら
西宮在住のM原サンから「その通り!」との検証をいただいた。
M原サン、お世話様でした。

さて、1990年代のニュヨーク赴任時代、
「J.C.オカザワのれすとらんしったかぶり」というコラムを
「読売アメリカ金曜版」に5年ほど連載した。
その中からいくつか選び、
”古く良かりしニューヨーク”シリーズとして紹介したい。
今日はその第1回であります。

=トウモロコシにグラシャス=

子どもの頃になれ親しんだ味に
執着心が強いのは猫と人間だそうである。
人にはつかない猫が家とエサにはつくという、どなたかの仰せ
人間など自分を育ててくれた食物、
とりわけ主食に対する愛着は生涯捨て去ることができない。
日本人ならもちろん米の飯、欧米人ならさしずめパンだろう。

15世紀における世界の主食作物分布図に出会った。
東南アジア、朝鮮半島、日本列島は米。
中欧から地中海沿岸、トルコを経てペルシャ、
インド北部、中国の東北地方まで帯状に小麦。
北米東海岸とメキシコから南米北端まではトウモロコシ。
当時の世界三大農作物があざやかに色分けされていた。

北中米のトウモロコシは移民の持込んだ小麦に駆逐され、
今はメキシコと中米がかろうじてその食文化を守るのみ。
彼らの祖先はわれわれと同じモンゴロイドで
サケ・マスを追い、ベーリング海峡を渡った人々が
メキシコを安住の地としたのは
そこに神の恵み、トウモロコシを発見したからだ。
メキシコ料理といえば、いの一番にトルティーヤ。
トウモロコシの粉を練り、薄くのばして焼き上げる。
タコスもエンチラーダもみなトルティーヤの応用版である。

「Rosa Mexicano」の名物は客の前で仕上げるグアカモーレ。
作り置くと水っぽくなるからで、ほとんどの客がそれで始める。
アボカドが苦手でなければ万人が楽しめる料理だ。
アランブレス・デ・カマロネス(エビの串焼き)は
エビの鮮度が高く、火の通しも巧み。
極辛のチリ・セラノの刺激が快いうえに
添えるライスの炊き加減も完璧だ。
文句なしにイチ推しです。

「Mi Cocina」のカラマーリサラダはイカが生っぽくていい。
酸味が利いており、メニューにはスパイシーとあったが
”酸っぱいシー”のほうが的を射ている。
ソパ・デ・ロッテはいわゆるコーンスープ、
クノールしか知らない向きには必注となる。
ビーフ・ファヒータに使われている牛肉の部位はハラミ。
外側のトルティーヤと一緒に噛みしめる食感が抜の群だ。

料理の合いの手にはビールがピッタリ。
ボヘミア、カルタ・ブランカはともにさわやかな銘柄。
口当たりのよいマルガリータを飲みすぎるとあとで腰にくる。
殊に女性はご用心、テキーラを甘く見ちゃあいけませんて。

ということで、帰らざる懐かしの日々でした。

「Rosa Mexicano」
 1063 1st Ave. NYC
 212-753-7407

「Mi Cocina」
 57 Jane St. NYC
 212-627-8273

2011年4月22日金曜日

第37話 餃子とニンニク

この惑星でニンニクを愛する民族は
東アジア系と欧州ラテン系が双璧であろう。
日・韓・中の人々はみな大好きだもの。
これが東南アジアはともかくも
インド・パキスタンあたりの南アジア、
もっと離れてペルシャ・アラブ圏となると、
ニンニクの重要性はたちまち薄れる。

欧州でも仏・伊・西料理には必要欠くべからざるものなのに
英・独では好まれないし、東欧・中欧・北欧もまたしかり。
はるか昔、1970年代のことながら
スウェーデンのストックホルムで何ヶ月か自炊生活をした。
その際にニンニクを使った記憶がまったくない。
レストランや企業の社食で皿洗いのバイトもした。
そこでもニンニクの匂いを嗅いだことは一度としてない。

先日、埼玉県・春日部のお茶屋さん、
「おづつみ園」で開かれたミニコンサートに出向いた折、
打上げの席で話題がニンニクに及んだ。
オカザワ家では伝統的にカレーとすき焼きに
ニンニクを投入することを声高らかに宣言したところ、
おおむねカレーは理解を得られたものの、
すき焼きのほうはみんなに受け入れがたい目つきをされた。
読者のご家庭では入れませんか? 実に旨いんだけどな。

ほかにもわが家ではかつおに生ニンニクのスライスは絶対。
ビーフステーキやポークソテーにも必要不可欠で
マヨネーズにおろしニンニクを混ぜ込むこともある。
亡父など、あじフライには必ずニンニクスライスを添えたし、
まぐろの刺身ですら、ときにはニンニク醤油で食べていた。
彼の作る唯一の手料理がニンニク味噌だったほどだ。

ニンニクを語っておきながら餃子を無視しては礼を失する。
好みにもよるが水餃子や蒸し餃子はともかくとして
焼き餃子にニンニクはマストであろう。
「週刊現代」の先々週号だったかな?
立川の家元(談志師匠デス)の連載コラム、
「いや、はや、ドーモ」における餃子談義が面白かった。
ニンニク好きの家元が新宿の餃子店「大陸」で
生のそれをかじりながら餃子を食っていたら
店の親父に「あんた通だネ」と言われたそうだ。
満洲にいたこともある親父曰く、
本場では生ニンニクをかじりながら
ニンニクの入っていない餃子を食うのだそうだ。
ホントかね?

