2015年5月15日金曜日

第1099話 何処よりも此処を愛す (その3)

初めにお詫びと訂正です。
第1065話「五反田でレバカツを(その1)」で紹介した、
もつ焼き「ばん」は中目黒に開業した「ばん」の暖簾分けで
本家は祐天寺に移転しているとのこと。
読者のN澤サンよりご指摘がありました。
N澤サン、ありがとうございました。

「J.C.オカザワの浅草を食べる」における「美家古寿司」、
そのつづきである。

最初の昆布〆めで鳥肌が立つ。
今まで食ってた鮨ってありゃ一体なんだったんだろう。
小肌に目覚めたのもこのときだ。
穴子をわさびと煮つめで一カンづつやったときには
もう目ガシラが熱くなってしまって・・・。

ふと壁に目をやると、すしだねを記した木札が―。
見慣れぬ札が二枚あって「粉山葵不許」と「NKPA」。
前者は「粉わさび許さず」と読む。
後者はロシア語でアタマのNは逆さまだったがイクラであった。
「イクラなんてモンは酒の肴にチョコッとつまめばいいの
職人が海苔で囲った酢めしの上に
スプーンでよそう姿なんざ見たくもねェ」―
客に注文させないためのロシア語だったのだ。

かくしてたまにおジャマするのが楽しみとなった。
小肌のにぎりのデングリ返し、まぐろ赤身のスライスカット、
話題が鮨を離れても、
大陸からの引き上げ船の甲板上の浪花節など、
四代目の思い出は尽きない。

三段重ねの三重ちらしが名物だったのにいつのまにか消えた。
親方に文句を言うと、
「ああいう儲からねェもんは出しちゃいけねェって
税務署に言われたのっ!」―
シャレっ気のある人だった。
にぎった鮨から色気がにじみ出ていたものだ。

さて、五代目。
「美家古」のシゴトは立派に引き継がれている。
すべてのすしだねが健在だ。
ただし、にぎりはひとまわり大きくなって男性的になった。
柔のイチローから剛の松井に変身したかのように―。

ボブ・サップなら五代目の、菊川怜には四代目のにぎりがお口に合うハズ。
「オマエはどっちだ?」ってか?
迷わず先代。
何せ人生観が変わるほどの衝撃を受けやした。
「仰げば尊し 我が師の恩」―生涯忘れることはございません。

思い起こせば1997年秋。
(「美家古」初訪問から20年の歳月が流れていた)
15年にも及ぶ長い海外生活を終えて帰国した際、
まずは家探しに奔走したのだが
浅草に棲むつもりだった。
それも「美家古寿司」の出前が可能なエリアに―。
ところが・・・であった。

=つづく=