2014年5月29日木曜日

第848話 あゝ上野癖(へき) (その1)

  ♪ どこかに故郷の かおりをのせて
   入る列車の なつかしさ
   上野は俺らの 心の駅だ
   くじけちゃならない 人生が
   あの日ここから 始まった  ♪
      (作詞:関口義明)

井沢八郎の「あゝ上野駅」がリリースされたのは1964年。
東京オリンピック・イヤーだった。
東北から集団就職してくる若者の応援歌として親しまれ、
今も歌い継がれる佳曲である。

そもそも集団就職は世田谷区・桜新町の商店街が
新潟県に中卒労働者の斡旋を依頼したのが始まり。
以来、都内全体に拡がった。
時代を経て桜新町商店街は
サザエさん通りとして、つとに有名なストリートとなった。

さて、上野である。
J.C.の”この街デビュー”は昭和32年だ。
一家揃って上京した年である。
父親の友人の事務所が文京区・根津にあり、
訪問後、不忍池のほとりを二人してそぞろ歩いた。
そのときのことはしっかり幼い子どもの脳裏に刻まれている。

ボート池の脇を通り、弁財天の前に出て
多少なりともお堂に賽したのではなかったかな?
弁財天は現在も変わらぬ姿を見せている。
隣りのコンパクトな大黒天もまたしかり。

先日、寅さんの”男はつらいよ”を観ていたら
画面に弁天堂が登場して、思わず身を乗り出した。
全48作のちょうど中間点、
第24作「男はつらいよ 寅次郎春の夢」だった。
ハーブ・エデルマンなる米国人俳優が重要な脇を演ずる作品だ。

寅さんが弁財天前に架かる天龍橋のたもとで店を拡げている。
幸いにDVDだったから、巻き戻してそのシーンをパチリ。
懐かしのワンショット
今は焼き鳥だの、おでんだの、
はたまたケバーブなどの屋台にとって代わられ、
テキ屋の名口上を聴くこと適わない。

天龍橋は鵜の池と蓮池をつなぐ水路に架る橋。
上の写真で判るだろうか?
寅さんの背後(画面右下)に見えるのは白いアヒルたちだ。
ところが今は・・・鳥は鳥でもまったく異なる鳥が
ピースフルに羽を休めておりました。

=つづく=