三軒茶屋の洋食屋「芝多」の帰り、
「東京餃子楼 三軒茶屋本店」に立ち寄った。
言うまでもなく餃子専門店である。
何とここには焼き餃子だろうが水餃子だろうが
withニラニンニクとwithoutの2種類が揃っておった。
生ビールとともに注文したのは
双方の焼き餃子と水餃子のwithである。

焼き餃子のwith

焼き餃子のwithout

当然のことながら見た目は一緒。
皿に記された店名の色で見分けるのだ。

となればこれは水餃子のwith

いずれも見るからに旨そう。
パクリとやると、さすがに専門店、味はなかなかのもの。
イチ推しはニラニンニク入り焼き餃子であった。
年中無休にして朝4時閉店と使い勝手もよろしい。
近所の茶沢通りと経堂にも支店があって
繁盛しており、ご同慶のいたりなり。

「東京餃子楼 三軒茶屋本店」
 東京都世田谷区太子堂4-4-2
 03-5433-2451

2011年4月21日木曜日

第36話 斎藤佑樹 デビューを飾る

春の訪れとともに国内では様々なスポーツが開幕する。
筆頭格はプロ野球、球春なる言葉がそれを如実に物語る。
ふと思うのは、日本という国はおかしなな国で
国技の相撲よりも野球の人気が高いのはこれいかに?

もう一つ不思議でならないのは視聴率をとれないからと
テレビ局が野球中継を敬遠して久しいのに
球場に詰め掛けるファンの数はけして落ち込んでいないこと。
サッカー人気が高まったといっても
いまだに観客動員数では野球の後塵を拝している。
客をドーッと呼べるのは国際Aマッチくらいのものだ。

当然、人気は選手の年俸にも反映され、
野球はずうっと右肩上がりで来ているのに
選手寿命が短く(実働年数が少なく)、
運動量も激しいサッカーは不遇をかこっている。
何とかしてやりたい、いや、してやらねばならない。

ついでに言うがスポーツネタの少ない時期は
TVのスポーツニュースも苦肉の策から
春のキャンプをこぞって話題にするし、
オープン戦のTV中継だってある。
開幕して本番を迎えても放映が限定されるのに
オープン戦を映すのもおかしなハナシであろう。

とまれ、すったもんだの挙句、今年もプロ野球が開幕した。
スポーツ紙の一面を遼クンと二分した佑チャンこと、
斎藤佑樹も公式戦初登板。
予想以上の好投を見せて見事に勝星をあげた。
ネット裏の毀誉褒貶がかまびすしい佑チャンだったが
それなりの成果に見合う評価を得たものと思われる。

J.C.も彼を見直した一人、
これならプロでやっていけると確信することができた。
田中のマー君みたいな本格派にはない、
あるいはそれほど必要とされない、
知的投球術の冴えがそこかしこに垣間見えたからだ。
ゴロを打たせることのできる投手は大崩れが少ない。
楽天の岩隈がグッド・エグザンプルだろう。
ゴロは絶対にホームランにならないし、
(ランニングホームランがあるだろ、なんてバカは言わないで)
一塁線・三塁線を破られない限り、短打どまりだ。
内野手と内野手の真ん中を抜かれたらそれまでとフッ切るべきで
そんな打球はそう何発も続くものではない。
併殺に打ち取れるぶん、三振よりもゴロがほしい場面は多い。
うん、ヤツは使えるぜ!

ジャイアンツの桑田のような投手を目指せ、
という意見が散見されるが、はたしてどうかなァ。
挙げるとすれば、目指すべくはライオンズの東尾だろう。
斎藤の球筋は右打者の外角低めにすべらせたり、
落としたりするのが生命線。
ただし、それだけじゃ的を絞られてつかまる。
東尾の如くに打者の内角をえぐるシュート系の球を習得したい。
故意にぶつけちゃならないが、ぶつけることを怖がることはない。
なあに、ぶつけられて殴りかかってくる命知らずがいようと
君には何千、何万という強い味方がついているんだ、
安心してぶつけろ!

次の登板はまた日曜日の24日。
かつてはオリオンズの村田が”サンデー兆治”の異名をとった。
週イチじゃもの足りないものの、しばらくは”サンデー佑樹”として
われわれファンを楽しませてもらいたい。
相撲協会に抗議の意を表すため、
大相撲に決別した無聊を多少なりとも慰めてほしいのだ。

2011年4月20日水曜日

第35話 オムレツが鬼門

オムレツが鬼門である。
いえ、食べるのが苦手というんじゃなくて
作るのが下手なんざんす。
どうにもこうにも上手に焼き上がらない。
火力の調節がまずいのか、
フライパンと菜箸の使い方がいけないのか、
おそらくはその両方であろう。
いやはや、イヤになっちゃう。

とは言え、味のほうは上々だし、
姿カタチだってそんなに悪くはない。
ただ、プロの料理人みたいに
光り輝くのがどうしても焼けない。
美しい流線形を描き、焼け焦げなんかないヤツ、
表面はしっかりしていながら中はトロトロで
フォークの背で突ついてやると、
プルプル震える、そんなのが理想的だ。

ホテルの朝食ビュッフェで
プロが目の前で焼く実演を
食い入るように見つめたことも何度かあった。
技術を盗もうとしたのだが結局は薬局、
ハハハ、無駄でした。

いつぞやは玉子を大量に買い込み、
腕まくりして特訓に励んだことさえある。
特訓といってもコーチは付かないからまったくの自己流。
しかし、この試みも不発に終わった。

ガスの火と上手く折合いをつけ、
フライパンを持つ左手首を右手でトントントン、
焼き上がった玉子をくるり反転させ、皿で受ける。
言うは易く行うは難し、とかくこの世はままならぬ。

自分で言うのもなんだがこう見えても
ステーキを焼かせたらかなりの腕前。
外でめったにステーキを食べないのは
シツッコい霜降肉が嫌いなのと、自作のほうが旨いから。
それがオムレツはからっきし駄目、牛肉と玉子じゃえらい違いだ。

ところが先日、とうとうやりました。
カタチの整った器量ヨシをやっとのことで完成させやした。
とくとご覧くだされ。

美しい完成品に絹さやを添えて

どうです? プロはだしでござんしょう?

