2015年5月20日水曜日

第1102話 何処よりも此処を愛す (その6)

「美家古」のつけ台に八戸生まれのE子と二人。
ときに1981年、実に34年前のことになる。

小肌論議をかまびすくしていると、
まぐろ赤身のスライスカット同様に四代目が動いた。
その動き、雷蔵扮する”忍びの者”のごとし。
E子の目の前にソッと置かれたのは1カンのにぎり。
キョトンとしている彼女の脇からのぞくと、
見覚えのない姿がチョコンと鎮座ましましている。
自慢じゃないが、この店のにぎりはすべて食べつくしたつもり。
だのに、見知らぬ異邦人の襲来とはこれいかに?

でもすぐにハハ~ン、判り申したぞヨ。
これはまぎれもなく小肌である。
ただし、皮目を内側にして、いわゆるでんぐり返してにぎったもの。
銀色に輝く絣模様(かすりもよう)をあえて隠したわけだ。
四代目ははちゃあんと二人の会話を聴いていたんだネ。

「お上がんなさい!」―うながされて
「いただきます!」ー素直に従う、よい娘だった。
何でまた別れたんだろう・・・まっ、それはそれとして
親方は彼女の正面から、こちらは横顔を
しばし見つめたまま、目が離せないぞなもし。

モグモグ、無事、嚥下して開口一番。
「おいっしい~っ!」―心なしか普段からデカい瞳がよりいっそうだ。
「何ですか、このおサカナ?」―問いかけるE子に
四代目はニヤニヤするばかりでまともに応えなかった。

ところがE子も引き下がらない。
再度訊ねると、
「アンタの苦手なサカナなんだヨ!」―これには彼女、言葉を失う。
おのれの無知を恥じらったのか、ほほが桃色に染まった。
以上が”小肌でんぐり返し騒動”の顛末である。

むかしばなしもほどほどに2015年、現代に戻そう。
この4月は2度も「美家古」を訪れる機会に恵まれた。
まさに”食べる歓び”満喫である。

月初めは数ヶ月前にたまたま知遇を得たN村サンをご案内。
雷門で待ち合わせたものの、
下戸の彼の横で一人グイグイ飲むのはいささかはばかられる。

したがってこちらはあらかじめ近くの浅草1丁目1番地1号、
「神谷バー」で下地を作っておいた。
もっとも生ビールの中ジョッキを2杯だけだけどネ。
これから天下の美味を味わいにゆくのだ、むろんつまみはナシ。
よって紫煙と嬌声にまみれた1階席に甘んじて身を置いた次第なり。

鳥取県・米子市出身のN村サンは
すぐ目の前の米子港、あるいは島根県との県境にある、
境港に揚がった新鮮な魚介に子どもの頃からずっと馴染んでいる。
ところが、江戸前シゴトを施した鮨は生まれて初めての体験であった。

=つづく=