2013年12月31日火曜日

第741話 ひもじさのつれづれに

  ♪ さみしさのつれづれに 
   手紙をしたためています あなたに 
   黒いインクがきれいでしょう 
   青いびんせんが悲しいでしょう

   あなたの笑い顔を 
   不思議なことに 今日は覚えていました 
   19才になったお祝いに
   作った歌も忘れたのに     ♪

井上陽水自作自演の「心もよう」がリリースされたのは1973年9月。
第四次中東戦争勃発の前夜で
ほどなく日本中にオイルショックの嵐が吹き荒れることとなる。

この「心もよう」、翌年には南沙織と小柳ルミ子が
それぞれのアルバム内でカバーしている。
まことに名曲の証しといえよう。

 ♪ あざやか色の春はかげろう
   まぶしい夏の光は強く
   秋風の後 雪が追いかけ
   季節はめぐり あなたを変える ア~ア~ ♪

最終節のメロディーの盛上がりもさることながら
詞がまたステキだ。
この詞に出会ったとき、
あゝ、これは現代版「枕草子」だと思った。
現代版といっても、あれからすでに40年もの月日が流れた。

 ♪ ひもじさのつれづれに
   厨房に立っています 独りで
   黄色い玉子がきれいでしょう
   赤いケチャップが悲しいでしょう ♪

てなこって、昼めしを食べ損ねた昼下がり、
空腹を抱えてオムライスを作ってみました。
ケチャップライスを薄焼き玉子で包み込むタイプは
おそらく初めて作るのではないかな?
まあ、このところやっとオムレツを上手に焼けるようになったので
一念発起、というほどではないにせよ、
チャレンジ精神が頭をもたげたのでありましょうヨ。

まず、ケチャップライスを用意する。
具材は豚バラ肉の小間切れと玉ねぎのみじん切り。
サラダ油、それも新品まっさらの油は大嫌いなので
愛用のコーン油とバターを半々にフライパンで熱し、
具材・ライス・ケチャップの順に投入し、炒める。
あっさり目が好きな方は鳥もも肉で代用し、
チキンライスにすればよい。
本来、こちらが正統派だ。

薄焼きオムレツは玉子2個分。
先刻のフライパンをティッシュで軽く拭い、
今度はコーン油だけで焼く。
ここにバターを使うと、少々シッツコくなる。
玉子が固まりきる前にパンの向こう側、
丸い薄焼き玉子を地球儀に例えれば、
北半球の部分にライスを乗せ、左手首を右の拳で軽くトントントン。
菜箸を働かせて上手いこと丸め込んだら皿に盛る。
ハイ、出来上がりました
まあまあの出来映えでしょうかネ。
真っ黄色より焼きムラのあるほうが美味しそうですし・・・。
では失礼して、いただきま~す!

おっと、みなさん、それでは良いお年を!

2013年12月30日月曜日

第740話 路線バスを降りた町 (その3)

昨夜、NHK-BSの歌番組、
「歌謡祭2013~日本歌手協会設立50年~」を観てよかった。
ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」を聴けたからだ。
あの暴れん坊がやせてしまって
タキシードとドレスシャツのうなじの衿と衿のすき間が空いてしまって。
目頭が熱くなった。
ペギーの「南国土佐をあとにして」、”さくら”の「かあさんの歌」、
こまどりの「姉妹酒場」もよかったな。

さて、先週のつづき。
江戸川橋のうどん屋さん「はつとみ」のカウンター席にいる。
ビールを飲みながら品書きに目を通していて
惹かれたのは信州の郷土料理、塩いかであった。
海のない長野県でイカは獲れない。
こりゃ当たり前ですわな。
イカに限らず淡水系の生きものしかいないのだ。

そのすき間をうずめる意味もあっただろう。
おそらく新潟辺りに揚がったスルメイカの塩蔵品を
取り寄せたものと思われる。
と思ったら主な産地は隣りの富山県と
遥かみちのく青森県であった。
一部には海のない岐阜県で加工されたものもあるとか・・・。
そう、岐阜や福井でも食べられているという。

そのイカを塩抜きしてきゅうりもみと和えたのが塩いかである。
長野市生まれのJ.C.だが、子どもの頃のわが家の食卓に
塩いかがのぼることはまったくなかった。
母親が嫌いだったのか、
あるいは北信ではポピュラーでなかったのか、
霊園を訪ねて訊ねるワケにもいかない。
そこで調べてみたら南信地方の駒ヶ根・飯田・中津川あたりで
広く愛食されているとのこと、道理でなァ。

2年前だったか、軽井沢のスーパーマーケット「ツルヤ」で見つけ、
自宅に戻って塩いかを作ってみた。
イカは好きな食材ということもあって気に入り、
以後どこかで見つけたら買い込もうと思っているが、
まずお目に掛かれない。

実際に見てもらったほうが手っ取り早いか。
胡瓜だけでなく茗荷も
おろし生姜とマヨネーズも添えられている。
なかなかオツな一品である。
ただ、これはどうも塩いかではなさそうだ。
いえ、料理の名前は塩いかでも
使われているのは生のスルメイカを茹でたものではなかろうか。
ベツに美味しきゃいいんだが
信州人としてはやはり元来の塩いかに接してみたかった。

焼酎は宮崎産が中心。
麦のくろうまと芋の黒霧島を1杯ずついただく。
芋焼酎に東国原というのがあったが
ああいう人に東京都知事にはなってほしくないので見送った。

締めは釜揚げうどんである。
ほどよくクネクネとちぢれてる
いや、このうどん、柔らかめながら
舌ざわりとノド越しがとてもよい。
舌の上でツルルンと弾むことしばし、
いつの間にかノドの奥をすべり落ちてゆく。
ちょいとした白糸の滝ですヨ。
訊けば、これは宮崎うどんでありました。

=おしまい=

「はつとみ」
 東京都文京区関口1-48-5
 03-3260-9234 

2013年12月27日金曜日

第739話 路線バスを降りた町 (その2)

江戸川橋の「みつぼ」にいる。
池袋や高田馬場にも店舗のある焼きとん屋だ。
ヒョンなことからバスに乗ってこの町へやって来た。
好みの酒と焼きとん5本のセットメニューを頼んだところである。

すると真っ先に運ばれた生ビールがサントリー・モルツ。
これには心底ガックシきた。
晩酌の最初の1杯として、J.C.にモルツは濃厚過ぎる。
女将さんにビールの銘柄を確認したら
サッポロだっていうから安心してたのにそれは瓶のほうだった。
強烈な肩透かしに黒房下へもんどり打って転げ落ちながらも
すかさずサッポロ黒ラベルを追加した。

これには女将が怪訝な顔をする。
それもそうだヨ、どうしちゃったのこの人? てなもんだわサ。
だけどネ、こちらにはこちらの事情がある。
彼女に落ち度はないが
やはり晩酌は好みの銘柄でスタートしたいのだ。
まず瓶を飲んでから生に取り掛かった。
こうするほうがナンボかマシ。

おまかせの焼きとんが焼き上がる。
左からコブクロ・レバー・ハツモト・カシラ・シロ
すべてタレ焼きである。
カシラやハツモトは塩のほうがシックリくるけれど、
これはおまかせの割安価格、致し方あるまい。
それでも揃って見事な雄姿、その肉質に不満はございません。

狭い店が立て込んできたのと、
背中越しのテーブルの学生3人組(♂2・♀1)がやかましく、
殊に女学生の嬌声に耐え切れず、お勘定の憂き目となる。
もう少し長居をしたいところなれど、
君子、やかましきに近寄らず、な~んちゃって。

せっかく江戸川橋にやって来たのだ。
1軒だけで他の場所に退散してはもったいない。
「みつぼ」の近くの「はつとみ」に移動した。
初見参のうどん屋ながら評判は聞いている。
他論はおしなべて高評価が下されている店だ。

店内は細長くうなぎの寝床風。
席は8割方うまっている。
単身なのでカウンターに通された。

ビールは生も瓶もアサヒ・スーパードライ。
そうですよネ、うどん屋・そば屋にエビスやモルツは強過ぎですよネ。
中瓶をお願いすると、お通しは塩味の米粉炒め。
うどん屋で米粉は違和感があるものの、
まあ、小鉢のことにつき、目くじらを立ててもしょうがない。

あとで釜揚げうどんをいただく腹積もりだが
その前に何かつまみを所望したい。
目にとまったのはわがふるさと、信州名物の一品であった。

=つづく=

「みつぼ」
 東京都新宿区山吹町 364
 03-3268-9494 

2013年12月26日木曜日

第738話 路線バスを降りた町 (その1)

やれ、やれ、上野広小路でたまたま乗った都営バス・・・。
いつの間にかハナシが55年前の観光バスにすっ飛んじまった。
ハハ、これにはコント55号も真っ青でしょうヨ。
ハハ、二郎サン、「トビます、トビますッ!」ってか?

ヨタも大概にして、その路線バスである。
不忍通りを真っしぐらにゆく、ゆく、「ゆきます、ゆきますッ!」ってか?
道灌山下で乗客がごっそり降り、車内が空いてきた。
周りに配慮しながら一番奥のシートに座らせてもらったJ.C.がいた。
こうなって来ると、ちょいとした観光バス気分、
道行く集団下校の児童に手の一つも振りたくなるじゃないの。

だけど、集団の登下校ってありゃなんなんだろうな。
しょっちゅう居眠りやら酔っぱらいのクルマが突っ込んでるが
子どもが集まると当たる確率が高まり、かえって危ないんじゃないの。

結局、早稲田行きのバスを下りたのは終点の一つ手前の江戸川橋。
ここから地蔵通り商店街を抜けて少々歩けば神楽坂だ。
そのつもりだったけれど、ふと、バス停付近を周回してみる気になった。

そこで見つけたのが焼きとん「みつぼ」。
もう5年以上、いや、10年近く前に
江戸川橋にはたった3坪しかない「みつぼ」なる焼きとん屋があることを
何かで読んだ記憶がよみがえってきた。
ここであったが10年目、サァ、いつ入るか?・・・今でしょ!

店内はカウンターのほかにテーブル席もあり、
これは創業当時の3坪じゃないことが容易に推測される。
それでも9割方、席は埋まっている。
何とか詰めてもらってカウンターに着席。
目の前のメニューを手に取った
真っ先に目に入るのは”お得!セットメニュー”だ。

せっかく、A~Eまで取り揃えてくれてるわけだし、
取りあえずはそこから選ぶのが渡世の義理というもんだ。
ふむ、ビールが一番高くてチューハイと日本酒が最安なのネ。
それなら今夜はおごって最高値のビールでいったろじゃないか!
といってもキャップ(天井)とフロア(床下)のギャップは
たかだか170円ですけどネ。

それよりも5本の串焼きのことである。
当然、焼きとんはおまかせ5本。
モツの部位を選べるわけじゃなし、
塩とタレだって、アレは塩、コレはタレなんて注文はつけられまい。
まあ、何がどんなふうに出てきても
オトコJ.C.、文句なんか金輪際つけませんて。

セットだからつまみを吟味することもなく、
ひたすらビールと焼きとんを待てばよし、気楽なもんだ。
ところが、ところがであった、
次の瞬間、黒房下にもんどり打って転げ落ちるわが身を
いったい誰が想像できたであろうか? ええッ、お立ち会い!

=つづく=

2013年12月25日水曜日

第737話 上野で乗った都営バス (その2)

上野広小路で都営の路線バスに飛び乗ったのだったが・・・

 ♪  若い希望も 恋もある
    ビルの街から 山の手へ
    紺の制服 身につけて 
    私は東京の バスガール 
        発車オーライ 
        明るく明るく 走るのよ ♪
    (作詞:丘灯至夫)

初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」が
世に出たのは1957の10月。
小学校に上がる直前のJ.C.は
このヒット曲をリアルタイムで鮮明に記憶している。

この年の春だったか、
当時、長野県・長野市に在住していたわがファミリーは
亡父の事業失敗により、東京へ落ち延びてきた。
言わば、都落ちの逆バージョンですネ。

しばらくは親の親戚やら友人を頼る日々が続いた。
とにかく初めの1年は都内各所を目まぐるしく移り住んだのだ。
そうこうするうち、この悪ガキも小学校に進むってんで
健康診断を受けたのが文京区立根津小学校。
それが数週間後に入学したのは大田区立大森第五小学校。
根津も大森も親父の学生時代の盟友が棲んでおり、
そこここに居候することになったというワケ。

短い期間にあっちゃこっちゃグルグル回ってるんだから
友人の方々もいろいろ算段してくれたのだろうが
厄介なのが上京してきたものだと頭を悩ませたハズ。
これをたらい回しなんぞと言ったらバチが当たる。
みなさん鬼籍に入られたが、ご恩をわすれやしません。

1958年4月、J.C.オカザワは小学校へ。
長嶋茂雄は読売ジャイアンツへ。
杉浦忠は南海ホークスへ。
そういやあ、とうとう、
ビッグコミック・オリジナルの「あぶさん」が終わるんですってネ。

ハナシを元に戻すと、1958年の5月。
親父の盟友で根津在住のK岡サン、
実はこの方、粉わさび製造会社の社長サンだが
その会社の社員旅行がとり行われた。
行く先は石段で有名な群馬県の伊香保温泉である。
今となってはどんな経緯か知る由もないけれど、
なぜか社員旅行にわれわれ親子が便乗したのだった。
まあ、息子から見ても親父はちゃっかり屋でしたから。

旅行は往復ともに観光バス。
いや、バスガイドのオネエさんが歌いに歌いました。
何を? ってか? もちろん「東京のバスガール」ですがな。
何せ、当時の大ヒット曲、社員連中のリクエストもあって
往復でトータル8回は歌ってもらったんじゃないでしょか。

昭和33年、みんなまだ貧しかったけど、平和な時代でありました。

2013年12月24日火曜日

第736話 上野で乗った都営バス (その1)

東京・上野の不忍池に渡り鳥たちが帰って来た。
都内23区、それも山手線の内側で
鳥たちの戯れを眺めることのできる場所は
ここしかないのではなかろうか。

その日の夕刻は池畔をそぞろ歩いていた。
午後4時を回っため、もう動物園には入れない。
したがって、カワウ、ペリカン、コハクチョウたちを
間近に見ることはできない。

そう、驚いたことに
この池にはハクチョウまでいるのだ。
昨日、80歳の誕生日を迎えられた、
天皇陛下がお住まいの皇居のお濠以外に
都内でハクチョウの姿を拝めるのは不忍池だけだろう。

もっとも日本の冬の到来とともに
はるかシベリアから渡って来たわけではない。
いや、もともとは野生のハクチョウなのだが
翼を傷めて北へ帰れなくなった数羽が
動物園の庇護のもと、ひっそり暮らしているんだそうだ。

世のお父さん、お母さん、可愛いわが子に
童話「みにくいアヒルの子」を語って聞かせたことがあるのなら
ぜひ一度、実物を見せてやっておくれでないかい?
子どもたち、殊に女の子はきっと歓びますヨ。

宮城県在住の友人が言うには
彼の地でも伊豆沼や長沼に毎年ハクチョウが飛来するものの、
必ず何羽か怪我をしてしまい、取り残されるとのこと。
空を翔べるとはいえ、やはりワイルド・ライフはきびしい。

小一時間も池のほとりを散策したろうか、
御徒町か湯島で一杯やろうと広小路に出たところ、
目の前に早稲田行きの都営バスが停まっている。
この路線は確か

 上野―根津―団子坂下―動坂下―
 千石―護国寺―江戸川橋―早稲田

そんなルートであるハズだ。

ふ~む、途中の団子坂なら谷中銀座、
動坂下だと田端か駒込、千石からなら巣鴨も近い。
まあ、行き当たりばったりで酒場に苦労することはあるまい。
衝動的とまでは言わないが、反射的に飛び乗っていた。

たまに乗るとバスはいいもんですねェ。
ちょいと高めの位置から東京の街を眺めていると
心なしかワクワクしてくる。
今はみなワンマンカーだが、われわれ子どもの頃は
紺の制服をまとったバスガールのオネエちゃんが
「願います、発車、オーラ~イ!」―なんちゃって
後楽園球場のウグイス嬢顔負けの美声を放ったものだった。

=つづく=

2013年12月23日月曜日

第735話 看板にたぶらかされて (その2)

神楽坂の「エリゼ」でバエリアを食べている。
正直いって不満である。
ランチメニューはこれしかないから仕方がない。
一見美味しそうに見えるんだがなァ
でも、魚介はすべてあと乗せみたい。
真ん中に君臨しているのは芝海老の代役として
近頃話題になったバナメイ海老であろう。
けして不味い海老ではないのに悪役にされた感あり。。
ただ、具材がプアなせいもあってボリューム的には軽すぎる。
ダイエット指向の若い女性には適量でしょうがネ。

順序が逆になったが、前菜の生ハムサラダは悪くなかった。
サシが美しい
葉野菜はともかくも生ハムの質がよく、
舌ざわりも滑らかにしてしなやか。
だからこそ、ひょっとしたらパエリアも当たり!かなと思ったワケ。
それがものの見事に空振ったのだ。

卓上のランチ用ドリンクメニューも何だかなァ。
こんな値付けをしている店は界隈にないのにねェ。
ちょっと紹介してみる。

=アルコール=
生ビール(一番搾り)        ¥800
ハートランドビール(小瓶)      ¥800
グラスワイン              ¥600~

=ノンアルコール=
キリンフリー               ¥800

=ソフトドリンク=
ペリエ                  ¥500
オレンジジュース            ¥400
コーヒー                ¥500