エッ、やけに白っぽいじゃないか! ってか?
テヘッ、やっぱ判りますぅ?
さすが当ブログの読者はお目が高い。

中からトロリと黄身が流れ出た

お察しの通りコイツはオムレツじゃなくて
フライドエッグ、いわゆる目玉焼きなんでサ。
しかも偶然の産物ときたもんだ。

でも、負け惜しみで言うんじゃないが
こんな目玉焼きはプロだってそう簡単にゃ焼けませんぜ。
本人がもう2度と作れないんだもの。

2011年4月19日火曜日

第34話 今や稀少な外国人

みちのくの震災以来、とりわけ原発事故の発生以来、
東京の街から外国人の姿が消えた。
これは何も東京に限ったことではあるまい。
日本全国津々浦々に共通する現象といって差し支えない。

この時期の外国人旅行者数は前年比50%ダウンとのこと。
はて、そんなものだろうか?
実際はもっと減っているのではないか。
うち多数を占める中国・台湾・韓国からの旅行者は
遠目、あるいはちょっと見、日本人と区別がつかないから
実感が伴わないけれど、欧米人が激減している。

銀座や浅草を歩く折、
紅毛碧眼のフォリナーがいないのはさみしい。
心なしか街が沈んでいるようにも見える。
人恋しいんじゃなくて、外人恋しいみたいな気持ち、
何だか英語をしゃべりたくなるような・・・そんな心持ち。
お~い、外人や~い! 早く帰ってこ!
つい先日も銀座通りは松坂屋の前で叫んだ。
いえ、口には出さず心の内で。

桜花を愛でるにラストチャンスの日曜日。
旧友の誘いに乗り、この春唯一度の花見を決行した。
場所は依然たびたび出没した新宿御苑である。
ここへ来るのは何年ぶりだろうか。
ところが当日の昼近くになって
御苑ではセキュリティ・チェックを口実に
持物検査が実施されているという情報が入る。
御苑は原則、飲食物の持込み禁止なのだ。
酒なくして何の花見よ!
即刻、会場を代々木公園に変更する。

ところが、そこは人の波、また波。
中高年の姿はほとんどなく、若者の群れ、また群れであった。
御苑と異なり、代々木には芝生が少ない。
彼らが乾いたベアグラウンドの上を
ご丁寧に足を引きずって歩くものだから
舞い上がる土ぼこりがすさまじい。
酒もつまみもドロドロのジャリジャリである。

それでも1つだけよきことがあった。
参集した仲間の中に紅毛碧眼がザッと数えて6~7人、
それもすべてうら若き美女、
う~ん、ちょっと無理があるな、うら若き乙女である。
みなさん日本語学校の講師であった。

なにぶん大人数につき、花見用のシマを2つに分け、
こちらのシマにはカナダ・アメリカ・アイルランドの姫君が3人。
いや、語り合いましたね、車座になって。
話題は彼女たちそれぞれのふるさとのこと、
もちろん地震の恐怖と原発への懸念、
破廉恥アホ菅の残り少ない行く末や
日本の施政・外交のつたなさなど、
多方面に渡って久しぶりに英会話を楽しんだ。

地震の揺れは怖くとも、彼らが東京にとどまるに
余計な疑念を持っていないことがうれしかった。
国政にあきれつつも
国民には慈しみの気持ちを抱いてるのに
救われる思いであった。

2011年4月18日月曜日

第33話 鮨は東京にあり (その2)

六本木の東京ミッドタウンにほど近い鮨店に来ている。
「兼定」は灯りの乏しい裏道に目立たぬようにあり、
その先には昔たびたび訪れた「ミスター・スタンプス」が
今もなお頼もしく営業を続けている。
金融界に足を踏み入れた30年前、
同僚のイギリス人たちと酒を酌み交わした店だ。
外銀で働く外人ディーラーの接待にもよく利用したっけ・・・。

さて、こよなく愛する「兼定」である。
初訪問は2002年の2月のことで実に衝撃的だった。
ビールのあとは青森の酒、桃川の冷酒をほどよく飲んだ。
当日のいただきもので花マル印は下記の通り。

 つまみ・・・温製真鱈白子ポン酢 めひかり一夜干し
 さしみ・・・平目 平貝(たいらぎ)
 にぎり・・・酢あじ 春子w/白板昆布 小肌 蒸しあわび
       赤貝&そのヒモ まぐろ赤身 まぐろ中とろ

にぎりにのほとんどが花マルで
その日の食日記にはこうある。

 初っぱなの酢あじに驚き、小肌には圧倒された。
 鳥肌が立ってしまい、生涯ベストかもしれない。
 蒸しの軽いあわびには感極まってまたもや鳥肌。
 こちらはまぎれもなく生涯ベストのあわびであった。

少々大げさなようだが、それほどに感動したのだ。

あれから丸9年。
今回は飲み友だちのN戸夫妻と訪れた。
ワイン好きの彼らのために
持込むワインの調達はJ.C.の役目となる。

白・・・フィクサン ドミニク・ローラン ’03年
赤・・・バローロ セッラ ’03年
    シャトー・コロンビエ・モンプルー ’83年

「兼定」の親方も無類のワイン愛好家。
それぞれ1杯ずつ献上することで持込み料が免除される。
よきシステムというほかはない。

いただいたものはかくの如し。
赤字特筆モノである。

つまみ・・・うるい白和え めひかり一夜干し 真鯛中骨塩焼き
           蒸しあわび 子持ちやりいか煮
さしみ・・・平目 真鯛 かつお あおりいか すみいか
にぎり・・・まぐろ赤身 まぐろ中とろ 青柳 あじ押しずし
      さば押しずし 小肌 穴子

平目と真鯛はかつて蝦蛄の名産地だった小柴の港に揚がったもの。
かつおは三陸方面に上る前に紀州沖で釣上げられたものだ。

ずいぶん以前のことながら
下北沢の「鮨 福元」がまだ「すし処 澤」を名乗っていた時分、
たまたまハナシが「兼定」に及び、親方が感慨深げにつぶやいた。
「あの店のよさはフツーのお客には判らんでしょ、
 いや、鮨屋にだって判らんかもしれんなァ」―
そんな鮨屋が六本木「兼定」なのである。

「兼定」
 東京都港区六本木4-4-6
 03-3403-3648    

2011年4月15日金曜日

第32話 鮨は東京にあり (その1)

食評論界(こんな世界があるのかね?)の”咬みつき亀”、
またの名を”薄髪の吸血鬼”、友里征耶に言わせると
和食の最高峰は京料理になる。
ふ~ん、そんなもんですかな。

ハッキリ言ってJ.C.は懐石料理やおまかせコースは嫌い。
なぜか?
自分の好きな料理を自由に選べないからだ。
これではまるで野球の監督から
先発メンバーを選ぶ楽しみを奪い去るようなもの。

