2024年7月31日水曜日

第3591話 「きらく」は気楽なブレイクルーム

神保町で観る映画のあとさきに
しょっちゅうおジャマするのが
第3549話でも紹介した「キッチンきらく」。
その際はチキンライスだった。

以来、さまざまなメニューに挑戦。
よく食べるのが関西風ドッグパンのきらく焼き。
あんこ・クリーム・カレーなどを挟む、
焼きまんじゅうのルーツは
昔、西日本各地にあったカレー焼きである。

15種類ほど揃い、一律250円ながら
仏産発酵バターのエシレ使用のみ500円と
価格倍増になるのは致し方なし。

そのほかの売れ筋はカレーライス。
レトロな味わいの黄色いカレー、
インド風のキーマカレー、
分厚いロースカツ使用のカツカレーのトリオ。
この中ではカツカレーが一番人気だ。

ビールのつまみとして
単品のロースカツを注文したとき、
あまりのボリュームに圧倒された。
これでワンコインなの?
驚いたが、ほどなく700円に値上げされた。
さもありなん。

もう一つの名物が
稲庭うどんから派生した稲庭中華そば。
ラインナップが実に多彩で
醤油・塩・江戸甘味噌のみならず、
担々麺・天津麺・つけ麺・冷やしまで。

天津麺が2600円と断トツで高価なのは
おそらく本物の蟹がふんだんに使われている?
んじゃないかと想像したんだガニ。
高嶺の花に手が届かず、いまだに試せていない。

J.C.が「きらく」に執着する最大の理由は
サッポロ赤星中瓶(750円)の存在。
飲むだけでもイヤな顔をされることなく、
気兼ねせずにくつろげる。
「きらく」は気楽なブレイクルームなのだ。

かつては夜な夜な現れ、
飲み歩いた神保町の知らない魅力に
映画のおかげでふれることができた。
人生何が幸いするか知れたものではありません。

「キッチンきらく」
 東京都千代田区神田神保町1-5
 080-7293-0731

2024年7月30日火曜日

第3590話 大塚銀座の「小倉庵」

ヤケに「小倉庵」づいてしまった昨今。
此度は大塚銀座の「そば処 小倉庵」へ。
14年ぶりの訪れである。
前回はかれいの煮付けで飲んだ。

そのあとそばを食べたか記憶にないが
おそらく食べたのだろう。
調べれば判るけど昔のダイアリーを
引っ張り出す気力が湧いてこない。
年を取るってのはこういうことである。

店内にかすかな見覚えがあった。
13時で先客は単身の男性3人。
土曜のせいか、みな昼間っから飲んでいる。
壁の品書きのビールセットが目に留まった。

ビール・ミニ天ぷら・もり又はかけで1200円。
単品で通すとビールもそばも600円だから
ミニ天ぷらが丸々サービスになる勘定。
脇に通常1550円とあるから350円引きだ。

赤星の中瓶を飲むうちに天ぷらが揚がった。
茄子に南瓜に万願寺唐辛子、いいじゃないかー。
天つゆも添えられ、けしておざなりでない。
ビールのアテにちょうど好い。

もりは声掛けにしておいて赤星をもう1本。
つまみはそこそこ揃っている。
板わさ・みそ田楽・にしん甘辛煮・
あさり玉子とじ・すきやき豆腐鍋。
ソーセージ3種盛りってのだけは
日本蕎麦屋らしくないネ。

かれいの煮付けが見当たらず、
代わりにさば味噌煮があった。
う~ん、さばクンかァ・・・やっぱやめとこ。
結局は薬局、かつ煮好きのJ.C.は
落ち着くところに落ち着いた。

950円の値付けからして
かなり立派なのが来そうだが
当店にミニかつ丼はなく、手立てがない。
案の定、スンゴいのが登場。
かなりのサイズで7切れもあったヨ。
こりゃ晩酌に響いちゃうなァ・・・
悔やみながら口元に運んでいた。