ビール小瓶の800円はないだろう。
コーヒーの500円だって、これじゃ食後に気安く飲めまい。
いかにも素人商売という印象を受ける。

壁のボードに夜の品書きが並んでいる。
こちらもいくつか紹介してみようか。

にんじんのムース、スモークサーモン、グリーンサラダが各650円。
サーモンとサラダが同値でっか?
田舎風パテ、海老とアヴォカドのサラダは各850円。
パエリアは1400円でサーロインステーキが2000円。
最高値のブイヤベースは3000円だ。
どこかトンチンカンな品揃えというほかはない。

表通りに立て看板がなければ気づかなかった店舗だが
階下にある看板の主力商品、千円ポッキリのパエリアを
店内メニューから外すのはやはりいけないと思いますヨ。

「エリゼ」
 東京都新宿区神楽坂4-2-1島田ビル3F
 03-5228-2011

2013年12月20日金曜日

第734話 看板にたぶらかされて (その1)

昨日は一昨日に続いてうっとうしい雨降り。
イヤだねェ、気分がクサクサしてきちゃう。
結局、池のほとりに赴くこと能わず、
自宅でコレを書きました。

新宿区・神楽坂でパエリアの昼食をとったのは
かれこれひと月ほど前のこと。
街のランドマークと呼んでもイチャモンのつけようのない、
イチャモン天、もとい毘沙門(びしゃもん)天・善国寺。
その門前のビル3階にあるパエリア専門店「エリゼ」に入店した。

小さなビルの入口に
これまた小さな立て看板を見初めたのがそもそものキッカケだ。
看板の写真には
鉄鍋のパエリア、小皿のサラダ、グラスの赤ワインがワンショット。
そしてコピーは
3F エリゼ ランチ パエリア1人前1000円 
サラダ コーヒー or 紅茶付 (ワインは含まれていません)

写真のパエリアには小海老2尾、ムール貝2個、
アサリ数個が盛込まれ、これで千円は安いなァという印象。
まあ、値段も値段だし、ランチタイムのことだから
炊き立てであるはずもないが、つい誘われてしまった。

店の切盛りは初老の夫婦二人きりである。
初老といっても店主のほうは熟老の域に突入している。
調理を妻、接客を夫というケースはけして珍しくはないが
通常は逆であることがはるかに多い。

先客は中年カップルが1組だけで
店主との会話から初訪問の様子だ。
席数は4人掛けX2卓、2人掛けX2卓、
6席のカウンターにがあるものの、昼は使われていなかった。
夜なら独り飲みに打ってつけだろう。

壁のメニューボードを見たJ.C.、途端に首をかしげた。

= パエリアランチ =
Aランチ ¥1200 生ハムサラダ コーヒー or 紅茶付
Bランチ ¥1500 生ハムサラダ デザート コーヒー or 紅茶付

おやおや、階下の看板にあった¥1000ランチが見当たらないゾ。
仕方なく(訊き質せばいいんだけれど)Aランチを所望する。
200円の上乗せで普通のサラダが生ハムサラダに昇級するようだ。

待つこと10分弱。
現れたパエリアは案の定、温め直しのシーフードピラフだった。
ポーションは小さく、サフランも香らず、これでは美味しいわけがない。
しかも海老もムールもわずかに1ピースづつ、アサリとイカが2片づつ。
あとは緑・赤・黄のトリオ・ロス・ピメント。
これは明らかに羊頭狗肉、”看板に偽りあり”だろうヨ。
階下の看板で文字通り客を釣り上げる商法は
ちょいとばかりあざといんじゃなくって?

=つづく=

2013年12月19日木曜日

第733話 ドドンパとドゥビドゥヴァー (その3)

歌は世につれ、世は歌につれ。
誰が言い出しっぺか存ぜぬが
昔の人は上手いことを言ったもんですなァ。

ともあれ、1本の映画をまだ引きずっている。
いかげんにしろ!  ってか?
いや、ごもっとも、やめます、やめます、今回で。

映画の中で歌われた「東京ドドンパ娘」はウチにない。
「伊勢佐木町ブルース」のほうは古いカセットがあった。
青江三奈のヒット曲集で、それを聴きながらコレを書いている。
今かかっているのは「大田ブルース」。

でもねェ、1969年の「私が棄てた女」に
ドドンパとドゥビドゥヴァーが同居しているとは思わなんだ。
そしてとにかくこの作品、
配役陣、ロケ地ともに観客をまったく飽きさせない。

すでに紹介した役者以外にもなかなかの曲者揃い。
小沢昭一と加藤武は実生活の盟友同士だったが
それぞれに個性的な役回りをキチンとこなしている。
辰巳柳太郎と大滝秀治は兄弟役。
劇中、二人の産婦人科医が登場して
かたや三代目・水戸黄門の佐野浅夫、
こなた原作者の遠藤周作だってんだから笑わせる。

カメラも1960年代の東京をあちこち映し出してくれる。
何といっても強烈な印象を残すのが
五反田駅近くの目黒川沿い。
東急池上線・高架下のうらぶれ感がすばらしい。

五反田を捉えた映画となると、第一感は裕次郎の「嵐を呼ぶ男」。
しかし、あれは皇后陛下の生家があった池田山に近い東五反田。
こちらは西五反田で、こう言ってはなんだが
お品(ひん)がだいぶ下がる。
同じ目黒川でも桜の名所の中目黒界隈とは
似ても似つかぬ流れがドブ川に見えないこともないほどだ。

成城学園前の桜並木、代官山のマンションと、
カメラは自由自在に東京を駆け巡る。
忘れられないのは上野動物園の西園。
鵜の池に面するここは往時、水上動物園と呼ばれていた。
それがいつの間にか西園と改名されたのだ。

田舎から上京してきた吉岡の母親と弟が池畔に憩う。
弟には養子に出る話しが持ち上がっている。
卓上にストローの刺さった3本のペプシコーラ。
協賛しているのだろう、ペプシは随所に登場する。

バックには池に遊ぶ水鳥たち。
すでにこの時代から目立つのは真鴨ではなく、尾長鴨。
現在も主流は尾長鴨で真鴨はめったに見られない。
むしろ嘴広(ハシビロ)鴨のほうが多いくらいだ。

水のある風景は人の心を和ませる。
ましてやそこに生きものの姿があればなおさらのこと。
不忍池周辺は23区内に残された数少ない景勝地。
昨日に続いて小雨交じりの今日だが
雨が上がったら池のほとりを訪れようと思う。
水鳥を脇に見ながら明日の原稿を書くんです。

=おしまい=

2013年12月18日水曜日

第732話 ドドンパとドゥビドゥヴァー (その2)

43年ぶりに再会した日活映画、「私が棄てた女」。
ちょうど同時期に観たイタリア映画、
P・ジェルミ監督、S・サンドレッリ主演の
「誘惑されて棄てられて」とヤケにダブるが
そこは日・伊の違い、こちらは暗くあちらは明るい。
月と太陽にも似た彼我の差。

昭和30年代の日本女性は現代のようにチヤホヤされておらず、
社会的に虐げられた日陰の部分を内包していた。
美人でも魅力的でもない不細工なミツ(小林)と
吉岡(河原崎)がつき合っていることを知っている、
学友の長島(江守徹)は吉岡に言い放つ。

「女は男のレベルメーター、
 たとえば豚の仔が可愛いからって
 一生その豚抱いて暮らせるか?」

こうまで言われちゃ、
この役を都はるみに演じさせるワケにはいくまい。
男が女を見下していただけではない。
マリ子(浅丘)も母親のユリ子(加藤治子)に言われる。

「女はとにかく、自分の不幸を人に
 見透かされたら おしまいなんだから・・・」

そんな時代だったんだねェ。
女性にとってはまだ夜明け前、
陽が昇るまで今しばらくの時間を要する時代だったのだろう。

得意先の接待で温泉地に出向いた吉岡は
ミツに売春を強要した過去のある女、
しま子(夏海千佳子)とそこで邂逅する。
未練心につまづきながら、
心の奥底に断ちがたいミツへの恋慕を抱える彼は
彼女の居場所をしま子から訊きだす。

このときいきなりバックに流れたのが

 ♪ あなた知ってる 港ヨコハマ 
   街の並木に 潮風吹けば 
   花散る夜を 惜しむよに 
   伊勢佐木あたりに 灯がともる 
   恋と情けの ドゥドゥビ ドゥビドゥビ
    ドゥビドゥヴァー  灯がともる ♪
        (作詞:川内康範)

「伊勢佐木町ブルース」は1968年の年明けに発表された。
初見の際には気にもとめずに聞き流したが
この曲は45年を経た今も新鮮、ちっとも古びていない。
青江三奈のハスキーヴォイスが流れたとき、
胸の奥でパチンと弾けるものがあった。

映画自体はどんどん歳を重ねていくのに
傑出した楽曲はけっして歳をとらないものなんですネ。

=つづく=

2013年12月17日火曜日

第731話 ドドンパとドゥビドゥヴァー (その1)

胸の奥で澱(おり)のようにわだかまっていた映画に再会した。
浦山桐郎監督の日活映画「私が棄てた女」(1969)。
原作は遠藤周作である。

ひかりTVの日本映画専門チャンネルが
5日間に渡って毎朝9時から上映してくれ、2度も観てしまった。
池袋・文芸挫(文芸地下だったかも?)での初見は
確か封切りの翌年、大学に入学した年だったと思う。

主人公の吉岡(河原崎長一郎)は
自動車部品を扱う会社のサラリーマン。
重役の姪で同僚のマリ子(浅丘ルリ子)を妻としている。
彼には学生時代に性欲を満たすためだけに抱き、
棄てたミツ(小林トシエ)という名の女工との過去があった。

 ♪ 好きになったら はなれられない
   それは はじめてのひと
   ふるえちゃうけど やっぱり待っている
   それは始めてのキッス 甘いキッス
   夜をこがして 胸をこがして
   はじけるリズム
   ドドンパ ドドンパ ドドンパが 
   あたしの胸に
   消すに消せない 火をつけた  ♪
         (作詞:宮川哲夫)

湘南・逗子海岸でドドンパを踊る若者たちがいた。
屈託のない笑顔でミツは輪の中に飛び込む。
ミツにとって吉岡は初めての人。
翌朝、まだ浜の小屋で眠っているミツを置き去りにして
吉岡は独り、逗子駅のプラットホームに立つのだった。

「東京ドドンパ娘」は1961年のリリース。
歌手・渡辺マリは一発屋で終わったがドドンパのリズムは
翌年、北原謙二の「若いふたり」に継承される。
この二つのヒット曲はJ.C.の中に
忘れ得ぬ記憶となって残存しているのだ。

当初、監督の桐山は吉岡に小林旭、
ミツには何と、歌手の都はるみをイメージしていたという。
実現しなかったのはギャラの問題とされているが
実際はそうではあるまい。
小林はともかくも、都にはイメージダウンにつながったハズ。
とにかく、ミツという女性はドン臭さの極みとして描かれており、
すでにスター歌手に飛躍を遂げていた都にはできない相談だ。
そして旭とルリ子の共演では”渡り鳥シリーズ”からの脱却能わず、
失敗作に終わった可能性が高い。

当時の世相がそうだったのだろうか、
今では物議をかもしそうな女性蔑視の台詞が
ふんだんに盛り込まれている。
何せ、女を仔豚に例えたりもするんだから
無茶苦茶でござりまするがな!

=つづく=

2013年12月16日月曜日

第730話 「あしたのジョー」の町から (その5)

泪橋から始まったはしご酒は日本堤を経て向島に到達。
「かどや」の店先には
”大衆酒場”と染め抜かれた暖簾が夜風になびいている。
ところが店内は大衆酒場の雰囲気には非ず。
むしろ、ちょいとモダンな居酒屋といった趣きだ。

当夜の相方、
N目サン from Kitakyushu はかなり酩酊の様子。
しかも青森の田酒を所望におよんだ。
こちらもそれに倣っておつき合いの巻。

先刻まで焦点の定まらなかったマナコが
飲むほどにしっかりとしてきた。
目が据わったというんではなくネ。
不思議な方だなァ。
シラフに戻ったとは言わないがシャンとしてきましたヨ。

酒の肴は鯨ベーコン、牛もつ煮込みの2品。
くじベコは極上品とはいかないまでも
値段が値段だけにじゅうぶん許せる品質。
煮込みは牛もつ使用とあってコク味が深い。
もっともJ.C.の好みは豚シロの白味噌仕立て。
いわゆるホワイト&ホワイトですけどネ。

楽しいひとときを過ごし、そろそろお開きの時間。
と思いきや、終わんないんだな、これがっ!
つぶれそうでつぶれない相方を次にお連れしたのは
徒歩数分の距離にある同じく向島の「らん亭」だ。

戦前の、いや、もっと昔か・・・、
昭和初期の風情が残る仕舞屋風の店は中華そばと缶詰がウリ。
向島の料亭「きよし」と
神田のラーメン店「きび」のジョイントベンチャーである。
店主は「きよし」の御曹司で
料亭のほうは実の姉上が女将として仕切っている。
実はJ.C.、店主のK林サンとは何度か酒交した仲である。
しばらくご一緒してないが最後に飲んだのは祐天寺の「忠弥」。
15時の開店に備え14時半頃から並んだ記憶がある。

ここで飲みものを三たび瓶ビールに戻し、
厚揚げ焼き、蓮根のキンピラを合いの手とする。
4軒目とはいえ、食べるよりも飲むほうが主体だから
胃袋のキャパはまだまだあるわけだ。
よって名物の塩ラーメンをシェアして締めとした。
レイシオはあちら2/3、こちら1/3。
ややちぢれの中太麺、鳥&豚ガラだしのスープ、まことにけっこうなり。

酔い醒ましと腹ごなしを兼ねて深夜の街を歩く。
桜橋、あいや、言問橋、いえいえ、吾妻橋・・・
いったいどの橋を渡って浅草に・・・
気がつけば田原町を抜け、稲荷町に居た。
こりゃ、まいったな。

オマケにあろうことか、
ファミレス「J」のテーブルに差し向かいときたもんだ。
しかもこの後におよんで
J.C.はおつまみカキフライなる小皿でビールの中瓶。
N目サンはプッツンしたのか、プリン・アラ・モードだってサ。
揃いも揃ってバッカじゃなかろか!

=おしまい=

「かどや」
 東京都墨田区向島5-30-6
 03-3626-9606

「らん亭」
 東京都墨田区向島5-20-4
 03-3624-3988

2013年12月13日金曜日

第729話 「あしたのジョー」の町から (その4)

さてさて、メルとも変じて
のみともとなった遠来の志との3軒目。
行く先は現在の東京にかろうじて残った花街の一つ、
隅田川の向こう岸は向島である。

その前に山谷地区をひとしきり散策して
到着したのは吉原大門だ。
門前には大正建築も立派な天丼の「土手の伊勢屋」と
ケトバシの「中江」がその雄姿を競い合っている。

ちなみに吉原大門は”よしわらおおもん”と称する。
芝増上寺の大門は”だいもん”で、こちらは”おおもん”。
かたや門前町、こなた色街。
日本最大のソープランド街・吉原の東の入り口だ。
読み方が異なるのは仏さまと観音さま(シモネタ失礼ッ!)を
同居させるわけにはまいりませんもの。

界隈を案内したあと、土手通りを南下してゆく。
小唄の入門歌、「梅は咲いたか」で

 ♪  舟から上がって 土手八丁 
   吉原へ ごあんな~いっ ♪

こう唄われた土手通り。

地方橋の交差点をちょいと左折し、山谷堀公園に入る。
堀を埋め立てた公園だからヤケに細長い。
江戸の昔は柳橋に遊んだ札差のお大尽が
小舟を仕立てて大川(隅田川)を上り、
今戸橋から堀に入って吉原へ繰り出した。

隅田川に架かる唯一の歩行者専用橋・桜橋を渡り、
いよいよ向島にご入来。
エリアには珍しいモダンな居酒屋、「かどや」の暖簾をくぐった。
読者諸兄にこの店はオススメですゾ。

よしんば家族サービス、あるいはカノジョとのデートで
はからずもスカイツリーに出掛けたとしましょう。
ツリーの中で開業しているのは
わざわざ訪れなくともよい大手資本の店ばかり。
そんなとき、徒歩圏内の「かどや」に案内してごらんなさい。
子どもはともかくも、カノジョはいたく感激してくれるハズだ。

キリンビールは横浜、アサヒは浅草がお膝元だが
浅草寺の浅草は台東区で川を渡れば墨田区。
厳密には吾妻橋や向島がアサヒ本来のお膝元となる。
てなこって本日3回目のグラス合わせはスーパードライ。

突き出しの蒸し海胆豆腐が小粋じゃないの。
粋筋をうならせるにはこうでなくっちゃいけない。
心なしか目がトロンとしてきたN目サン、
意を決したかのように冷酒を所望した。

おっと、青森の田酒ときましたか!
ダイジョビかいな?
寅さんはOKだが、虎さんは困るんですけど・・・。

=つづく=

2013年12月12日木曜日

第728話 「あしたのジョー」の町から (その3)

北九州からやって来たメルとも・N目サン。
酒杯を交わすのは初めてながら
メルとも→のみともに深化する気配あり。

2軒目は山谷に残る有形文化財と奉っても
過言ではない名酒場「大林」だ。
相方は店先にたたずみ、早くも感嘆の声をもらしている。
地元の小倉に名店あれど、こんなタイプは皆無だという。