ほかにも欠点がいくつかあり、
 一、時間が掛かりすぎる
 一、量が多すぎる
 一、値段が高すぎる
この三重苦である。

和食店に行くならカウンターのあるところで
せいぜい4~5品の料理を友とし、
ゆるりと酒盃を傾けるのが何よりだ。
もっともそれならば、いっそ鮨屋に飛び込んだほうが早いが
近頃は鮨屋でもおまかせ一辺倒の店が増え、
たまさか友人につき合うことはあるにせよ、
自分からすすんでは行かない。
そういう店は江戸前鮨の本道をいささか踏み外し、
脇道にそれているように思えてならない。

元来、東京人は上方人より気が短い。
おしなべてせっかちである。
東京を中心に鮨が愛好されるのも道理、
江戸っ子の気質に合致するのだろう。
金銭の節約にはつながらない鮨屋だが
時間の節約には大いに貢献するからね。

昔、あれは誰だったかな? 
若い女優が「外食で好きな食べものは?」と訊かれ、
即座に「お鮨屋さん」と応じた。
てっきり生モノが好きなのかと思いきや、
その理由がふるっていた。
「座ってすぐ食べられるから」ですと・・・。

鮨・天ぷら・うなぎ・そば、つらつら数え上げれば
東京に暮らしていてつくづくよかったと思う。
こういうものは西より東に分があり、鮨がその筆頭格。
それも銀座・赤坂・西麻布あたりの高級店でなく、
浅草界隈の中級優良店に趣きがある。
中級といっても鮨ダネやシゴトが中級なのではない。
支払い額がそこそこという意味で
航空機にたとえればエコノミーとファーストの中間、
さしずめエグゼクティヴクラスに該当しよう。

しかし何事にも例外はあるもの、六本木の「兼定」だけは別格。
わが愛する鮨屋リストのベストスリーにランクされる。
鮨屋で目からウロコが落ち、身体に鳥肌が立ったのは
長い人生においてたった2回のみ。
「弁天山美家古寿司」(1978年)と
「兼定」(2002年)である。

白1本に赤2本、両手にワインをぶら下げて
久々に「兼定」の敷居をまたいだ。

=つづく=

2011年4月14日木曜日

第31話 あの日に帰った気分

♪   泣きながら ちぎった写真を
        手のひらに つなげてみるの
    悩みなき 昨日のほほえみ
        わけもなく にくらしいのよ
    青春の うしろ姿を
        人はみな 忘れてしまう
    あの頃の わたしに戻って
        あなたに 会いたい   ♪
                (作詞:荒井由実)

ユーミンこと、松任谷由実の「あの日にかえりたい」は
彼女のナンバーで一番好きな曲かもしれない。

歌詞にあるように、女性は大人になると
みな青春をどこかに忘れてしまうのかね。
青春どころか、新しいカレができると、
ついこの間までつき合っていた前カレのことなんざ、
きれいサッパリ、忘却の彼方っていうものなァ。
冷たいもんだ。

その点、オトコのほうが心根がやさしいというか、
ハッキリ言って女々しいのかもしれん。
オトコはけっこう引きずるものね。
昔の彼女は思い出の一コマ、忘れじの1ページで
オトコは心の片隅にちゃあんと玉手箱を持っているものだ。

ハナシはピョンと跳ぶ
自称グルメ6人の集まり、
SKYAMKO軍団の食事会を催した。
今回の本来の目的は
桜を愛でながら酒宴を開こうというもの。
いわば、春高楼の花の宴である。

幹事のM谷クンが予約してくれたのは
六本木ヒルズの「ローダーデール」。
アメリカンキュイジーヌとフレンチビストロのフュージョンだ。
若い頃ほどではないがビストロにはちょくちょく行っている。
だがアメリカンとなれば、とんとご無沙汰である。
メニューを眺めていて懐かしくなった。
ニューヨークに赴任していた頃、
週末のブランチ、あるいはシカゴやL.Aに出張した際、
ホテルの朝食で食べたものがズラリと並んでいる。
あの日に帰った気分だ。

トーストしたイングリッシュマフィンに
ポーチドエッグとハムを乗せ、
オーランデーズソースをかけたエッグ・ベネディクトの文字を
見たのは何年ぶりのことだろう。

当夜はもちろん米仏合体でいった。
ベネディクトはブランチ用メニューで夜は食べられないが
チリコンカン、ファラッフェル、2種類のスフレ、
パテ&リエット、エスカルゴ、ムール貝の白ワイン蒸し、
鴨のコンフィなどを次から次へと。

せっかく窓を大きくとったダイニングであったのに
桜は依然としてつぼみを閉じたまま。
そんなことはお構いなしに酒食にふける男女6人。
窓の外では夜も更けてまいりましたとサ。

「ローダーデール」
東京都港区六本木6-15-1 六本木ヒルズけやき坂テラス1F
03-3405-5533

2011年4月13日水曜日

第30話 著名人の大好物

春の到来を感じる暖かな夕暮れ。
ほどよく冷えたビールを飲みながら
何気なしに目の前の書棚に目をやった。
先の大地震の際、CD、DVD、ビデオカセットは
みんな棚から飛び出したのに
書籍類は1冊として落下しなかった。
紙を綴じた本は健気にも互いの揺れを吸収し合ったのだろう。
今も肩を寄せ合って並んでいる彼らがいじらしい。

20年近くも以前、
マンハッタンの「紀伊国屋」で買った本に目がとまった。
週刊文春編による「私の大好物」なる文庫本だ。
各界の有名人が好物の食べものを紹介している。
すでに鬼籍に入った方々も含めて
ちょっとお目に掛けてみましょうか。

 藤田まこと   しょうが天 大寅(大阪・豊中)
 笑福亭鶴瓶  とろたく 大天寿司(兵庫・西宮)
 永六輔     ごぼ天うろん かろのうろん(福岡・博多)
 加藤芳郎    紅しょうが 島屋商店(東京・沼袋)
 赤塚不二夫  パエジャ カサ・ベリヤ(東京・新宿)
 竹下景子    釜揚げしらす 浜野水産(神奈川・藤沢)
 都はるみ    ソース焼きそば 山茶花(東京・四谷)
 江夏豊     たいやき 浪花家(東京・麻布十番)
 松岡修造    牛丼 吉野家(東京・吉祥寺)

