2015年5月18日月曜日

第1100話 何処よりも此処を愛す (その4)

18年前、墨田区の知人宅に居候を決め込み、
ヤサ探しに明け暮れていた。
浅草のそれも「弁天山美家古」の出前が可能な範囲が必要条件だった。
しかし、当時のエンコはきわめて物件薄、
気に染まるハコはついに見つからなかったのだ。

オフィスの所在地はは日本橋。
結局、仕事場の日本橋と遊び場の浅草のちょうど中間点、
浅草橋に居を構えたのであった。
ニューヨークから船便で送られてきた山のような荷物も大方カタがつき、
身辺が落ち着きを見せた或る夜、
独り「美家古」を訪ねた。

ビールと日本酒を飲み、にぎりをひとしきりいただいて
五代目親方と言葉を交わす。
浅草で家探しをしたことを含め、これまでのいきさつを語る。
「美家古」の出前に話題が及ぶと、
五代目がポツリと言ったネ。
「ウチは何年も前に出前やめちゃってますけど―」―
強烈な肩すかしに哀れJ.C.、もんどり打って黒房下に転げ落ちましたとサ。
Oh, my God !
初手から言うてくれぃ!
てなことでありました。

ところで作話のブログを読まれた読者より何通かのお訊ねがあった。

=小肌のでんぐり返しとな何ぞや?=
=まぐろ赤身のスライスカットとは何ぞや?=

いや、ごもっとも。
それでは説明不足を補いましょうゾ。

時間軸の順番にまず赤身のスライスカットから。
あれは1979年のこと。
当時のGF・R子と二度目の「美家古」再訪の際だった。
ちなみに初回はJ.C.にとっても初訪問の1978年である。

千葉県北部は我孫子生まれで我孫子育ちの彼女は
それまで鮨とは縁が薄かった由。
子どもの頃より手賀沼から揚がった、
小魚や小海老の佃煮は食卓に上がっていたそうな―。

まぐろの刺身もあまり好きではなく、
ことに分厚く切られたそれは苦手であった。
こちらも刺身は薄めに造られた白身が好みで
まぐろは滅多に注文しない。

このとき二人の会話を聴いていた四代目が
何も言わずに薄くさばいた赤身を10枚ほど、
われわれ二人の間に置いたのであった。

=つづく=