引き戸を引いて身体をすべりこませ、
すぐ目の前のカウンターに着いた。

 ♪   今日の仕事はつらかった
   あとは焼酎をあおるだけ  ♪

 「山谷ブルース」の世界をイメージしていたN目サン、
あまりにも粋にさばけたお江戸・下町の空気に酔いしれている。
酔いしれてはいても酔っ払っているわけではないのに
いきなり店主にガツンとやられた。

「どっかで飲んで来てない?」ー
ハハ、この文句はここのオヤジの常套句。
顔を覚えられているからだろうか、
J.C.がモロに指摘されることはないが
常に同伴者が詰問されてしまう。

先日も「キン肉マン」の中野和雄サンがいきなりやられた。
そのときの彼は正真正銘のシラフ。
にもかかわらず、常套句を浴びせられたのだった。
客をイジクるのが生きがいなのかもしれない。

そこで対応するJ.C.、
「とっ、とんでもない?」ーちょいと語気を強めて応えると、
オヤジは一応、素直に引き下がってくれるのだ。

ビールに酎ハイ、炭酸系は飲んできたから日本酒にした。
銘柄は白雪、ぬる燗でお願い。
小皿にホンのちょっとの白菜漬が突き出しだ。
下町だからこういうものにチャージはしない。

一品だけ所望したつまみは下町の定番、炒り豚。
あまりポピュラーではない炒り豚とは
豚のバラや小間切れを玉ねぎと一緒に炒りつけたもの。
手っ取り早くいうと豚と玉ねぎのケチャップ炒めだ。
浅草の「水口食堂」、王子の「天将」がその正統派。
大島の「ゑびす」は一風変わって塩味で仕上げている。

いつ訪れても「大林」の客はまばら。
立て込んでいるのを見たことがない。
南千住、三ノ輪、東向島、どの駅からも離れているからなァ。
都営バスが一番便利だが
当世、バスに乗って飲みに行く酔狂な呑ん兵衛は少なかろう。

早々に勘定を済ませる。
終始、ブスッとした表情を崩さぬオヤジだが
店を出る際、「ありがとうございました」の声を背中で聞いた。
めったにないことである。
N目サンが律儀にも振り返って会釈をした。

=つづく=

「大林酒場」
 東京都台東区日本堤1-24-14
 03-3872-8989
 注:電話は非公開なので no reply の可能性あり

2013年12月11日水曜日

第727話 「あしたのジョー」の町から (その2)

劇画「あしたのジョー」の物語は泪橋から始まった。
われわれの酒交も泪橋を始まりと決めた。
待合わせたのはJR常磐線・南千住駅だ。

N目サンは今日一日まったくのフリー。
そうしておいてたっぷり睡眠をとり、
喫茶店でブランチを済ませてきたという。
気力はみなぎり、本当にやる気満々の様子で現れた。
だからといって「やるき茶屋」にはお連れできません。

小塚原の刑場跡をご覧に入れ、常磐線の跨線橋を渡る。
右手に都営バスの車庫があり、
バスは南千住駅と東京駅八重洲口を結んでいる。
陸橋から100mそこそこの距離に泪橋の交差点が見えた。

1軒目は交差点にほど近い「淀屋酒店」。
角打ちにもかかわらず立ち飲む客は一人もいない。
町会の待合所みたいな空間に
みなゆるりと腰を降ろし、好みの酒を楽しむ。
N目サンには初体験の強烈な場末感が漂っている。

互いに好みのスーパードライ大瓶で乾杯した。
なんだかとっても感激してくれて、こちらが恐縮してしまう。
感激ついでにN目サンが所望したのは袋入りのアラレ。
昔からある煎餅みたいなアラレは
歌舞伎揚げなる立派な名前があるのだそうだ。
歌舞伎揚げかァ、それじゃ感激じゃなくて観劇だネ。

2杯目は最近ご無沙汰のため、懐かしさを感じる発泡酒、
サッポロ北海道プレミアムのロング缶だ。
相方はレモンの酎ハイに移行している。
おそらくキリンの氷結だ。

もう一品のつまみはこれまた懐かしい魚肉ソーセージ。
すると店のオヤジさん、ソーセージの端を剃刀でスパッと切った。
赤いフィルムをむき易くするためだろうが
最近あまり見掛けない女性の襟足を剃ったりする剃刀だから
見ているほうの襟足までヒヤリ寒くなった。
いわゆる男用のT字形ではなく、I字形の怖いやつだ。
まっ、それはそれとしてソーセージには
マヨネーズをたっぷり添えてくれた。

先は長い、そろそろ河岸を替えねば―。
浅草方面に向かい、吉野通りを南に歩く。
行く先は都内屈指の大衆酒場「大林酒場」だ。
何せ、ここのオヤジさんは都内屈指、
もとい、都内随一の気難し屋だから
N目サンのリクエストにドンピシャリなのだ。

入店と同時に何か起こりそうな予感。
あゝ、やっぱりな、いきなりガツンとやられちまった。

=つづく=

「淀屋酒店」
 東京都荒川区南千住3-11-14
 03-3801-6789

2013年12月10日火曜日

第726話 「あしたのジョー」の町から (その1)

隅田川に架かる言問橋の西詰に端を発し、
浅草から逃れるように北上してゆく吉野通り。
今戸を過ぎ、清川を超え、
東西に走る明治通りと十文字に交わる場所が泪橋交差点だ。

江戸の昔には小塚原の刑場がすぐそばにあり、
処刑を前にした罪人がこの世の見納めにと渡った橋が泪橋。
往時は思川なる川が橋の下を流れていたが
すでに暗渠化され、橋の名は交差点の標識に残るばかり。

この土地を一躍有名にしたのが「少年マガジン」に
1970年をはさんで5年ほど連載された「あしたのジョー」。
物語は橋のたもとのボクシングジムから始まった。
ジムの会長はもちろん隻眼の丹下段平である。

北九州からN目サンが上京してきた。
当ブログの長い読者の方で
以前、一度だけお会いしたことがあり、
以来、メールの交換が数回あった。
飲み歩き・食べ歩きがお好きなようで
「ぜひ一度、酒盃を交わしましょう」―約してから2年は経ったか。

その約束をやっと果たすことができた。
こういう場合・・・って、どういう場合だ! ってか。
いえ、ヨソからやって来る方々に
東京の飲み処・食べ処を案内する場合ですがな。
J.C.はなるたけリクエストに応えるようにしている。

今回のN目サンの要望はこのようなものだった。

浅草が大好きです。
東京訪問の機会があると、必ず一度は出向いて飲食しています。
J.C.サンの「浅草を食べる」と「下町を食べる」をバッグに潜ませて。
もし、お許し願えるのなら浅草でも観光客が行かない、
ディープ感漂うスポットにお連れくださいませんでしょうか?
おいしいお酒とおつまみがあれば
わたくしは何処へでも着いてまいります。
お引き回しのほど、よろしくお願いいたします。

てなわけでお願いされちゃいました。
これは思い出に残りうる一夜にしなければいけないゾ。

上京前のやり取りで下町情緒たっぷりの、
それも偏屈なオヤジがいる飲み屋に行ってみたい。
岡林信康の「山谷ブルース」が好きだから
山谷の町にも足を踏み入れてみたい。
今もなお東京に残る花街・向島の香りをかいでみたい。

いろいろと、”みたい具体案”が浮上してきた。
ふ~む、そうかァ、なるほどねェ。
振り出しを「あしたのジョー」の町にしてみようかの。
そんなアイデアが浮かんで膝をポンと打ったのでした。

=つづく=

2013年12月9日月曜日

第725話 クラブが出て来てこんにちは (その2)

近隣のスーパで購入した千葉産のアサリ。
砂抜きのために張った塩水の中に
小さな生きものを発見したハナシのつづきです。
百聞は一見に如かず、とくとご覧くだされ。
それは蟹であった
貝殻の中に潜んでいたに違いない。

蟹クン、しばらくはジッとしていた。
その後、静かに着地を試みてひとしきり歩き回った末に
1粒のアサリの下に隠れた。
徘徊中の蟹
アサリやハマグリを食べているとき、
このような小蟹に遭遇することがある。
しかし、それは貝と一緒に料されたあとの亡骸。
小さな身体もほのかな緋色に変色している。

今は昔、1980年代初頭。
丸の内北口にある「丸の内ホテル」内の仏料理店をよく利用した。
建て直す以前の建物は準シティホテルといったたたずまいで
現在の姿とは趣きがまったく異なっていた。

記憶は定かではないものの、
フレンチは確か「バンブー」という名前ではなかったろうか。
気に入りの料理はハマグリのクリーム煮だったが
ここで三度続けて貝の中に小蟹を発見した。
「へぇ~っ、こんなこともあるもんだ!」―
率直な印象を抱きつつ、そのまま食べたっけ・・・。

懐かしのレストランも
今は「ポム・ダダン(のど仏)」とその名を変えている。
ポム・ダダンは英語のアダムズ・アップル、
そう、アダムのリンゴだ。
なるほど仏料理で、のど仏ですかいな。

以来、貝の中の蟹にはたびたび出くわしている。
そしてこの現象は貝が蟹をエサとして捕獲し、
サァ、これからいよいよ食ってやるか・・・そう思った瞬間に
今度は貝自身が人間に捕らわれてしまい、
食事どころではなくなったものと信じていた。

今回なんとなくふと気になって調べてみると
意外なことが判明した。
この小蟹の正体は英名・ピンノで和名はカクレガニ。
貝に捕まったのではなく、
自らの意思でプランクトンの頃より
貝の中に移り住んだ永遠の居候だった。

生まれて初めて宿った貝の中で一生を過ごし、
貝が死ねば自分もあとを追う、
というか、エサを捕る術(すべ)を知らないから
生き延びることができないのだ。
一蓮托生とはまさにこのことで
自然界の不思議ここに極まれり、でありましょう。

2013年12月6日金曜日

第724話 クラブが出て来てこんにちは (その1)

近所のスーパーで良質のアサリを発見。
貝殻の色合いがとても美しい。
おしなべて貝類は好きですネ。
味噌椀ならアサリかシジミがよろしい。
おすましだとハマグリになろうか。
ハマグリはチャウダーもいいし、鮨種にしてもけっこうだ。
いわゆる煮ハマですな。

鮨種ならば王者は赤貝であろうヨ。
甘酢にサッとくぐらせてにぎったヤツをパクリ。
いやはや、こたえられませんや。
黒ミル(本ミル)、タイラギ(平貝)、生トリ、北寄貝もいいですねェ。

エッ、アワビが出てこんじゃないか! ってか?
ふふ、磯のアワビの片想いってか!
アワビはまことにけっこうながら、生よりも蒸しアワビがいい。
生アワビは硬いので薄く切ったのを酒の肴に
チョコッとつまめばそれでじゅうぶんなんざんす。
生のにぎりは酢めしとの相性が悪いこと、悪いこと。

おっと、スーパーで出会ったアサリだった。
パックの表記は千葉産とあったものの、
浦安や船橋じゃ、もうほとんど取れないんじゃないかな?
するってえと、木更津か富津あたりかいな。
とにかく黒白の濃淡がくっきりと分かれた優良品。
千葉のアサリは本当にいいんだ。
これが有明だか天草だか熊本産になると、あまりよろしくない。
全体的に貝殻が黒ずんで泥臭いことが多い。
その代わりといってはなんだが有明産の海苔はすこぶる良質。

でもってそのアサリ、買い求めました。
よく洗って塩水に浸け、暗所に置いてオーバーナイト。
まずは半分を翌朝の味噌汁の種とした。
その味すばらしく、独りでいただくのがもったいないくらいだった。

残り半分は塩水を入れ替え、夜までお預けとしよう。
するとそのとき、老眼鏡越しに何やらうごめく小動物を発見。
水の中を泳ぐさまがミズスマシの如し。
と言ってもミズスマシやゲンゴロウを
認知できる読者はほとんど皆無でござろうヨ。
ましてやタガメなんてのは
 ♪ 誰も知らない 素顔の八代亜紀 ♪
でしょうな。

そう言やあ、鎌倉在住ののみとも・P子は以前、
バンコクでタガメの揚げ物を食べたんだそうだ。
それ以来、トラウマになってしまって
昆虫系はいっさい受けつけなくなったんだそうだ。
イナゴ、蜂の子、ザザ虫、全部ダメなんだと―。

かく言うJ.C.、イナゴと蜂の子は比較的好きだけれど、
ザザ虫だけはたとえ郷土(長野県)の名産といえども
けして得意とはしていない。
そんなことより、アサリと同居していた小動物のことであった。
気を持たせて申し訳ござらんが、以下次話ということでお許しを。

=つづく=

2013年12月5日木曜日

第723話 ようやくコーヒー買いました!

きのう、おとといと綴った「ザ・商社」に関して
ふと思い出したことがある。
ドラマは1980年12月、4夜に渡って放送された。
当時は千葉県・松戸市に棲んでおり、自宅で観たのだが
奇しくも俳優・山崎努はその松戸市の出身なのだ。
So What(だからどうした)?
とハナシの腰を折られればそれまでながら
偶然とはいえ、縁浅からぬものを感じてしまうのですヨ。

ドラマの最終話を見終えたのは先週木曜の昼下がり。
当日の夜の飲み会は23時過ぎに神楽坂でお開きとなり、
帰宅後、缶ビールを飲みつつ、
TSUTAYAから取寄せたDVDを1本観た。

映画は寅さんシリーズの第29作、
「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」。
これを観るのはもう5回目くらいになろうか。
ヒロインのいしだあゆみはわが青春のアイドルである。
もっともその時代にアイドルなんて言葉はなかったけどネ。
「サチオ君」、「緑の乙女」、「パールの指輪」、
デビュー当時の一連の楽曲がなつかしい。

この映画で人間国宝の陶芸家に扮するのが
「ザ・商社」で破綻する商社の社主を演じた13代・片岡仁左衛門。
昼間見た顔が深夜に再び出てきたわけだ。
えてして偶然は重なるものですなァ。

「あじさいの恋」はシリーズ中でも気に入りの作品。
奥丹後は伊根の舟屋が情緒たっぷりに映し出されて旅愁を誘う。
周囲が公認する許婚(いいなずけ)のような男に去られ、
いしだ扮する傷心の女性・かがりは生まれ故郷の伊根に帰る。
そこへ慰めに現れた寅次郎とほのかな恋心が芽生える筋書き。
のちに上京してきたかがりと寅は一日鎌倉に遊ぶことになる。
暮れなずむ江ノ島の海、シリーズ屈指の名作です。

劇中、寅の妹のさくらが夫の博にコーヒーを淹れてやる。
このとき彼女が左胸と左腕で抱えたのがネスカフェとクリープ。
そうだ! 先日、買いそびれたインスタントコーヒーじゃないか!
映画に背中を押され、翌日、近所のスーパーで買い求めたのがコレ。
ネスカフェ230g クリープ280g
コーヒーの容器のほうが大きいのに
クリープのほうが重いのは比重の違いのせいだろう。

インスタントコーヒーもクリープも自分で買うのは生まれて初めて。
ともにデカい瓶を買ったのはさくらが抱えたのがこのサイズだったからだ。
以来、日に一度は飲んでいる。
今もこれを書きながら飲んでいる。
常人から見たら他愛のないことかもしれないけれど、
わが人生は大きな転換期を迎えているのかもしれない。

若い頃には想像もつかなかったのに現在、実践していることが二つ。
一つはコーヒーの愛飲、そしてもう一つは猫との同居。
せっかくだから猫と一緒にコーヒータイムを過ごそうと思いついた。
いくらなんでも猫がコーヒーを飲むことはあるまい。
そこでクリープをぬるま湯に溶いてやったら
ヤッコさん、何食わぬ顔してまたぎやがった。
チッ、可愛くねェなァ、ったく!