みなさん意外と庶民的な食べものがお好きなようで・・・。
ちょいと値の張りそうなのは
まぐろのトロとたくあんを合わせた、とろたくなるにぎり鮨。
それにスペイン料理のパエジャ(パエリャ)くらいのもの。
松岡修造選手(今はキャスターか)の牛丼ってのはいいな。
大東宝の御曹司が「吉野家」だもの。
しかも高校生なので金があまりなく、
2杯目は白めしに丼つゆだけ掛けてもらって
かっ込んでいたとのこと、笑えますなァ。

中にはJ.C.が好きなものも何品かあった。
2つほど紹介しますね。
まず、有楽町ガード下、「天米」の天丼
これは東海林さだおサンの大好物だ。
甘辛いタレのしみ込んだごはんがお好きだそうで
熱いと味が判らないからほどよく冷ますのが肝心とのこと。
それを道路工事のように垂直に食べ進むんですと・・・。

「天米」には何度も行っているがいつも昼。
なぜか天丼しか食べたことがない。
他店と違い、コロモにサクサク感はなく、
なんかプヨプヨしている。
子どもの頃、惣菜屋で買ってきた天ぷらで
母親が作ってくれた天丼にやたら似ているのだ。

もう1つは中央線・小淵沢駅の駅弁、「丸政」の元気甲斐
これが好きなのは作家の宮脇俊夫サン
二段重ねの木箱入りには本物の朴葉や隈笹があしらわれ、
東京駅で売られているチャラチャラしたのとは
比べるべくもない古武士のようなたたずまいを見せている。
食味もなかなかに味わい深い。

10年前に食べたときの品書きが本に貼り付けてあった。
一の重には8品目、二の重には6品目。
栗としめじのおこわ、胡桃御飯が主食で
鶏の柚子味噌和えが主菜だ。
山女の甲州煮というのがいかにも甲斐の国らしかった。
これはヤマオンナを煮付けたんではなくて
川魚の山女魚(ヤマメ)のことですぞ。

2011年4月12日火曜日

第29話 It's a Wonderful Store !

都知事選は慎太郎サンの4選で幕を閉じたが
彼の人気は相変わらず根強んだろうか。
もっとも二流タレント(一流ならよいワケじゃないが)の分際で
少女買春した愚か者なんかに都政を任せたら都民の恥、
それこそ日本中に笑われる。
ところがあんなんでも若者の票をかなり集めており、
都の行く末を思うと背筋が寒くなるのも歴然とした事実。
作家の伊集院静サンは
「タレントの政界進出は認めない」と言い切った。
けだし正論でアホな若者がこれから少しずつでも
成長してくれることを心から望むばかりなり。

さて、ハナシは昨日のつづきみたいなもんだが
時代物のそば屋「進開屋」を通り過ぎてほどなく、
これもまた古びたスーパーマーケットに遭遇した。
あいや、スーパーと呼べるほどの規模ではない。
小さな町場の食料品店はちょっと見、店名が見当たらず、
まさしく名もない店であった。

ここんとこ不足気味だった食パンが
ズラッと並んでいたので心惹かれた。
パンをはじめ、みな値段が安く、
これなら地元の愛着を集めていそう。
気がつけば店の中にいた。

店内も古びており、いかにも時代遅れ。
なのに、青果類がそこそこ揃っている。
鮮魚にいたっては下手な魚屋顔負けの品揃えだ。
サバやイワシなど青背の鮮度が高いのも意想外。
刺身が並ぶ棚には目を見張った。
失礼ながら、どうしてこんな店にこんなサカナが!
なのである。
この瞬間、その日の晩めしは自宅に決めた。
さっそく今宵いただく刺身を選ぶ。

買い求めたのはこの2点。

富山産生蛍いか&大分産赤貝

どちらも鮮度抜群、見るからにモノがよい。

ハシリの蛍いかは刺身でOK。
この時期は湾の深部に潜んでいるからで
旬を迎えるとこれが、浅瀬に浮き出て寄生虫が付く。
そうなると、生食は非常にヤバい。

繊細な大分産の赤貝は以前からのお気に入り。
日本一の赤貝を産する宮城県・閖上(ゆりあげ)が
壊滅してしまった今、大分産がベストであろう。
つい先日、「三越 銀座店」をのぞいたら赤貝は韓国産のみ。
その翌日の「西武 渋谷店」は中国産ときた。
韓・中の食味はだいぶオチる。

目利き通りに蛍いかも赤貝もバッチリであった。
何とまあ、したたかなストアなんだろう。
しかもそれぞれ398円と350円はデパ地下よりもずっと安い。
こりゃ近くに来たら絶対に寄っちゃうなァ。
It's a Wonderful Store !
心の底からそう思ったことでした。

「フードストア かみもと」
 東京都文京区千石2-36-7
 03-5940-5522

2011年4月11日月曜日

第28話 東京屈指の立ち食いそば

脚の向くまま、気の向くままに、
ゆくえ定めずテクテク歩くのが趣味。
散歩を趣味にすると金が掛からなくていい。
かといって金が貯まることはない。
それが金という、得体の知れぬ魔物の条理だろう。

住宅街をいくら歩いてもつまらないが
商店街だと商い、もとい、飽きない。
電車に乗らずに沿線の駅を歩いてめぐるのは好きだ。
それぞれの駅の周辺にそれぞれの表情があり、
界隈をさまようのは大きな楽しみである。

その日は比較的都心に近いところにいた。
大塚駅前の立ち食いそば店、
「みとう庵」で遅めの昼めしをとった。
午後1時近くににガッツリ食べては
晩めしに悪影響を及ぼすので
もりそばあたりで軽くしのぐのが得策だ。

立ち食い店ながら「みとう庵」のレベルは高い。
都内随一とは断言しかねても
都内屈指であることに疑いはない。
夫婦者と思しき二人で切盛りしていて
自家製のそばとつゆが自慢だという。