もりまでもがけっこうなボリューム。
そば・つゆともに悪くないけれど
三業通りの「小倉庵」には及ばず、
不本意ながら少々残してしまった。

大塚駅前から錦糸町行きのバスに乗り、
御徒町駅前で降りましたとサ。

「そば処 小倉庵」
 東京都豊島区2-40-10
 03-3942-1314

2024年7月29日月曜日

第3589話 三業通りの「小倉庵」

東上野「小倉庵」からのつながりで
ここ2カ月ほどなじみとなった、
南大塚「小倉庵」を再度紹介したい。
所在地は大塚三業通りだ。

かつて大塚は隣りの大繁華街、
池袋をしのぐほどに隆盛を極めた三業地。
三業は言わずと知れた、
料理屋・待合・芸者置屋を指す。

初回の桜海老かき揚げ(450円)で味を占め、
通い始めたが当店のもう一つの魅力は
月替わりの変わりそば(800円)である。
そばの実の芯を使った更科粉に
さまざまなエキスや粉末を練り込み、
打ち上げるのが変わりそば。

5月は抹茶切りだったので
茶そばをあまり好まないためスルー。
6月のけし切りで香りと食感を楽しみ、
7月の梅干し切りでは
ほのかな酸味を味わった。
来月のだだ茶豆切りにも期待を寄せている。

第3553話 痩せても枯れても桜海老
で書いた通り、
近所の「そば処 小倉庵」ともども2010年に
訪れたものの、両者の関係は定かでなかった。
なじみとなり、接客のオネバさんに訊ねた。

「大塚銀座の『小倉庵』さんとは縁戚関係?」
「いいえ、どちらも山吹町に
 あったお店の暖簾分けなんです」
「ああ、そうだったんですネ。
 じゃあ、ライバル同士で仲が悪いとか?」
「ホホホ、いいえ、会合なんかでも
 一緒になって仲良くしています」
「そりゃ良かった、心配しちゃってー」
「ホホ、これからもよろしくお願いします」
こんなやり取りがあったのでした。

かつ煮好きJ.C.の推しはミニカツ丼。
フルポーションのカツ煮だと持て余し気味。
ミニ丼のごはんは要らないくらいだが
アタマの分目がビールにピッタリ。
逆に避けたいのはミニイクラ丼(700円)で
イクラは高価なため、仕方ないけど
絶対量があまりに少ない。
それを補う鮭のほぐし身は有難迷惑だ。

生粉打ち(細切り十割)、
田舎そば(太打ち十割)、
あいもり(上記の半々)はオール800円。
すべていただいたが当店の最強タッグは
変わりそば+ミニカツ丼に尽きまする。

「小倉庵」
 東京都豊島区南大塚1-42-8
 03-3941-8230

2024年7月26日金曜日

第3588話 せっかくのエビス顔 また曇る

恵比寿「ル・リオン」のサラダはよかったが
いかんせんビールが飲みたい。
表のバス通りに出るとバスが停まった。
反射的に乗り込んだのは田町行きである。

よく立ち寄る駅前の立ち飲み酒場をガマンし、
三田から浅草線で一駅先の大門まで歩いた。
増上寺ではなく芝大神宮に一礼。
立派な神宮なのにいつも参拝客が少ない。
界隈をぶらぶらして大江戸線に乗った。

降りたのは新御徒町。
日本で二番目に古い(東京最古)、
佐竹商店街を流すも「白根屋」無きあと、
翼を休める店が無くなって淋しい。

プラタナスがパリのリュクサンブール公園を
連想させる西町公園のベンチで一休み。
すぐに立ち上がり、歩き始めた。
こんなことをしている場合じゃないんだ。
ガスの補給をせねばならない。

すると右手に「小倉庵」の袖看板が見えた。
最近は南大塚の「小倉庵」にハマり、
何度もおジャマしている。
同じ流れを汲む店に違いない。
よい機会とばかり、引き戸を引いた。

女将と思しき初老の女性が迎えてくれる。
「ビールの銘柄は何ですか?」
「生は無くてエビスなんですが・・・」
ガッビ~ン!