2013年12月4日水曜日

第722話 「ザ・商社」に血が騒ぐ (その2)

昨日のつづきを綴る前にたずねびと。
読者からいただくお便りはうれしいものなれど、
ときとして返信がリジェクトされてしまい、
連絡不能な事態を招くことがある。

此度は、I澤R一サンなる野球ファンの方。
日本シリーズやイチロー選手に関して
手きびしいご批判をいただいたのだが
現時点ではどうすることも I can not 。
お目にとまりましたら、今一度メールをください。
携帯電話番号を報せてくだされば、電話でも対応します。

さてNHKドラマ、「ザ・商社」のつづき。
演出は和田勉、脚本は大野靖子だ。
さすがの名コンビ、
ひねった台詞が随所に散見された。

例えば、江坂アメリカ社長・上杉二郎(山崎)と
愛人関係にある米人秘書が
仕事以外は顧みないボスに対し、別れ際にこう言い放つ。

「アナタは孤独という名のコインで
 自由という名のキップを買い、
 野望という名の列車に乗り込むのネ」

涙ながらに永遠の愛を誓うピアニスト・松山真紀(夏目)に
冷淡な上杉は

「現に今もホテルの部屋で女が待っている。
 レイナという名の・・・」

ここで真紀は上杉の頬を張るのだが
ホテルで待っていたのはレイナという名の仔猫。
部屋に戻った上杉はレイナにミルクを与える。
こんなシーンは猫の独壇場で犬ではまったく絵にならない。
そう、猫は孤独の代名詞。

美貌と才能を兼ね備えた絶世の美女を袖にする主人公。
先週、たまたま読んでいた「一瞬の光」(白石一文著)の
橋田浩介と藤原瑠衣がオーバーラップして仕方がなかった。
ブス(言葉悪くてごめんネ)をフるのは誰でもできる。
美女をフッて初めてオトコは一皮むけるのだ。

もともとアメリカよりもヨーロッパ派のJ.C.。
1980年に初めて「ザ・商社」を観たとき、
まさか6年後に自分自身が
ニューヨークで仕事をしようとは夢にも思わなかった。

20年近く前、山崎努と遭遇したことがある。
場所はJFK空港から成田空港に到着したJALのジャンボ機内。
2階席から降りてきたJ.C.と1階に居た山崎サンが
階段下で鉢合わせしたのだった。
上目づかいにこちらを見上げた彼の視線がまぶたに灼きついている。

「アッ、どうぞ」(J.C.)
「アッ、どうも」(山崎氏)

交わした言葉は互いにひと言。
空港内の通路を歩く山崎サンは目の前だ。
足か膝を傷めていたのだろう、
ステッキをつき、片足を引きずられていた。
追い抜くことはたやすかったが、そうしたくはなかった。
「あゝ、この人が俳優・山崎努か・・・」
背中を見つめながら殊更ゆっくりと、
彼のうしろを歩いたのでした。

2013年12月3日火曜日

第721話 「ザ・商社」に血が騒ぐ (その1)

先週の月・火・水・木曜日と4日間に渡り、
1980年に制作されたNHKドラマ、「ザ・商社」が
ファミリー劇場HDチャンネル(ひかりTV)で放映された。
これまで何度か再放送されているが観たのは33年ぶりのこと。
いや、年甲斐もなく血が騒いだ。

かつての日本十大総合商社の一角、
安宅産業の崩壊を描いたドラマの原作は松本清張の「空の城」。
主要キャストは山崎努、夏目雅子、十三代目・片岡仁左衛門、
中村玉緒、水沢アキ、浜田光夫といった面々。

山崎の存在感に圧倒される。
これ以上のハマリ役はないのではないか、おそれいってしまった。
古くは黒澤明の「天国と地獄」、「赤ひげ」、「影武者」。
時代やや下って「お葬式」、「タンポポ」、
「マルサの女」など、一連の伊丹十三作品。
そのいずれよりも、このTVドラマの上杉二郎は衝撃的だ。

亡くなる5年前の夏目雅子もがんばった。
やたらめったらピアノをかき鳴らす曲はショパンの「幻想即興曲」。
脱がなきゃならないシーンでもないのに
カタチのよいバストトップを披露してくれもした。
彼女のニップルにまたもや血が騒いだ。

「なめたらイカンぜよ!」の名セリフで
一躍話題となった映画「鬼龍院花子」でも脱いだが
「ザ・商社」はそれに先立つこと2年。
さらに子どもも観られるTVドラマ、しかもお堅いNHK。
いやはや、斬新でありました。

それにしても山崎努と仲代達矢、
ある意味、よく似た個性派俳優との連続共演は
あいだに大河ドラマの「おんな太閤記」や
TBSの「野々村病院物語」をはさんでいるにせよ、
夏目雅子は女優冥利に尽きたのではなかろうか。

安宅産業はドラマでは江坂産業。
社主に扮する十三代・片岡仁左衛門がまたピッタリ。
ねちっこいアクが持ち味の役どころは
関西の役者はんには太刀打ちできまへんな、ホンマ。

舞台設定は1968年から1977年頃。
ニューヨーク・ロケがふんだんに取入れられているのも魅力で
カナダのニューファンドランドや英国のロンドンも登場する。
たとえいっときでもニューヨークに身を置いたビジネスマンなら
このドラマを観て、なつかしさに身をよじること請け合い。
かく言うJ.C.など、最たる者だ。

メトロポリタン・オペラハウスに山崎と水沢アキが現れる。
演目はヴェルディの「リゴレット」。
おそらく彼の作品中、もっとも有名な曲、
「女心の唄」が画面から流れくる。

=つづく=

2013年12月2日月曜日

第720話 裏切りのたこ焼き

 ♪  とぎれとぎれに靴音が 駅の階段に響いてる
   楽しく過ぎてゆく人ごみ キップを握った君がいた
   わかったよ どこでも行けばいい
   おいらをふりきって 汽車の中
   思わず叩くガラス窓 君は震え顔をそむけた
   しとしとさみだれまたひとつ ネオンが夜にとけてく
   たよりない心傷つけて 裏切りの街角過ぎてきた ♪
                (作詞:甲斐よしひろ)

「裏切りの街角」は甲斐バンド2枚目のシングルで
J.C.が欧州放浪の旅から帰国する2ヶ月ほど前、
1975年6月のリリースである。
ほどなくこの曲が東京の街に流れるようになり、
初めて聴いて即刻好きになった思い出の曲だ。

それはおいといて、
「俺のフレンチ 神楽坂店」を15分で出てきたわれら二人。
狙いを定めていた日本そば屋へ向かった。
所在地が新宿区・市谷田町だから「たまち屋」。
ベタな店名ながら「たまち藪」とか「たまち砂場」とか、
有名店の屋号を安易に拝借しないところは認めてあげたい。

先刻の店のビールはプレミアム・モルツ・・・だったかな?。
とにかく好みの銘柄に非ず、よってパスしてきた。
「たまち屋」にはアサヒのドライがあり、あらためて乾杯。
相方のK村サンもビールをそこそこ飲むほうだ。

この店にはほろ酔いセット(1050円)というのがあり、
内容はビールか日本酒、冷奴、ざるそば。
酒とそばの料金で冷奴がサービスされる値付けになっている。
でもネ、いきなりざるそばはないだろう。
セットに食指は動かず、
にしんの酢漬けと蓮根のはさみ揚げを所望した。
されど取り立てて旨いわけではなかった。

燗酒に切り替え、つまみの追加だ。
そば屋には珍しいたこ焼きを品書きにみとめ、
相方の止めるのも聞かずに注文。
べつに好きでもないのに好奇心につまずいたのだ。
ついでにカキフライもお願いする。

運ばれたたこ焼きは見るからにクタ~ッとしている。
一つ口にして絶望の淵へ・・・期待は完全に裏切られた。
だって冷凍品をチンしただけだもの。
料理人の陳サンはいいけれど、
電子レンジのチンさんはいけませんや。

そば屋でたこ焼きなんぞ、頼むほうも頼むほうだヨ。
オマケにカキフライまで出来合いの冷凍じゃ泣きっ面に蜂。
相方の冷たい視線に耐えながら
ひとしきりうつむいて反省したJ.C.でありました。

締めのせいろには香りもコシもなく、
和風ラーメンはヤケにスープが甘かった。
せっかく旧交を温めようと目論んだのに
2軒続けて外しちまったぜ、こりゃ。
友よ、われを許したまへ!

「たまち屋」
 東京都新宿区市谷田町2-7
 03-3267-9322

2013年11月29日金曜日

第719話 「俺のフレンチ」、俺は好まぬ! (その2)

久方ぶりに逢うやくざのK、もとい、薬剤師・K村サンと一緒に
意想外の「俺のフレンチ」に入店すると、
そこは立ち飲みスペースだった。
それもやたらめったら狭くて
隣りのOL(?)二人組とは袖摺り合う仲のニアミス状態だ。
何だよコレ、酒屋の角打ちより狭いじゃん。

気を取り直して、さて、さて、
相方の頭の中はクレーム・ブリュレ一色に染まっているハズ。
さっそくそいつをオーダーしてやがら・・・。
それに”俺の白”と名付けられたグラスの白ワイン800円也。
セパージュはシャルドネ、だったかな?
こちらはポルティーヨなる造り手のピノ・ノワールで500円也。
アレゼンチンの産である。
この国のブドウとなれば、マルベックだが
やはりありました、ピノと同値だ。

グラスワインとともに3種のオリーブ盛合わせが運ばれた。
オニイさんが言いました、「アミューズです」
鮮やかな緑、真っ黒、オリーブ色の三色は大量だ。
(オリーブばっかり、こんなに食えるかヨ)
口には出さず、胸の奥で毒づく。
と、同時に「こんなに食べられないわ」―相方がが口にした。
ごもっとも、ごもっとも。

再会を祝してグラスをチン!
1杯だけで河岸を替えるつもりでも、つまみが一品ほしい。
オリーブだけじゃ味気ないもん(まだ言ってるヨ)。
そこで選んだのは蝦夷アワビのキャビア添え(680円)。
数に限りがあるため、お一人様1個までという注釈付きだ。
高級食材コンビでこの値段、聞きしに勝る安さではないか。

数分後、現れたアワビを見てオロロいた。
相方も一べつくれて苦笑いの巻。
何とまァ、ちっこいこと! 蝦夷だか房総だか知らんが、
こんな未成熟なアワビを獲っちゃっていいもんかしら?
こりゃどう考えても、キャッチ&リリースだろうヨ。
何せ親指と人差し指で作ったワッカより小さいんだもの。

ところが、ちょこんと乗ったキャビアは本物であった。
模造品のランプフィッシュの卵を黒く染めたヤツなんかじゃない。
ただし、真っ当なカスピ海産に非ず。
訊きそびれたが養殖に間違いない。
ここ数年、世界のあちこちで養殖モノが出回っているからネ。
クレーム・ブリュレは安くてデカくてデキも悪くないけれど、
極小アワビはアカンわ、小粒がいいのは山椒と納豆でっせ。

たかだか15分でお勘定、レシートをチェックすると、
大量に食べ残したアミューズのオリーブが300円X2、
しっかり600円もチャージされていた。
いかに若者たちの支持を得ていようとも、
「俺のフレンチ」、俺は好まぬ! フンだ!

「俺のフレンチ 神楽坂店」
 東京都新宿区納戸町12
 03-6265-3907

2013年11月28日木曜日

第718話 「俺のフレンチ」、俺は好まぬ! (その1)

ずっと以前、イタリアワインを楽しむ会で
何度か同席したK村サンと久々に再会。
飲食店開業術のセミナーにつき合わされたのだった。
場所は市ヶ谷の谷から
靖国神社に向かって九段坂を上った中腹あたり。
島倉のお千代サンが
おっかさんの手を引いたのはここだろか?
あいや、九段下から坂を上って来たのであろうヨ。

セミナーは続いていたが早めに抜け出し、
酒盃を交えることにした。
新見附橋で外濠を西に渡り、牛込中央通りへ。
目当てのそば居酒屋「たまち屋」は案の定、準備中だ。
夜の開店は17時からで時計を見るとまだ16時半である。
時間を無駄にしたくない、よって界隈を散策することに―。

かつては活気があったこの通り。
神楽坂で人気のそば店「蕎楽亭」もここにあった。
イタリアンの「ラストリカート」も同じくである。
一時は一世を風靡したピッツァの「カルミネ」は
どうにか残存している。

一筋奥まったところにあるうなぎの老舗「宮川」は
驚くなかれ居酒屋と化していた。
昼間は焼き魚定食なんぞをウリにしたりもしている。
原材料のうなぎの高騰に耐えられなかったのだろう。
大変だねェ、わびしいなァ、一瞬、気の毒な思いが心にきざした。
商売繁盛であってくれればよいのだが・・・。

「蕎楽亭」より好きな日本そば店「芳とも庵」の店先に差し掛かる。
この店については近々あらためて紹介したい。
その数軒先にここ数年、
飛ぶ鳥を落とす勢いの「俺のフレンチ 神楽坂店」を見とめた。
恵比寿店や銀座店は長蛇の列ながら、ここは比較的空いている。
最寄りは大江戸線・牛込神楽坂だが駅からはちょっと歩く。
ロケーションがよろしくないのだろう。
名うての人気店も人の動線までは変えられまい。

われわれ二人、「俺のフレンチ」、「俺のイタリアン」ともに
利用したことは一度もない。
オマール海老はじめ、高価な食材を手頃な価格で提供し、
フレンチに縁遠かった若者たちの絶大なる支持を得たお店。
ヤングカップルにとっては”フレンチ入門”といった位置づけかな?

デセール大好き人間のK村サンの目が
店頭のメニューに釘付けになっている。
視線の先を追うとやっぱりネ、
クレーム・ブリュレ(380円)とあった。

しょうがないなァ、気配りに長けるJ.C.に
ここで袖を引くような冷淡なマネはできやしない。
「軽く一杯飲ってく?」―水を向けると
「そうしましょ、そうしましょ」―にっこり笑顔の二つ返事だ。
そば屋酒のつもりがフレカジュかいな、やれやれ、男はつらいよ。

=つづく=

2013年11月27日水曜日

第717話 戦いすんだヨーロッパ (その3)

のっけから苦言を呈して恐縮ながら
ザックジャパンのDF陣は揃いもそろってアタマ悪すぎっ!
持論を展開させてもらうと、
バカでもできるFW、バカじゃできないDF、
むろんMFはアタマを使えなきゃつとまらない。
極論すれば、そういうことになる。

試合開始からほどなくやられたオランダ戦の1点目。
痛恨のミスを犯した内田には猛省を促したい。
自陣ゴールの正面に
アタマでボールを落とすバカがどこにいるかネ。
DFのボールの処理は常に外へ外へ、
小学生でも実践している基本中の基本だ。

そして2点目。
ロッベンの伝家の宝刀は右45度からの仕掛け。
ペナルティエリアに入る直前に
左へ左へと切れ込んで左足を一閃するパターンは
毎度のことで判りきっているのに
何の対応もできなかった長谷部と長友。
MFの長谷部はともかくも長友はDFだろうがっ!
観ててイヤになっちゃうヨ。

続いてベルギー戦の1失点目。
解説の松木サンはGK川島の判断ミスと糾弾したが
それはないぜ、セニョール!
GKの飛び出しはイチかバチか。
出なきゃ出ないで、やられた確率が高いし、
イチかバチかは丁半バクチと同じだから
どちらに転ぶか見当がつかない。
たまたま賽の目が裏目に出ただけのことだろう。

あれはDF酒井高徳のポカ。
緩慢なプレーが招いた悔やみきれない失点だった。
J.C.がザッケローニだったら、高徳はしばらく使わない。
周りが見えないDFは使い道がないのだ。

2点目。
日本代表は75分を過ぎると決まって足が止まる
マラソンランナーの35kmと酷似している。
ありゃどうしてかネ、走り込みが足りないんじゃないの。
オマケに永遠の課題、CKへの対処だ。
自陣ゴール前を横切ってゆくボールを
いつもヘッドで合わせられてズドン!
何べんこの悲劇を見せつけられたことか!

加えて身長差が半端じゃないときたひにゃ、
観ているほうは生きた心地がしないんだよネ。
もっともある意味、この失点だけがまともだった。
こればかりは一朝一夕に解決できる問題じゃないし、
あとの3点はボーンヘッドのオンパレードだもの。

エニウェイ、はるばる行ったぜ欧州へ。
とにもかくにも二度の長征は終わった。
あとはいざブラジルを残すばかりとなりにけり。
おっとその前に来年3月5日、国際Aマッチデーがあったか。
東京五輪に向け、改築される聖地・国立でのメモリアル・マッチは
韓国とは組めないらしいが、それならオーストラリアでしょ。

=おしまい=

2013年11月26日火曜日

第716話 戦いすんだヨーロッパ (その2)

昨日、みなさんに投げかけたシッツモ~ン!、
ワンタッチのもう一つの重要性は何でありましょうか?
さっそく、その解答いきます。

ダイレクトシュートはGK泣かせなんです。
球筋が非常に読みにくい。
ということは、GKの反応がワンテンポ遅れてしまう。
ドリブルやトラップ後のシュートは
シューターの軸足を見れば、容易にコースが読めるのに
ワンタッチだと、その見極めがきわめて難しい。
よってゴールインの確立が高まる。
ヘディングシュートが決まりやすいのは
ヘッドは限りなく100%に近いダイレクトですからネ。

加えてもう一つ理由がある。
今でもそうだろうが、われわれがサッカー少年だった頃、
指導者からセンタリング(クロス)の重要性を
徹底的にたたき込まれた。
「得点は相手ゴールの前をボールが横切るときに生まれる」
往時の金科玉条はこれだったのだ。

お次は中盤、守備的MFをみてみよう。
最近、ささやかれている、もとい、
声高に叫ばれているのは長谷部&遠藤、不要論。
はたしてそうだろうか?
確かに衰えは事実で殊に運動量がダウンしている。

でもネ、90分フル出場はムリだとしても
まだまだ使えるんじゃないかな。
オランダ戦の大迫はフロム長谷部、
ベルギー戦の本田はフロム遠藤、
彼らのナイスパスから生まれたゴール。
相手守備陣のポジションを
見極めたうえでの絶妙なパスだった。

後継者が育ちきれていない現実に臨むと
二人の力に頼らざるを得ないのも致し方あるまい。
運動量豊富な山口蛍にしたっていまだ経験不足。
幾多の修羅場をくぐらずして成長はない。

最後に日本人の悩みの種、チョー弱小DF陣である。
ここは要のGK川島も含めてクリティサイズしてみたい。
オランダ戦とベルギー戦、ともに仲良く2失点。
思い出したくはないけれど、
読者諸兄におかれては失点シーンをいま一度、
脳裏に浮かべていただきたい。

と、ここまで綴ってスペースがなくなった。
惨憺たる失点、愚かなる失点の検証については
明日またあらためて語ります。

=つづく=

2013年11月25日月曜日

第715話 戦いすんだヨーロッパ (その1)

先週は東京を離れていた。
よって当ブログの原稿を丸々1週ぶん書きためて家を出た。

ザックジャパンVSベルギー戦は出張先のホテルにて観戦。
オランダ戦後半の調子を持続できれば、この一戦も善戦必至、
勝機ありとみて眠い目をこすったが予想を超えるデキであった。
1週間も経ってから語るのは間が抜けたハナシながら
事情が事情につき、ここは大目にみてくだされ。