そばは細・太2種類あり、どちらも粗挽き。
細いほうはアッという間に茹で上がるが
太いのは5分ほど要するために
ほぼすべての客が細切りを注文している。
立ち食い店での5分待ちは相当に手持ち無沙汰だ。

ほどよい噛み締め感を持つそばと
下世話な甘みを含むつゆとの相性がとてもよい。
甘みを完全に排したつゆは好みではない。
カツブシの匂いが気になることがあるからね。
もりは1枚300円、お値打ちである。

仕上げにそば湯をすすり、西に向かって歩みを運ぶ。
見慣れた町をゆっくりと進む。
千石の裏筋に日本そば店「進開屋」が
相も変らぬたたずまいを見せている。
大正時代に創業した老舗は震災で1度焼けた。
昭和4年に再建された木造2階建ては戦災を免れ、
今では都の有形文化財に指定されている。
ここで一杯飲ったのはかれこれ10年前のことだ。

「進開屋」を左手に見て白山方面に向かう途中、
古いスーパーの店先に目が留まった。
今の時期には珍しく食パンが山積みにされている。
いっとき棚から姿をくらましたパンも納豆も牛乳も
やっと戻ってきたんだね。
あとはヨーグルトを待つのみだが
この身にははなはだ無縁で無用の長物。
さりとて便秘やピロリ菌対策で常食している人には
さぞ待ち遠しいことでありましょうな。

「みとう庵」
 東京都豊島区南大塚3-49-8
 03-3982-3035

2011年4月8日金曜日

第27話 芋を洗うインディアン

社会派推理小説の嚆矢、松本清張の「点と線」で
重要な舞台となった東京駅のプラットホーム。
当時とは打って変わって現在はホームの数も
日本各地をつなぐ新幹線に加え、
総武線・京葉線が地下に乗り入れ、
合計で22線もあるそうだ。
ほとんどのホームは南北に走っており、
線路の東側が八重洲口、西側が丸の内口となっている。

意外と知られていないのは八重洲側(中央区)にも
丸の内(千代田区)の地番がはみ出していること。
「大丸 東京店」、「シャングリラホテル」は丸の内1丁目。
有楽町駅前の「ビッグカメラ有楽町テレビ館」は3丁目だ。

このようにヘンテコリンになったのは
東京駅全体を千代田区内にすっぽりと納めるためだろう。
線路の真ん中で千代田区と中央区に分割はできない。
外堀通りをはさんで東京駅の向かい側にある、
「八重洲ブックセンター」へはちょくちょく出向く。
できることなら書籍は書店で買いたいからだ。
毎回5~6冊、まとめ買いしている。
10冊となると、かなりかさばるし、重いしね。

本を買いに行けば、近くで昼めしか晩酌は必至。
持ち駒は「京すし」、洋食「京橋モルチェ」、
和洋食「きむら」、和食「柿の木」、焼き鳥「栄一」、
中華「長寿軒」といったところ。
忘れちゃならないのはインド料理の「ダバインディア」。
界隈きっての人気店は常に満員御礼。
これほど客があふれ返っているインディアンは
東京広しといえどもほかにない。
その光景たるや、あたかも真夏の湘南海岸の如し。
芋で芋を洗うような有り様だ。

3月初旬、みちのくから上京した友人を案内した。
最終の新幹線で帰郷する手はずとあって
移動しやすい八重洲で夕食をともにしたのだ。

「ダバインディア」の内装はインド風にはほど遠い。
といって欧風でもなければ、
ましてや和風であるわけもない。
壁面の濃いブルーがラピスラズリを思わせる。
狭いテーブル間隔によるストレスさえしのげば、
なかなかに素敵な空間だ。

インドの盛合せ定食、ミールスを1人前、
あとはナンとプレーンドーサとチリパコラ、
タンドゥーリチキンにラムコルマを注文。
この店の旨さは他のインド料理店とはまったく異質。
激辛・濃厚とは無縁でスッキリとしたあと味が残る。
キレ味が鉈(なた)や斧(おの)ではなく、
剃刀(かみそり)のそれと言ったら判りやすいだろうか。

インドの赤ワイン、スラ・シラーズの甘さには
辟易としながらも南インド料理を堪能しつくした。

平和な夜は更けてゆき、
友は夜汽車で北へ帰って行った。
突如としてみちのくの平和が粉砕されたのは
その数日後のことである。

「ダバインディア」
 東京都中央区八重洲2-7-9
 03-3272-7160

2011年4月7日木曜日

第26話 故郷に錦のヒッチコック

アルフレッド・ヒッチコックの「フレンジー」を観た。
彼の準遺作である。
準遺作なんて言葉があるとも思えないけれど、
遺作の一歩手前、ゴルフ・コンペでいえばブービーに相当する。
ロンドンが舞台の「フレンジー」を初めて観たのは
1974年か75年、奇しくもロンドンでのことだった。
おそらくBBC1のTV名画座であったろう。

当時の貧弱な英語力では
イマイチ内容がチンプンカンプンながら印象はよかった。
ふとしたことからこの映画のことを思い出し、
TSUTAYAから借り出したのだ。
秀作・凡作が相前後するヒッチコックの作品群。
ベストファイブを選ぶとすれば、こんな感じだろうか。

 ① めまい(キム・ノヴァク)
 ② 鳥(ティッピ・ヘドレン)
 ③ フレンジー(アンナ・マッセイ)
 ④ 裏窓(グレース・ケリー)
 ⑤ ハリーの災難(シャーリー・マクレーン)
      *( )内はヒロインを演じた女優

通好みの女優が並んでいる。
映画のデキとしては「めまい」が断トツ。
サンフランシスコの街並みも美しい。
「鳥」が世に巻き起こしたセンセーションも特筆すべきだ。

さて、本日の主役、「フレンジー」である。
この作品は長いことハリウッドで仕事を続けてきたヒッチが
舞台をロンドンに移し、
いわば故郷に錦を飾る凱旋の一作とも呼べるもの。
ロンドンという街の魅力がスクリーンに横溢している。
かつて青果市場のあったコベントガーデンの様子が
活写されており、記録的価値も非常に高い。

