2015年5月13日水曜日

第1097話 何処よりも此処を愛す (その1)

本日は諸般の事情でブログのアップが遅れ、すみません。
お待たせしました、ではまいります。

 花の雲  鐘は上野か  浅草か 

芭蕉晩年の句、といってもまだ42歳にすぎなかったが
とにもかくにも名句だと思う。
「奥の細道」へ旅立つ2年前、1687年に詠まれた句である

ソメイヨシノが東京の空に花の舞いを踊ってから早や一月半、
そう、花の雲とは咲き誇る桜花のことだ。
俳匠は満開の雲の下にあって弟子たちに囲まれ、
宴の真っ最中であったろう。

芭蕉が聞いた鐘の音は
上野の寛永寺、あるいは浅草の弁天山だったハズ。
どちらの鐘か判断しかねたとなると、
花の宴はいったいいづこで催されたのか?

高層ビルなど皆無の江戸中期、
鐘の音はかなり遠方まで鳴り響いたとはいえ、
両所の中間点、あるいは同距離にあって
三角形の一点を成す場所と推測するのが妥当だ。
さすれば芭蕉が住まった深川の芭蕉庵あたりになろうか。

場面を現代に戻そう。

    さあさ着いた 着きました
   達者で永生き するように
   お参りしましょよ 
   観音様です おっ母さん
   ここが ここが 浅草よ
   お祭りみたいに 賑やかね ♪
      (作詞:野村俊夫)

”お祭りみないに賑やかね”と島倉のお千代姐さんが歌った、
浅草のランドマーク浅草寺に向かって
雷門(正称は風雷門)をくぐり抜け、
仲見世を真っすぐに本堂を目指す。

途中、小舟町(こぶなちょう)の大文字をしたためた、
大提灯が提がる宝蔵門の手前を右に折れると、
小さな公園があり、小高い一画に梵鐘を見ることができる。
ここが弁天山だ。

公園の向こうに裏口を構えるのが
下町の江戸前鮨ファンを魅了してやまない、
その名も「弁天山美家古寿司総本店」である。

はるか以前は参詣のあとで訪れるに
好都合の勝手口からオジャマしたものだが
いつの頃からか(おそらく建て替えと同時期)、
入店は馬道にに面した玄関のみとなった。 
都内にあまたある鮨店のなかでJ.C.がもっとも愛好する店がここ。
今までいくたび訪れたことだろう。

=つづく=