今回の欧州遠征による2試合は
前回の対セルビア&対ベラルーシとは雲泥の差。
短期間でまったく別のチームに生まれ変われていた。
えてしてサッカーとはこういうものである。
と言えるのは世界の強豪だけに当てはまる表現で
これまでの日本代表は好調時も不調時も大差なかった。

対戦相手のベルギーが好例だ。
1年かそこいらでFIFAランク5位まで駆け上がったものの、
コロンビアと日本に二連敗、しかもホームゲームで―。
化けの皮がはがれてしまったのかもしれない。

たったの2試合で判断するのは早計ながら
この二連戦は日本サッカー史上、
もっともみのり多き成果だったと確信している。
遅ればせながら2試合まとめておさらいしてみよう。

最初にFW陣、彼らは絶好調。
まず本田の成長が著しい。
もともと自信だけは人一倍だったが
ブレーン、ボディ・バランス、ボール・コントロール、
すべてにおいて一皮むけた。
彼の2ゴールは特筆に価する。

ゴールには結びつかなかったものの、香川の復調もめざましい。
身体の動きがキレまくっている。
そして新鋭の大迫と柿谷、すでにベテランの岡崎は
三者三様、それなりの決定力を発揮して結果を出した。

日本が挙げた5点の得点シーンを振り返ろう。
オランダ戦の大迫と本田、ベルギー戦の柿谷と岡崎、
5点のうち4点までもがワンタッチのダイレクトシュート。
これこそが得点力アップのキーポイントなのだ。

メディアも解説者もこぞってその点にはふれている。
相手DFが寄せる前に素早く決める・・・大事なことだ。
ただ、そこばかりが強調されるが
実はダイレクトシュートにはもう一つ、
計り知れない大きな利点がある。

それはいったい何でありましょうか?
ここは一番、読者のみなさんも一緒にお考えください。
TVのクイズ番組じゃあるまいし、
もったいぶって申し訳ございませんが、正解はまた明日。

=つづく=

2013年11月22日金曜日

第714話 よみがえった珈琲 (その5)

コーヒーにまつわるハナシのつづき。
ハンバーガー屋と喫茶店、
たった2軒の訪問なのにずいぶん長引いている。
いい歳こいてから色恋沙汰に目覚めると、
われを忘れてのめり込むというけれど、
まさかこの歳になってわが人生にコーヒーがよみがえるとは―。

「やなか珈琲店」の2階席にいる。
目の前にはサントス・デカフェとハムチーズのホットサンド。
時刻は日曜日の13時を回ったところで
店内にはおだやかな時間が流れている。
意外にも年配者の独り身が目立ち、何やら孤独のグルメ風。

サンドの中身のハムは薄いがチーズはわりとミッシリ。
そして黒胡椒がバチッと効いている。
ボリューム感はなくともハンバーガーのフォローによいサイズだ。
思い起こせばホットサンド・メーカーで焼かれたサンドイッチに
初めて出会ったのは1969年、池袋西口の喫茶店「ネスパ」だった。
懐かしいなァ。
当時、この店に出入りするのはある種のステータス。
高校三年生はここで大人の香りをかいだのだった。

その後、「ネスパ」はどうなったんだろう?
好奇心を刺激され、ネットで調べてみたら
「ネスパ事務所」というのに突き当たった。
さっそくダイヤルすると、何やらどこぞへ転送されて
電話口に出たのはかなりのお歳のお爺さん。
見たわけじゃないから確証はないが
少なくともしゃがれ声はそう感じさせるにじゅうぶん。
すでに事務所のほうもたたみ、
現在はなんの営業活動もしていないとおっしゃる。
こりゃどうも失礼いたしました。

「やなか珈琲店」で翌々日の原稿も書き上げ、
時計を見るとまだ14時前である。
これからゆっくり帰宅の途につけばよいのだが
ものはついで、谷中銀座からよみせ通り界隈をぶらぶら。
夕焼けだんだんを上り、
日暮里駅のエスカレーターを降りて駅前広場へ。
目の前に1軒のスーパーがある。
晩酌のつまみでも買い求めるつもりで入店した。

ひと通り店内をめぐって目にとまったのは
インスタントコーヒーの瓶だ。
銘柄はネスカフェである。
 ♪ ラララ~ ラ~ラ ラララ~ ♪
ゴールドブレンドのCMのメロディーが瞬時に脳裏をかけめぐった。
いや、迷いましたネ、買うべきか、買わざるべきか・・・。

面倒くさがり屋につき、挽いた豆から淹れるなんてマネはできっこない。
せいぜいがインスタントであろうヨ。
決断して瓶に手を伸ばしたそのときにズボンのポケットがブルルルッ。
間の悪い電話を受けて店外に出ると、これがまた長電話。
どうにか通話が終わったときには日暮里駅の改札前にいましたとサ。

気勢をそがれたJ.C.、いまだわが家にコーヒーはありません。

=おしまい=

「やなか珈琲店 千駄木店」
 東京都文京区千駄木2-31-3
 0120-877-281

2013年11月21日木曜日

第713話 よみがえった珈琲 (その4)

文京区・千駄木は団子坂下、
「やなか珈琲店」の店先で逡巡している。
都内に支店網を張り巡らせ、商売を拡げているのだから
さぞかし美味しいコーヒーを淹れるに相違ない。
いまだ入ったことのない店ながら
コーヒーのはしごくらいで何をためらうことがあろう。
居酒屋のはしごなら4軒、5軒と平気の平左なのに
たかだかキッチャ店2軒、ここは迷わずゴー・アヘッドだろうヨ。

でもって、ドアを押しました。
いや、引いたのかもしれやせん。
それにしてもコーヒーのはしごはわが半生に記憶がないゾ。
何でこうなったんだろか!

豆種もチェックせずに本日のコーヒー(230円)をお願い。
「モス」ではハンバーガー1つきりで
フライドポテトもオニオンリングも付けなかった。
日曜日の優雅な昼食にはいささかの不足があろう。
よってフードメニューに目を通すと、ホットサンドがあった。
ハムチーズとツナがあってともに240円、ずいぶん安いなァ。
ハムチーズを選択する。

1階にも飲食スペースがあったが
先客はトレイを持って2階に上がっていった。
ハイ、慣れない場所では先人の行動に習いましょう。
多少時間の掛かるホットサンドはあとでお席にお持ちしますとのこと。
コーヒーだけをトレイに乗せてアップステアーズである。

2階担当の女性スタッフに訊ねたら
本日のコーヒーはサントス・デカフェとの応え。
デカフェはカフェイン抜き、
ブラジル産サントスのカフェインレスということだ。
味わうと実にユニークな風味。
シナモンみたいな香りが立っている。
コーヒーに関しては何の薀蓄も持たないJ.C.、
ふ~ん、こんなものかいな、
一人ごちていると、ホットサンドがやって来た。

ほほう、こういうヤツだったのか。
鯛焼きを焼く鉄製の器具、それの四角い版、
いわゆるホットサンド・メーカーで焼かれたサンドイッチだ。
「モスバーガー」は十数年ぶりの訪問だが
このタイプのホットサンドに出くわすのは数十年ぶりである。

そういえばはるか昔、この器具を買ったことがあった。
ただし、使ったのはホンの2~3回。
あとはどこに行ったのやら目にすることもなく、
おおかた戸棚の奥にでもうっちゃられていたんだろうな。
キワモノはまず短命に終わるネ。
営業用ならまだしも、
庶民の日常生活に定着したためしがないのだ。

=つづく=

2013年11月20日水曜日

第712話 よみがえった珈琲 (その3)

都内では数少ない夕陽の名所、
谷中の夕焼けだんだんにほど近い千駄木の町にいる。
不慣れにして不釣合いな「モスバーガー」で
ハンバーガーを手にしている。
あれれ、なんでだろうネ?
テイクアウトでもないのにバーガーが紙にラップされている。
周りを見回すと老若男女を問わず、
みんな紙包みの中に半分顔を突っ込んで食べている。

ああいうマネはできないなァ。
饅頭でも大福でも包み紙を中途半端に開いて食うかい?
なんかじれったいなァ。
ストローで飲む生ビールというか、
下着をつけたままの入浴というか、
包み紙はきれいサッパリ取り除きましょうヨ。

中学時代のクラスの昼めしどき、
弁当のフタを半分だけ開けて食べる女子生徒をよく見掛けた。
乙女の恥じらいなんだろうが、
あれじゃ食った気がしないんじゃないかネ。
そういう印象が否めないヨ、包みごと食うのは―。

とびきりバーガーは悪くなかった。
生っぽいオニオンがいいアクセントになっている。
ただし、照り焼き風のソースが余計で、ちと甘すぎる。
もともとモスバーガーは甘めの味付けが特徴だったな。
記憶の糸をたぐり寄せてみた。
ブログ1話分の原稿を書き上げたことだし、
あまり長居しても店や他の客に迷惑だろうから腰を上げる。

おっと、そうそう、埼玉県のW田サンからのご質問。
「J.C.サンは車内や店内にパソコン持込んでるんですか?
 それとも原稿用紙かしら?」―
ハハハ、まさか。
PCはともかくも、原稿用紙と万年筆なんて
そんな芸当はできゃしませんヨ。
携帯メールで打った文章を自宅のPCに送りつけ、
帰宅後、あらためて修正するんです。

十数年ぶりの「モス」に別れを告げ、不忍通りを北上する。
ほどなく団子坂の交差点に差し掛かるハズ。
江戸川乱歩の小説、「D坂の殺人事件」の舞台になった団子坂。
その手前で1軒のコーヒーショップに遭遇した。

店の名は「やなか珈琲店 千駄木店」。
都内に20軒以上も店舗を構えているから
あちこちで見掛けるが入店したことはない。
「やなか珈琲店」を名乗るくらいだから1号店は谷中だろう。
そういえばよく出向く、よみせ通りに小体な店があったっけ。
店頭に客がひっきりなし、かなりの人気店と踏んでいた。

その店先でヘジテート。
さて、どうしたものかいな?

=つづく=

「モスバーガー 千駄木店」
 東京都文京区千駄木2-21-1
 03-3823-9310

2013年11月19日火曜日

第711話 よみがえった珈琲 (その2)

不忍通りに面した「モスバーガー 千駄木店」にいる。
下げ物はセルフのようだが
注文品はウエイターがテーブルまで運んでくれる。
ほどなくコーヒーが届いた。

ここでハナシは飛ぶ。
こと飲食物に関しては好き嫌いの少ないJ.C.ながら
コーヒーはあまり好きではない。
むしろ苦手なものの代表格といえる。

フレンチやイタリアンの食後に飲む、
深煎りのエスプレッソやカフェ・ルンゴはよくても
日本の喫茶店にありがちな煎りの浅いコーヒーはまず飲まない。
酸味が強いとなぜか胸焼けしてしまう。
苦いのはいいけれど、酸っぱいのは避けてきたのだ。

それでも若い頃はよく飲んだ。
芝公園のホテルで働いていた時分、
フルコースの締めにコーヒーを持ち回ると、
ポットに必ず1~2杯ぶんは残る。
これ幸いとサービス係もそれで一息つくのが常だった。
小ぶりなデミタス・カップとはいえ、平気で2杯も飲んでたのに―。

ときは1989年、北海道・小樽に旅をした。
青森・八戸在住の旧友と札幌で落ち合い、
1日アシをのばしてみたのだった。
観光地化された小樽運河のしらじらしさに
われわれもしらけ切ったりしたが
駅前の三角市場はそれなりに楽しめた。
ただ、やたらめったら蟹のオンパレードだったっけ・・・。

夕方まで時間が空いてしまい、
喫茶店に立ち寄ったのがいけなかった。
コーヒー党の相方につき合ったのが災いの元だ。
胸焼けを通り越して胃の腑を不快感が襲い、
とうとう貴重な旅先の晩めしを棒に振る破目に。
翌朝には回復したものの、
以来、しばらくコーヒーとの関係はプッツリ。
絶好状態が続くことになる。

それがここ数ヶ月、たまに飲んでいる。
きっかけは行きつけの雀荘、文京区・春日の「ロンロン」。
麻雀教室の際にコーヒーと茶菓子が出て
しかもなかなかの香りと味なので
いつしかカップを手に取るようになったのだ。

さて、その日曜日の午後、
千駄木の「モスバーガー」に独り。
おもむろにコーヒーを一口すすって
とびきりバーガーに取り掛かったのだった。

=つづく=

2013年11月18日月曜日

第710話 よみがえった珈琲 (その1)

一昨日のザック・ジャパンVSオランダ戦。
後半は目を疑いましたネ。
途中でむかっ腹立ててTVを消さないでよかった。
日本の2点目、流れるような美しいゴールは
歴代代表史上のベストであろう。
ベルギー戦がいよいよ楽しみになってきた。

それはそれとして、どんより曇ったある日曜日の正午。
時間ピッタリにハウスキーパーが来宅し、家から追い出される。
これから2時間どう過ごすか、うかつにも算段していなかった。
落ち着ける店にシケ込み、
食後のひとときに翌日アップする原稿でも書くとするかの。
2時間もありゃ、2日分いけちゃうし・・・そうしよう、そうしましょう。

この手はときどき使う。
食欲のないときなんか、ゆくえ定めぬ電車に飛び乗り、
車内で執筆にいそしむことたびたび。
いつぞやはふと気がついたらJR中央線の吉祥寺にいた。
びっくりしたなもう!

ともあれ、吉祥寺は若者に人気のある街で
彼らが棲みたい街のNo1なんだとサ。
いい趣味してるぜ、最近の若いモンはヨッ!
老頭児(ロートル)のJ.C.はイヤだネ、なぜか性に合わない。
お隣りの西荻ならOKだけど、吉祥寺はご免こうむりたい。

そいでもってその日曜日、流れ来たのは千駄木の町である。
台東区の谷中に文京区の千駄木と根津を
トリオ・ロス・パンチョス(古いネ)にすると、
谷根千なる、熟年カップルにとっては散歩の聖地と相成る。
週末に限らずともオジさん&オバさんが仲良く闊歩するエリアだ。

魔が差したのかな?
ふらふらっと入ったのは「モスバーガー 千駄木店」。
「モス」はおそらく十数年ぶりで、前回は三田の慶大前だった。
久しぶりではあるが、J.C.は1970年代初頭、
「モスバーガー」1号店を、しかも開店の数日後に訪れている。
ところは当時棲んでいた板橋区・成増。
このことは以前どこかで書いたから此度はスルーするぅ。

ハンバーガーショップにはめったに入らない。
したがって注文の仕方がよく判らずトンチンカン。
順番が来てメニューを見るヒマもあらばこそ、
うしろがつかえてたりしたら
もうそれだけでおちおち選んでなんかいられない。

その日はモスバーガーのプレミアム・バージョン、
とびきりプレーンハンバーガー(370円)ってヤツを
ほとんど反射的に注文していた。
カサにかかったカウンターのアンちゃんに飲みものを訊かれ、
これまた反射的にコーヒー(220円)を頼んでいた。
あとで気がついたが
事前に店外のメニューをチェックしてから入店すればいいんだネ。
われながらダサいや。

=つづく=

2013年11月15日金曜日

第709話 逝く人 逝く人 (その2)

 ♪ あかく咲く花 青い花 
   この世に咲く花 数々あれど 
   涙にぬれて 蕾のままに 
   散るは乙女の 初恋の花 ♪
       (作詞:西條八十)

島倉千代子のデビュー曲「この世の花」は1955年のリリース。
当時、長野市の幼稚園に入園したばかりのJ.C.は
蕾のままに散る乙女の花のことなど、
からっきし理解できなかったが
チマタに流れるこの曲の歌詞とメロディーはしっかり覚えている。
自宅に蓄音機があり、流行歌を聴くマセたガキだったのだ。

ところがその翌年、夢破れて一家心中、
もとい、なんとか命長らえて東京へ流転したのでした。
幼い記憶に残る楽曲は「この世の花」のほかに

美ち奴―「あゝそれなのに」
高英男―「雪の降るまちを」
春日八郎―「お富さん」
三橋美智也―「リンゴ村から」

てなところでありました。
あとは酔った親父がうなる軍歌の「麦と兵隊」ときたひにゃ、
いやはや、お恥ずかしい限りでござんすヨ。
ヨタもたいがいにして、お千代サンまいります。

島倉千代子(1938―2013)・・・歌手

コブシ封印の美空ひばり。
コブシが命の島倉千代子。
180度異なる歌唱スタイルの二人は大の仲良しだった。
J.C.的にはお千代サンのノドが好み。
細いわりに芯が強く、小粋な余韻を耳朶に残して心地よい。
では恒例のベストテン。

① 東京だよおっ母さん
② 逢いたいなァあの人に
③ この世の花
④ 恋しているんだもん
⑤ からたち日記
⑥ りんどう峠
⑦ 東京の人さようなら
⑧ 思い出さん今日は
⑨ 積木くずし
⑩ 星空に両手を(守屋浩とのデュエット)

冒頭で「この世の花」を紹介したから、あとはやめとく。
そこで一つ、作詞家・星野哲郎のエピソード。
⑧の「思い出さん今日は」は作曲家の船村徹が
F・サガンの小説、「悲しみよこんにちは」を星野に与え、
読後に何か詞を書いてくれ、と迫った曰くつきの作品。