昼間のエビスはしょうがない。
何せ恵比寿の地元だからネ。
それが何でまた上野でエビスなんだ。
せっかくエビス顔になったのに
また曇っちゃったじゃないかー。
ビールでかつ煮を目論んでいたが断念。
もりそばをわびしく注文した。

太いのや細いのや不揃いのそばは二八そば。
コシがあり、香りも立ってなかなか。
さすが自家製粉だけのことはある。
辛口のつゆにも好感が持てた。
飲みものは冷水だけだけどネ。

会計時、女将さんに訊ねた。
「お店は古いんですか?」
「今年で55年目です」
「すごいなァ、ずっとこの場所で?」
「いえ、暖簾分けでー」
「じゃ、早稲田の山吹町から?」
「ええ、本店からですヨ」

都内に何軒かある「小倉庵」のルーツは
すべて早稲田の隣りの山吹町。
55年目だから54年前の1970年。
ん? 東京駅丸ノ内南口でお巡りに
職質を受けた年じゃないかー。

んん? J.C.が早稲田に入った年だヨ。
これを単なる偶然とは思えな・・・
いや、単なる偶然であろうヨ。
あの夏、巷には辺見マリ「経験」と
由紀さおり「手紙」が流れておりました。

「小倉庵」
 東京都台東区東上野3-6-6
 03-3832-7743

2024年7月25日木曜日

第3587話 エビス顔 曇りのち晴れ

この日は渋谷区・恵比寿に現れた。
ビストロ「ル・リオン」を訪れる。
13時を回ったのに席は8割方埋まっていた。

セルヴーズ(女性の接客係)に
ビールの銘柄を訊ねたらエビスの生のみ。
冷たい飲み物が欲しいけどエビスじゃなァ。
「エビスは一番苦手なんだよネ」
「あら、そうなんですか?」
「ボクには重過ぎるんだ」
「ハァ、そうなんですネ」
せっかく来た恵比寿でエビス顔が曇った。

グラスワインは白・赤ともに
ラングドック=ルション。
スプリッツァーも出来るというので
白のそいつをお願いした。

デジュネ(ランチ)はかくの如し。
豚バラ肉煮込み・スズキのポアレ・
牛リブロースのステーキ・リヨン風サラダ・
ハムとグリュイエールのサラダ
サラダはスープ付きである。
決めてあったハムとグリュイエールをー。

冷たいかぼちゃのポタージュを飲みながら
ふと思いつき、セルヴーズに
「此処は恵比寿だよね? 」
「ハイ、そうですが・・・」
「せっかくだからエビスの生を
 飲んでみようかな」
「ハイ、かしこまりました」

結果、やっぱり重たくて苦くてー。
グラスには恵比寿さまが
鯛を抱えてエビス顔と来たもんだ。 

今日はあっちもこっちもサラダだらけ。 
この暑さじゃ、さもありなん。
スイスのグリュイエールは
ハードタイプのチーズでは一番の気に入り。
エビス顔が曇りのち晴れと相成った。

そこへ隣りに座った娘がJ.C.と同じ注文。
パクパクとハイペースだ。
サッと食べてサッと立ち上がる。
ん? んん? 
レタスやラディッキオは完食したが
細切りのハムとグリュイエールを
そっくりハネて残してるじゃないかー。

皿を下げに来たセルヴーズに
思わずつぶやいた。
「何だってコレを注文したんだろうね」 
「そうですよねェ」
 「せめてリヨン風サラダにするとかなァ」 
「ねっ、そうですよねっ!」 

何とも不可解。
近頃の若い娘のやることに
オッサンはついていけませんでした。

「ル・リオン」
 東京都渋谷区恵比寿1-21-16
 03-3445-8131

2024年7月24日水曜日

第3586話 「銀幕の越路吹雪」さらに2作 (その2)

いやはや、お待たせしました。
いえ、実は22日月曜の夕刻。
文京区・谷根千エリアが
ゲリラ野郎の襲撃を受けまして
PCとインターネットが切断され、
接続不能に陥ったのでした。

