2023年9月12日火曜日

第3360話 サラマンカが胸に響いて (その2)

J.C.が初めて日本を出国した1971年。
マドリッドで出逢ったのが
青山学院大生のM恵子だった。
当時、彼女は欧州最古のサラマンカ大学に
留学中だった。

翌年、帰国して来て交際が始まるのだが
年長の彼女からはいろいろ教わった。
そのかたわら、よく聞かされたのが
ヨーロッパの音楽である。

詳しい事情は知らぬが建てたか買ったかした、
一軒家が市川の郊外の田んぼにポツンとあった。
夏ともなれば、カエルのゲコゲコがすさまじい。

そんな中で聴いたのがスペインの楽曲、
「アディオス・ユニベルシダッド(さらば大学)」、
アイルランドのダニー・ドイル が歌う、
「Yesterday when I was young」、
(アズナブールの「帰り来ぬ青春」)
ギリシャの民族音楽を基調としたポップスなどなど。

あれは或る土曜の朝。
夜明けのコーヒーを二人で飲んでいるときに
ラジオから流れてきたのは
ビリー・バンバンの「さよならをするために」。

2年後、この曲がロンドンのバイト先の同僚、
ミゲル・ゴンザレス・ロドリゲスの
気に入り曲になるとは夢にも思わなかった。

いや、懐かしいな、田んぼの中の一軒家。
J.C.が訪れ始める数年前、
ここをハウス・シェアしていたのは
ブレイクする直前の劇画家、
「ベルサイユのばら」の作者、その人である。

M恵子からはスペイン語の初歩も習った。
中でも笑ったのは
スペインの男が娘を口説くときの文句。
「モサ、キエルメ・ケテンゴ・ムーチャス・バカス」
(娘さん、オイラに惚れな、
 牛をたくさん持ってるからサ}

ハハハ、こりゃいいや。
2年後、セビリヤのバルで出逢った、
セニョリータ相手に披露したら
バカ(牛)だけに、バカ受けだった。

ロッシーニの「セビリアの理髪師」転じて
J.C.は「セビリアの色事師」でありました。

=つづく=