出来上がった詞は船村の意に染まずオクラ入りとなる。
それを拾い上げたのが大御所・古賀正男で
千代チャンが歌い大ヒット。
古賀御大がいなかったら
星野による幾多の名曲は生まれなかったハズ。
寅さんが歌った「男はつらいよ」もまたしかりだ。
時は流れて作った人も歌った人も、みんな逝っちゃいましたネ。

2013年11月14日木曜日

第708話 逝く人 逝く人 (その1)

訃報が続いております。
殊に日本の音楽界で―。
今話は最近亡くなったお二人にスポットを当てます。

 ♪ 地球もちいっちゃな星だけど ♪
墜ちたふたつの★は小さなものではなく、
好きな表現ではないけれど、まさに巨星。
ご冥福を祈りつつ、筆をすすめてまいりましょう。

岩谷時子(1916―2013)・・・作詞家

大スター越路吹雪の心の友にして押しかけマネージャー。
ただし、マネージメント料はいっさい受け取らなかったという。
それはそれとして
日本人の心にしみ入る珠玉の言霊を紡ぎだしてくれた。

さっそく例によって
彼女の全作品(全部知ってるわけじゃないけど)から
マイ・ベスト10を選んでみた。
訳詩は省いて作詞のみを対象とした。
本当は順位なんかつけたくないが
無理やり無い知恵絞って
というより、気持ちに折合いをつけて並べてみた。

① 恋のバカンス (ザ・ピーナッツ)
② 嘘 (越路吹雪)
③ 北国の空は燃えている (石原裕次郎)
④ 別れたあの人 (加山雄三)
⑤ いいじゃないの幸せならば (佐良直美)
⑥ 土曜日はいちばん (ピンキーとキラーズ)
⑦ 愛の嵐 (菅原洋一)
⑧ 誰も知らない (伊東ゆかり)
⑨ 裸のビーナス (郷ひろみ)
⑩ 妻を恋うる唄 (フランク永井)
      (  )内は歌っている歌手名

すべてを紹介するわけにはいかないので
無名の名作、「嘘」をお届けしたい。

 ♪ あなただって 嘘をつく
   私だって 嘘をつく
   あなたが男で 私が女だから
   私たち恋をして 日向ぼっこのかたつむり
   夜は夜 目も見えず
   角でクチュクチュ 嘘をつく
   妬いてなんか いないのに
   怒るあなたが 大好きよ
   ラララララー ラララー      ♪

大人同士の男と女、その心模様に恋模様。
J.C.の大好きな曲の作曲者は内藤法美。
そう、越路吹雪の夫君です。
明日は島倉千代子を語りましょう。

=つづく=

2013年11月13日水曜日

第707話 11月11日は鮭の日

今は亡きQサン時代から
当ブログの長い読者にO見サンなる知識人がいる。
何と申しましょうか・・・驚くべき博学の方で
かなりオタク的な要素を内包しながらも
キジハタならぬ、キジン博学者といったカンジなのだ。

ここ数日、彼から何通かメールをいただいた。
興味深いので披露してみましょう。

その①
本日のブログを拝見しました。
本日11月7日は福本豊の66回目の誕生日。
彼もイチローと同じように国民栄誉賞を辞退しました。
一般的にB型人間はわが道をゆくタイプであり、
名誉に興味を持たない傾向があります。
マイペースB型人間は国際舞台でも滅法強いのです。
(野球)― イチロー 野茂 上原 (水泳)― 北島
(柔道)― 谷亮子 野村 (ゴルフ)― 青木

なるほどネ。
ミスターG、長嶋茂雄もB型ですし・・・。

その②
ひょっとしたらイチローは野茂に敬意を表して
栄誉賞を辞退したような気がします。
最近、川上元巨人監督が亡くなりましたが
日本歴代No1は三原監督でしょうか?

言われてみればそうかもしれません。
何たって野茂はパイオニアですからネ。
されどJ.C.はベスト監督に広岡達朗を選びましたが・・・。

その③
本日のブログ、拝見しました。
11月11日は鮭の日です。
魚偏に土(ツチはジュウイチ)が二つですから。

鮭の日なんてあったのネ。
なるほどなァ、土が重なってるもんねェ。
いや、まいりましてございます。

偶然にもその11日、
J.C.は珍しくも自宅で自炊のランチを食べました。
献立は

 中辛塩の焼き紅鮭 小粒納豆 梅干し(つぶれ梅)
 自家製しその実漬け 木綿豆腐と長ねぎの味噌汁
 富山・福光産コシヒカリ 冷麦茶

友人のI﨑サンからいただいた新米が格別。
したがっておかずは何でもよかとですが
紅鮭はじめ、み~んな旨かったんだな、これがっ!

今を去ること50年、1963年11月11日。
そのまた11日後の22日に時の米国大統領、
J.F.Kがテキサス州ダラスで凶弾に倒れた。
その朝(日本時間)の巷間のざわめきはよお~く覚えている。
さらにさかのぼって昭和11年、二・二六事件勃発の翌朝、
帝都のざわめきはかくの如しであったろう。

2013年11月12日火曜日

第706話 キジに劣らぬキジハタの味 (その2)

天下の美味魚、ハタのつづきである。
ちなみに漢字では羽太と綴る。
一口にハタといっても種類は多種多彩。

 ♪ 恋にもいろいろ ありまして
   ヒゴイにマゴイは 池の鯉
   今夜来てねと 甘えても
   金もって来いでは 恋じゃない ♪
        (作詞:藤田まさと)

コイ同様にハタにもいろいろあるのだ。
ザッと挙げただけでも
真ハタ、赤ハタ、ネズミハタ、アズキハタ、ユカタハタ、
安価な青ハタに高級なサラサハタ、
毒素を体内に蓄積して危険なバラハタ、
そしてサブタイトルのキジハタだ。

まずはそのキジハタをお目にかけましょう。
オレンジ色の斑点がキジハタの特徴  
よって広東料理店では清蒸石斑魚と称する。
読み方はチンチェン・シーバンユイ。
写真はウロコを落としてもらったから少々くすんでいる。
実際はもっと鮮やかな色合いで
撮影にはもちろんそのままのほうがよいが
自宅でウロコを引くのはシンドいから仕方がない。

コイツをゲットしたのはJ.C.御用達、
北千住マルイの地下にある「食遊館」。
なかなか立派な鮮魚売場を備えており、
陳列スペースにこのキジハタを発見したときは小躍りした。
しかも、値段は800円ほどじゃなかったかな。

あまりにうれしくて産地の確認を忘れたほどだ。
さっそく買って帰り、清蒸は厄介だから香草焼きにした。
使ったハーブはタイムとタラゴン。
塩・胡椒したところにオリーブオイルを掛け回してシンプルに焼き上げる。
ハーブは焦げるから二度に分けてハタの上に盛ってやる。

焼き立てにレモンを搾り、味わってみると、
いや、まことにけっこうでありました。
半身はアイオリ(にんにくマヨネーズ)と一緒にやり、
清蒸には及ばずとも、じゅうぶんに満足したのであった。

吉事は重なるものですな。
後日、御徒町のサカナのデパート「吉池」で
同じキジハタに出会ったのでありました。
前回よりホンの少し小ぶりで700円ほどだった。
産地は富山湾だ。
おそらく北千住のそれも富山だったのだろう。

此度は日本酒・醤油・上白糖で煮付けてみる。
あとは根しょうがを控えめに1片だけ。
いやはや、これまたまことにけっこう毛だらけ、猫灰だらけ。
わが家の猫もキジに劣らぬキジハタに夢中になっておりましたとサ。

「食遊館」
 東京都足立区千住3-92 マルイB1

「吉池」
 東京都台東区上野5-25-8
 03-3834-0145

2013年11月11日月曜日

第705話 キジに劣らぬキジハタの味 (その1)

50年前の今日(11月11日)のことはよく覚えている。
当時、J.C.は紅顔の美少年ならぬ、歳のわりにはヒネた小学六年生。
授業中、隣りにいたクラスメートが
今日は”11.11”だネ、とつぶやいたからだ。

まっ、どうでもいいことだから前へ進んで
野鳥にしてわが国の国鳥、キジのおハナシ。
ケーン!と鳴いちゃ、鉄砲で撃たれちゃってるらしい。
キジも鳴かずば撃たれまい。
杉内も投げずば打たれまい。
タハッ、まだ日本シリーズを引きずってるヨ、やれやれ。

ところが実態は毎年数万羽も放鳥されているのに
ほとんどキツネや猛禽類のエジキになり、
ハンティングの対象になるのはごく少数だという。
そして驚いたことに飛ぶのが苦手で走るのが得意なんだと―。
ダチョウみたいなヤツなんだネ、まったく。

キジは引き締まった白身の肉質を備え、たいへん食味がいい。
概して禽類の身肉の色は紅白に分かれる。
分類してみよう。

紅組 ・・・ カモ ハト ウズラ ツグミ シギ スズメ ダチョウ
白組 ・・・ キジ ホロホロ鳥 七面鳥 ニワトリ

禽類ではないが面白いのはウサギで
飼いウサギの身は白いのに野ウサギのそれは深紅。
これは与えられる飼料と獲得するエサの違いが原因だろう。

久しく口にしてないけれど、キジのローストが食べたいな。
南信州にキジの養殖場があり、
肉や卵の取り寄せが可能ながら値段は相当に張る。
ニューヨーク在住時代、
よく訪れたイタリア料理屋、「Il Cantinori」では
いつもウサギ背肉のローストを注文したが
イノシシやキジが入荷した日はそちらに切り替えた。

キジはイタリア語でファジアーノ。
サッカーのJ2に所属するファジアーノ岡山のネーミングは
郷土ののヒーロー・桃太郎が連れ行く家来の一員に由来する。

ここでハナシはキジから一足飛びにキジハタへ。
何じゃそりゃあ? と声を荒げる向きも少なくあるまい。
主として磯の岩礁を棲み家とするサカナにハタがいる。
しっとりとした白身は広東料理の清蒸(チンチェン)にしたらもう最高。
香港やシンガポールではもっとも珍重されるサカナなのだ。

香港は九龍の「竹園」では大小さまざまなハタ類が水槽にひしめいて
客のご指名を待ちながら最後のスイミングにいそしんでいる。
サイズ豊富な品揃えがありがたく、
カップルでもグループでも使い勝手がよかった。
手ごろな値段もうれしくて
これが「福臨門酒家」なんぞで食べようものなら
目ン玉は飛び出し、軽くなった財布が宙を舞う。
まるで星野の仙チャンみたいにヨ(まだ言ってら)!

先日、香港に行って来た友人の言うことにゃ、
昨今のハタ類の値上がりはすさまじいらしい。
前述の「竹園」も例外ではないかもしれない。
久しく行ってないから、もしも高騰しちまってたらゴメンなすって。

=つづく=

2013年11月8日金曜日

第704話 お米よ今夜もありがとう 古く良かりしニューヨーク Vol.7

久しぶりに”古く良かりしニューヨーク”シリーズをいきます。
読売アメリカの連載コラム、
J.C.オカザワの「れすとらんしったかぶり」から
抜粋してお届けする回顧版であります。

=お米よ今夜もありがとう==

まず、サブタイトルをご覧いただきたい。
そして、お米をおコメと読んでいただきたい。
これをおヨネと読むと太郎に嫁ぐアイちゃんの手を引く、
でしゃばり婆さんになってしまい、はなはだ不都合であります。

さて、去年からの日本国内の米騒動も落着した今日この頃、
われわれ在米邦人にとっても米抜きの食生活は考えられない。
炊き立てのごはんはもとより、
この時期の冷酒の晩酌は日本人の身に心にしみわたる。

グランドセントラル駅そばの和食店、「竹生」の酒は春鹿。
鹿児島から空輸されるスズキ、カンパチ、シマアジの刺身は
高級鮨店に負けず劣らずの旨さだ。
大根おろしで食べる大トロもたまらない。
色鮮やかな本玉の赤貝は鮨屋のそれを上回り、
ニューヨークNo1の折り紙をつけたい。
本わさびを使用する姿勢も高く評価したい。

自家製の蟹しゅうまいは
イタリアンのラヴィオリやアニョロッティを連想させて美味。
揚げものだけは改良の余地があり、
穴子の天ぷらなど穴子自体が大きすぎるきらいがある。
締めの食事は釜めしが一番人気。
関西割烹を謳う店だが、手羽先、天むす、きしめんに
店主のふるさと、名古屋の香りを偲ぶことができる。

セントラルパークに近い「麦」の酒は白鹿。
こちらはローカルのサカナを使っていても良質。
美味しい槍いかの刺身は通年食べられるし、
旬のカツオ、サバ、トコブシもすばらしい。

バーからキッチンまで取り仕切る店主は
ちょっと見、場末のバーテンダー風ながら
こと食べものに関しては目利きの鋭いものがある。
名物はシャケのカマ焼き。
スモークしたキングサーモンのカマは独特の味わいを誇り、
ビールにも日本酒にもピッタリでウォッカにも合うだろう。

肉じゃが、芋コロッケ、串カツも悪くない。
玉子とじはニラとシメジの2種類。
アサリも酒蒸しと鉄板焼きの2種類。
餃子は餡、皮、焼き加減、すべて完璧に近い。
ほとんどの客が支那そばで締めるが
小かぶのぬか漬けとアサリの味噌椀でやる茶碗めしは最高だ。

日本酒の代わりにビールを飲み、
白飯の代わりにきしめんや支那そばで仕上げた方は
最後にひとこと、こうつぶやいてください。
「お麦よ今夜もありがとう」

残念ながら2店ともすでに閉店してしまった。
振り返れば、帰らぬ昔がただ、ただ、なつかしい

2013年11月7日木曜日

第703話 51歳のバローロ

長々と日本シリーズの話題を引っ張っても仕方がないが
星野の仙チャンに言い忘れたことがあった。
おととし、楽天イヌワシ球団の監督に就任した際、
愚かにも北京のリベンジを楽天で、みたいな発言があった。。
即座に思いましたネ。
ありゃりゃ、このオッサン、大きな勘違いをしとるヨと―。

晴れて日本一を達成し、
本人はリベンジを果たしたつもりでいるなら
そりゃトンデモないハナシだ。
ナショナルフラッグを掲げて臨んだオリンピックと
職業野球の一球団の優勝を
同じ土俵に上げてほしくはないわい。
まっ、5年前の責任をいつまでも追及はしないがネ。

10月某日。
鎌倉ののみとも・P子からの誘いを受け、いざ鎌倉。
その日は彼女の誕生日・・・何回目かは知らない。
内輪だけで小ぢんまりやるから
遠いけれども来てちょうだいとのお達しで馳せ参じたわけなのだ。

到着すると初対面の男女が数人、集結しておった。
自慢じゃないが、ぶっちぎりの最年長者はJ.C.サンだ。
ご両親は関西方面に旅行中とのことで
親しい友人だけに声を掛けたんだと―。
ハハア~、こりゃ、親御さんを体よく追っ払いやがったナ。

食卓に並んだオードヴルはみなさんのポットラック(持ち寄り)。
メインだけP子の手料理でその夕のメニューは
何と、以前に当ブログで紹介した合い合い挽きのハンバーグ。
牛・豚・羊の三種混合だから
またの名をワクチン・ハンバーグともいう。

ガルニテュールも
アリコ・ヴェール(隠元)、キャロット・ヴィシー(人参)、
ポム・フリット(馬鈴薯)と、黄金のトリオが完璧に勢揃い。
ハンバーグ自体も”大変よくできました”の仕上がりで
文句のつけようがなかった。

加えてJ.C.の持込んだワインがコレである。
1962年のバローロ
造り手はバローロで最大の畑を有するフォンタナフレッダだ。
その当時は畑がデカいばかりで
ワインの評判はあまりよくなかった。
ニューヨーク時代は比較的廉価ということもあり、
弟分のバルバレスコともども愛飲したものだ。
それが近年は目覚しい改良を見せて
今じゃ一流の仲間入りを果たしている。

集まったメンバーも51歳のバローロを愛でてくれ、和気あいあい。
平和で幸せなひとときが流れていったのでした。
51歳ねェ、51という数字は
マリナーズ時代のイチローを思い出させるなァ。
B・ウイリアムスに敬意を表し、
ただ今ヤンキースで背負っているのは31番と、実に謙虚なお人柄。
そういやあ、国民栄誉賞を辞退したこともあったっけ・・・。
イチローというアスリートからは
”わきまえの美学”というヤツを強烈に感じる。

何だか今日も野球に始まり、野球に終わってしまったみたい。
まっ、いいか!