そこからが大変。
ドコモや ocn をあちこち彷徨って
(実際はたらい回しなんだけど)
ようやく復旧にこぎつけたわけであります。

さて、本題。
神保町シアターにおける越路吹雪特集、
シリーズ4作のラストは「男嫌い」(1964)。
1963年4月から1年間続いた、
人気TV番組(日テレ)の映画版で
主要な役柄はそっくり一緒である。
”ムシる” 、”カワイ子ちゃん” など、
ドラマに出て来る台詞が時の流行語となった。

監督は木下亮。
成瀬巳喜男、川島雄三など、
錚々たる巨匠たちの助監督を務め、
自らの監督昇進第一作が「男嫌い」だ。
TVドラマでは、あの「太陽にほえろ!」を
57話も担当している、

主演は、越路吹雪・淡路恵子・
岸田今日子・横山道代の四姉妹。
そこに末弟の坂本九と
お手伝いの中尾ミエが絡む。
男性陣は森雅之と神山繁。
神山はともかく、森はミス・キャスト。
浮き上がり度があんまりである。

脇役陣も、青島幸男・峰岸徹・名古屋章・
沢村貞子・千石規子など充実しており、
とりわけ「肝っ玉かあさん」の京塚昌子が
懐かしみを生じさせてくれた。

早い話が典型的なナンセンス・コメディ。
木下の悪ふざけもいいところだ。
「男嫌い」は26日(金)までの上映。
メインで併映されている、
「忘れられない90年代映画たち」は
8月2日(金)まで。

翌3日からは新シリーズ、
「太陽族とギラギラの若者たち」。
「太陽の季節」「われらの時代」
「乾いた湖」「青春残酷物語」
「八月の濡れた砂」などが待ち受けている。

J.C.が楽しみなのは
岩下志麻の映画デビュー作、
「乾いた湖」であります。

2024年7月23日火曜日

第3585話 「銀幕の越路吹雪」さらに2作 (その1)

神保町シアターで上映中の「銀幕の越路吹雪」。
全4作のうち残りの2作を観てきた。
1本目は「吹けよ春風」(1953)、
監督は八千草薫の旦那だった谷口千吉。
主演の三船敏郎はタクシーの運転手。
さまざまな乗客とのふれあいを描いた、
セミ・オムニバス仕立てである。

いきなり岡田茉莉子と小泉博の痴話げんかと
車内ラブシーンで始まる。
ホンのチョイ役で観ている方は
完全な肩透かし状態。
何も売れてる二人を使わなくともー。

家出娘の青山京子(小林旭夫人)が可愛い。
東京駅丸ノ内南口のホールで
ヘンなオッサンにまとわりつかれ、
連れていかれそうになるところを
三船が助けるのだが
実はこれとまったく同じシーンを
自ら演じたことがあった。
いえ、J.C.がネ。

あれは1970年、大学に入学した年で
丸ノ内南口の東京ステーションホテルに
かつてあったコーヒーショップでバイトの日々。
閉店後、同僚のGFと飲みに行く約束だった。

ホールの柱の陰に身を隠して眼だけを出し、
待ち構えてあとから来る彼女を
「ワッ!」と驚かせようと潜んでいた。
すると、後ろから肩をポンポン。
振り返れば、制服姿の巡査と来たもんだ。
かくかくしかじかと弁明するところへ
ほどなく相方が現れ、事なきを得た次第也。

ファンにもみくちゃにされる、
人気女優の越路吹雪を日劇前で拾い、
そのまま外苑のイチョウ並木を疾走。
映画「黄色いリボン」の主題歌を三船が
替え歌にしたメモを越路が見て歌い出す。
しまいにゃ三船も参加してデュエット。
彼の歌声を聴いたのはのは最初で最後。

映画「男はつらいよ」の撮影の合間に
妹・さくら役の倍賞千恵子が口ずさむ、
「幸せの黄色いリボン」の歌詞の意味を
山田洋次監督が聞き及び、
「幸せの黄色いハンカチ」が
生まれたというのは有名な逸話である。

刑期を終えた夫・山村聰を迎える妻・山根寿子。
この夫婦と幼子にはホロリとさせられた。
人情味にあふれ、心に残る1作でありました。

=つづく=