2011年10月18日火曜日

第164話 悪夢の竹輪磯辺揚げ

竹輪の磯辺揚げってご存知ですよネ?
通常、1本の竹輪を脳天唐竹割りにして
それを胴の真ん中からブッタ斬り、
計4ピースにバラしたあと、
青海苔入りのコロモをまとわせて揚げたものだ。

自分に子どもはいないし、
近所に学童の友だちもいないから
現在の実情は存ぜぬが
昭和30年代の小学校給食に
しょっちゅう登場したのが竹輪の磯辺揚げ。
鯨の竜田揚げと隔週金曜のローテーションで
出てきたことを覚えている。

そして月曜によく出た献立が
ねぎま汁と砂糖をまぶした揚げコッペパン。
昭和30年代といえば、まだまだみんなが貧しかった時代。
昼食はもとより夕食だって質素なおかずで
中には麦の混じったごはんを食べていた家庭もあったはずだ。
何せ、時のアホな総理大臣(でも菅よりはずっとマシ)が
「貧乏人は麦を食え!」などと、マジで叫んでいたご時世だもの。

思うに金曜と月曜に揚げ物を持ってきたのは
給食のない土・日に貧弱な食事で
栄養不足に陥った児童の栄養補給のため、
栄養士が考えに考えて
高カロリーの揚げ物を供給したのではなかろうか。

今では貴重な鯨の竜田揚げも
当時は嬉しくも何ともなく、とんかつのほうがありがたかった。
大森から深川の小学校に転校したとき、
給食にとんかつとフルーツポンチが出て雀躍したことを記憶している。

そんな鯨だったが竹輪よりはずっとよかった。
実は子どもの頃、磯辺揚げが大の苦手で
当日は朝から憂鬱になったものだ。
口いっぱいに詰め込んだまま嚥下せず、
校舎裏の排水溝に全部吐き出したくらいである。
それが大人になって食べられるようになるから不思議だ。
さすがに好物とはいかないまでも
居酒屋で友人が注文しても、それをさえぎることはしない。
昔はむしろ嫌いだった豆腐も歳とともに好きになったから
人間の味覚や嗜好はずいぶんと変化するらしい。

とある夕暮れ、銀座の泰明小学校近くにある老舗日本そば店、
「泰明庵」で一人前の刺身盛合わせを肴に独酌していた。
刺盛りの内容は真鯛・まぐろ・かんぱち、
そしてもう一種の白身は縞あじに間違いあるまい。
この時間に独りゆるりと酒を酌む幸せを肌で感じていた。

ふと品書きに鯛ちくわ天の文字を見とめる。
あのときは上等な鯛竹輪ではなかったものの、
小学生時代の悪夢が脳裏を貫いた。
注文してみるとコロモに青海苔は混ざっていない。
不味くはないが別段旨いというものでもない。
3つ目あたりから次第に飽きて持て余す。

気まぐれに余計なモンを頼んじまった夕まぐれ、
7、8丁目あたりに回り、新規開拓でもしてみるか。
意外とまぐれ当たりがあったりもして・・・。

「泰明庵」
 東京都中央区銀座6-3-14
 03-3571-0840