2015年5月19日火曜日

第1101話 何処よりも此処を愛す (その5)

浅草一、そして東京屈指の江戸前鮨店、
「弁天山美家古寿司」の回顧談を続ける。

薄めにさばいたまぐろの赤身をわれわれの前に並べ、
四代目が語る。
「そう、そう、刺身はそうして食べるのが一番。
薄すぎたら2枚まとめてやればいいんだ」―
いや、うれしかったネ、そして美味しかった。

口中まぐろだらけにしてモグモグやるより、ずっと味わい深い。
後にも先にも、まぐろを薄造りにしてくれた職人さんは彼一人。
もっとも平目や真鯛のソレよりはずいぶん厚いけれど、
親方の心配りが身に染みたのでした。

小肌のでんぐり返しに遭遇したのは1981年。
相方は青森県・八戸市出身のE子だった。
彼女が一番好きな食べものは庶民的な真いわしの塩焼きだ。
八戸の海産物といえば、いわし&いかが双璧だもの、
さもありなん。

離乳食がいわしだったというからE子のいわし好きは筋金入り。
塩焼きほどではないにせよ、刺身も好物とのこと。
ところが薄紅色の唇から漏れたのは意外な言葉だった。
「おすしの中では小肌がキラいなの」―
あまちゃんじゃないが、”じぇじぇ”である。

東京人が大雑把に語れば、
いわしも小肌も大して変わらないんじゃないの?
となって、細かいことに頓着しない江戸っ子はそれで一巻の終わりだ。

ここでJ.C.、しばし沈思黙考。
わが身を振り返れば、自分も昔は小肌が大の苦手だった。
来客でもあって、たまさか出前のにぎりにありついたときでも
常に自分の鮨桶の小肌と、母親の鮨桶の玉子が
空中で物々交換されたものだった。

それが今では一も二もなく、江戸前鮨は小肌だぜ!
そう主張して譲らぬ自分がいる。
いったい何処でこうなっちゃったのかな?
答えは簡単。
昔食べたのは場末の大衆店の粗悪な小肌。
いわゆる小肌ではなく、巨肌ってヤツですな。

欧州ながれ旅から帰国して会社勤めを始め、
自分で稼いだ給料で真っ当な鮨屋に出入りがかなうようになり、
晴れて真の小肌にふれることができたのだった。
まったくもって、小肌と巨肌は別物というほかはない。

おそらくE子の小肌嫌いもそのあたりに因を発していハズ。
はたして指摘すると、ズバリ的中でありました。
かように似非(エセ)が本物を駆逐している。
”悪貨は良貨を駆逐する”―
グレシャムの法則は何も通貨に限ったことではないのだ。

=つづく=