2013年11月6日水曜日

第702話 三人揃って 舞い、舞い、舞! (その2)

日本球界におけるピッチャー酷使のハナシのつづき。
今年は最後の最後で敗れたものの、
球界の覇者・ジャイアンツの投手はわりかし長持ちしている。
のちに監督を務めた藤田元司は比較的短命だったが
おしなべて長命ではなかろうか。

原因は川上監督の采配が大きいように思う。
何といっても8時半の男、宮田征典の出現だ。
リリーフ専門投手の草分け的存在で
これは当時ピッチング・コーチだった藤田の着想。
国鉄から巨人に移籍してきた金田が400勝を目指しており、
あとを任されたロングリリーフも多かった。

1965年には69試合に登板して20勝を挙げる。
リリーフ投手で20勝なんて、今では夢物語だろう。
しかし、登板過多がたたって翌年から低迷、
以後、復活することはなかった。
いくら何でも’65年は投げ過ぎで、
彼もまた川上監督に殺されたと言えなくもない。

古い名前が続々だが
今年のシリーズ優勝監督、星野仙一のエピソードを一席。

明大出身の星野は1969年、中日ドラゴンズに入団。
当時の監督は怪童・尾崎をつぶした元巨人の水原茂だった。
その年のある巨人戦でルーキーはKOされ、敗戦投手となった。
星野は首脳陣に
「明日も投げさせてください。必ずリベンジしてみせます!」―
と直接訴えた。

コーチ陣は連投に難色を示すものの、水原監督の鶴の一声。
「仙が投げたいと言ってるんだ、投げさせてやれ!」―
こんな経緯の末に翌日の巨人戦でも先発連投が実現する。
当夜の星野のピッチング内容はよかった。
しかし、打線の援護に恵まれず、再び敗戦投手になってしまう。

面目を失い、ダグアウトでうなだれる星野に
手を差し伸べ、声を掛けたのは水原だった。
「よく投げた、いいか、プロの世界ではやられたら必ずやり返す。
 この精神を忘れるな、それがなくなったらプロとして終わる。
 今日のゲームを決して忘れるな、よくやった」
どんなに新人は励まされたことだろう。

のちに星野は
「あのとき、水原サンに握手してもらった、
 その手の温かさは今でも昨日のことのように覚えています。
 プロの精神を自分は水原さんから教わりました」―
このように語っている。

ときは流れて2013年11月3日。
「仙台で宙に舞いたい!」―
田中で負けてしまい、
宙に浮きかけた念願がようやくかなって宙に舞う。
胴上げ投手のマー君も舞い、
オマケに彼のかみサンは里田まいときたもんだ。
三人揃って舞えてよかったネ、とにかくおめでとっ!

2013年11月5日火曜日

第701話 三人揃って 舞い、舞い、舞! (その1)

文化の日、日本シリーズ第7戦が
戦われている仙台から帰京したのは18時過ぎ。
下手な駅弁よりはましなので
出来合いのにぎり鮨を買い込み、急遽、帰宅の巻である。
この試合をを見逃すワケにはいかないものネ。

前夜は宮城県最高の米どころ、登米市にいた。
まったく期待していなかった街道筋の中華料理屋で
第6戦を満喫したのだった。
この店の酒と料理が意想外の大当たり。
野球中継ともども、大いに楽しませてもらった。

結果はみなさんご覧の通り。
楽天の福の神トリオが、美馬・則本・銀次なら
巨人の貧乏神トリオは、杉内・阿部・坂本。
これだけA・B・Cのヒーローと
A・B・Cの戦犯がハッキリするのは珍しい。

一夜明けて休日の振替日。
在カリフォルニアのポン友・ホケンからメールが届いた。
内容は例に寄ってスポーツ絡み。
ワールドシリーズの際も逐次メールをもらっていたが
此度は当然のことながら日本シリーズである。

以下、紹介してみましょう。

日本の野球は相変わらず浪花節みたい。
田中は前日に160球も投げたのに連投とは!
気持ちは判るが
彼のこれからの大リーグ人生にはよいことではない。
松坂みたいに2-3年で肩が。。。

日本では完投や完封勝利を美談にするけど、
肩を壊しては元も子もない。
皆、高校時代から投げすぎ。。。
昔、大好きだった南海の杉浦忠投手が
連投しすぎで短い投手生命を終えたことが忘れられないよ。

いや、おっしゃる通りだ、ホケンちゃん!
杉浦は鶴岡に、稲尾は三原に、
今年、肺ガンで亡くなった尾崎は水原に、
球界の宝物といってよいピッチャーたちは
み~んな当時の監督に殺されてるんだヨ。
おっと、池永だけは黒い社会にやられたんだった。
これが日本のプロ野球の残酷史というもんでっしゃろ。

こう振り返ると、ピッチャー殺人事件の現場はすべてパリーグ。
ひるがえってセリーグの大投手、金田と江夏は異常に長生きだ。
殊に金やんはネ。
彼らの肩が丈夫だったこともあろうが
それ以上に幸いしたのは持って生まれた性格だろうヨ。
二人ともまず監督の言うことに耳を貸さんもん。
自分の好きなときに投げてりゃ、肩の酷使もありますまいて。

=つづく=

2013年11月4日月曜日

第700話 芝エビ偽装にゃ 裏がある

一昨日の早朝、旅先のホテルで独りさみしく朝食をとる。
岡林信康の「山谷ブルース」じゃないが
 ♪ 一人ホテルで 食う飯に
    帰らぬ昔が なつかしい ♪
である。

化調まみれのオカズに辟易としながらも
こればかりは飛び切り旨い炊き立ての白飯を
化調ヌキの目玉焼き(当たり前か)で1膳しっかり食べた。
こなさなければならないミッションは
午後からで心身ともにリラックス。
食後、レストラン据え付けの読売新聞を読み流す。

飲みつけない、しかも旨くも何ともない、
コーヒーをすすりながらページをめくっていると、
目に飛び込んできたのが、かくなる見出し。

 仙台の2ホテル  他のエビ使い「芝エビ」
 県内初の誤表示  「偽装意図なかった」

ホテルやゴルフクラブでの食材偽装が
にわかに巷を騒がせている今日この頃。
舞台は首都圏・近畿圏どころか、
日本全国津々浦々の様相を呈してきた。
多いのはやはりエビ類の誤表示で偽装芝エビ以外にも
ブラックタイガーやクマエビを車エビ、
ロブスターを伊勢エビなどと偽るケースが目立つ。

記事によれば、両ホテルともに偽装の意図を否定している。
新聞社の取材に対する弁明を見てみよう。

まず、江陽グランドホテル。
「食材に対する認識不足による誤表示で、
 偽装の意図はなかった」

続いて仙台国際ホテル。
「仕入れの都合でエビを変更せざるを得なかった。
 お客様におわびしたい」

2ホテルのエクスキューズは微妙に異なる。
江陽は開き直っているフシがあり、謝罪の言葉はない。
一方の仙台国際は都合でエビを変更せざるを得なかったと
白状したうえで、謝罪している。
都合というのはもちろん金の問題であるハズだ。
私見ではこちらのほうがより真っ当に思える。
日々、エビを扱う一流ホテルの料理人が
芝エビの何たるかを知らぬハズがない。
江陽の食材に対する認識不足という言い訳にはムリがあるのだ。

読売新聞を読んだ当日の午後。
日本料理店の料理長と話をする機会があった。
彼曰く、
「ボクはその料理人たちが可哀相に思います。
  仕入れ値を抑えろという指示が上から出てるんですヨ。
 それでメニューは芝エビでいけ!ですからネ、おそらく」

ふむ、ふむ、こりゃ、一理あるゾ。
悪いのは現場じゃなくてマネージメントだな、きっと。
食材に対する認識不足だなんて
責任をなすりつけられたらたまらんヨ、現場は!
悪い奴らはいつも雲の上に隠れて
常に下々が尻拭いさせられる図式。
何だか東電による福島第一原発の汚染水処理みたいじゃないか。
この国の大きな汚点、腐った膿をまたもや見た思いがしやした。

2013年11月1日金曜日

第699話 黒いにんにく 双子の玉子 (その3)

さて、さて、このビッグ・エッグである。
運び人に訊いたら、コレは紛れもなく鶏卵だという。

ハナシは変わるが
漢字の卵と玉子は本来、使い分けるのだそうだ。
生のタマゴが卵で、調理すると玉子になるそうな。
J.C.の場合は”卵”という字を極力避けている。
だけど、”鶏卵”を”鶏玉”とは書けんもん。

なぜ、”卵”がイヤかというと領海侵犯が得意な隣国では
”卵”はカエルや昆虫のタマゴを指し、
ニワトリのタマゴには”蛋”の字を当てるからだ。
いわゆる蛋白質の”蛋”ですネ。
何かの拍子にそのことを知り、隣国に学んでしまった。

言われてみりゃ、たとえば中華料理のフヨウハイ(カニ玉)は
芙蓉蟹蛋(フヨウハイタン)が正式名。
芙蓉蟹卵(フヨウハイラン)じゃ、
とてもとても薄気味悪くて食べる気になれない。
調べてないから判らんが
彼の国では排卵期も排蛋期になるんだろうか?

そんなことはそれとしてデッカい玉子を割ってみてまた驚いた。
だって、こうだもん。
双子の黄身が出てきたヨ
専門用語でこういう鶏卵は二黄卵(におうらん)というんだそうだ。
俗名は二子玉川よろしく、ニコタマとも。

いくら図体がデカくても黄身が2個では白身も肩身が狭かろう。
実際に目玉焼きと玉子焼きを作ってみたら
やはり白身が少なく黄身が多いぶん、味が濃厚だった。

なんでこんな玉子が生まれるのだろう?
実は青森県畜産試験場では1979年から
二黄卵の実用化に向けて品種改良と育成研究が実施され、
餌の与え方により発生率を高める方法を編み出したんだと。

いやはや、黒にんにくもそうだけど、
青森県って進取の精神に満ち満ちて
いろんなことにチャレンジするんだねェ。
それに比べてわが東京都は寂しい限り。
何とかせいや、猪瀬のとっつぁんヨ。

デカ玉の到来でいろいろ玉子料理を試したが、ふと思った。
殻の中はいったいどうなってんのかな?
中をのぞくことはできないし、
手っ取り早いのはゆで玉子であろうヨ。

でもって、ゆでてみました。
黄身は雪だるまのごとし
ゆでたからには食べたけど、
いや、食べ応えがあったこと、あったこと。

=おしまい=

2013年10月31日木曜日

第698話 黒いにんにく 双子の玉子 (その2)

八戸から届いたみやげのつづき。
包みを開いて現れたにんにくにビックラこいた。
とくと、ご覧くだされ。
これが青森名物の黒にんにく  
火を入れすぎて焦がしちまった天津甘栗かと思ったぜ。
噂には聞いたことがある黒にんにくながら口にするのは初めてだ。

一粒じっくり味わってみて
どんなプロセスを経て、かような熟成をとげたのだろう、
まったりとしたコク味が舌の上に広がった。
子どもの頃、腹をくだしたときに
飲まされた梅肉エキスに似てないこともない。
食物なのか? クスリなのか? 第一感はこのことだった。

通販のサイトでは一応、健康食品のカテゴリーにおさまっている。
でもネ、このままでは少々無理があるんじゃないかなァ。
殊に女性や子どもにはキビしいんじゃないかねェ。
ただし、ただしですヨ、南部味噌を一つまみ添えてやれば、
それだけで酒のつまみにも、飯のオカズにも変身しそうだ。
わが家に南部味噌はないから信州味噌で代用したら
ハイッ! バッチグー(死語か?)でありました。

うれしいじゃないか、みやげの中に納豆があった。
青森の隣県、岩手は二戸市の生産者による、
国産大豆使用の小粒納豆は文字通り粒揃い。
見るからに、おのれの美味をささやきかけてくるかのようだ。
こんな逸品をこのまま味わってはもったいない。
まずは炊飯の準備から・・・ということでござる。

一緒に届いた宮城産ひとめぼれを磨ぎ、炊き上げて茶碗によそう。
同時にくだんの納豆をこれでもかとかきまぜる。
おもむろに、きざみねぎ、練り辛子、生醤油を添加し、さらにかきまぜる。
上記3品は添加しても
据え付けの添加物、納豆のタレは封も切らずにサヨウナラだ。
ここがポイント!

いやはや、この納豆の旨かったこと。
なんで青森・八戸に岩手・二戸の納豆があったのか存ぜぬが
旨いモノは旨いっ! 
掛け紙に”日本の大豆を食べませんか”とあった。
ちなみに大豆は北海道産の雪静、造り手は「高橋豆腐店」。
おかめ、くめ、あづまの御三家とは別物だぜ。
J.C.の知る限り、唯一対抗できるのは
山形産の確か、”おいしい納豆”といったかな? 
北千住の「食遊館」で出会った、それだけだ。

そして、みやげのなかで最大のインパクトがコレ。
デッカい五つの鶏卵
左端の赤玉は自宅の冷蔵庫にあった玉子(Mサイズ)。
何でこんなに大きいの?
合鴨のソレならいざ知らず、
ニワトリの玉子でこんなんは見たことないわい。
明日はこのデカ玉を主役にしたいと思います。

=つづく=

2013年10月30日水曜日

第697話 黒いにんにく 双子の玉子 (その1)

このところ東京もめっきり涼しくなりました。
のみともと待合わせても
みんなハーフコートなんぞ羽織って来るもんなァ。
いえ、薄着派のJ.C.は相変わらずシャツ1枚で
「バッカじゃなかろか!」―
なんて周りから白い目で見られている。
いいんだもんネ、このほうが風邪引かないんだもんネ。

みちのくののみともがみやげの山を抱えて上京して来た。
何でも前日まで青森県・八戸に居た由。
港の朝市や「八食センター」で珍品に遭遇し、
我慢できずにいろいろ買い込んじゃったらしい。

ああいう場所で売られている物品は
名もない酒の肴一つとっても
都会のスーパーとは比べものにならないほど実がある。
実際に袋もののつまみを食べてみて
チーズ&いかの松葉や
のしほたて(のしいかの帆立バージョン)の秀逸さに
八戸漁港の底力を思い知らされた。

ふ~む、八戸かァ!
思い起こせば、訪れたのは20年以上前の真冬だった。
迎えてくれた友人のクルマで
三沢空港から凍結した道路をツルツル滑りながら
何とか市内に入ったっけ・・・。
朝の市場じゃ、腹を割かれて白子をさらした、
新鮮な真鱈がところ狭しと並んでいた。

タラ、サバ、イワシ、イカ・・・季節の移ろいとともに
揚がるサカナは異なれど、八戸港は大衆魚の宝庫。
もっともここ数年、タラの値段は高騰の一途で
もはや大衆魚とは呼べなくなった。
タラ大好き人間としては心もフトコロも痛むが
世の人々がようやくタラの旨さに
目覚めてくれたのかと思うと、うれしい限りなりけり。

おっと、八戸みやげのハナシであった。
とにかくいただいたのはすべて食べもの、それもドッサリ。
前述の袋もののほかに、まず大量のにんにくがあった。
魚介以外の青森名産は第一にりんごだが
どっこい、にんにくは国内総生産量の8割を占めている。
ブランド化された田子町産がつとに有名で
十和田市と天間林村を加え、青森にんにく三大産地と称する。

今回運び込まれたのはフツーのにんにくだけじゃなかった。
空けてビックリ玉手箱、こんなヤツが出て来たヨ。
と、ここまで書いてスペースが尽き、
写真はまた明日お目にかけましょう。
焦らすんじゃないヨ! ってか? ごめんね、ゴメンネ!

=つづく=

2013年10月29日火曜日

第696話 歳をとったら日本そば

以前の仕上がりとは似ても似つかぬほどに変わり果てた、
かつての名酒場「山利喜」の牛もつ煮込みに
傷心の決別をして店先の森下交差点。
清澄アヴェニューと新大橋ストリートの十文字だ。
ちょいとキザな表現ながら
ニューヨークのマンハッタンにおいては
南北に走る通りがアヴェニュー、東西がストリートだ。

通りの向こう側に手を振る和雄サンの姿が見えた。
隣りにさだおサンもご一緒だ。
三人揃って日本蕎麦舗「京金」の暖簾をくぐる。
予約したテーブルには先着の熟女二人が待ち受けていた。
五人合わせて320歳近くになろうか。

熟女と呼ぶにはまだ早い、
いわゆる半熟のパン子だけは仕事帰りでまだ未着。
とりあえずエビスの生で乾杯だ。
苦手な銘柄ながら1杯だけおつき合い。
そうこうするうちパンちゃん駆けつけ、あらためて乾杯となる。

一息ついてそば前の吟味に入った。
といってもこの店の品書きはバッチリ把握しているので
J.C.がパパッと仕切らせてもらった。
注文品はかくのごとし。

出汁巻き玉子 そばの実入り焼きみそ 
*白菜新香 蛍いか沖漬け わかさぎ天ぷら

ベストは*赤字の白菜である。
秋の深まりとともに風味を増して卓抜な漬け上がり。
芋焼酎・蔵の師魂のロックとシンクロナイズド・マッチングであった。
ほかの料理もおしなべてよく、一同エビス顔である。
べつにエビスビールのおかげじゃないけどネ。

締めのせいろはやや平べったい形状、
パスタのリングイネを想起させる。
老舗には珍しく、盛りがよろしい。
”藪”や”砂場”の諸店はこの精神を見習っていただきたい。

つゆもキリッとしていながら下町の俗っぽさを内包してなかなか。
本わさびはありがたいけれど、
おろしてから時間が経っており、キレ味に欠けた。
とはいえ、旨いそばに舌鼓の老頭児(ロートル)たちは大満足。
まっこと、歳をとったら日本そばである。

交差点を少しく南下して活魚と季節料理の「杉」に移動する。
うれしくもアサヒの大瓶に息を吹き返したJ.C.であった。
われながら単純だネ、ジッサイ。
刺身の盛合わせを大皿でお願いしたが
盛りのよいせいろを1枚やってきたもので
男性陣はほとんど箸がすすまない。
その点、女郎衆はスゴいや、パックパクだもんねェ。

2皿で登場した栃尾の油揚げはさすがにこたえたようで
1人前は誰かがお持ち帰りしたようだ。
ビールのあとは東海林御大の意向もあり、珍しくウイスキーの水割り。
銘柄は国産のスーパーニッカだ。
スーパードライに続いてスーパーニッカ。
こうして森下のスーパーナイトは更けていったのでした。

「京金」
 京都江東区森下2-18-2
 03-3632-8995

「杉」
 東京都江東区森下1-5-7
 03-3634-2578

2013年10月28日月曜日

第695話 国破れて山河あり (その2)

夕暮れの森下の町にいる。
「またビールのハナシかヨ」―
そう、そしられても弁解するつもりはござらんが
まあ、お聞きくだされ。

何もエビスが悪いわけじゃない。
世に、この銘柄を好むビール党は星の数ほどいるだろう。
ただ、J.C.が主張するのは濃厚なビールを置くのなら
真逆にある軽快なタイプも用意すべし、その一点だけだ。
同じサッポロでもエビスと黒ラベルはガソリンと軽油ほどの差がある。
飲食店を経営するみなさん、
そこんとこを、よお~くわきまえておくれでないかい?