舞台出身の俳優陣はほとんど無名の役者が多く、
きわめて低コストの作品となったが
彼らの演技力や存在感が異彩を存分に放っている。
殊に敵役のセクシュアル・サイコティック(性的異常者)を
演じたバリー・フォスターがすばらしい。
「サイコ」のアンソニー・パーキンスみたいに
翔んでないからよりリアリスティックなのだ。
風貌は英国版・天知茂でピッタリだろう。

女優陣では結婚相談所の秘書役、
ビリー・ホワイトローが白眉。
あえて美貌を包み隠して男を拒むレズッぽさを漂わせ、
更年期を想起させた排他性が水際立っている。
英国の舞台俳優は味わい深い。
さすがはシェイクスピアを生んだお国柄である。

オープニングに流れるテーマミュージックも卓抜。
確執から巨匠ヘンリー・マンシーニを降ろしてまで
採用したロン・グッドウィンが実にいい仕事をしている。
ヒッチコック・ファンならずとも
ぜひ観ておきたいセミ倒叙ミステリーである。

2011年4月6日水曜日

第25話 ため息の老舗鮨 (その2)

はとバスもやってくる「駒形どぜう」のすぐそば、
「鮨 松波」に来ている。
つけ台の右端がテーブル仕様に設えられている。
今をときめく銀座の「鮨 水谷」が「よこはま 次郎」時代に
まさしくこのスタイルであった。
4~5人連れでつけ台に落ち着きたいが
話が遠くなると悩む向き用に考案されたのだ。
接待客を取り込む腹案もあろう。

男ばかりが4人、そのテーブル仕様に陣取った。
コの字形だから上辺と底辺は互いに差し向かい、
きわめて珍しい陣形である。
ビールはアサヒとキリンの小瓶のみ。
差しつ差されつに小瓶は七面倒くさい。
話はそれるが最近のビール不足はどうしたことだ。
近所のスーパーではレギュラー缶やロング缶が
すべて売り切れ、ヨーグルトや納豆よりも入手が難しい。
他所ではそうでもないみたいだけれど・・・。

乾杯と同時につまみ類がどんどん供される。
接客の女将が気の利かないことはなはだしく、
素っ気もなければ、色気など求めるべくもない。
追加のビールの銘柄は取り違えるし、
刺身が出たのに醤油の小皿を忘れている。
単なる運び屋、いわゆるパシリと化しており、
これならファミレスのサービスほうがずっと真っ当だ。

ぶり刺しは大根おろしで、〆さばは酢味噌で、
このスタイルは昔からずっと変わらない。
これがベストと、親方信じて疑わないからだが
願わくば、わさび醤油もいただきたい。
梅かつおと焼き海苔のセットも定番ながら
正直言ってあんまりうれしくない。
和朝食ならありがたいんだが・・・。

目を疑い、続いて天を仰いだのは無粋なぶり大根。
これには大きなため息がもれた。

♪  ため息の出るような 貴方の仕打ちに
   苦い思いを噛みしめる オトコ心よ~ ♪

なのである。

一人アタマ2万円超えの高級鮨屋で
居酒屋アイテムはあまりと言えばあまりの仕打ち。
アラ煮に目のない人なら歓ぼうが
粋な土地柄の江戸前鮨屋には
それなりの品性が求められてしかるべきなのだ。
旨けりゃよいというものでは断じてない。

つまみの平目・中とろはそこそこ。
蒸しあわびとそのスープ、甘酢に浸した子持ち蝦蛄、
思い入れの強い品々にも敬意を表したい。
でも、ぶり大根がなァ(まだ言ってるよ)。

にぎりは3枚付けの新子(この時期で!)に始まり、
すみいか・赤貝・さより・海胆・穴子・玉子。
いずれも種・酢めしともにかなり大きい。
鯵などあまりにデカ過ぎて、とてもかぶりつく気になれず、
隣りの後輩に無償で譲渡した。
つい数年前までは輝きを放っていた老舗も
とうとう黄昏のビギンを迎えたようだ。
時の流れの酷さに言葉が見つからない。

「鮨 松波」
東京都台東区駒形1-9-5
03-3841-4317

2011年4月5日火曜日

第24話 ため息の老舗鮨 (その1)

カズが華麗なゴールを決めてくれた。
ゴールもさることながら、華麗なカズダンスがまた見事。
まるでドラマのような幕切れに
勇気付けられた被災地の子どもたちも
少なくなかったことだろう。
そして世界各地のピッチやスタジアムで
捧げられた黙祷に、一日本人として深く感謝したい。

44歳で現役を、それもサッカー選手としての現役を
続けるカズにはただ、ただ驚くばかりだが
どんな名選手にも衰えがくるのはスポーツ界の宿命。
いつかは舞台から退くときがやってくる。
引退・自由契約・馘首、様々な名目で
”そのとき”は確実に訪れる。

此度の角界のように引退勧告なんてのもある。
しっかし、協会の下した判断はとてつもなく非道いものだ。
餌食になったのは平幕以下のモンゴル力士が中心。
贔屓にしている徳瀬川が含まれているから言うのじゃないが
あれじゃまるでトカゲの尻っ尾切りもいいところ。
中国の窃盗団や韓国のスリグループが
世の中を騒がせた時期があったけれど、
今度はモンゴルの八百長シンジケートを捏造して
罪をおっかぶせやがった。
彼らに八百長を教え込んだのがほかにいるわけで
モンゴル力士が自発的に画策することなんかできはしない。
三役以上にほとんどブラックのダークグレーが
ごろごろいるっていうのにお手盛りで
臭いものにフタをしやがった。
この件はまた日を改めて糾弾したい。

角界・球界・サッカー界を問わず、
あらゆるスポーツ選手に最後の日がくるように
料理人の世界にもそれはくる。
つい最近、目の当たりにしてため息をもらしてしまった。
ところは浅草・駒形の「鮨 松波」である。
8年前に上梓した「J.C.オカザワの浅草を食べる」から
少々、抜粋してみたい。

 駒形で開業して三十有余年。
 さすがに扱うサカナは見事、シゴトもすばらしい。
 ただし、それはそのまま勘定に跳ね返り、
 浅草では「新高勢(現・高勢)」と並ぶ高級店だから
 予算は一人2万円。
 噛むとミシッミシッときた平目、
 親方がすすめるだけあって絶品の氷見のさば、
 肉質が緻密でちっともしつっこさのない大間の大とろ、
 以上が本日のベストスリーだ。

月日は流れ、すでに創業40年を超えた。
ところが今回久しぶりに訪れて
もらしたのは嘆息ばかりなのである。

=つづく=

2011年4月4日月曜日

第23話 東大に入りました!