日本そばの「京金」はエビス一辺倒ながら
近所の大衆酒場「山利喜」にはサッポロラガー、いわゆる赤星がある。
よってこのクラシックなビールでのどを潤してから
そば屋に移動を試みるのが手筋というものだ。

「山利喜」は数年前に建て替えられた。
新築後は初めての訪問になる。
記録を紐解いてびっくりしたのは
何と10年以上のブランクがあったこと。
好きな森下の町にはちょくちょくやって来るにもかかわらず、
かくも長きあいだ、無沙汰をしていたとは!
先週紹介した天ぷら「満る善」や洋食「深川煉瓦亭」を
何度も再訪しているだけに、わが目を疑ってしまった。

とにかく入店した。
以前のように店先に行列なく、心なしか人気のかげりを感じる。
いきなり短い階段をのぼらされ、
カウンター席に身を置いたが、隣との間隔が狭すぎでしょうヨ。
いや、まいったな、昔のほうがずっと居心地がよかった。

気を取り直してくだんのサッポロ赤星である。
大瓶の620円はけっして高くない。
むしろ良心的な値付けといえる。
突き出しは鳥肉入りの筑前煮で、これが300円。
下町の大衆酒場に有料のオッツケ突き出しはそぐわないが
300円なら目クジラを立てるほどのこともあるまい。

名代の煮込みは500円。
東京三大煮込みの一翼を担うと讃された傑物を十数年ぶりに味わう。
ややっ、食べてびっくり玉手箱、コクも風味もあったものではない。
脂っこい牛のシマ腸を使う煮込みは
もともと好きなタイプではないけれど、こりゃ、あまりにヒドいや。
旨みがどこかにすっ飛んで駄品と堕している。
適正価格は350円がいいところ。
哀れ、煮込み王国の崩壊を見る思いがした。

国破れて、山河あり。
障子破れて、サンがあり。
早いとこ障子サン、もとい、東海林サンのもとに向かおうっと・・・。

「山利喜」
 東京都江東区森下2-18-8
 03-3633-1638

2013年10月25日金曜日

第694話 国破れて山河あり (その1)

深川は森下の天ぷら屋「満る善」と
「深川煉瓦亭」をハシゴした日から2日後、
再び森下の町にJ.C.オカザワの姿を見ることができた。
そんな姿、見たくもないってか?
まあ、そうおっしゃらずに先をお読みくだされ。

当夜は恒例の食事会。
面子は漫画界の重鎮のさだおサンと
「キン肉マン」の特殊キャラで名を馳せた和雄サン、
そしてJ.C.が野郎ども。
ハーピストのI﨑サン、専業主婦に徹するちーチャン、
フードアナリストのパン子チャンが女郎衆である。
この会は男女比3対3であることがほとんだ。

2ヶ月に一ぺんほどの不定期開催ながら
第1回が震災の年の正月だったから
かれこれ3年近く続いていることになる。
初回は本所吾妻橋のどぜう屋「ひら井」であった。

番たび19時のスタートながら
男性陣は30分ほど前に別の場所で落ち合い、
生ビールで乾杯するのが半ば慣習化している。
たまたまその夜はJ.C.に夕方から所用が入ってしまい、
零次会ナシということになった。
ところが所用はキャンセル、2時間近くも身体が空いた。

17時過ぎには森下に独り到着して
まずは二次会会場の下見である。
森下の交差点近く、腹積もったバーがあるはずなのに見つからない。
おそらくクローズしたのだろう。
サァ、困ったゾ。
ぶらぶらしたところで適当な店が見つかるわけもなし、
ましてや下町にバーはきわめて少ない。
方針変更して小粋な居酒屋にでもしようか。
一次会は日本そばの佳店、「京金」に予約を入れてある。
”和”と”和”で重なるが、「魚三酒場 常盤店」のそばに
「杉」なる和食店を見つけ、女将に21時頃の訪問を伝達した。

ときに17時45分、1時間以上も時間が空いた。
しかし、すでに算段があり、立ち寄る店も決めていた。
森下で一番有名な酒場、「山利喜」である。
いきなり会場の「京金」に出張るつもりは毛頭なかった。
何となればこのそば屋、料理は上々ながら
ビールが生・瓶ともにエビスしか置いてないのだ。

どうして日本そば屋には
「エビスビールあります」派が多いのかネ。
うなぎや焼肉ならいざ知らず、そばや鮨にエビスは濃厚過ぎる。
サッポロの営業マンにそそのかされた酒類に疎いそば屋の主が
二つ返事で契約した結果がこの惨上、やれやれである。

=つづく=

2013年10月24日木曜日

第693話 天ぷら屋から洋食屋

下町は深川の北辺、森下の町にやって来た。
深川の南端、門前仲町から歩いて来たのだ。
行く先は下町情緒漂う天ぷら店「満る善」。
何たってこの屋号がいいやネ。

初めて訪れたのは2002年のこと。
もう11年の月日が流れたんだねェ。
そのときと変わらず、老夫婦二人だけの切盛りである。
当時すでに老夫婦だったから、かなりのお歳になるハズだ。

胡麻油香る天ぷらは江戸前の正統派。
したがって色どりのしし唐以外に野菜類は揚げない。
天種は海老・きす・めごち・いか・穴子が常備されており、
秋口からハゼが登場し、冬場には牡蠣が加わる。
J.C.が好むのはサカナたちすべてと牡蠣である。

当夜はわれわれのすぐあとに
近所のオジさん5人組が現れ、店主は大忙し。
注文品がなかなかでき上がってこない。
突き出しのゲソワサでビールを飲みながら待つ。
ゲソはゲソでも柔らかな墨いかのそれがうれしい。

やっと運ばれた、あじ酢と墨いか刺しはやや疑問。
本わさびを持込んでいたが、それでもイケなかった。
この10年の間に変わったものは
生モノのレベルダウンとぬか床のゆき過ぎた熟成化だ。
以前の浅漬けのほうがはるかによかった。
というより、苦手なタイプの酸味・風味が立ってしまっている。

海老・きす・めごち・穴子と揚げてもらい、ベストは穴子。
穴子の上半身だけは天つゆにくぐらせたが
ほかはみな大根おろしと生醤油でいただいた。
この食べ方が一番好きなのだ。
あとは注文する料理がないので2軒目に移動する。

森下の交差点を西に進み、洋食の「深川煉瓦亭」へ。
銀座3丁目の老舗中の老舗、本家「煉瓦亭」ののれん分けがここ。
もっとも都内のあちこちにのれん分けは散在している。
さっそく献立表を見ると、10年前に比べて
マカロニグラタン(950円)、ミックスフライ(1250円)、
ビーフシチュー(1700円)は100円の値上がり。
ラーメン(600円)、五目そば(930円)、
オムライス(900円)、カツ丼(930円)は50円値上げだ。

銘柄を失念したが赤のハウスワインをボトルで開けた。
2/3をJ.C.が、残りを相方が飲んだものの、いや、これが不味い。
「満る善」では軽くつまんだ程度だったので
ハンバーグステーキ(780円)に
ブラック・オムライス(価格不明)というのを所望してみる。

ハンバーグは以前と変わらぬ味。
初顔のブラック・オムライスには
黒胡椒タップリの照り焼きソースが掛け回されていた。
だけどサァ、照り焼き味のオムライスはないだろうヨ。
怒った相方はカレーライス(750円)で口直しときたもんだ。
何だか不完全燃焼に終わった森下の夜。
たった2軒でお開きといたしました。

「満る善」
 東京都江東区森下1-18-1
 03-3631-1931

「深川煉瓦亭」
 東京都江東区新大橋2-7-4
 03-3631-7900

2013年10月23日水曜日

第692話 茄子と胡瓜があればシアワセ (その2)

ちょい悪オヤジがちょい飲みできる街・上野。
それも茄子と胡瓜の浅漬けで一杯ときたもんだ。
J.C.みたいにハシゴ好きの飲んだくれにはたまりませんな。

まず1軒目、地番は上野5丁目ながら
実際はJR御徒町駅のガード下にある「味の笛 御徒町店」。
ちょうどプラットホームの真下だ。
駅の改札は北でも南でも大差ないが
上野寄りの北口を出たほうがより近い。
1階(16時開店)は立ち飲み、
2階(15時開店)は座り飲みとなっている。

サカナのデパート「吉池」の直営店だから
良質のつまみ類が廉価でズラリと並んでいる。
中でもイチ推しは新潟産の十全茄子(300円)。
別名・梨茄子といわれるくらいでジューシーこのうえない。

いや、このうえあった。
それは泉州・岸和田産の水茄子だ。
スマートな水茄子をハクチョウに例えれば、
十全茄子はさしづめアヒルの子。
でも、けっしてみにくいアヒルの子ではないですゾ。
味も甲乙つけがたく、小粒で可愛い見てくれから
こちらに愛着する向きが少なくないのである。

まずはご覧いただきましょう。
茄子紺に辛子の黄色が美しい
これで工場直送、スーパードライの生をグビッと飲るのだ。
ビールは鮮度がイノチ、新しければ新しいほどよい。
見た目、300ccほどのプラコに入った冷たいのが破格の250円。
夏場のJ.C.なんざ、4~5杯飲んじゃうもんネ。

残念ながらこの十全茄子、9月半ばに姿を消してしまう。
旬は7~8月でもうちょっと早く紹介すればよかった。
その代わりといっては何だけれど、お新香(200円)が悪くない。
きゅうりぬか漬け・赤かぶ・野沢菜・新しょうがであることが多く、
値段が値段だけにすばらしい陣容と言うほかはない。
「味の笛」はJR神田駅のガード下に支店があるが
雰囲気・味ともに御徒町に軍配が挙がる。

2軒目は上野駅に近い、これまたガード下の「大統領」が
数年前に開店した「もつ焼き 大統領 支店」だ。
名代の馬もつ煮込みがこちらにも健在。
入口前のスペースにテーブル席。
店内はうなぎの寝床のような長いカウンター。
常に独りか二人連れのJ.C.は上がったことはないが
グループ客は2階に通されるから
階上にもかなりの席数がありそうだ。

ここでは胡瓜の浅漬け(280円)で
スーパードライの大瓶(580円)を飲む。
薄切り胡瓜がみずみずしい
いつぞやはこの胡瓜をお替わりし、
それだけで大瓶を3本飲んだ。
いえ、自慢じゃないけどネ。

あとはもつ焼き(1種2本が180円)のシロとレバを
タレで注文することが多い。
この店の隣りは「フジクラ」、その向かいは「たきおか」。
どちらも立ち飲みで大瓶が400円を切る安さ。
給料前にはその2店、給料後には「大統領」、
それが上野の酒場の正しい使い方であります。

「味の笛 御徒町店」
 東京都台東区上野5-27-5 1&2F
 03-3837-5828

「もつ焼き 大統領 支店」
 東京都台東区上野6-13-2
 03-3834-2655

2013年10月22日火曜日

第691話 茄子と胡瓜があればシアワセ (その1)

 ♪ 去年のあなたの 想い出が
   テープレコーダーから こぼれています 
   あなたのために お友達も 
   集まってくれました 
   二人でこさえた おそろいの 
   浴衣も今夜は 一人で着ます 
   せんこう花火が見えますか 空の上から  ♪
            (作詞:さだまさし)

さだまさしの「精霊流し」を聴きながらコレを書いている。
今日は季節はずれのお盆のハナシで始めませう。

仏さまをお迎え、お送りする精霊馬をご存知ですか?
胡瓜と茄子に割り箸を刺して馬と牛に見立てたものだ。
迎えるときはなるべく早くお着きになるように足の速い馬。
送るときはなるべくゆっくり帰れるようにのんびり屋の牛。
ただし、牛馬ともに精霊馬というらしい。
何だかガミを食ってるみたいで牛は立場がないなァ。

ともあれ、夏場(過ぎ去ったけど)は茄子と胡瓜がめっぽう旨い。
どちらも典型的な夏野菜だからネ。
何を隠そう、J.C.は浅く漬けたぬか漬けが大好きで
殊に上記2品は目に入れたら痛いが口に入れたら最高なんざんす。
酒にも飯にも、これ以上ないほどの相性を見せつけてくれるし・・・。

しょっちゅうボヤいてるから読者には目タコ・耳タコだろうが
東京にはサクッと飲める場所が少なすぎる。
それを何とか補ってくれてるのが上野と浅草。
特に上野はスゴい。
その気になりゃ朝から晩まで飲み続けられるもの。
いえ、アル中じゃないからそんなに飲まなくてもいいんだが
いつでも飲めるエリアを報っていて損をすることはまずない。

上野から御徒町にかけての、いわゆるアメ横界隈には
使い勝手のよい店が相当数存在している。
ビールでも焼酎でも日本酒でも、軽く1、2杯飲って
すぐ勘定のできる佳店がゴロゴロしている・・・うれしいねェ。
しかも猫がまたぐどころか雀すらつままん、
ゴミお通しを出さないのがエラい。
これこそが大衆酒場本来の真っ当な姿でありまっしょう。
大衆から営利をむさぼらないのが大衆酒場。
大衆から金を巻き上げたらそいつは回収酒場だ。

おっと、
 お盆→精霊馬→胡瓜と茄子→浅漬け→大衆酒場
と来て、書いてる本人が何が何だか判らなくなっちまった。

そうだった、本日の主役は上野にあってサクッと飲め、
なおかつ、胡瓜と茄子の浅漬けが抜群の飲み屋であった。
しかもこれが2軒もあるんです。
明日の当コラムをお楽しみに―。

=つづく=

2013年10月21日月曜日

第690話 合い合い挽きのハンバーグ 男やもめのキッチン Vol.8

ふと思いついてハンバーグが食べたくなった。
子どものときは好きだったのに最近はまず注文しないハンバーグ。
てなわけで今日は
=男やもめのキッチンシリーズ=いきます。

作るのは幼き頃に食したお子ちゃま仕様ではない。
もっと大人っぽい、そして男っぽいヤツである。
赤ワインにバッチリ合うようなネ。
したがって用意する挽き肉からして市販のものとは全然違う。
サブタイトルの”合い合い挽き”というのは
ミスプリでもなんでもなく、あれで正しいのだ。

牛・豚の合い挽き肉に羊を加えるのがミソ。
まずはラム肉を販売する店を探さなければならない。
J.C.の場合は北千住・マルイの地下、
「食遊館」の精肉売場「柿安」に行くことが多い。

ジンギスカン用の仔羊肉120gに牛・豚の合い挽きが240g。
これを合わせて挽いてもらう。
したがって牛・豚のほうは二度挽きと相成る。
当然、目方は減って割高となるが多少の無駄は致し方ない。

用意する食材(2人前)は
 上記の挽き肉・・・・・340g(1割近くのロスが出る)
 生玉子・・・・・1個
 玉ねぎ・・・・・適量
 パン粉・・・・・適量
 ニンニク・・・  適量(嫌いな方は不使用可)
 塩・胡椒・・・・適宜
 ハーブ(パセリ・ミント・タイム・マジョラムなど)
 スパイス(クミン・カルダモン・クローヴなど)
 ブランデー少々

①細かくきざんだ玉ねぎとニンニク、挽き肉、生玉子、
  パン粉、塩・胡椒をよく混ぜる。
  ビニール袋を使うと手が脂臭くならない。
②肉塊を3つに分け、1つはそのままプレーン。
  あとはそれぞれハーブとスパイスを別々に練り込み、カタチを整える。
③フライパンに油を引いて3つ一緒に焼き上げるが
  上げ際にブランデーでフランベする。
④フライパンに残った肉汁にバターを加え、
  溶けたらウスターソースと醤油をホンの少々。
  半分を小皿に取っておく(ソースA)。
  残りには温めながらケチャップを混ぜ込む(ソースB)。

ハーブ・ハンバーグはソースを使わずビールとともに―。
残ったフレッシュ・ハーブを添えてもいい。
スパイスはソースAをかけて赤ワインとともに―。
挽き立ての黒胡椒でワインが引き立つ。
プレーンはソースBをかけてライスとともに―。
懐かしい昭和の洋食屋の匂いがする。

ほかにもいろいろアレンジしてみよう。
ハーブにバジルを使うとトマトソースがピッタリ。
スパイスにはカレー粉を混ぜ込んでもよい。
プレーンに五香粉を振り入れたらアッという間に香港風だ。
2人前につき、2人で半分づつ分け合うのが好ましい。
やもめの場合は半個×3を冷凍保存する。

ガルニテュール(付合わせ)は、手を抜くなら「マック」のポテト。
次いで冷凍のインゲン、これはなかなかのすぐれモノですゾ。
凝りたい向きはキャロット・ヴィシー(にんじんグラッセ)を作りましょうか。

ハンバーグでん、餃子でん、せっかくの手作りなら
味や香りをワンパターンにせず、ヴァリエーションをつけると
食卓がより華やぐこと請け合いですヨ。
それではどちらさんも、ボナ・ペティ!