このたびめでたく東大に入りました!
ただし裏口から・・・。

本郷の東大にはいろいろと入口があって
正門のほかに赤門が有名だ。
裏口となれば、さしずめ弥生門だろう。
本学にはもう一つ、東大病院に続く竜岡門があるが
こちらは裏というより横口といった印象が強い。

その日は裏口の弥生門から学内に入った。
何のために? ってか?
エヘヘのヘ、昼めしを食いにですよ。
なあ~んだ、めしか! ってか?
若さも能力もないこの身とこの頭、
入学なんか到底できるわけないじゃん。

東大、東大と申しやしてもいささか広うござんす。
学食にもいろいろあって此度目指したのは「第一食堂」、
またの名を「銀杏・メトロ食堂」という。
今は昔、学園闘争でその名を天下に知らしめた、
安田講堂直下のスペクタクルな「中央食堂」も悪くはないが
ノスタルジックな「銀杏・メトロ食堂」は
銀杏・レトロ」と呼び替えたいくらいのものだ。
入口脇の手洗い場からしてこんな感じですもん。

手を洗いながらタイムスリップ

どうです? 懐旧派にはこたえられんでしょ?

さて、肝心の”めし”。
いかに日本の最高学府の、そのまた最高府といえども
格別に味がよいわけでも何でもない。
作ってくれてる方々には申し訳ないが
正直言って学食なんてものは単なる”エサ場”でよいのだ。
学生のうちから美食にうつつを抜かしていたら
将来、ろくな人間になりゃしませんて。

学食に引っ掛けて、大学の後輩を誘ってみた。
声を掛けるたび、けっして断らないヤツである。
もっとも毎度こちらの奢りだからネ。
おっ、そうだ、そうだ、東大で奢りとなると、
大江健三郎の「死者の奢り」がピンとくる。
高校2年のときに初めて読んだ彼の作品は
開高健の「裸の王様」と芥川賞を競い合った末に
惜しくも敗れた秀作である。

エニウェイ、自分で運んだカツカレーがこれ。

ちょっと見はコロッケカレー

口にしてみると、
とんかつもカレーも学食の水準をクリアしている。
相方の食べた日替わり定食はこんなであった。

おかずはかれい唐揚げ・コロッケ・おひたし

白飯ではなく舞茸の炊込みごはんが小ジャレている。

周りを見ると外国人、おそらくアメリカ人の先生が多く、
押しなべて温かい日本そばをたぐっている。
ライスに醤油をぶっかけちゃう民族だから
東京風のしょっぱい、かけづゆがお気に召すのかもしれない。

「銀杏・メトロ食堂」
 東京都文京区7-3-1
 03-3811-5297

2011年4月1日金曜日

第22話 本郷菊坂 ロシアの夕べ

樋口一葉ゆかりの本郷菊坂。
坂の途中にある石段をトントン降ってゆくと
彼女の営みを支えた井戸が現存しており、
明治という時代の意外な近さに驚かされる。

かつては多くの文人が逗留した菊富士ホテルも
この坂の中腹にあった。
中腹といっても険しい山や峰のそれとは違い、
なだらかなスロープを形成している菊坂である。

坂を降り切ると、唐突に現れるのがロシア料理店「海燕」。
ロシア文学に明るい方ならすぐに察しがつこう。
そう、ゴーリキーの詩、「海燕の歌」が由来の店名だ。
代々木に発し、根津を経て、この地に移転してきた。
知る限り、厨房を取り仕切るのはずっと店主一人きり。
5年も前になるが銀座のロシアン・バーで
たまたま隣合わせになり、言葉を交わしたことがある。
昔、文学青年だったであろう彼の骨柄からは
文学の匂いよりも職人気質を感じた。

3ヶ月に1度、NYCリユニオンと称して食事会を催している。
TBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」の
ウォールストリート情報コーナーに
現地から電話出演していたコメンテーターと
東京のスタジオのディレクターが集まり、
思い出話に花を咲かせている。
会場となる店の手配はJ.C.のミッションにつき、
今回は「海燕」に白羽の矢を立ててみた。
久々の訪問なので、ひと月前には若い友人を伴い、
下見・試食・予約のための訪問もこなした。

リユニオン当日に参集したのは7名。
こぞってよく飲み、よく食べた。
この仲間に下戸はいない。
ロシアのビールとウォッカ、ポーランドのズブロッカを
ガンガン飲って一同したたかに酩酊し、
翌日は二日酔いに苦しんだ愚者も少なくない。

ザクースカ(ロシア前菜)は魚介を中心に。
ゆでたじゃが芋を添えたセリョートカ(ニシン酢漬け)、
ディルの香りのサーモンマリネ、
イクラはブリニ(そば粉のパンケーキ)とともにいただく。

主菜はウクライナの民族料理、キエフ風カツレツ、
グルジア風仔羊の串焼き(シャシーリク)、
ビーフストロガノフをステーキ状に仕上げたヴィッキー、
以上、3点である。

ロシア料理はボルシチとピロシキしか知らないメンバーが
ほとんどで新鮮味も手伝ってか、評判は上々。
しかるにみな、あまりにも飲み過ぎた。
バラのジャム入りロシア紅茶を喫したものの、
ズブロッカの片手間だから
酒の中に抽出されている桜の葉にも似た、
バイソングラスの匂いに押されてしまい、
バラと紅茶の風味を味わった覚えがない。

ちなみにバイソングラスとは野牛の草、
ヨーロッパバイソンの主食となる野草のことだ。
桜餅の匂いにそっくりなんだな、これが!

「海燕」
 東京都文京区本郷4-28-9
 03-6272-3086